モグラの繰言 2011.11    我楽多苑 別亭へ (真面目な愚痴!)

白鳥の王子 [1129]
『白鳥の王子 ヤマトタケル [大和の巻] 黒岩 重吾著 角川書店 平成2年11月初版 \1,300税込み』(購入\105税込み)、『白鳥の王子 ヤマトタケル[西戦の巻(上)] 黒岩 重吾著 角川書店 平成6年5月初版 \1,200税込み』(購入上下2冊\550送料込み)
この「白鳥の王子」は、“ヤマトタケル(幼名:小碓(オウス)、呼び名:男具那(オグナ))の話”で全部で6巻あるらしいのですが、まだ4巻しか集めていません。
最初の「大和の巻」を読み始めたのですが、面白くて、もう次の2巻目も済み。(収集が間に合わない!)
まぁ、これで、当時(垂仁帝、景行帝の三輪王朝時代)の様子や中央権力の実態や、権力者になりたくても、また権力者になりたくなくても、あまり自分(達)の自由にはならなかった様子が良く分かりました。やはり、“生身の人間同士の力関係”が動的で、常に変化するからでしょう。(今の『皇室』を思い浮かべながら、読んでいます)
しかし、「歴史」はこうした“良質の小説”で学ばないと、面白くないし、損ですね!
例え、その人物像が“著者の創ったイメージ”であるにしても、当時の実生活が素直に納得出来るから。
(非現実的な話は、そのまま作り話として読み飛ばすか、あるいは逆に、実情はどうだったのかを想像するのも愉しい)


歴史の鉄則 [1127]
税金が国家の盛衰を決める 歴史の鉄則 渡部 昇一著 PHP研究所 1993年9月第1刷 \1,500税込み』
以前は、“脱税は悪い事だ!”と思っていたのですが、この本を読んで、むしろ「公務員や官僚達の税金の無駄遣い」こそ、“脱税以上に悪い事だ!”と思うようになりました。
更に、「国民の富の生産」以上に「国の消費」を増やす政治家達も、昔の悪代官より悪いのではないかと。
国会議員として当選して、“国益のために”何かをするのではなくて、自分(達)が当選するために“国税で国政をする”のに汲々(きゅうきゅう)としているのは、“脱税行為”よりも悪質でしょう。
しかし、この本の中で(誉めて紹介されている)英国のサッチャー元首相の考え方は、頭にメモしておこうと思いました。『我々は、社会主義の全誤謬を破壊すべきです』という考え方は、“正当な考え”だろうと思うから。
「最大多数の最大幸福」や「人間、皆、平等」ってセリフは、私達日本人の耳には、ホント心地よく響くのですが、よく考えてみると、それは、他人の財布/税金から施す時の話であって、“自分の懐が痛みそうな時には、必ずそっぽを向く”のですから、“(信じるべきでない)至極いい加減な思想”ってことです。
若い人達に知って欲しい事は、そういった耳障りの良い言葉に惑わされず、自分がどれだけの痛みにまで耐えられるかを斟酌(しんしゃく)した上で、自分の分をどれだけ他人に分けて施せるかを見極めながら施すべきだってことです。もし、出せるのが半分以下なら、「皆、平等」などと大口を叩いてはいけませぬ!

日本の暗号を(続) [1125]
『日本の暗号を解読せよ 日米暗号戦史 ロナルド・ルウィン著、白須 英子訳』 下述。
(戦時下の)敵の通信の『暗号解読』は、重要な情報収集策だったそうですが、これは当然「正確さ」が必要ですね。
ところが、暗号系を変えてしまわれると、当分の間は“解読”が進まない。
そこで、米国人は、「相手の通信システムの様々な特徴から、情報を引き出す方法」を考え付いたそうで、これは『通信解析』と呼ばれて、有用な策になったそうです。
これは、最近の犯罪捜査(特に米国?)で行われているの「犯人のプロファイリング(一見、無関係に見えるバラバラの情報を寄せ集めて、ある像を描き出す手法)に相当するのではないかと思いますね。
多くの捜査では、物的証拠などを探すために、犯人を絞り込んで、検挙するのが主らしいですが、それだけでは不十分でしょう。もし、早い段階でその"絞込み”してしまうと、別領域に犯人が存在するのに、別人に罪を着せてしまう(冤罪の)恐れがありますし。
(もしかしたら、日本人はそうした「プロファイリング手法」の“扱い”が、大変ヘタクソなのではないかと思います。つまり、沢山の情報は個々には全部知っているのだけど、それを整理・抽出して、有効に使う方法を知らない?例えば、「子供の脳は、3歳頃までに“急成長”する」と知っているのに、「その段階での“乳児教育”については、殆ど関心が無い。成り行き任せ」といった事や、それでいて「効率が落ちる時期の“学校教育”や“塾通い”には、結構熱心」など)

日本の暗号を [1123]
『日本の暗号を解読せよ 日米暗号戦史 ロナルド・ルウィン著、白須 英子訳 草志社 1988年12月第1刷 \1,600』
現在でも、通信内容の秘匿には「暗号化」が欠かせませんが、昔は無線通信が主だったから余計に大変だったようですね。
しかし、そんな暗号の解読も、やはり天才的な人材とそれを支える人達が居ないと、成功は覚束ないらしい。
それに、解読した膨大な暗号通信文も、適切に取り上げて利用しなければ、無駄になってしまう話は、大変教訓的です。
僅かしか無い貴重な情報も、それが“貴重だ!”と気が付かなければ、貴重でも何でもないわけですから。
そして、後で分かるのは、それは“大層貴重だったのに!”ということだけ。
(この本で教えられたのは、常に問題意識や好奇心を持ち続けていないと、貴重な情報でも逃してしまう、ってことでした)

生まれる前は女 [1121]
『ヒトはみな 生まれる前は女だった 大島 清著 二見書房 1992年11月第1刷 \1,300税込み』 (購入\105税込み)
その事を知っていれば、この本の内容では物足りないけど、誰でも当然これくらいの事はきちんと知っておくべきだろうと思いました。
男性を特徴付けるY染色体は甚だ貧弱で、多少厄介物的な存在(?)ではあるらしいのですが、その“ひ弱さ”が、実は、世の中に「不安定さ」や「進取性」をもたらしているのでしょう。
逆に、女性の方は“変化無し”でも殆ど困らないほどの「強さ」や「安定性」を持っているので、男性(群)としては虚勢でも張って頑張っていないと、下手をすると無用の長物になること必定?(苦笑)
環境が安定している時には、女性の“安定性”は「種族保存」の上では大変有利なのですが、しかし、もし環境が大きく変化し始めた時には、男性の“進取性/変化への対応能力”が無くては「種族保存」が難しいだろうと思います。
昨今のように社会が安定化している時には、男性は少なく/居なくてもいいし、“男の中性化や女性化”や“女性上位”は、当然の“成り行き”なのでしょう。
でも、「安定性」は、下手をすると常に“ジリ貧/資源枯渇”になるので、“女性だけの社会”は、多分永続しないはずです。常に新しい“資源”を求めて“あくせく”していないと、“永続維持”は出来ない。
“不安定なY染色体”が、今まで生き残って来た理由は、そんな処にあるのだと思いますね。

日本創成論 [1119]
『日本創成論 糸川 英夫著 講談社 1990年11月第1刷 \1,300税込み』 (購入\105税込み)
欧米人は「最初の発想」を大切にするという話から、実は糸川氏が、ジェット・エンジンを思い付いたのが昭和十二年(1937年)で、英国のホイットル氏が原理を考え付いたのが1939年だそうですから、糸川氏の方が、少し早かったらしい。
その話が、日本では殆ど話題にされなかったのに、後年ケンブリッジ大学・ホイットル研究所を訪問した際に、その話をされたら、“歴史を書き換えねば!”と言われたそうです。
でも、糸川氏の場合、当時の材質が弱過ぎて爆発や火災を頻発させたため、会社から危険視され研究室は留守中勝手に処分されてしまったそうだから、公認され難い事情があったのかも。
で、その後、“ジェット・エンジンの歴史”は書き替えられたのかな?...ふーむ、残念ながら、Wikipediaには載っていませんね。まぁ、「定説」というのは、常に海外からやってくるし、“最初の海外認知”に乗り遅れると、後からでは無理か!?

村・町おこし [1117]
先日、バス・ツアーで篠山や南丹(南丹後?)を廻った時、車窓から色々な集落を見ながら、地方の“人口減少”のことを考えていました。
結局、若い人達が都会へ出て行くのも、“田畑や山林での生産性”が低くて、今の近代的?な生活水準を求めたり、それを維持するだけの収益が上がらないか、届かないからでしょうね...では、どうしたらよいか?
やはり、お金のある都会(の人達)と結び付いて、何らかで「収入増」を計らないと、同じような高水準の生活は、期待出来ないし、人口減も食い止められない。
観光地”として収入を得るか?“特産品の増産と都会への出荷”で収入増を狙うか?“生産工場の誘致”で税金収入を求めるか?あるいは、若者離れに眼を瞑って従来通りの“低レベル生活”のまま消えて行くか?
いずれにしても、住民自身が労せずに、村や町を今後も維持出来るかと言えば、それは無理でしょうね。(国が、赤字のお金を投入するのも、そろそろ限界ですし、待っているのは、廃村だけか?)
他方、都会の人間が、なまじっか“(只で)ふるさとを残そう!”などと能天気な事を云っても、それは非生産的で無効果ですよ。やるなら、生産効率の高い場所を用意した上で、昔ながらの静謐(せいひつ)な場所とを分けて、それぞれきちんと管理するなどの工夫も必要でしょうね。

怪しげな時代 [1115]
『怪しげな時代の思想 渡部 昇一著 PHP研究所 1986年3月第2刷 \1,200』 (購入\105税込み)
この本で指摘されているのは主に1990年代の話なのに、今読んでも全然古くなっていませんね。
多分、日本人の(性質の)真相、いや深層を衝いているからだろうと思います。(よく見掛ける、ノウハウ本や経済見通し本などは、数年でボロが出て来るものが多いようですが)
色々指摘されている中で、傑作!と思ったのは、『西洋人の天国は、ヌード村で、アダムやイブのようにゴロゴロして居られる場所。日本人の祖先の高天原(たかまがはら)では、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の侍女達も機織などで常に忙しく働いていた。つまり、日本人の意識の底には、働いているのが天国で、やる事が無いのは不幸だと思っている』という話。
それで思ったのは、“大阪人”は、歩くのもせかせかしていて、常に忙しそうなのですが、でも、外国人から見ると、大阪が一番住み易いらしい。何だか矛盾しているようにも見えますが...(笑)

SF-第二の接触 [1113]
『第二の接触 マイク・レズニック著、内田 昌之訳 早川書房 1993年2月第1刷 \640税込み』 (自蔵書)
この本は、異星人との極秘の(恐る々々の)第二の接触と、双方の合意・開示に至るまでの極秘の相互観察期間内に起きた暴露事件で、政府・軍部と殺人被疑者(?)との間に入った“弁護士と女性ハッカー”が軍(諜報)組織に対抗して行く、“手に汗を握る冒険活劇”の話。
ちょっと出来過ぎな箇所もあるけど、結構面白かった♪
異星種族との第一の接触(衝突)は、2042年に深宇宙(エリダヌス座エプシロン星系)で起きるって?あと30年ほどですねぇ!(笑)
それにつけても、UFOの話を思い出します...一般人の日常生活には、特に実害は無さそうだけど、その存在は疑われていますね。
“仮に実在したら”という前提で“非宗教的に、「相対性理論」みたいな理論構築”をする人(達)は居られないのかなぁ?
「素粒子論」や「宇宙論」などは、見るのが難しくても理論はどんどん進んでいますが、もし、UFO理論が出来れば、確認実験も目途が立て易くなるかも。

逆説の日本史 [1111]
『「逆説の日本史」聖徳太子の称号の謎 井沢 元彦著 小学館 1994年7月第1刷 \1,600税込み』 (購入\105税込み)
黒岩版「聖徳太子」を(全冊)読んだ後で、井沢版「聖徳太子」を読むと、なかなか興味深い。
厩戸皇子(=聖徳太子)が二十三歳の年の秋に、伊予(=愛媛)の道後温泉へ憩いに行く話があります。
が、これを井沢版では、強度のノイローゼになり、温泉治療に行ったのだという豊田有恒氏の説を採り上げています。(当時十九歳?で、教えを受けていた師の恵慈法師の指導?なのかもしれないし、話としては、面白いが...)
他方、黒岩版では、飛鳥寺完成の前に、恵慈師の希望もあり、“英気”を養いに行くと、さらりと描かれています。后や嬪達を伴わなかったのは、お互いの嫉妬が煩わしくて止めたそうだし、信頼出来る師や警護の舎人なども自分で選別し、同行させているらしいので、“気の病”の療養のためなどとは、ちと考え難い。(尤も、黒岩版太子だからでしょうが)
太子自らが、“意図的に摂った休息・遊山”を、無理に“ノイローゼ療養”にしなくても良いだろうと思いますね。
黒岩版の厩戸皇子のように、常に“自分で主体的に物事を考え、行動する、賢明な人物”である方が、ずっと魅力があります。

増えるばかり! [1109]
近頃、家族?による“幼児・児童虐待”を公的機関に知らせよ!という広告/広報を、よく見掛けるようになりましたが、これを見ながら、どうも、やり方を間違えているように思えて仕方がないのですがねぇ。
本来の虐待の源を改善しない限り、今後も“虐待”は増える一方だろうし、そんな“後追い的な対策は、幾らやっても“お金も人も無駄!”でしょう。
だって、皆が(いや、多くの人達が)そうした事(虐待)を裏では容認しているからなんですがねぇ。(もしかして、それに気が付いていない?)
例えば、子育てって、ホント大変だからね!..(忙しい時や気分がすぐれない時は)ヒステリーを起こしそうになるのも、よく分かる!などなど、そうした“親(達)を甘やかす言辞”ばかりが、もて囃(はや)されています。
オマケに、それを指摘・批判すると、逆に“心を傷付けられた!”って反発するから始末が悪い。
『子育て』とは、親(達)や社会が、自分(達)を厳しく律しながらやるべき“最重要な仕事”だとの認識・緊張感が無くて、“親(達)自身の生活優先”で、子育ては“二の次の仕事”だという意識・風潮しか無いからでしょうけど、そうした環境がある限り、決して“虐待は減らない”でしょうね。

聖徳太子[1],[2] [1107]
『聖徳太子 黒岩 重吾著 文春文庫 1990年4月第1刷 各冊\480税込み』 (購入4冊 総費用\520送料、手数料込み)
(ずっとBOOK-OFFで)探していた“聖徳太子”関係の本を(やっと)ネット上で見付けて買い込みました。
兎に角、貪るように2冊目まで読んだ処で、黒岩版『聖徳太子=厩戸皇子(うまやどのみこ)』の姿が、おぼろげに見えて来ました。
大陸・半島の進んだ文化を教わり、仏教の知識も得て、支配者として、自分なりに物事が考えられる理想家肌の青年のようです。しかし、蘇我馬子の権勢の下で、厭われず、傀儡化せずに、生き延びるために、相当苦労しそうな当時の状況が読み取れます。
単に和しているだけでは支配は出来ないし、知恵を巧みに使って生き延びないと、命すら危ない!
そこまで読んで、「憲法十二条」の始めの『以和為貴』の“和”が、単純な“和”とは思えなくなりました。
もしかして、“”は誤植で、“”の間違いではないのか?と思ったり。

この国の失敗−続 [1105]
『この国の失敗の本質 柳田 邦男著』 下述。
私達日本人皆が犯している失敗の大元は、“皆で賛成して、誰も責任を取らない”体質だから?!
しかも、その失敗の反省を、後々誰も活かさない。(他人任せ)それに、事前想定も、“ご都合主義”になり勝ちだし。(具合の悪い事は無視)
この本で、笑えぬ面白い記述がありました。
それは、先の太平洋戦争/第2次世界大戦でのミッドウェー攻略作戦を策定した時に、図上演習で行った(ご都合主義的)手抜きの話。公刊戦史による、とあります)
連合艦隊の四隻の空母に大被害が出て、攻略作戦の続行が難しい状況になるケースが想定されたのに、“そんな状況は無い事”にして、作戦を続行する計画を立てたそうです。
その際、“変更するか、作戦を中止すべきだ”という少数意見もあったのでしょうが、恐らく、精神論か多勢に無勢で無視されたのではないかと思います。
まぁ、そうした“大局での失敗”の積み重ねも、今の日本の繁栄?の状態と“赤字国債−累積増”の現実を見ると、隠れた所に上手く皺寄せしてるけど、“ホントに、このままでいいのかな?”って疑問ね!
(これらが、後世代の子供達に、負債として重くのし掛かるはずですが、何もしてやれないのが口惜しい)

この国の失敗 [1103]
『この国の失敗の本質 柳田 邦男著 講談社 1999年1月第2刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
この本での、日常ぶっつかる沢山の事柄についての指摘で、色々考えさせられる事が多いですが、『大災害と生存の条件』の中の「からだで覚えないと自分を守れない」の項を読んでいて、気になった事。
“何度か似たような体験していると、咄嗟の反応で身の安全を図ろうとする”のだそうですが、やはり、自分で常に“危険サイド”を意識し、出来れば“退避の仮想訓練”などもしておくべきなのでしょうね。
でも最近、ブレーキとアクセルを踏み間違えて大事故を引き起こす話が、よくニュースになっていますが、あれがどうにも解せない。
“停まらねば!”と思った瞬間に、何故(アクセルかブレーキか)どちらか分からないペダルを、思い切り踏み付けられるんだろ?
何でも、踏ん張れば停まるはずだ!って?...毎日、車で走ったり、停まったりしているのが、殆ど身に付いていないか、瞬間忘れてしまったか、どちらなんでしょうかねぇ?(苦笑)

SF−重力の使命 [1101]
『重力の使命 ハル・クレメント著、浅倉 久志訳 早川書房 昭和60年3月改訳刷 \420』 (自蔵書)
久し振りに、自分の書棚から取り出して読んでみたのですが、いやぁ、面白かった!
日本橋の往き帰りの電車の中でも読み耽っていました。
超重力星(赤道地帯で地球重力の3倍、極地帯で660倍の超楕円体星)に墜落したロケットからの「データ回収ミッション」を、百足に似たそのメスクリン星の知的住人=“交易船の船長”に依頼し、船長達の大冒険の末、ミッションを成功させる話。
何分、物凄い偏重力の星で、我々人間が想像し難い世界なのに、“あぁ、多分そうなんだろうな!”と思わせる筆致が凄い!(本の付録の著者の創作裏話=「メスクリン創世記」でその辺りの丁寧な科学的解説がある)
人間達と現地住人達のどちらも、(主にビデオ交信での)“善意”を前提とした交渉・連絡だけで話が進むので、(両者の隠された意図?に)ヒヤヒヤながらも、話の展開を愉しんでいました。

[表紙頁]へ  関連記事の目次へ  [一言板]へ