導育甘言集 2012.10    我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ      表紙頁]へ

二流のすすめ [1030]
『二流のすすめ 衛藤 瀋吉著 講談社 1993年4月 1刷 \1,400税込み』 (購入\105税込み)
表題が面白そうだったので買って読んでみましたが、ちょっと物足りなかった。
勿論、中身は至って真面目なものですが、教育者・私立大学の学長として“あれもしなさい!これもしなさい!”と、学生や教職員達に言って聞かせたい事を綴ったもののようです。
実は、私が期待したのは、“二流の本質”とか、“なぜ、二流までなのか?三流や四流は?”といったことを分析してあればよかったのですが|それが欲しかったのですが。
そうすれば、「差別」だとか「平等」といった感覚や考え方を、また別の角度から見直せるのではないかと思ったからです。
つまり、人間はその能力に応じて、二流でも二流なりに、三流でも三流なりに生きて行けるし、それに納得しながら、しかし少しでも上を目指すのが本来の行き方・生き方でしょう。
ところが、今の世の中、自分の能力不相応に「(結果の)平等」だけを(世の中に)要求する人が多いですね。
それは結局、世の中(つまり、国)に借金をしながら生きたい!と要求しているのと同じなのですが、そんなの、早晩破綻しますよね!

日本沈没 第二部 [1028]
『日本沈没 第二部 小松 左京谷 甲州著 小学館 2006年8月 2刷 \1,800+税』 (購入\105税込み)
話の筋は良く考えられていると思いました。世界へ散らばっていった日本人移民(難民!)グループの生き方や私達日本民族のアイデンティティなどについて、結構考えさせられる本でした。(それに、今のシナ/中国との確執や米国の利己的な生き抜き戦略も出て来て、ギョ!)
後の方になるとテンポが早くなって来て、どんどん読み進められましたが、始めの方は背景描写がちょっと無意味に克明過ぎて面白くない。しかも、それが話に進む方向に向いていないので、(失礼ながら)かなり読み飛ばしました。
さて、日本の国土が消失したら、私達日本人は今後どう生きて行けばいいのでしょう?
メガ・フロートを浮かべて、それを日本本土だと思い込む?世界の他民族の中に埋没する?それとも、小集団を作って悲しみながら/ぬくぬくと生き延びる?あるいは、(無人の?)宇宙へ飛び出す?
まぁ、現代の私達日本人のかなりの部分は、「民族」とか「国家」なんてあまり考えないようだから、世界の中に散って行っても、左程苦痛には感じないかもしれませんね。逆に、昔の移民のように、祖国を思い出しながらその土地に埋没して行くだけでしょうかねぇ。

穢れと茶碗 [1026]
『穢れと茶碗 井沢 元彦著 祥伝社 平成6年7月 4刷 \1,200税込み』 (購入\105税込み)
この本では、のっけから、「無意識に偏見・差別をしている大新聞=朝日新聞」(1993年11月2日朝刊)の話がありますね!
(先日2012年10月にも、橋下市長に謝罪をしなければいけないような差別助長記事を、週刊朝日が載せて、世間を賑わしていましたが)
ここでの話は、「防衛庁が、“防衛大留学生に生活費の援助をしたい”としているのに、朝日新聞がそれをなじって批難していること。
著者は、「それが差別なのですよ!」と指摘しているわけです。
その他、“「自衛官が新聞社で記者実習」の大見出しや「プレスの独立どうなる」の小見出し”といった批判・批難記事(実は、差別記事)を平然と載せる朝日新聞の妖しさを鋭く突かれています。(自衛官だからこそ、情報収集力の増進が重要なのに!何で差別するの?ってこと!)
日本人のそうした“差別意識”は、平安時代から連綿と引き継がれて来た“穢れの感覚”と同じものだと、仰っている。
(「穢れ」って、“寄るな!触るな!悪霊がとり憑くではないか!憑いたら、急いでお祓いで落とせ!とかいう、迷信的気風でしょうかね)

そういえば、私自身も、知性(!)で抑えてはいますが、“汚いもの”は、出来れば避けたい!触りたくない!という感覚はありますからねぇ。ついつい、それを放り出して逃げ出したくなる。
欧米人は、子供の頃から、汚い物はしっかりそれを見詰め、どうすれば綺麗に出来るかを考えよ!と教えられているようですね。
だから、自らがその対策を工夫するようですが、日本人の殆どは、汚い物を避けてそれを誰か他人に始末させて、その始末人を含めて忌避する傾向・風潮があります。でも、それは改善して行かないといけないことだと思いますね。
(私自身も、あまり他を批判・批難出来るほど立派?な庶民・市民ではないけれど、やはり抑えなければいけない処は、抑えるように意識して努力してます)

戦争論 (続) [1024]
この著者/解説者の(クラウゼヴィッツの考えを基にした)見解・意見には、傾聴すべき内容が多くあります。
今の軟弱な私達日本人には、結構耳の痛い内容が沢山ある。例えば、
 『人道主義者の寝言は最悪である!』(血を流すのを恐れる者は、血を流すのを厭わぬ者に敗れる)
 『肉体の困苦が勝敗を分ける』(要は、先に痛い!苦しい!と云った方が負けだってこと)
 『侵略者はつねに平和を愛好する』(相手の国家になんの抵抗もなく侵入できれば、それに越したことはない)

一見平和的に見せ掛けながら攻めて来ている「尖閣諸島」や「周辺の領海問題」は、将に、侵略|シナ政府の戦略そのものですね。
また、先般シナ政府が主導していた「反日テロ」などは、『“国民総蜂起”(民衆デモやテロ)を巧みに使う場合、それだけ優位に立てる』という説を地で行った感があります。(しかし、それが人類一般にとって有益かどうかの判断は、難しいそうですが。苦笑)
(お人好しの私達日本人は、“攻められている”ことなど、あからさまに考えたくも無いから、多少善意に見える部分だけに頼って、只管、平穏に!安定的に!と念仏のように唱えながら、しつっこい攻勢にも耐えていますねぇ)

戦争論 [1022]
クラウゼヴィッツの戦争論 大澤 正道著 日本文芸社 平成14年1月 2刷 \1,300+税』 (購入\105税込み)
この本は、分かり易くていいですね!元の原著などは、とても面倒で読めないでしょうが、重要部分の抜粋だから楽に読めます。
興味深いのは、『戦争は政治の継続であり、大規模な貿易の一種とみなせる』話や、「毛沢東の軍事理論はクラウゼヴィッツの戦争論の現代版」説や、『平和主義者は、国を滅ぼす(軍人国家ローマによる商人国家カルタゴの殲滅)』例など盛り沢山です。
もし、継続・安定的な平和を望むなら、軍事的な備えは不可欠だと思いますが、この本や「クラウゼヴィッツの戦争論」は、常識として、今の政治家全員に強制的にでも読ませたいものだと思いました。
“戦争は知っているよ!あれ、嫌なもんだね!”という言葉だけでは、決して平和は得られない。
具体的な戦争の方法論まできちんと知って、どうすれば平和が維持出来るかを考えるべきですね。
昨今の「尖閣諸島」問題にしても、日本政府が逃げ回るだけでは“平和的な解決”が出来るわけがない!
(まぁ、黙って相手に占領させてやるつもりなら、平和的?に解決できるってことでしょうけど、それは劣等者のやることですよね!)

草笛の音次郎 [1020]
『草笛の音次郎 山本 一力著 文藝春秋 平成15年11月 2刷 \1,714+税』 (割引購入\52.5税込み)
この著者の小説の殆どは、愉快!痛快!ホンマカイ?ですが、今回のも面白かった!
まぁ、小説ですから、主人公は常に強いし皆にモテるのは当然ですが、若い渡世人の主人公に、親分達(貸元や代貸)は勿論、奉行所の同心や奉行までもが惚れ込むって話は、愉快だけど、ちょっと行き過ぎ?...でもないのかなぁ。
例えば、自分がそうした親分や上役の立場だったら、どこまで真剣に主人公に“肩入れ”出来るかな?と気になりました。(人間の度量の問題ですかねぇ)
まぁ、難しい事は抜きにして、時々こんな小説を読むと、いい息抜きになります!

知の衰退から [1018]
『「知の衰退」から いかに脱出するか? 大前 研一著 光文社 2009年2月 2刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
著者は、昨今の日本の不況・不景気は、取りも直さず日本人の“知力の低下・衰退”に他(ほか)ならないのだ!と考えて居られるようです。
成る程、今の世の中、自分で考えないで済むような情報や娯楽ばかりが、持て囃されているし、昔は知的エリートだったはずの教育専門家達や教育官僚達も、今は“昔の知識を引き摺っているだけ”ですから、国の知的水準が上がるわけがない。
しかし、“国民の知力低下”の原因は「教育不足」や「教養不足」によるものだけだろうか?と考えさせられました。むしろ、知るべき内容方法が大きく変化してしまっているのに、未だ昔のままの“小・中・高校・大学で、教える構造”ですからね。(これが、問題だ!)
以前、“構造不況”という言葉が流行りましたが、“教育”もそれに似た状況になっているのだろうと思いますね。(つまり、この構造ではもうダメだってこと!それに、教師が何を教えられるって?)
この著者も、『とくに最近の北欧諸国では、「teach」の概念は教育においては間違いだと考えられており、むしろ生徒が「learn」するのを助けるのが教師の役割であるという認識に変わっている』と書かれていますが、私もまったく同感です。
(それを現すために、敢えて、『導育』という私製造語を考えてみたのですが、語感はもうひとつかな?笑)
兎に角、それは、母親の胎教から始めて、物事に興味を持つ“幼児期”までに、出来るだけ“多くの素材(知識や技能)”を与えて訓育する工夫をすべきでしょうね。後は、自発性を養わせることでしょうか。(そのためには、仕組みを大幅に変えなくっちゃ!)

資本主義崩壊? [1016]
『資本主義崩壊最終ラウンド 船井 幸雄櫻庭雅文インタビュー 徳間書店 2009年5月 5刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
“へぇ!資本主義は崩壊するのか!...じゃぁ、次は何が来るの?”と、驚きと好奇心で、この本と、その他船井氏関連の本を買ってみました。
これらを拝見して、腑に落ちない点が沢山出て来て、少々うんざり!

確かに、今の日本の資本主義的な社会は、問題点一杯ですが、そうかといって直ぐにでも壊せるかと考えると、実際はなかなか簡単に壊せそうにないけど。(これらの書籍では、もう直ぐ超自然的な「天の理」で、資本主義社会は崩壊するらしい)
氏の説では、『「闇の勢力」はすでに衰退期に入っているから、後は「天の理」に従っていればよい』のだそうです。(あー、でもそれに従うのは個々人の態度の話で、「次の社会形態」の話ではないと思うのですがねぇ?)
私は、資本主義が崩壊した後、どういう「社会」になるかのヒントが欲しかったのですが、どうも良く分からず。
ニュアンスからは、“新共産主義”か“新社会主義”的な“素晴らしい社会”らしいのですが。。。(そこでは、『自らの自己責任で次の展望を開いて行き、正しい生き方をすれば、皆が仲良く楽しく過ごせる』らしいとか)
ということは、崩壊後“次にやって来る世界”って、やはり“新共産主義”ですか?
良く当たるという氏の予言を考えるなら、結局、日本は、今の資本主義が崩壊して、新共産・新社会主義になるってことかな?...やーですねぇ!
(でも、先日から読んで来た3種の本を順に並べると、げっ!と驚くような筋書き(「シナの辺境開拓の意欲」→「日本の資本主義の崩壊」→「新共産主義の普及」→「直ぐ順応する日本人」→「新共産主義下の幸せな日本人」...)が出来てしまいました。トホホ!)

平成維新(Part I) [1014]
『平成維新(Part I) 大前 研一著 講談社 1989年8月 5刷 \1,600税込み』 (購入\105税込み)
この著者は、『日本人は自ら変化できない、日本では社会改革ができない、と言う人がいるが、私はそうは思わない。』として、日本人の“変わり身の早さ”を、幾つかの例で示されています。・・・ それらはどれも、なるほど、そうだ!と納得しましたが、私なりに考えると。
実は、私達日本人は「社会」というものと、左程固く結び付いて居ないからではないのか?と思える節がある。むしろサラリーマンなどは「会社」との結び付きの方が強かった?
つまり、「社会」とは、単に誰かから与えられたモノあって、自分自らが参画・参加して組み上げているという意識が薄く、与えられた「社会」がガラッと変わっても、直ぐ新しい方へ順応してしまえばそれで済む!ということなんでしょうね。きっとそうだ!

私は、それではいけないと思うのですが、この著者は新しく制定したい『日本国憲法』にも、「国民の(与えられた)人権」という考え方を入れようとしていますね。
その考えはもう古い!「人権」は、「何者か(国や支配者や為政者)から与えられるモノ」としてあるわけではない!もう、何時までも甘えたチャンは辞めて、今の世では、「自分達自らが確保すべきモノ」と定義し直すべきだろうと思います。
だから、私案、新憲法の主文は『国民は自らの意思と家族・隣人たちと協力の元、日本国の構築と安定維持・改善に対する義務を負う。日本国は、国民を保護し各人がその生活や幸福を追求するのを支援する。また、日本国は国際社会の中で、平和と安定をもたらすよう、自主的な努力と共に、平和的共存のための協力を惜しまない。』とすべきだと考えます。(細かい文言は、更に推敲が必要かな?)

中国は日本を [1012]
『中国は日本を併合する 平松 茂雄著 講談社インターナショナル 2006年4月 2刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
序章で、『“日本併合”は扇情的な言葉と感じるかもしれないが、この研究は、厳しく(特定の)イデオロギーなどを排し、精査し分析した結果だ』と断っておられますが、読んで見てその通りだなと思いました。
確かに、古代からシナ(China)の「中華世界思考」が脈々と受け継がれて来て、近代になって共産党が政権を握ってから着々とその領土を、「辺疆の拡張≒辺境(北狄ほくてき、南蛮なんばん、西戎せいじゅう、東夷とうい)の開拓」という形で拡大して来ていますね。

ただし、西域の拡張は、一般に言われているように“少数民族弾圧による単純な征服”ではなくて、現地の過酷な自然条件の中で、自らの手で地道な開拓と国家・社会建設を進めて来たのが、実状だそうです。(その努力は、賞賛に値するみたい)
だから、少数民族側が、貧富差別などに気が付いた時には、既に周りは(開拓者や子孫達)シナ人だらけだった、というのが実態ではないかと思います。(でも、その辺りは、西欧諸国や日本などからは、あっさり見過ごされているらしいし、私も気が付かなかった!)

そうした地道な開拓と支配地拡大は、シナ民族の根源的執念とでも言えそうで、地道な辺疆開拓や、あるいは切っ掛けさえあれば強行占領によって、いずれは“日本併呑”も逃げようが無いなと思って、ぞっとしました。(今の社民党、自民党、民主党などは、知ってか知らずか、平然と加担しているようですが)

国境(辺疆)紛争に関しては、ロシアやインドなどは強く反発・抵抗し、意識的に侵入を阻んでいるそうですが、(東夷とういの)日本人は“ちょっとのことなら黙っていよう”と、至極大人しい。「日本国旗」が焼かれたり、「小日本!」(臣下国日本)などと云われても、意味がよく分からずにニコニコ。(むしろ、米国や東南アジアの国々の方がやきもき)
(その内、日本人の1/3ほど(親中派、媚中派、無知・無関心層)は、「シナ政府、来来!」とか云っちゃったりして!?...それに真剣に反発するのは1/3ほどでしょうが、問題は残りの(日和見的な)1/3がどう転ぶかで、今後の日本の命運が決まるでしょうね)

未来記と未然紀 [1010]
『未来記と未然紀 聖徳太子の秘文開封 飛鳥 昭雄+山上 智著 徳間書店 1998年1月 1刷 \1,600+税』 (購入200税込み)
この本には、かなりまともな内容を期待したのですが、色々な過去の伝承や古伝を挙げて傍証的な説明をしてある割には、中身が無くて、ちっとも面白くなかった!
沢山の前置きがあった後、第7章の「秘文奥義」とやらに入ってから、いよいよ本物が!と思ったのですが、以下の文章を見て、失礼ながら、笑ってしまいました。
聖徳太子の預言書は、黙示的であるため、読み解く知識と、霊感が伴わないと、予言の意味が理解出来ないようになっていることが分かる。』...のだそうです。あれまぁ♪
つまりは、どうにでも解釈出来るという事でしょうかね。それとも、わけが分からないか。
まぁ、例えその「予言」が当たらなくても、“解釈が拙かったせいだろう”で、するりと逃げられてしまいそう。
以前、“ノストラダムスの大予言”や、“聖書の中の暗号”などがありましたが、あれなどと似たようなものでしょうね。
著者達が、一生懸命何かの意味を探ろうとしているのかもしれませんが、空の雲を何かの形になぞらえるのと同じで、単なるファンタジーに過ぎないですね。(あーあ、期待しただけに、後の落差が大きかった!)

平成維新 [1008]
『平成維新「I,II」 大前 研一著 講談社 1989年8月/1992年6月 5刷/1刷 各\1,600/1,500税込み』 (購入各\105税込み)
(今回は、これらを読んだ後の話ではなくて、手に入れるまでの話です)
最初、気が付かずに「Part II」だけを買って、“さあ読もう!”と思ったら、実は「Part I」があるはずだと気が付いた!(左写真の左側)
やはり、物事は順序が大切!と、「Part I」を捜し廻ったのですが、最後に発見出来たのはBOOK-OFFの実に10箇所目!(大阪で4箇所、奈良で3箇所、滋賀で3箇所)
このことで思ったのは、自分の足と車で探し回れるBOOK-OFFは、結構近くに沢山あるものだ!ということと、場所々々に拠って、それほど品揃えは大きくは違わないことに、安心と感心をしました!
(当初は、当然地域毎の特性≒読者層の違いは相当あるだろうと思っていたのですが、左程大きくはなさそうです。読まれる本の種類は、文化の浸透程度をあらわしますからねぇ)
さて、この本は、これからじっくり読もうと思っていますが、「日本国政府の解体論」や「道州制」の話など、昨今の「日本維新の会」の動きとどう結び付いているのか、興味津々です!
...しかし、何でこんなに政治が気になるかを思い返すと、結局は“孫達が可愛いから、何とかして、少しでも住み易い社会を残してやりたい!”という一心に、突き当たります。本当は、もっと孫達自身でそうした社会を構築して行けるように“強く賢く育てたい”と思うけど、それだけでは限界があるので、より効果的な「教育制度の改革」が望ましいのですが、それにはやはり「(改善意欲のある)政治の力」が必要だから!

なぜ中国は [1006]
『なぜ中国は 日本にケンカを売るのか 孔 健著 講談社 2006年7月 1刷 \1,500+税』 (購入\200税込み)
今、その「ケンカ」の原因分析解消案に興味があるので思わず買ってしまいましたが、読んでみて、具体的な「原因」が良く分かりませんでしたし、段々腹が立って来た。
結局、シナ(中国)の“一党独裁”と、なり振り構わない“追い付き追い越せ”の姿勢が、その原因のようにも取れるのですが、著者の考えの底流にあるのは、ちょっと違うみたい。

例えば、『戦争を煽る中国人と日本人』という項で、こんな引用例があります。
『日本でも「反中国」を声高に叫ぶ人が登場しはじめている。右翼や一部の政治家たちである。例えば石原都知事は、日中の領土問題でもめている尖閣諸島(中国では釣魚島)にからんで次のような発言をしている。「 ・・・ 自衛隊を常駐 ・・・ 」(週刊文春2005年5月11日特大号) ・・ 明らかに戦争を煽る内容である。』 ってね。

日本政府の公式見解では、尖閣諸島には「領土問題は無い」としているのに、不見識!にも“日中の領土問題でもめている尖閣諸島”と書いている箇所をそのまま引用してますね。(ということは、既に著者の偏見を織り込んでいる?!)
日本人側からすれば、あそこは、シナ政府が彼らのいやらしい独占欲や権力欲から手を出し始めた場所で、当然日本の主権が及ぶ領海・領土なので、自分達が守ろうとしているだけなのに、なぜそれが「反中国的」だと云うのかな?という疑問しか湧きませんが。
単に、日本が自衛するだけのことを、“戦争を煽る内容”だって云い方は、“意図的な誤表現”あるいは“言い掛かり”に近い感じがしますね。
(共同開発するはずだった例のガス田は、もうシナが好き放題にやってますしね)

自分達の領海や領土を内外の敵から守りたいという石原都知事と同意見だと、普通の庶民・市民でも、“右翼”だそうですが。(笑)
どうやらこの著者は、私達日本人読者を皆、“右翼”や“一部の日本人”にして、非難?侮辱!したがっているように見えますね。(怒)
先般、尖閣諸島を購入するために寄付を募ったら、即座に15億円(約10万人分)も集まった事実は、2006年時点では知らないでしょうけど、喩えそれを知ったとしても、この著者の論調は変わらない気がします。

シナ政府が軍事費を2桁ずつ増大させて来ている(今年は1桁?)のに対して、“まだまだ、シナは軍事大国ではないよ!それに日本の自衛隊は強いよ!”などとオベンチャラで安心させるように煙に巻きながら、現実のシナの“好戦的拡大”の実態を批判や非難もせずに書いてますね。(核兵器や航空母艦まで用意して来たシナに対して、日本の自衛隊だけで勝てるわけが無い。だから、米国の支援は不可欠なのです)
こうした現状を考えると、日本とシナと、どちらが好戦的で、どちらが悪い奴らか、が良く分かるはずなのですが。
(尤も、平気で自国民を責める自虐的日本人と違って、自国を悪く言うような著者ではないから、口が裂けてもそんなことは言わないか)

それから、読み捨てに出来ないのは、次の文言です。
『 ・・・・・ 戦争を煽る人々は、今のところ、日本でも中国でも多数派ではない。しかし、熱しやすい青少年に大きな影響をもつだけに、そう簡単に見のがすことはできない。』
と、どうにでも取れるように書いていますが、前後の文脈からは、シナ政府のやっている「青少年への反日教育」や「青年達への反日テロ指導」などは、見逃してもいい!しかし、日本の教育内容は、もっともっと「反日的」にしなさい!と読めます。くそ!冗談じゃあない!
(でも現実は、“親中派”や“媚中派”には、そうした話に毒されて来た連中が多いのが、大変残念なんですが)

子産 [1004]
『子産[上,下] 宮城谷 昌光著 講談社 2001年3月 4刷 各冊\1,700+税』 (購入各冊\105税込み)
古代中国の春秋時代(紀元前六百年から五百年頃)の一小国「鄭(てい)」の文武(智戦)両道に優れた英才宰相−子産(しさん)の話。
この本には、見慣れない読めない漢字名が多く、沢山の登場人物が出て来ても、それぞれの役割が良く分からないきらいがありあますが、全体としては面白く読めました。
後代の孔子が、この子産を尊敬したというから、“信義・礼節”などはまだ十分に普及・確立していない時代だったようですが、世の中の有り様は、時代や世界が違っても似たようなものかもしれないと感じました。
下巻で、子産(しさん)の傍(かたわ)らで、裨ェ(ひじん)が呟(つぶや)いた話は、何だか今の日本の状況を指されているようで、思わず苦笑い。
『鄭は ・・・ 往時、これほど良い国はなかったのです。不足がないとおもった瞬間から、人がだめになってゆくように、満足に安住した鄭は、国民の営為に進取をもたらさなかった。文化は熟れたが、国力は衰退した。気がつけば、の晋との楚におびやかされるようになった。』 (将に、今の日本の姿ではないですか! ... 北の敵は(過去は米国?)ロシアで、シナや韓国は南の敵か? ... 子産のような優れた宰相が国を治めなければ、直ぐにでも国は滅ぶだろうとの“範例”かな?それとも、興亡も“運天任せ”?)

国家の正体 [1002]
『国家の正体 日下 公人著 KKベストセラーズ 2005年12月 2刷 \1,500+税』 (購入\105税込み)
著者は、日本の『国家』とはこうあるべきだ!と、色々な実例を挙げて、スポット的なそれらを繋いで、全体の姿を描いてみせて下さっています。
読んでいて、良く選ばれた項目や歯切れの良い話法に、痛快さや面白さを感じました。

とはいえ、日本がちゃんとした「国家」かどうか、日本人がちゃんとした「国家意識」を持っているかどうかは、別の話でして。
前者は間違いないと思うけど、後者の方は、著者は“希望”を持っておられますが、私はかなり“期待薄”だと思っています。
というのは、日本の進歩的?インテリ|知識人達は、結構平然と日本国・日本(人)を外国に売ることが出来るようだし、それを私達一般日本人もあまり気にしていないから、現実は、日本人の「国家意識」なんて極めて希薄だろう思いますね。(皮肉っぽく見ると、商売さえ出来ればお上は誰でもいい関西人系と空想的世界平等思想に浸る東京人系の寄り集まりに、おまけとして、「日本国家」というと直ぐ“右翼”と言い換える中国人・韓国人系が混ざってる)

国家元首達が他国を表敬訪問する時は、必ずその国の「無名戦士の墓」を訪れて献花するのが通例だそうですが、日本では「戦士の墓」と同質の靖国神社を、自国の政治家ですら、(外国や国内反日勢力の干渉で)参拝し辛いという奇妙さ&愚かさが、日本人の国家観みたい。
これは、日本の古代からの幸せな感覚≒自分達の国を、自分達の手で(外国から)勝ち取って|守り抜いて来た歴史を、全然経験していないからだろうと思いますね。(太平洋戦争はそうした「戦い」だったはずなんですが、下手をして負けてしまったために、“犯罪扱い”されてしまい、なぜか今でもまだ「反省」させられる毎日)

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