モグラの繰言 2010.12    我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴!)

少子化 [1229]
“人口は、国力”だそうですが、それって本当ですか?
産経ニュース(2010年12月29日)記事
そりゃあ、内乱や戦争で人間が消耗品だった時代には、人口の多い方が有利だったでしょうけど。
尤も、今でも消耗品なのかもしれませんが、でも素直に個人の立場から考えれば、自然と共存し易い、程々の人口が一番いいのではないかと思いますがねぇ。違います?
何が何でも経済成長だとか、単純な人口増加などは、地球の資源の無駄遣いに過ぎないのではないかと思いますよ。
それに、人口増と集中化で、お互いの距離があまりにも近くなり過ぎて、それだけで神経をすり減らして、逆に、お互いへの思い遣りなども薄れてしまう。
更には、貴重品のはずの身近な子供達に、まともな愛情すら持たない/持てない人種が増えて来る。
動物は、普通食べ物が豊富にあって、環境が良ければ、繁殖は盛んになると思うのですが、実際には、それだけではないようですね。
もしかしたら、(俗に云う、成熟国家での)人口減少は、「自然の摂理」、あるいは「動物/人間の本能的な反作用」なのかもしれないとは思いませんか?
だから、“少子化対策”などを云う前に、もう一度、「少子化は損か?」と、再考してみてはどうでしょう。

ゆで蛙 [1228]
昔、(恥ずかしい話ですが、)職場のトップから、“貴方達は、今、微温(ぬるま)湯につかっているようだ!”と指摘された事があります。
その中の例え話で、“茹で蛙は、自分が茹で上がるまで気が付かない。気が付いた時には(笑)、十分茹で上がっているんだ”と言われたのを思い出します。
どんな職場や地域でも、そうでしょうね。もし、“自発的な動き”や“競争”が無ければ、その場所は停滞していて「ぬるま湯」状態ですね。
確かに、同じ処に留まって、それを楽しんでいる限り、事態は何も良くはならないし、むしろ段々悪くなる一方ではないかと思います。茹で上がる前に、「居心地の良い社会」を飛び出すことこそが、今必要なのではないですかねぇ。
(「保育・教育」も、もうそろそろ“ぬるま湯”から飛び出してもいいのでは?)

うぬ惚れ過ぎ [1225]
教育界は、ちょっと、自(うぬ)惚れ過ぎではないでしょうか?
残念ながら、もう今の学校教育制度では、子供達の「いじめ」や「自殺」を防ぐ事が出来ないし、「公立校教員が精神疾患で休職増加中」もニュースになるくらい状況が悪化しているのに、どれにも、まだ今の制度と自分達だけで、対応可能だと考えているのでしょうか?
それが「責任感」なのか、「自惚れ」なのかは分かりませんが、社会が“教師を尊敬しなくなった時点”から、もう子供達への生活指導徳育などは、「担当外の仕事」になったはずです!
そうした学校教育の質的矛盾が、精神的な歪みの問題、つまり「いじめ」、「自殺」、「暴力」、「精神疾患」として現れて来ているのだろうと思います。これらは、単に「教師の教育強化」などで片が付く問題ではないと思いますがねぇ。
もっと謙虚に、自分達がやれる事、やれない事を見極めて、対策を考えてはどうですか?

ボランティア・アルバイト [1223]
奉仕気分のアルバイト(仮の職業!)で実地に学びながら、自分の適性/適職探しをするって事は、面白いし、良い方法ですね!
それから抜けられなくなって、居着いてしまうのも、また善きかな!(ボランティアだから、時給が低いからって、気にするこたぁない♪)
どうせ、今の若者達は、真剣であろうが浮ついた気持ちであろうが、仕事にありつく/取り就くのが、それ程簡単な事ではない世の中の状況ですからね。
すぐ飽きてしまってバイト先を転々とするようなら、正業/生業に就いたとしても同じ事でしょう。
むしろ、(手厚い保証は無いけれど、)自から“奉仕の思い”でやり始められる仕事があり、そうした労働人口が増えるのは、世の中の在り方から考えると、好ましいのではないかと思います。
特に、農作業などは、「自給自足の基本」ですからね!「ボランティア・アルバイタ頑張れ!

胎教 [1222]
常々、子供達の養育・教育・導育は、低年齢(乳児・幼児)の頃から始めるべきではないかと思っているのですが、それには、多くの場合、母親の時間を大幅に、時には全面的に喰ってしまうのが難点です。特に、個体が離れ々々になり始めると、段々大変になりますね。
では、いっそのこと、一心同体つまり、赤ん坊が母親の胎内に居る時に、出来る事/効果のあることは、全部やっておくというのはどうでしょう。
つまり、妊娠期間は、同時に胎児教育(?)の期間だと定めて、その「胎教ガイド」や「胎教ルール」は創れないものでしょうかねぇ。
ただ、こうした気運は、種が有っても、なかなか波及・普及しないし、簡単には盛り上がらないから難しい。(何か、いい案や方法はないでしょうかねぇ)

寝かせる技術 [1220]
先日、TV番組で赤ん坊を寝かせる母親の優れた手法を拝見して、なるほど!と感心させられました。
赤ちゃんの呼吸/リズムに合わせて、耳元で母親の呼吸音を聞かせるのだそうですね。
言われてみると、納得がいきます。強制的に、別のリズム(例えば、子守唄など)の楽音や歌声を聞かせるより、本人の持つリズムに合うような音、それも毎日聞きなれた母親の呼気が、良いという事でしょう。
(これは、子供達の学習に付いても言える事で、本人のペースに合うようにやらせるのが一番効率がよいはずで、周りからやいのやいのと攻め立てても、本人がやる気にならなければ、全く効果が無いのと一緒?!)
ところで、気になったのですが、母親の呼吸音は良いとしても、父親のはどうなんでしょうね?
また、他の女性や男性の呼吸音ではどうか?も知りたいところです。
(多分、育児を担当する父親達も気になると思いますがねぇ)

社会的制裁 [1217]
この父親の行動は、正しいし、妥当ですね。
自分の子供を守るのに、何の躊躇をする事がありますか!
むしろ、社会からの「仕付け/躾」として、子供達に与えるべきものだし、大いに“大人気ある行為”だと思います。
ただ、叩くのは1回だけでよかったかも。他の数回は余分だし、節度を疑われますね。(笑
昔は、“子供の喧嘩に、親は出ない”のが美徳とされていましたが、その代わり、喧嘩をするにしても、子供達自身が、ある程度の自制力や社会性を持っていたように思います。
今は、そうした振舞い/マナーが減って来ているようなので、むしろ社会的な約束事は、ちゃんと子供達に教えるべきだし、教えない方が悪い。
(先日、電車内で出入り口に物を広げていた中学生に、“これは、(出入りの邪魔になるから、)どけなさい!”と注意したら、素直に聞いてくれましたから、現場でなら、言うだけでも判ってくれるはず)
他人を虐めたら、自分も社会的制裁/痛い目に遭うのだと知れば、その子供も控えるようになるでしょう。
それを、学校や教師だけに押し付けるのではなくて、社会人の側からも「仕付け」として教えるべきです。
(尤も、今では、その振舞い/マナーすら知らない身勝手な大人も、増えていますがね。ただ、昔の道徳や倫理などは、持ち出さないで欲しいですね。あれは、もうカビが生えていますから)
ちゃんと教えておくべきは、「多くの人達と共同で一つの社会を構成し、お互いにそれを支えて行くために必要な、義務と権利」かな。それ以外の変な徳目などは、むしろ余計ではないかという気がします。

盗作 [1215]
なるほど!世の中が便利になると、「盗作」も、し易くなるようですねぇ。
尤も、昔も中高生の盗作というのは、時々ありましたし、それで学校内が大騒ぎになった事も、間近で見聞きしました。
盗作のような行為は、何をどうやっても無くなる/無くせるものではなさそうですね。
元々、『学ぶ=まなぶ=まねる』から来た言葉だそうですし、今の教育だって「子供達に親や大人のやり方や知識を真似をさせて、同じような社会を維持・継続させる」のが目的ですから、真似るな!と言う方が無理でしょう。
でも、真似たものをそのまま使おうとするから、犯罪になるのであって、そこに自分なりの考え方や感じ方を付け加えた上で、引用・参照元はちゃんと表記する!ってことを、子供達に知って貰わないとダメなのではないでしょうか?
(そちらの方が価値が高いのだということを、“応募・評価条件”に入れておくのも、一案かも)

声無き声 [1213]
マスコミは、「自分達の主張を得意とする人達」の報道に偏り気味ですね。やはり、表面だけを追っ掛けるからでしょうか?
まぁ、声が無ければ、ニュースには出来ないから、仕方無いか。
 * Yomiuri Online (2010年12月13日)
 * 毎日jp (2010年12月13日)
私達(穏やかな)一般市民は、子供達を適切にガイドする上で、早く見せたい図書や、まだ早過ぎる図書は、出来るだけ自分達の知恵で選択したいと思っています。
でも、市場に制限無く出てしまうと、もう個人の力では、どうにも抑えられないのが現状ですね。
(出る悪書は、密かに流通するなら目を瞑るけど、一般には、出廻って欲しくない!)
ニュースにならない静かな声を反映しようとした行政だけが、(お気の毒に)憎まれ役で悪者風に扱われるようですが、実態はそうではないでしょ!抑制や禁止を要望する静かな声が、背景にあるはず。
マスコミも、そうした皆の声無き声も、合わせて、拾い上げられませんかねぇ。

幼児の天才 [1211]
このお嬢さん2歳だそうですが、「世界の国旗」、「四字熟語」、「ことわざ」、「百人一首」などそれぞれ100個以上憶えているそうで、すごいですね! ・・・ と感歎しましたが、むしろ凄いのは家族の方でしょう!
本当は、どの子供達もこれ位の事は、天賦の才として備わっているはずだし、出来るはずです。
それを、如何にその子供に合わせて、上手に引き出すかは、周りの力/努力次第だと思いますよ。
(私の信奉している言葉に、山本五十六氏のこんなのがあります。『やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ』
ところが、今の教育って、只管(ひたすら)何かを教え込む事だ、それも他人(教師・教諭達)の仕事だ、と勘違いしているから、余計に始末が悪い!)
実は、どの家庭でも、上の家庭のような「子育て」を目指して欲しいなぁと思っているのですが、大抵は、そのまま放っておくので、必ず「並み」で停まってしまうし、それが天賦の能力だと決め付けているし。
同じような方針で、子供の成長に合わせて、ずっと家族や保育・幼稚園や小・中学校でも、フォローし続けて行けば、もっと伸びるだろうと思うのですが、今の世の中、必ず何処かで停めてしまう仕組みがあるような。
折角、皆を優れた若者として育てられるのに、停めてしまうなんて、本当に勿体無い事ですよね!
マスコミも、こうしたテーマを、ずっと継続的に追っ掛けて行って欲しいものです。

やれば上がる! [1209]
Yomiuri Online 読解力推移図(2010年12月8日)]
左図は、「国際学力調査」の結果で、15歳児の読解力の回復の様子だそうです。
しかし、「数学的応用力」は9位(前回10位)、「科学的応用力」は5位(同6位)と横ばいだったそうな。
これらを、“まだまだ、だなぁ!”と見るか“やれば、出来るじゃん!”と見るかは、各人各様でしょうけど、「兎に角、やってみっか!」主義の私とすれば、“ほら!もっとやれ!もっとやれ!”って煽りたいところですね。
昔、「細く長く生きる生き方」というのがありましたが、“老人溢れ”の今、もうそんなのは時代遅れでしょ!若い内から、我武者羅(がむしゃら)に何でもこなして「太く短く!」が、世の為自分の為だし、これからの個人の生き方の理想形ではないでしょうか?

『教育欄』の有無 [1207]  *追記 [1217]
Yomiuri Online (2010年11月18日)]
ネット上の各新聞社の記事で、気になっている事があります。
それは、割合正論を吐く「産経」や「毎日」に『教育欄』が無い事。逆に、読売」や「朝日」、および「産経」、「毎日」にある事で、これは教育が三面記事並みに疎かにされている証しではないかと、思ってしまいます。・・・ (後で確認したら、そうでもないようで、記事だけは沢山ありますね)
落日の日本を、これから必死で支えて貰わねばならない若者達を、どう育てるかなんて、マスコミはまだ注視していない?
単なる後追いニュースではなくて、新しい試みの発掘だとか、効果的な育成方法の紹介だとか、実験的手法の協賛など、「創造的で生産的な活動」でニュースを生成して行けば、もっと読者も増やせるのではないかと思うのですが、如何?(「ヨコミネ式」の小中学校でのフォローなど、格好のテーマだと思うのですがねぇ)
(今でこそ斜陽ですが、昔、電鉄会社が、沿線に遊戯施設を造って客寄せを図ったように、ネット新聞社も自らが魅力的なテーマを掲げて、集客する努力が必要なのでは?)

追記
私の事実誤認で、「毎日jp」にも「教育欄」がありました。ライフスタイル内「子育て・教育
また、「産経ニュース」にも、「生活」項に「教育」がありました。
(どのサイトも記事群満載、満艦飾なので、目が廻りそう!)
(けど、「無い!」って云う時は、大体見落としがあるので、注意しないといけないですね。orz)

能力の低下 [1206]
[『どうする「理数力」崩壊』 筒井勝美・西村和雄・松田良一共著 PHP研究所 2004年4月第一版]
この本には、生徒達の成績の低下、学習能力の劣化に関して、何とも情けない日本の教育の現状の詳細が示されています。
その大いなる元凶は、『ゆとり教育』の推進で、現場で注力?した日教組であったと云う話です。
確かに、一面、そうであったかもしれませんね!...でも、それを(嬉々として?)容認・歓迎したマスコミや世の中にも、問題があった/あるのではないでしょうか?
つまり、何事も“頑張らない”だとか、“競争せず”とかが流行りだしてから、(子供達に限らず)皆が精神的な強度レベルをどんどん落として来ている時期だったから、尚の事だったのではないかと思います。(つまり、直ぐに楽をしたがるってこと!かな?)
でも、それでは拙いのでは?と思います...自分自身には、常に“何事も面倒臭がるな!”と言い聞かせているのですが、やはり便利さには、つい負けそうになりますね。
子供達にしっかり物事を教えよう/少しでも真似して貰おう!とすれば、自分自身の方がレベルを上げないと、(口先だけの)無責任人間になるだろうと思っています。(でも、もう手遅れなのかもしれませんが)

幼児保育 [1203]
近頃は、共働きが多くなって来て、幼児の段階から託児所(保育所/保育園)に預けるケースが多くなって来ているらしいのですが、本当に、それは仕方が無い/善いことなのでしょうか?
それは、子供自身の事は考えない、単なる「親や社会のエゴ」ではないって言えるんでしょうかね?
昔から、『親は無くても、子は育つ』と言われていますから、早くから、別の環境で育つ事は、勿論可能でしょうし、むしろ、親の過剰な情愛や縛りから離れて独立心が育つから、良いようが感じもするのですが。
反面、親から直接受けられるはずの細やかな配慮/情が、相当分削られてしまうような気がしてなりません。
保育士達から受ける愛情は、多分何分の一かに分散されたものでしょうし、それも幼児個人々々にフィットしたものではないのでは?という心配があります。(だって、幼児個々の育ち方って全部違うはずですから)
実は、私も分からないので、そうした状態、育つ環境と、成長後の人格や能力との相関をデータにした研究が、あれば知りたいし、出来れば世に明らかにして欲しいものです。
(それにつけても、今の「子供手当て」って、子育てにどんな意味や効果があるのか、強く問いたいですね)

教科書問題 [1201]
(今、注目の朝鮮学校の教科書は当然ですが、)日本の教科書も、その内容云々よりも、教え方/学び方を考え直すべき時ではないのでしょうか。
「Noといえる教科書 藤岡信勝井沢元彦共著 祥伝社 \1,600+税」を読んでみて、そう思いました。(\105税込)
教科書の僅か十数ページ(?ではないかと思うが)の現代史の中で、どれほど筆を尽くしても、実際に起きた事をまとめて教える/学ぶ事は、至難の業ではないでしょうか?
「教科書の現代史」から、過去に起きた物事を知るのは、余程意識のある若者だけで、常人は(うろ覚えのまま、)成人になってから、何か事件が有った時だけ、ニュースの解説やTVの特集で知るくらいでしょう。

だから、「教科書の現代史は、どれも史実としては不十分/間違っているかもしれない」とのアピールだけで、済むのでは?
それに、言うまでも無く、今はネットの時代ですから、それを活用して、どんどん真の史実を見せて、評価させるのも手でしょう。
・・・ と、書いたところで、ネット上で(2010年12月1日)の記事を見て。(左記事)
既に、ちゃんと「活きた現代史」を学ばせておられる所も、あるようですね!
生徒達は、「今ある現実」を見ながら、「これから先」を考える時には、歴史の持つ意味もよく理解出来るのでは?
つまり、このような学習環境なら、教科書なんて単なる一つの資料でしかなくなると思いますね。
(他方、只管(ひたすら)教科書だけにすがって、書かれた内容をける作を続けているような学校では、どうせ大して役に立つような学習は出来ないだろうと思いますね)

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