導育甘言集 2014.05   表紙頁]へ   我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ

中学公民 問題集 [0530]
『中学公民 問題集 著 (株)文理 ?年?月 ?刷 \880+税』 (購入\108税込み)
以前から、中学・高校の教科書、特に「社会科・公民」をBOOK-OFFで探していたのだが、なかなか見当たらなかった。 ・・・ 先日、やっと問題集の方を見付けた。
実は、現実の「社会生活」への、(義務教育の)「教科書」の影響や効果を考えてみたかったからだ。(多分、アマゾンやヤフオク!でも見付かるだろうけど、それでは面白くない。笑)
で、この中の記述内容やその試験問題を見て、改めて仰天!
...丸で、“砂場で、砂粒を数えるような話”ではないか!?
今、こうした内容・知識が、私達の日常生活にどれほど利用・活用できるだろうか?
一番拙いのは、“事実”や“知識”が、“全部細切れで、関連が無く、脈絡が無い”ことだと思った。
教科書は、「執筆者の意図に沿った要約」でしかないから、子供達は「その膨大な要約」を無理やり覚え込まされそうになり、結局は忘れ去ることになるわけだ。

一番望ましいのは、すべての事実が「素材」や「資料」として用意されていて、あるテーマに応じて、皆が自由にそれらを取り出して来て使う、そして覚える...といった方法ではないか思う。マイケル・サンデル教授の「白熱授業」などは、大変参考になる)
それらの資料類は、“使い捨て”や“共同利用”でも構わないし、“複数冊”や“使い廻し”でもよい。
“紙製”でもよいし、“PC用メディア”でも良いが、それ一辺倒では良くないだろう!
なぜなら、便利さにかまけて、子供達が紙を捲って調べる手間を省略すると、例の“コピペ”で済ましてしまうことになるからだ。
私は、「紙製の書籍」を“トリガー”として、「ネット上の資料」を“補助資料”として利用させて貰っているが、どちらも有効・有用だと思っている!

武王の門 下巻 [0527]
『武王の門 下巻 北方 謙三著 新潮社 1989年11月 2刷 \1,500税込み』 (購入\108税込み)
いよいよ、下巻では、牧宮懐良(まきのみや かねよし)は、日本の水軍と手を結び“元王朝”の海岸地帯を荒らし廻っている高麗王朝の一族(の日陰者)・西浦という(怪しげな)人物と接触を始める。そこでは、張 士誠朱 元璋の名が挙がって来る。

そうした名前から思い浮かぶのは、、シナ大陸や朝鮮半島の当時の権力者達は、やはり、民の為に...とはいいながらも、結局は当時の王朝や主な権力者達を倒し、自分が“権力”を握るためだけの動きしかしていない姿だ。
そして、その“権力の果実”とは、自らの“栄耀栄華”、現代風に端的に言えば“蓄財”にでもなるだろうか。
尤も、その“蓄財”が無ければ、“権力の維持”も難しくなる現実であれば、それは彼らの“正義”になるわけだ。...だが、それは、日本人が昔から持っている“(お金に淡白な)正義感”とは、相当に縁遠いものだと思う。

そこまで考えて、果たして今の日本の政治家(達)が、「お金無し」でどんな“優れた政治”が出来るのだろうか?と不安になって来た。
実は、“日本人の清貧さ”は、“国内政治だけにしか通じない弱さ”があるように思えて仕方が無い。(超不安)
結局、その政治をするために、民から巻き上げたお金=税金で賄おうとして、足りず。挙句に、蔭で膨大な借金(国債発行)に肩代わりさせてしまっているわけだ。
(本当は、日本人だって、お金無しでは政治は成り立たないのだけれど、“見えない形”にして誤魔化しているってことか)

武王の門 上巻 [0524]
『武王の門 上巻 北方 謙三著 新潮社 1989年11月 2刷 \1,600税込み』 (購入\108税込み)
この小説は、南北朝と足利尊氏の時代、後醍醐天皇の皇子・牧宮懐良(まきのみや かねよし)が、征西将軍宮として九州地域で他の豪族や北朝側と覇権を争う話だそうで、私はこの皇子の名前を初めて知った。また、登場人物達も、殆ど馴染みが無い。
懐良皇子は、本来は公卿なのだが、むしろ“鍛えられた武人”として活躍し、周囲の政治状況を的確に把握し、将来の夢(九州地域の安定化)に向かって覇権を広げて行く様子が、よく描かれている。
実力派の指導者|リーダーとして、現代の私達も戴きたい人物だと思う。
だが、今の多くの日本人には、もう“こんな元気な責任者(!)”は、例え皇族でも受け入れられないかもしれないと(寂しく)思う。
地域や国の大きな目標に向かって、自分達の命を投げ出せるほど、気力も勇気も無いもんなぁ。(我欲だけなら、しつっこく要求し続けるんだけど)

経営者と哲学 [0521]
『経営者と哲学 松谷 義範著 産業能率大学出版部 1989年9月 1刷 \1,800税込み』 (購入\108税込み)
この本は、著者の学んで来た旧い哲学(理論)がどの程度“ご自分の経営”に反映されているかを、披露されているだけのような感じを受け、やや物足りなく思った。
もっと、“生々しい(新しい)経営哲学”かな?と期待していたのだが、残念ながら、(表題の如く)それぞれが分離・遊離していた。
最近、私は欲張りになって来て、“旧い理論”や“今風でない理屈”には、あまり興味が湧かなくなっている。それは、次世代に渡してやるべきことだとしても、上手く伝わりそうにないからだ。
古い哲学で、これまで上手くやって来れたにしても、これからは、どう適用出来るか?果たして上手く適用出来るか?...そちらの方が、気になる。

例えば、また「道徳教育」の話が出て来たようだが、旧い連中は旧い道徳話などでは、(飛び跳ねる“フナッシー”に人気が集まるような)今の世の中では、もう通用しないとは思わないのかな?
“親に孝行しなさい!”ったって、子供を平気で痛め付ける親が増えている世の中だから、もう、殆ど説得力が無い話だ。
私は、もっとリアルに、社会の中での物事や行為を(緩やかな)Give and take方式」(仮称)で考えるのはどうかと考えている。

例えば、「親や社会が、子供の成人まで生活の面倒を見る分、子供もそれに見合う分だけ、何かの形で親や社会に返すべきだ」と教えるのだ。子供の場合は“先借り”(これは権利)が必要で、”後払い”(これが義務)しなければいけないということも!
また、老衰の場合、この方式で“社会に何の寄与も出来なくなった時点”で、“社会からの離脱≒安楽死”を認めればよいのだし。

帝国陸軍 [0518]
『一下級将校の見た帝国陸軍 山本 七平著 朝日新聞社 昭和56年1月 12刷 \1,200』 (購入\108税込み)
この本は、昭和17年、当時大学生だった筆者が、繰上げ卒業と徴兵、間に合わせの軍事教育を受けた後、昭和19年夏フィリピンに派遣された時の、ご自身が体験された戦場現場の酷い有り様と、旧日本陸軍の“戦争に対する劣悪な能力−思考方法と対処の仕方”について書いてある。
日本陸軍は、「大陸での戦争経験」しか無かったのに、準備も無いままジャングルが広がる南方諸島にまで戦域を拡大したわけだ。
なのに、指導層は、“現実の戦場やそこでの実戦闘”などが、殆ど理解・認識出来なかったようだし、適切な対処すら思い付かず、只管、役に立たない精神主義、教条主義、または員数主義で押し通そうとしたらしい。
... 教条主義:原則論を機械的に適用しようとする一種の公式主義】、【員数主義:数さえ合っていれば中身は問わない形式主義】
しかし、よく考えると、当時の旧日本軍上層部だけが“愚人”でもなくて、結局、先輩も私達皆も同じ“愚人”だったのでは?と思った。
“現実世界とその変化”に対応出来ないで、ひたすら古い教条に頼り、それを変えたがらない点は、“同種・同類”だもんな!

この本の中で、大変興味深い話があった。
それは、日米で、捕虜収容所内での自主編成組織の形が、極端に違っていたこと。
日本の連中は、ややもすると“暴力団的な組織”になり勝ちだったらしい。
他方、欧米の連中は、“自治的な組織”で、例えば自警団や判事など簡易な司法組織まで作ったそうだ。
何だか、日本の「事大主義」(他律的)と、米の「民主主義」(自律的)の違いを見るようで、“行動様式の違い”を思い知った。

・・・ 先日、やっと「集団的自衛権の行使容認」を、安倍首相が表明したようだが、これとて、安倍首相が(「パネル」で)具体例を示さないと、起こり得る状況を想像出来ない私達日本人が沢山居るって事らしいが...
それが、未だに憲法教条主義から抜け出せない私達の姿かもしれない。

日本の寿命 [0515]
貿易国家と権力国家の行方 日本の寿命 日下 公人著 PHP研究所 1990年8月 2刷 \1,400税込み』 (購入\105税込み)
この著者によると、経済とは「生産と分配」だそうだ。
そして、日本は既に(1990年代では)「分配の時代」に入ったらしい。
その分類に関して、次のような仕分けが出来るという。
 +生産に強いのは、男性、若者であり
 +分配に強いのは女性、高齢者だそうな
“日本の寿命”を伸ばす方法については、あまり良く分からなかった。
まぁ、シナ|中国に、政治的か経済的に圧倒・制御された時点で、“寿命”は尽きたことになるだろうな。(その下準備は、着々と“親中グループ”等が進めているようだが)

それは兎も角として、上の二分説に、私は、大まかには同意出来るが、分類の仕方に異論がある。
それは、「分配」は「流通」+「消費」に分けた方が、実態に合う|良いと思うからだ。
「流通」の自由化、システム化によって、日本の経済の形がずいぶん変わって来たはず!
遠隔地域からの物産でも、低価格で販売、購入出来るようになった。
それだけに、物品の珍奇さ、希少性が薄れ、有難味が少なくなったのではないか?
その代わりに、余分で無駄な消費(≒乱費、浪費)も増えた。
九州を旅行しても、東北や北海道のお土産が買えるという、現代のチンケさ!
他方、山奥の老人達が集める“珍しい葉っぱ”が、都会の料亭で珍重されるという面白さもある。

想像を広げ、『流通』を「流通」+「交通」に拡大して、例えば辺鄙な地域の料亭、料理屋で珍味を味わう愉しさや土地独自の新造形品などを、多くの日本人や海外旅行者が知ってお土産や愛用品にするなど、『もっと小粒な地方・地域の活性化』、『若い人達の地方・地域への分散化』を期待するのは無理か?

例えば、経済特区に指定した尖閣諸島の魚釣島で開業した(新鮮な魚介類料理を出す)「元祖魚釣亭」へ、美味い料理を食しに、また釣果を求めて日参する好餌(事)家達が引きも切らず...なんて成功話は、マンガ『美味かバイ』(?)で描けぬかな?(笑)
また、コンパクトな「僻地用万能ごみ処理システム」を、この島に巧く敷設した中小企業の社長の成功譚も、マンガチックに描けないか?

反日教育を煽る 中国の大罪 [0512]
反日教育を煽る 中国の大罪 黄 文雄著 日本文芸社 平成17年5月 5刷 \1,500+税』 (購入\108税込み)
多くの日本人は、(“気の弱さ”?からか)「性善説」を採る人が多いようだが、私は長じてからは「性悪説」になった。
特に、今の中国人全般の“文化・知的・感性レベル”を考えると、朝鮮人より下ではないか!とさえ思う。(勿論、両者とも、日本人より遥かに低い!)
そういう眼でこの本を読むと、各章の「見出し」に意味や内容が、実によく分かる!
 1.日本の中国侵略は嘘だった
 2.世界を翻弄しつづける中国の経済的詐欺
 3.日本社会を乱す中国人の凶悪犯罪
 4.中国の歴史捏造に騙されるな
 5.日本への主権侵害に中国は謝罪すべし
 6.北朝鮮を走狗とする中国の犯罪性を見抜け!
私達一般日本人の考え違い・誤りは、“古代のシナ文化”と“現代の中国の無文化性 ”とは『別物』だってことに気が付いていない点!
そして、日本の政治家や経済人が、中国に憧れるのは、実は“低賃金労働と消費人口の多さ ”のみで、欧米人が逃げ出した跡に、のこのこと入って行ってるらしい。(苦笑)
日本人が、何かと、今のシナ|中国に頭を下げるのは、お門違いで、私達日本人の方がずっと格が上のはずだ!
ただ、私達日本人は、あまり自ら誇ることを潔しとしないから、相手が居丈高になって責めて来ると、静かに身を屈めるのだが、これが誤解され、増長させる元になって来たのだろうと思う。
一度、私達自身、衿を正して武士の如く、相手を睨み返してみてはどうかと考える。

七歳までの人間教育 [0509]
『七歳までの人間教育 シュタイナー幼稚園と幼児教育 E・M・グルネリウス著 高橋 巌・高橋 弘子訳 フレーベル館 1996年6月 6刷 \1,400+税』 (購入\108税込み)
流石に、この著作は、古さが際立っていて、今読むと身震いを催すほどだ。
R・S・モア教授の説だとして、「序文」で次のような話を引用している。
...『「幼児のためにも学校教育が必要であるという観点のなかに見るべき成果を示すものはまだ何もない。反対にそうでないことを証明する多くの材料がそろっている。 ...... 一般におそく就学する児童の方が、よりよい学習効果を表すことを示している多くの研究結果がある。」(ハーバーズ・マガジン、1972年)
おまけに、『早期に知的教育を受けた児童が、神経症や精神障害、行動障害に悩んでいる例は恐ろしいほど多いのです。...すでに、就学時よりも以前に学習を促されたことによって害われた子供たちを、診た精神医や小児科医は、早期教育に対して抗議し、警告しています。

私は、“てめえら、一体子供達に何をしたのだ!”って、彼らを怒鳴り付けたいほどだ。

「正しい早期教育」が、子供達に異常を生じさせるはずは無い!もしそうだとしたら、きっと、誰かが、“間違った早期教育”をしたに違いないと思う。恐らく、「教育」とは「知識の押し込み」だと思っている連中の仕業だったのだろう。それで、無理やりに「知識」だけを詰め込んだために、異常をきたした可能性は否定できない。...だが、そんなやり方ではダメなんだ!

重要なのは、子供達自らが欲するように(意図的に)動機付けをしてやるとか、そのチャンスを増やしてやる試み、具体的には、「環境を用意する」など、大人の側が積極的・意図的に準備・提供してやらないといけないことが沢山あるのだ。
たとえ、幼児達に自発性があったとしても、絵本を自分で買って来て読めはしないし、新しい遊び道具や学習道具を自分で作り出せないからだ。
この本の著者達も、「教育」は押し付けではない!と分かっているから、「環境を整える」方を推奨しているのだが、どうやらそれも高年齢から始めよ!といいたいらしい。...なぜ、低年齢から始めなかったかの理由・弁解に、上記の引用をしているわけだが、実はそこに“不作為のミス”がある!
貴女たち!井深 太氏の書かれた本などを読め!といいたい。(ま、それは無理だけど。笑)
乳幼児時期の早期教育は、以降の人格形成にも影響する大変重要な働き掛け(大人社会から子供世界への)だと知らなかったのだから、無理も無いのだが。(苦笑)

橋下主義 [0507]
自治体革命への道 徹底検証「橋下主義」 読売新聞 大阪本社社会部編著 梧桐書院 2009年7月 2刷 \1,800+税』 (購入\108税込み)
いやぁ、この本は面白い!...といってしまっては、橋下氏には失礼かもしれないが、新聞記者達の追跡、推測劇などもあって、なかなか迫力があり、押されるように一気に読んで仕舞った。
願わくば、この続編も(あれば?)読みたい! 橋下氏が、知事から市長に変わってから、その後の施策の成果や出来・不出来なども知りたいものだ。
やはり、橋下氏は、他の人間には真似が出来ない稀有な天才政治家だと思う。
彼が、早く後継者を育てる案はどうかと考えたことがあるが、そんなことは、到底無理だろうということが良く分かった。
天才は、何人であれ、大事にしなければいけないと思う
だから、彼が一代限りだとして、是非、「大阪」で力を養った上で、「国政」に出て、将来的には、日本国を引っ張って行って欲しいものだと思った。(...だが、世の中、優れた者、抜きん出た者を嫌うからなぁ)
安倍首相もそうだが、橋下市長も「自分を持って居られる」ことが良く分かる。
「他の人間」は、先に“世間の意向”に合わせて発言するのだが、「(確かな)自分を持っている人物」は、先に自分の意見を出してみて(その反応を見て)後で“世間の意向”に合わせる傾向がある。
ある面で“現実主義者”かもしれないが、“実行主義者”と言う方が適切かもしれない。
何か皆の為になることを実現して欲しいと思ったら、こうした人物に託すのがベストだろう。
ただ、彼の風下に居る人間には、時には耐え難い圧力を感じるかもしれないとは思うが...それは、役目上我慢して耐えて|飲んで貰わないといけないことだ!

反常識講座 [0504]
『反常識講座 渡辺 淳一著 光文社 1998年11月 1刷 \1,400+税』 (購入\200税込み)
この著者の言う、“反常識”とは、“常識的だがマイナーな考え方”の話だとでも言えようか。
あるいは、天邪鬼(あまのじゃく)の吐く意見とでも言えるかな?(笑 失礼!)

大変興味深いことに、第八章「無知がオリジナルティを生み出す」の中に、先般から話題になっている「STAP現象・細胞」に関連しそうな話がある。
それは、アメリカの医師(達)の態度や考え方についてだが、意固地なほど自分の研究に献身的で、敢然と世論や社会制度とも戦って来た人が多いそうだ。
そして、彼らは、「俺は神に誓って 間違ったことはしていない」と、よく言うらしい。

ちょうど、小保方氏は、その(一見)頑な姿勢の方を、意地になって真似しようとしているように見える。ただ、他の研究者の意見にもしっかり耳を傾けるという姿勢の方は、殆ど見習っていないのでは?

ところが、現実の日本人は「自分の神」を持たない人種だから、「確固たる自己規範」などは持っていない。主に、周りの社会からのふわっとした規制でしか決められないのだ。(いみじくも、橋下市長が言ったという、ふわっとした民意のそれと同じだろうな。笑)
つまり、規範は外にあり、“気にすべきは、他人の目、あるいは法規制だけ”ということだ。
しかし、世界の自然科学者達と肩を並べられる研究をしようとするなら、「神」は持たなくても、それに匹敵する厳しい(自己、他己)規制を課されなければいけないだろう。
そして、日本の未熟な研究者(達)は、(家庭でなく)社会の中で教育を受け、(内外の)規制を知るまでは、その「自己規範」の意味の何たるかも分からないという不幸!|幸せ?(上位・先行研究者達は、常にそれで悩まされているわけだが)
(未熟研究者の)小保方氏の場合、ちゃんとした自己規範を持つ前に、自分の“(素朴な)思い込みを固持すること”こそが、(欧米研究者達が持っている)“信念”だと勘違いしてしまっているわけだ。 ... そこに「神」が居るわけでも何でもなくて、単なる“我侭”に過ぎないのに。

[復活]の超発想 [0501]
『[復活]の超発想 糸川 英夫著 徳間書店 1992年10月 1刷 \1,000税込み』 (購入\108税込み)
この本は、多くの本に見られるような“ノウハウ本”、つまり、「こんな風に考えて、こうやったら、ほら!こんなに素晴らしい結果が得られたよ!だから、これを真似しなさい!」...などとは書かれていないところが、大変ユニークで、値打ちがある。
発想がユニークなので、これは“面白い結果”が出て来そうだと思って、それを期待して読んでいると、その手前で終わってしまう。 ... 後は、自分で考えるか、実践しなさい!ってこと。 ...つまり、そんじょそこらの安手のノウハウ本ではないわけ。
多分、“与えられるのを待っていることだけしか考えない人達”は、この本からは殆ど何も得られないだろうし、我慢して読んでも欲求不満が募るだけかも。

私は、この本で、二つ三つ啓発されたことがある。
そのひとつは、世の中には「HOW文化」と「WHY文化」が存在するのだが、日本では「HOW文化」が蔓延し、「WHY文化」が極めて弱いこと。 ・・・ なるほど!そういう分類の仕方もあるんだ!と知った。(他の二極化には、“成り行き任せ”と“体当たり好奇心”とか、“怠慢護憲”と“積極改憲”とかにも、分けられるな)
もうひとつは、日本民族の三つの特性。
+歴史上、奴隷制度を持たなかったために、自分自身が働くことに高価値を見出した。[西欧のように、労働は罪悪とは考えない]
+ルーツが不明なユニーク言語「日本語」を話す。[マザーである「プロト・インドヨーロピアン」の大枝、中枝、小枝の何処にも繋がらず]
+「星文化」を持たず。[星の位置を利用した長距離移動の必要が無く、定着による細やかな文化が発達した]

ここで、「星文化」に関連して、著者の大変面白い見方を教わった。
平安時代の「絵巻物」で、「遠近法」で描かれていない絵を見て、今の私達は奇異に感じるが、実は昔の日本人は、遠近法を必要とせず、むしろ、こちら側でもあちら側でも、それは“同じ高さ”や“同じ長さ”なのだ!ということを現そうとしたらしい。
そういえば、常に長い距離を移動する人間達、民族にとっては、「短い、小さい」は「遠い」こと(彼我の距離)を意味するわけだから、「遠近法」は生活に不可欠な要素だったろう。
・・・ このことから、子供達には、(遠近法だけを教えるのではなくて、)両方の特質を同時に教えるべきだな!と思った。

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