導育甘言集 2015.01   表紙頁]へ   我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ

西域余聞 [0131]
『西域余聞 陳 舜臣著 朝日新聞社 1979年12月』 (承前
やっと、最後まで読み切って、その余韻を味わっている。
この本には、そうした味わいがある。(下記の2冊とは、随分違う!)
尤も、中の話が全て、『石榴』や『夜光杯』のように“ロマンチック”だというのではない。
むしろ、昔も、今の中東地域のように紛争が絶えなくて、一般の人達は生き伸びるのにも大変な苦労を強いられていたそうだから、とても『(ロマンチックな)桃源郷』などが存在したなどとはいえないような地域だったようで、そんな内容も、そこ此処にある。
まぁ、それはそれとして、ちょっと興味深い話、『“安禄山の乱”で知られた(胡人と突厥の混血児だったといわれている)安禄山”はもしかしたら、“アレクサンダー”ではないか?』とあった。
私は、“安禄山”は、単純にシナ人/唐人の名前だろうぐらいに思っていたが、どうもそうではなかったようだ。
やはり、「西域」とは、「東洋」と「西洋」(というより「イスラム世界」?)との混和地域だったのだなぁ...との感慨がある。
だが、こうした“異民族混在の地域”は、昔も今も、紛争の収まることが無さそうなのが気になる。
最近、私は、民族はそれぞれの国を出るべきではなく、また国内に異民族を受け入れて混和するべきではないのでは?と思うようになって来た。それは、“望み”でもないし、“予言”でもない。単なる“現状の推移先”に過ぎないのだが。
今、世界各国で起きている“(異民族)マイノリティとの係争事件”は、今後も益々激しくなるのではないか、“異民族共存融和の話”は、昔のロマンチストの夢・妄想ではないか、と思っている。

聖徳太子の密使 [0129]
『聖徳太子の密使 小説日本通史 邦光 史郎著 祥伝社 平成6年5月 2刷 \1,600税込み』 (購入\108税込み)
残念!この本も、最後まで読み切れなかった...というか、最初の30ページほどで、段々面倒臭くなって読むのを止めてしまったのだ。
書かれている内容は、史実を忠実になぞってあるのだろうが、“だらだら....”と取り止めが無い感じ。まるで、今風のドラマを見ている感じなのだ。
多分、読み易くするために、“思考方法や感情変化”を、敢えて現代風にしてある所為かもしれないが、それだったら、何も時代小説ではなくて現代小説を読めばいい話だ。

だが、私はそちらの方を期待しているわけではない。
知りたいのは、現代とは違う古代の人達なりの当時の生活に添った“思考形式や行動様式”の方だ。
それらを、現代人的に表現されてしまっては、何の面白味も無い!
例えば、(時代は下るが、)武士が“拙者は...”と言う時、その言葉の響きに“自分への厳しさや矜持”が感じられるのだが、“わたしは...”と書くのでは、単純な人称代名詞にしか見えなくなるってのと同じ!
“深み”も“味わい”も無い言葉の羅列で書かれた小説は、読み易いかもしれないが、退屈で面白く無いもんだ。

日当山侏儒物語 [0127]
『日当山侏儒物語 全集24 椋 鳩十著 ポプラ社 1989年8月 8刷 \1,009税込み』 (購入\108税込み)
この本は、孫達に読ませようと買って来たのだが、私の好みに合わない!
始めの方から、取り上げている内容が尾篭(びろう)な事に引っ掛けた話なので、“教育の順序”としては不適だと思うからだ。
勿論、老人や病人の介護の事などを考えれば、尾篭な話も必要で必須なのだが、この本のように、のっけから、それを殊更不快なものとして皮肉や嘲笑のために用いるのは、良くないからだ。
“糞便”は確かに臭くて、日常的にはあまり扱いたくないものだが、それを“悪いもの”の代表と見做してしまうと、“いらぬ偏見”が生まれるからだ。
この本には、“皮肉”や“当て擦り”の話が多いので、子供に“それは、なぜ?どうして?”って聞かれても、返答のしようが無い箇所が多い。
時代背景や人々の暮らし方を、あらかじめ理解させてからでないと、上手く説明が出来ないのだ。
ま、物事の価値基準が違う人達には、向いているのかもしれないが、兎に角、私や孫共には不向きだってことだ。
「解説」をチラ見して、面白そうだと思って買って来たのだが、これはダメだ!また別のを探そう!

西域余聞 [0125]
『西域余聞 陳 舜臣著 朝日新聞社 1979年12月 1刷 \1,200+\1,300税込み』 (購入\200+\200税込み)
(帯が違っていたので、うっかり同じものを2冊、千二百円と千三百円のを買ってしまった。ま、いいけど)
この著者は、昔の「西域」に思い入れが強いらしく、随分色々なことをご存知のようで、あれこれ丁寧に書いて居られるが、読む側も追っていて飽きが来ない。
以前読んだ『桃源郷』も、「西域」の何処かに存在していたのではないかと思わせられた。
実は、私も、思い入れの質も量も違うが、「昔の西域」には何かロマンを感じている。

この本には、古代の様々な話が纏められているが、どれも興味深い。
石榴』では、石榴(ざくろ)の原産地は安石国、現在のイランやアフガニスタン辺りの地方らしいが、今では米国・カリフォルニア産もあるそうだ。
拳より大きな味の良い石榴もあるとかで、私も一度味わってみたいと思った。
求法僧』では、仏教は、実は、“漢”の求道僧たちが、西方や印度へ経典などを求めて往復し、翻訳して経典にしたそうだ。
日本は、それを空海師や最澄師などが、本格的に“唐”に貰いに行ったわけだ。
日本の『唐招提寺』の創設は鑑真和上だったが、実は、その後の興隆は、胡国人の僧安 如宝に依るところが大きかったそうだ。
この著者が、「唐招提寺」に何となく“西域”を感じるが、それは安 如宝の影響ではないかと書いておられる。
ほ、なるほど!...私達素人には、そんな雰囲気など分かるわけも無かろうが、もし、今度「唐招提寺」に行く機会があれば見直してみようと思う。
...それにしても、「今の西域」は騒然としていて、もう“昔のロマン”を感じる処ではなさそうだ。

投了の真相 [0123]
プロの実戦・即詰み100 投了真相 日浦 市郎著 週間将棋編 毎日コミュニケーションズ 1996年2月 1刷 \1,200税込み』 (購入\350税込み)
この本も、(百八円本に比べてだが)高かった!...でも、その値打ちはある!
通常の「詰将棋」の本に比べ、実戦譜の中から拾って来ているようなので、かなりリアリティがあるし、一方的に攻めるだけの「詰将棋」と違って、もし詰め損なったら“反撃”を受けて、逆に詰められる緊張感が(少しは)あるからだが。
(尤も、その緊張感は、やはり“実戦”に勝るものではないが)

将棋をやり始めて、気が付いたのは、“怯む(ひるむ)”、“弱気になる”ことが、即“敗戦”に繋がってしまうってことだ。
その気持ちは、“守り”に入ろうとしても、“上手な守り”が出来ない原因にもなる。
押し捲られると、(踏ん張りが利かず)守り切れずに、ずるずると負けてしまうのだ。
(素人)将棋の勝ち負けなら、害は少ないが、それが“プロ同士の戦い”や、もっと大きな“国同士の争い・諍い”になると、通常生活に影響が大きいから、只では済まなくなる。途中で“止めた!”と云って逃げ出すわけには行かないことだ。
となると、(たとえ素人であっても)逃げ出さずに、粛々|着々と実力を付けて行くより他、途は無かろう、と思った。

イグ・ノーベル賞 [0121]
『イグ・ノーベル賞 マーク・エイブラハムズ著 福嶋 俊造訳 ランダムハウス講談社 2005年8月 1刷 \1,900+税』 (購入\200税込み)
イグ・ノーベル賞”と聞いただけで、ニヤリと笑いが湧いて出るのだが、それの本を見掛けたので、思わず買ってみた。
確かに、色々な受賞対象研究は面白いのだが、残念ながら、賞の創設者である著者が書いたこの紹介本は、やや“堅過ぎ、真面目過ぎて”あまり面白くなかった。
それは当然なことかもしれない。内容や文章を茶化したりして、“イグ・ノーべル賞”の品位を落としてしまっては、元も子もないからだ。
ま、読み方次第だろうと思うので、これはこれで、頑張って読もう!
しかし、中で気になる記述が頻繁に見られる。
...(受賞者)は授賞式に参加しなかった/できなかった(参加するつもりもなかっただろう)...
へぇー!受賞者達は、意外にシャイなのか、あるいは侮辱されたと感じたのかもしれないが?...だが、“失敗した話”にも賞が与えられているようなので、創設者の皮肉や風刺が強過ぎる面もあるのだろう。
勿論、そうでない、まっとうな受賞者とその記念講演の例も紹介されているが。

これらの研究の中で、『濡れた下着の着用』の項は、私に重要な示唆を与えてくれた。
『体温調節反応と温感上の快適さについては、下着の厚さの方がその材質よりも大きな影響を及ぼすことが確認された』という。
私は、寒い夜は“重い布団”を引っ被って寝る方が、暖かく寝られる習癖があるのだが、家人はなかば“疑いの眼(まなこ)”だ。
これは仮説だが、“布団の重さ”というストレスが、身体の自己発熱作用をより強く促すからではないか?と思っている。
もう少し調査対象を広げて、研究らしくすれば、当賞受賞の可能性はあるだろうか?(笑)

「古代史」残された謎 [0119]
ここまで解けた!「古代史」残された謎 関 裕二著 PHP研究所 2007年10月 7刷 \476+税』 (購入\310税込み)
同じワゴンに並んでいた同じ著者の類似の「古代史」の本を、(読み易く眼が離せず、)かなりの部分立ち読みしてしまった!(失礼!)
その“罪滅ぼし”の意味(私は、“立ち読み”を厳しく責められた時代に育ったから)もあって、この本を買って来たのだが、これもなかなか面白い!
中でも、古代の文化の中心が、東(大和地域)にも、西(九州地域)にもあったのではないかという仮説は、大変興味深い。
(よく知られている?)“神武天皇東征説話”は、“西から東への稲作文化の普及”と見做されているのだが、実際は、両者の勢力争いではないかと、この著者は疑義を示している。
(最近、産経新聞に連載されている「神武天皇の海道東征」は、これはこれなりに面白い。特に、若者姿のイワレヒコ・神武天皇は、好感が持てた♪)
2007年時点では、まだ最終的な結論は出ていないようだが、後代の遺跡発掘調査などから、新しい事実が見付かれば、これまでの常識が覆る可能性もあるので、“謎”は保留したままで待機しているのが良いと思う。
(ただ、韓国や中国のように、古い歴史を“他国攻撃の武器”にするなどは、もっての他だが)

中原を征く [後継] [0117]
『中原を征く チンギスハーンの一族(2) 陳 舜臣著 集英社文庫 2000年5月 1刷 \724+税』 (購入\251税込み)
このシリーズ(2)の途中まで読んで、その後、随分、間が空いてしまったのだが、また再開。
この小説は、それなりに面白いので、途切れても、読み続けられる。
“大ハーンの地位継承”には、“血の繋がり”が重視されたという話に興味を惹かれた。
また、読みながらも、チンギス・ハーンが作ろうとした「モンゴル帝国」は、一体何が目的だったのか?という疑問が湧いた。
“権勢欲”そのものが目的だと言えるかもしれないが、では、その“権勢・権力欲”って一体何?...の答えが分からない。

やはり、アダムの呪い」の著者ブライアン・サイクス氏の仮説のごとく、「遺伝子の拡散」が“隠れた衝動(遺伝子の意図)”なのかもしれない。
そして、今の中国(China)人の多くは、昔の“秦・漢民族”の末裔などは少なくて、元王朝時代の“モンゴル族”の血を色濃く引いている人達が大半なのではないか?と思う。(数千万人もの人達が殺されたという“文化大革命”は、実は、民族粛清=ホロコーストだったのかも)
だから、今も中国(China)は、「モンゴル帝国」の顰(ひそみ)に倣って、自国の広大な地面だけでは飽き足らず、今も、周りの地域までをも貪欲に併呑し、地面よりも、むしろ人口拡散を図ろうとしているのではないか。
それは、“秦・漢民族の権勢拡大欲”というより、“モンゴル族遺伝子の拡散願望”に依るものだ!という仮説も、成り立ちそうだ。

この仮説を裏付けるには、B.サイクス氏のように、「現代の中国、台湾や香港の人達の遺伝子」の中に、“チンギス・ハーン由来の遺伝子”が有るか無いか、を調べられたらなぁ...と思うが。

異形の大国 中国 [外交] [0115]
『異形の大国 中国 [外交] 櫻井 よしこ著 新潮社』 (承前
最近の『安倍外交』は、満点だとは言わないが、少なくとも積極的平和を求める活動のひとつとして、良くやって下さっていて、合格点だと思う。
さらに、“慰安婦問題”などに対する日本国外交官の反論発言が、ポツリポツリ見掛けられるようになって来たのも、安倍首相の積極姿勢を反映したものだろうと思うが、大変好ましいことだ!

こうした話は、昔は「政治話」として毛嫌いされ、当苑のような一般サイトでは取り上げないのが普通だったが、しかし、「子供達の教育」という面からは、黙っていては悪材料しか残らないから、敢えて書いて残しておくべきだと思っている。“見ざる聞かざる言わざる”では、劣等種に成り下がるもんな。

この本には、これまでの日本外交の稚拙さ、愚かさと共に、中国・シナの強引さに“直ぐひれ伏してしまう弱さ”の数々が挙げられているのだが、これらを読んで、私達日本庶民・市民は悔しくて仕方が無い。
悔しいだけで済めばいいのだが、それが日本国の実質的な損失(国益の逸失)になって来ているから、見過ごせない。
(やがては、借金大国日本の更なる財政悪化に拍車をかけるからだ)

私達は、つい“日本の外交力の弱さ”を、外務省のせいにし勝ちなのだが、実は、大元の原因は、私達自身にあると思う。
それは、朝日新聞毎日新聞に巣食っているリベラリスト達(?)の煽りのせいでもある。
例えば、「日本国首相の靖国神社参拝」に対して中国・シナがクレームを付けて来た時、そうした連中は何と書いたか?
...中国のご機嫌を損ねるような参拝などは控えるべきだ!...とか何とか。
...強い相手には、ひれ伏すのが、日本の国益を増す外交のやり方だ!...ってか?

そうした愚かなマスコミの一部が、私達日本側の身内を激しく叩く反日行動(?)やバカな(共産党、社民党、民主党や自民党の一部の)政治家達の発言のために、私達一般人もだんまりになり、外務官僚達も、下手な動きをすると自分の身が危うくなるとばかりに、何もしなくなったわけだ。

それもあって、外交官達自身が積極的に外国一般人向けに強力な情報発信をするべきなのに、もう彼らの能力もガタ落ちらしい...先日も、日中首脳会談の内容発表を、中国・シナ側に都合のよいように英文翻訳され、先に発表され、世界にばら撒かれてしまったそうだ...日本外務省は、自分達もちゃんと仕事(?翻訳作業)をしたから、“それでいい!”のだそうだが...(アホか!退化エリート?)

だが、先般来、産経新聞の胆力のある取材と記事化で、朝日新聞の病巣が暴かれて、少しは発言力・影響力が殺がれたかな?とは思うが。...実際には、結核菌のように内側に潜伏しただけだろうと思う。 ・・・ だから、このまま、ずっと抑え込まねば!

異形の大国 中国 [歴史] [0113]
『異形の大国 中国 [歴史] 櫻井 よしこ著 新潮社 2008年5月 4刷 \1,500+税』 (購入\200税込み)
最近のアンケート調査では、“何となく嫌い”という国の筆頭が、中国(China)と韓国(South Koria)だそうだが、この本を読むと、しっかりと身構えた上で“付き合い”と“対決姿勢”でないと、やがて“何となく...”どころでは済まなくなるように思う。(チベットや南シナ海域がその悪例)

体質の違い”や“歴史や文化の違い”は、“食べ物や服飾の嗜好の違い”といった“程度の生ぬるいもの”ではなくて、“攻撃や支配の仕方の違い”などとして出て来るから怖い。

因みに、日本を攻めるには、(捏造・改竄がし易いから)歴史問題が一番具合がいいらしい。
以前の歴史は、掘り出して使えば簡単に改竄や、あるいは誇大に捏造が出来るし、一般人や世界を騙し易い。それに子供達に教え込むのも楽だからだ。
それに、日本人は人が好いから、騙し易いし、強い反論もあまりしないからだ。

一方、私達日本人は、彼らから、征服されるとか、黙って攻撃されているとは、思っていない。
中には、こちらが、止めろ!と言わなくても、相手が自発的に止めてくれるだろうと、多寡を括っている人達も多い。
“自分がして欲しくないことは、相手もしないだろう”という(“憲法九条信奉連(?)”のような)オメデタイ連中が沢山居るってことだ。

気が弱い私達日本人の多くは、この本の内容ですら、“もう、そんな話は結構だ!もっと楽しい話をしてくれ!”と言いたくなると思う。
...だが、現実から逃げてはいけないと思う。眼を背けるのもダメだ!やせ我慢でもいいから、胸を張るべし!
子や孫達のために、今の私達の世代に、しっかりした物心両面の防波堤を築いておかないと、将来、「独立国・日本」として存続し続けることが出来なくなることは、眼に見えている。
そのためには、ほんの少しでも良いから、相手に騙されない気力勇気を持つ必要があると思う。

職業と人生 [0111]
『職業と人生 田中 良雄著 ごま書房 2005年4月 1刷 \1,300+税』 (購入\200税込み)
この本には、尤もなことが一杯書いてある。
例えば、・・・「わかった」とはどういうことか・・・の項では、
『...耳で聞き、眼で見た経験、読んで覚え、聞いて覚えた知識も、自分の血や肉にするのは、「行」(仕事)によらないと、真の会得にはならないと思う。』と書いておられる。
(“論より、実行!”ということだろう)

出来ればこんな本を、若い人達に読ませたいとは思うが、多分、最後まで読もう|読みたいと思う人は、もう読む必要が無いかもしれない。
あるいは、自分で探し出して来て、既に読んでいるだろうからだ。

この本の内容の殆どが、師が弟子に説いて聞かせるような話のようで、聞きたいと思う弟子への丁寧な訓話だ。
それは、水を飲みたがっている馬を、綺麗な水辺に連れて来るのに似ている。
...では、逆に、水など飲みたくない馬を、無理やり水辺に引っ張って来るにはどうしたら良いか?それが、大変に難しい。
(私は、)どうやって水辺に引っ張って来るかの方を、知りたいと思っている。この本は、それには向かない?

「子供の科学」 [0109]
『「子供の科学」 第76巻4号 誠文堂新光社 2013年11月 \730税込み』 (購入\200税込み)
昨年末、特価で店頭に置いてあったので、懐かしくて買って見た。
昔、継続して親に取って貰っていたのだが、結構色々な科学知識をこれから得ていて、ひけらかしては(主に、大人から)感心されていた覚えがある。
(仲間・同輩同士では、お互い“どんぐりの背比べ”だったから、どうだってことも無かったが)

この雑誌の内容は、“旧いけど、新しい”し、(今の私から見ると)“結構、深い!”と思った。
例えば、桜の木は、「自家不和合」と言われていて雌雄交合での増殖は出来ず、次世代は、接木などによる“クローン方式”でしか作れないそうだ。その「クローン」は、弱くて短命なので、大事に育てないといけないってことがちゃんと書いてある!
下手すると、消滅するかもしれないって!?(図2<クリック>
私も、動物のクローンは環境変化に弱いことは、知っていた(「アダムの呪い」などで)のだが、植物でもそうだったとは!...この雑誌の記事で、改めて気が付いた次第!
(子供達もこうした知識を沢山増やし、それらを融合して、自分達で、次の“新しい考えや手法”を産み出してくれる事を期待したい!)

「人がいい人」 “代行” [0107]
『「人がいい人」は「いい人」か ロボット博士の人間探求 森 政弘著 佼成出版社』 (承前
人間が、社会を形成し、その中でお互いを支え合っていると、どうしても“他人”に依存する物事が出て来るのだが、この著者は、“代行”ということについて、警告を発して居られる。
あまりにも安直に、他人に“代行”をさせ過ぎたり、それを要求し過ぎては居ないか?!ということ。 ・・・ 私もそう思うし、私自身は、何事も極力“自行”するように心掛けているのだが。
中の一節に、こんな見解がある。
『...本当をいえば、これら呼吸だの、食事だの、排泄だの、睡眠だの、どうやっても他人に代わってもらえない行為だけが満足に満たされさえすれば、それが幸福というものであろう。開き直っていえば、代行可能なことは、本来は不要なことなのである。「少欲を足るを知る」とは、こういうことではないのか。』

ところが、今の世の中には、一見“善行”風に見えて、実は他人に“代行”を押し付けているだけのケースが大変多い。
身近な所では“誰それさんによろしく云っといて!”から、大愚は“憲法九条を守れ!”まで...結局、「自分がして欲しいこと」や「自分がしなければいけないこと」は、他人にやらせておいて、自分(達)は口先だけで済ませるってこと!
(“平和”を守りたいのなら、それは自らが敵と戦って勝ち取って行かねばならないことなのに、逆に、味方に向かって鉄砲を撃つ愚をやっているわけだ)
別の例では、「子育て」や「教育」を、保護者自らが工夫・努力せずに、保育所や幼稚園、学校に任せ切りにしていることなども、それ!
“代行”を依頼する側は、もっと工夫や努力をして、“代行”を出来るだけ減らす努力をしなければいけないことではないのかな?

「人がいい人」 “自己” [0105]
『「人がいい人」は「いい人」か ロボット博士の人間探求 森 政弘著 佼成出版社』 (承前
この本は、「いい本」だ!
「哲学」&「仏教」を、優しく、易しく書いてある。
読み進めるに従って、“なるほど!”、“それは、よく分かる!”、“ほ、そんな考え方があるのか!”と頷くことしきり。
例えば、“自己”(Self)を“自分”と意識するから、“他人”との対立関係が生じて、損・得の話になる。
だが、何かに無我夢中になって居る時は、そんな“自分”なんて忘れているだろう。
だったら、常にその時のように“自分(我)”を忘れてみよ!そして、“自己”(Self)の領域をどれだけ広げて意識出来るか、試してみよ!と、いうことらしい。
それは、“相手”や“他人”の苦しみ|幸せを、どれだけ“自分”の苦しみ|幸せとして感じられるか?っていうことかもしれない。
それには但し書きがあって、あくまでも『主体的に』そうしないとダメだという。
“(自分が)誰かにやらされているのだ”という他律意識があると、“そんなのは、損だ!嫌だ!”となってしまうからだ。
...と、この辺りまでは分かったが、では“自分”がそうする必然性は何か?と考えたら、止まってしまった。大人・成人だと、そんな事など“考えずに出来る人”も居れば、“考えもしないし、出来もしない人”も居る。くどくど説明しても、“何を今更!”となる。
...ふむ、やはり、“自我”の出来る前−子供の頃からきちんと“ならぬことは、ならぬ!”と教え込まないといけない話だろうな、と思ってしまった。


「人がいい人」 [0103]
『「人がいい人」は「いい人」か ロボット博士の人間探求 森 政弘著 佼成出版社 平成五年二月 1刷 \1,500税込み』 (購入\200税込み)
この著者は、年少の頃「人がいい」と「いい人」の違い関して、40年近くも悩み続けられたそうだが、私は還暦を過ぎてからやっと、その意味と使い方が分かったような気がする。

そして、そうした“悩みを持つ贅沢”は、男性の特質であり、殆どの女性は持たないのだと気が付いた。つまり、女性は自ら悩み≒不安定さを求めて彷徨わない。だから幼少の頃から、素早く成熟・安定化してしまうわけだ。
こうしたことは、生物学的に見た「男性」を特徴付ける“「Y染色体」の不安定性”のせいだろうと思う。
そして、この“不安定性”こそが、“悩み”や“好奇心”の根源であり、また逆に物事を動かす|進める原動力になっているのだ。。。間違いない!d(^^;

ところで、この本の「まえがき」に挙げられている話が、興味深い。
キリスト教信者は、キリスト教を信仰すれば、なぜ救われるのかが説明出来るという。
これに反して、仏教信者(の一部?)には、なぜ仏教だと救われるのか説明できないという。(そして、著者はそれを嘆いておられる)
(申し訳ないが、)私はそれを解釈出来る! ・・・ キリスト教は“宗教”であり、仏教は(本来は)“哲学”だからだ。
“宗教”は“心情に対する決定論”であり“絶対者から与えられるもの”であるが、“哲学”は“知的迷いの道”であり“自らが探し求めねばならないもの”だから、その違いは大きい。
尤も、“仏教”も、“宗教”に利用しようとすれば出来る|出来たわけだが、やはり違和感は残るだろうと思う。

武士道解題 [0101]
『武士道解題 ノーブレス・オブリージュとは 李 登輝著 小学館 2003年4月 1刷 \1,700+税』 (購入\108税込み)
この本は、李 登輝氏が強く影響を受けたという『武士道』とその著者の『新渡戸 稲造』の紹介・解説だ。そして、日本人の道徳律は「武士道」にあると、日本人はそれに復帰すべきだとこの著者は言う。
これを読みながら、(私は)こうした良書を、日本人・男性達全員に読ませたいものだ!と思ったが、はて?女性達はどうだろう?と迷ってしまった。

“男女同権”が叫ばれてから、既に久しい。
今では、“職場に女性管理者を一定比率置け”などといった「業務効率無視」の妙な法律(?になったかな?)まで出始める始末だ。
となると、そうした女性達も、自発的に『武士道』を理解し、体現しなければいけないはずだぞ!だとしたら、当然、読ませるべきではないか!
ところが、今の日本女性の多くは、こうした“道徳律”などには見向きもしないのが現実だ。
自発的は愚か、読むことを薦めても、恐らくは拒否さえするだろう。

では、どうしたらよいか?
...やはり、(草食系、肉食系を問わず、)日本男性陣がそうした環境を作ってやり、誘導してやらないといけないことになる。
だが、男子誰でもが、そう出来るわけでもない。やれるとしたら、(社会全体でやる)教育制度の改革からだろうな。
(当然、教育の地域私物化やモンスターペアレンツの増殖を許してはいけない!子供手当てや待機児童の解消などでもない!)
それには、政治側から、特に国政側から関与しないと、良い方向には動かないだろう。
そして、その認識を持った実行力のある政治家を選ぶ必要がある。(この著者、李 登輝氏のような人物だ!)

他方私達一般市民・庶民の側も、“心構え”が必要だと思う。
この著者も(“ノーブレス・オブリージュ”と書いて、)指摘しているように、如何に民主主義社会、平民道社会であっても、私達の社会には、“階層構造”は必要だ。 ...“みんな一等賞!”では、優れた人物や技能者が出て来なくなるからだ。
私達は、優れた実行指導層、程々の知識中間層、受益が主の一般庶民層などがあることを、きちんと認識した上で、自分がどの位置にいるか、(自分達の社会に対して)何をすれば良いかを考えながら、行動すべきだろう。

追記:
この本の中で、“リベラリスト(無国家主義者)の考え方”をしそうな学生との質疑応答が出て来る。
著者は、「全体と個」という考え方をしなさいと答えているが、どうも著者には申し訳ないが、それでは生温い感じだ!
今の私達日本人は、安全な「全体=社会」に守られ過ぎていて、「個」だけで存在することの困難さ、「個」が「社会」無しでは存在し得ないことを、ちゃんと認識していないのではないか?と疑っている。
「憲法改正」や「集団的自衛権」など、「全体=国(社会)」として整えておくべき事柄にまで、“イヤだ!ダメだ!”と「個」の要求を通そうとする今の風潮は、幼稚だ!とはっきり指摘すべきだと思う。
尤も、それは、この著者だけでなくて、日本の有能者達、有識者達、マスコミが叫ぶべきことなのだが、“みんな一等賞!”の状態では、なかなか普及・膾炙しないのが、現実だが。(苦笑)
道徳教育に関しては、朝日新聞系、毎日新聞系は、逆行的か、だんまりだし、産経新聞系、読売新聞系の報道だけでは、心許ない。

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