導育甘言集 2015.07   表紙頁]へ   我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ

おはなし366(前巻・後巻) [0729]
『おはなし366(前巻・後巻) その他大勢著 平きょうこ本文デザイン 小学館 1997年6月 6刷 各\2,516+税』 (購入\200税込み+\357送料込み+\337送料込み)
この本を、BOOK-OFFの廉価販売(児童書\200)で見付けて、再度値段を確かめて、即購入!
一日一話1〜2ページにまとめてあるのだが、挿絵が全部、違った雰囲気だ!しかも、それぞれに丁寧に描かれているし、レイアウトも大変上手い!
パタリパタリと捲って見て、一瞬で気に入ってしまった。所謂、一目惚れ?!
店頭で買ったのが「前巻」だけだったので、後でネットの中古本で、「後巻」を2冊買い足した。
「前後巻」1セットは、家人に預け孫達用にしたが、もう1冊の「後巻」は、別の用途に使うつもりだ。
この本は、話を読んで聞かせるだけでなくて、子供達には、挿絵やレイアウトなども含めて、全体を味わわせるのが良いと思う。
世の中には、高貴なものから俗悪なものまで、種々雑多なものが溢れているが、そうした中から、美しいもの綺麗なものは何かを選び出す“基準・規範”というものを、幼少の時期にきちんと仕入れさせておくことは、大変重要なことだと思う。
それに、親達が、“これは綺麗だ!これは汚い!”と(仕分けをしながら、)見せて、口に出して、教えておく事も大切だ!
...“黙っていても、子供は自分で、良し悪し好き嫌いを仕分け出来るはずだ”...というのは、親達の(愚かな)思い込みに過ぎない。
以前、自分達の飼い犬がどれだけ賢いか?(馬鹿か!)を実験してみせていた番組があったが、飼い主の思い込みほど愚かなものはない!って笑い話になっていた。子供達も同じで、“子供の正解”なんて、先に期待してはいけない。先ず、きちんと教えておかなければ!

建設産業復興論 [0726]
『建設産業復興論 森田 実著 日刊建設工業新聞社 2009年11月 2刷 \1,200+税』 (購入\200税込み)
先般から、新国立競技場の「ゼロ・ベースからの見直し」が話題になっていたが、あれほどの巨大な建造物は、費用面でも、工期面でも、建てるのが大変らしい。
民主党政権の時、「ものからひとへ」という掛け声で、税金投入が、土木事業など公共投資から収益のない福祉事業へと振り替えられ、建設業界の疲弊が進んだと聞く。
そうした建設業の実情に興味が湧いて、関連書を三冊ばかり買って来た。これは、その内の一冊。
この本では、“マスコミの公共事業叩き”や、“民主党の経済政策の誤り”などについて、業界関連者との対談の形で、色々紹介されているので、結構参考になった!

この本では公共事業の必要性・重要性などが語られているだけだが、現実は、日本の国家予算が酷い状態になっていることには触れられていない。
元々、建設業を主とする「公共事業」は、投資に対して見返りがあるはずだとして、「建設国債」という名前の借金で行われていたのだ。
ところが、何時の間にか、一般会計に繰り込まれる「赤字国債」にしてしまって、毎年天井知らずに、“膨大な借金”を重ね続けているのが現状だ。
これは、私達日本人の近視眼的、かつ即時的な“物の考え方”に原因がありそうだ。...何とか、改善する方策は無いものか?
私が日々気にしているのは、孫達に渡すべき日本国が、膨大な財政赤字・借金を抱えたままだってこと。
しかも、その孫達に、そんな借金など跳ね返せる程の“賢明さや頑強さ”を持たせてやっているか?となると、疑わしい。
何を与えておくべきか?あれこれ工夫の毎日だ!

放り込みパンフ [0723]
『放り込みパンフ 幸福の科学』
これは、先日ポストの放り込まれていた只のパンフレットだが、この奇妙な団体「幸福の科学」が何を主張しているのか、興味があったので、少し読んでみた。
面白いことに、「日本人の誇りを取り戻す」という文言は、大いに賛同出来ると思った。...でも、これが、宗教団体の主張なのか?と引っ掛かった。
その他、「原発はホントに怖いの?」とか、「中国のトラブル多すぎない?」とか、「沖縄の基地をなくしたらどうなる?」など、私自身が言いたい事が多く挙げられているのは、大変興味深い。遠くからなら、応援してあげたい気分だ...が、参画するつもりなどは無い。
(宗教は麻薬だ!と未だに思っているからだが。笑)

私自身は、私と同じ意見には、賛成はしても一緒に群れて行動することはない。
あぁ、遠くにも、仲間が居るなぁ!と思うだけ。
でも、この「幸福の科学」って団体は、従来の宗教団体や思想集団でもないようだが、“守護霊や天使”などが出て来る一方、現実・現世の解釈は、実にリアリティ豊かだから、不思議な存在だ。

私の定義では、「宗教」は、“個人の救い”であり、救われたい人間が(やたら感性的に)縋り付くもののはずだし、他方、「哲学」は、社会や個人の理想形を、知的に追うものだと思っているのだが。
また、「政治」は、現実の生活に関わる物事を、皆で一緒にちまちまと改善する為の(一人二票の)“現実的でささやかな道具・ツール”だろうと思う。実は、そのツールで、孫達に良い世代(国家借金の無い)を用意してやりたいと思っているのだが...はて、そこまで欲張ると、最早、宗教かな?(笑)
いずれにせよ、この団体?組織?は、今の処、私の中では分類不能だな。(苦笑)

超大国日本は  [0720]
『超大国日本は完全復活する ハドソン研究所著 楡井 浩一訳 徳間書店 2003年10月 1刷 \1,600+税』 (購入\108税込み)
この本は、丁寧に日本の経済的な現状や政治的施策を分析しているように見える。
何が問題で、何処を改善すれば、どれが良くなるか、の提案までしている...ようにも見える。
でも、やはり表面的・部分的な解決策しか提示していないのが、私には物足りない。
(特に気に食わないのは、)「優秀な人材の流出が流入を上回る」の項だ。
その例に、中村修二氏をあげていることで、
「...日亜化学からまともな報奨金を得られなかった中村氏が会社を去ろうと決めとき、信じられないことに、日本の企業はどこも彼を雇おうとはしなかった。...」
これは、日本人の研究活動や企業活動における「日本人独特の見方や処し方」を、無理に、「西洋式の見方、処し方」で扱おうとするから、こんな“不満的表現”になるのだろう。
それでは、日本人に適した解決策は提案出来ないだろうな。多分、その施策に対する反発の方が強いだろうと思うし。(苦笑)

私だって、もし経営者だったら彼を雇いたくない。単なる“開発担当者”が投資リスクも負わずに、収益だけを“後出しジャンケン”で横取りしたわけだから、鳶に油揚げを浚(さら)われた気分になるだけ...だが、この本の著者たちは、そうした、日本人特有の心理状態や生活態度までは読み取ってはいないから、その欧米人式解釈や対策では、“誤り”を生じるだろうと思う。

現に、“青色発光ダイオードの基礎・応用研究”は、既に、赤崎 勇氏(名城大教授)、天野 浩氏(名古屋大学教授)達が、並行かつ先行して行っていたし、中村氏は、強引ともいえる方法で日亜化学だけの開発・商品化を先行させだけで、彼が日本での唯一の研究者・開発者でもない。彼は、一企業だけを先行して儲けさせたし、アピールは巧みだったかもしれないが、日本社会における研究者の役割・存在としては、然程大きくはない。
三名に同時に、ノーベル物理学賞を受けたことでも、そのことが分かるだろうだ。
だから、中村氏の頭脳が海外へ流出したのは、“人材の大きな損失だ! ”...などと分析すること自体、「日本の人材の有無や多少」を見誤っているわけだ。

この本は、細かい現状分析や政府が打った手の批判などは、そこそこ出来ていると思うが、もっと根源的、例えば遺伝子的な処からの分析があれば、もっと面白かったのだが。

こんなに強い自衛隊 [0717]
『こんなに強い自衛隊 井上 和彦著 双葉社 2007年5月 5刷 \1,400+税』 (購入\108税込み)
戦後、日本の中で「自衛隊」ほど、あらぬ差別を受けて来た職業はなかったように思う。
“すべての差別を無くしましょう♪”と謳う連中が率先して、「自衛隊」は“人殺しの道具”だと非難して来たが、実は、これほど酷い、非道な差別は無い!
最近では、やっと「自衛隊」も認知されて来たようだが、それでも、その役割や任務に制限を加えて行動を雁字搦めにしようという勢力があるので、まだまだ、こうした差別は続くのではないか。
こうした差別は、日本人の“心の弱さ”から生じるものだろうが、例えば「糞尿処理業務」や「食畜屠殺業務」などを、毛嫌いするのと同じ心理なのだ。
汚いから嫌い!だから、自分ではやりたくない!...出来れば、そんなものが世の中に存在して欲しくない!”という気分から生じている。
そこには、“理性”とか“智恵”とかが一切関与していなくて、浅薄な嫌悪感の(ヒステリー症状的)発症だから厄介なのだ。
更に、そうした気運を後押し・助長するような連中が沢山居ることや、“何でも平等、差別無し”(?)という変な日本式民主主義の蔓延が、益々日本社会を難儀な状況に追い遣っている。
何だか政治的な話ばかりになっているが、真面目に、次世代に「借金の無い社会」を残してやりたい!と思ったり、将来、大和民族のY染色体・遺伝子・DNAを遺して行くのが私達大人の役割だ!と思い詰めると、こんな話になってしまうわけだ。(苦笑)

論理力の鍛え方 [0714]
『論理力の鍛え方 北岡 俊明著 PHP研究所 2002年6月 5刷 \1,200+税』 (購入\108税込み)
最近、ネットで各新聞の社説・論説や記事群を見るのだが、記者・編集者の筆力が弱いのか、それとも元の発言者の発言力が無いせいなのか、読んでも論旨が通らず、やたら発言者(あるいは、記者達)の“思い込み”だけを絶叫しているようにしか読めない文章が多い。
尤も、私自身だって、それ程緻密で筋の|論旨の通った文章が書けるわけでもないので、こんな本を利用して見直しをしたいと思っているのだが。

この本を読んでみて、直接参考になった項目は色々あるが、それよりも、何の為に「論理力」が必要か?ということを考え直す材料・切っ掛けになった。
それは、結局、自分や自分達、そして自分達の国の利益を増やすために、誰が何をすべきかを“上手く訴えて、最後に好ましい行動を起こして貰うこと”だろうと思う。
その利益とは、皮肉にも、シナ・中国の政府筋が良く使う「核心的利益」(だっけ?)に、集約されるようだ
私達日本人は、そうした“利益追求の強い意識”を持たないから、ちゃらんぽらんで“論理力なんて必要なーい!心情表現だけで、間に合うわ!”てなことになるんだろうな。(苦笑)
(昔、流行語になった、“なぜ、二位じゃダメなんですか?”という劣等意識(初っ端からの負け犬根性)もそのひとつだが)
それは兎も角、論理力を磨くには、「物事を分類する力を付けること」、そして「分類した物事を、別々の枠に分けて入れること」、「それらを繋ぐには何が必要かを考え、上手に結び付けること」ではないかと思った。

私は最近、「憲法九条の会」は、論理的に見れば、もう“宗教団体”そのものではないか!と思っている。
元の本筋“「憲法」の主旨”を無視して、“九条だけ”を取り出し、それだけを“信奉”しようとしているからだ。
「第九条」なんて「憲法全体」に必要な“論理的な一貫性”などを無視した、無茶苦茶なつぎはぎ的項目だから、(上記の)「別枠」に分けて入れるべきものだ。
憲法の主旨は、「日本人自身の人権を守り、世界平和に貢献すること」のはずだが、他方“第九条”の「戦力放棄」でそれが実現出来るという論理は、どう逆立ちしても成り立たない!それは、“希望的観測”に過ぎないもので、明らかに別枠品だ。
それが理解出来ない連中の発言力が強くなり過ぎて、“無理が通れば道理が凹っこむ”というのが世の中の実態だ。

こうした矛盾も、孫達には、チャンスがあれば教えて行こうと思っている。

楊令伝(十三〜十五) [0711]
『楊令伝(十三〜十五) 北方 謙三著 集英社 2010年4月、7月、10月 各1刷 各\1,600+税』 (購入全\600税込み)
やっと、この本で表したかった著者の狙いが分かった。
『水滸伝』で、前の原作者が、“梁山泊”という組織がやがて勢力を持ち、ひとつの国にのし上がった後は、結局、誰かが“帝”になり新しい帝国が出来るだけの話だ!と思って、最後は“梁山泊”を解散させてしまっていたわけだが、この『楊令伝』で著者の北方氏は、もっと、別の“今までに無かった国の在りよう”を描いて見せて貰ったような気がする。(昨今の自由資本主義の前身か?変形か?)
それは、国の富の源泉は「交易」にあり、「自由市場」が帝国を崩壊させ、その軍隊も、やがては市場の“雇いモノ"に過ぎなくなるだろうと描かれている。
それが、果たして「国」というものであり、本来的で永続的な在り方なのかどうか?それは分からない。
少なくとも、『水滸伝』で英傑たちが目指した国は、もしかしたらこんな形だったのかもしれないという仮説という意味で、大変面白かった!

尚、シナ・中国の話で、時々出て来る戦闘シーンで、数万人の兵士同士の押したり引いたりや数千人の騎馬隊が縦横無尽に駆け回って戦闘をし合うシーンが良く出て来るのだが、どうもその“数”が想像がし難いのだ。
戦場には、歩き回るにも困難なほど死骸累々のはずだし、使う刀などは幾本あっても直ぐにぼろぼろになったり、折れ曲がって使い物にならないはずなのに、それで敵を数百人・千人単位でやっつけてしまうって?...人間一人当たりが出せるエネルギーに換算して、本当に物理的に有り得る話なのかどうか?
シナ・中国人の云う「員数」の話は、相当に誇張されているとも聞くが...千人・万人単位の数の話は、どう考えても怪しい!話十倍・百倍で考えるべきか?(苦笑)


楊令伝(十二) [0708]
『楊令伝(十二) 北方 謙三著 集英社 2010年1月 1刷 \1,600+税』 (購入\200税込み)
先日の(十一)に続いて、今回は(十二)だが、やはり面白い!
それに、読んでいて不思議と、“今のギリシャやイタリアの状態、それに日本の状態、大阪市の状態”を思い浮かべてしまう。
中の記述に、こんな箇所がある。
『「民は、次々と上を望む。喜びなど、束の間のものだ。際限もなく、上を望む。搾り取れば、かなりのところまで、耐えもする。...「身勝手なものが、民なのだ。...」...』
これは自らの身・力をもって、“、一般民衆・大衆に、平和・平穏や豊かさを与えよう”とする良心的な為政者の嘆きだろうと思う。
だが、仮に為政者の立場を想像してみると、仕事に対する“見返り”が何も無い時、果たして、そんな“愛他的・慈善的な仕事”が何時までもやり続けられるのだろうか?と思い、先の希望の無さに暗澹としてしまうだろうな。
だから、シナ・中国や韓国に多い汚職・贈収賄事件などは、“見返り”として有って当然だろうな、という気もする。

私などは、今の安倍首相などが、お気の毒で仕方が無い。
また、橋下市長もそうだ。(しんどさばかりだろうし、一体)何が愉しみで、市政などをやって居られるのかなぁ?
もし、私だったら、“(自分達だけで、自滅するまで、)勝手にやれよ!”と放り出してしまうだろうと思う。
(もう、腐敗の進んだ民主主義は、私達(自分達)だけではどうしようもなくなるからだ)

楊令伝(十一) [0705]
『楊令伝(十一) 北方 謙三著 集英社 2009年10月 1刷 \1,600+税』 (購入\200税込み)
この「楊令伝」は随分前に(十)で停まってから暫くは、(十)以降の巻を(BOOK-OFFで)見掛けなかったのだが、(十五)まで揃っていたので、ドカッと買い込んで来た。(とは言っても、たった5冊だが)
久し振りにじっくり読み始めたのだが、やはり面白かった!
それと共に、こうした時代の人間達の生き様には、メリハリがあって、見応え(?読み応え)がある。
戦乱という時代背景があったのだろうけれど、各人が、理由や大義さえあれば死ぬことなど大した事ではない、それよりも日々を充実させて生きて行くのが良い!と考えていたという。(ま、そんな人物ばかりではなかろうが)
今の我々は、日々面白可笑しく生きるだけで、「大義」など見たことも無いが、本当にそんなものを無くしてしまったのだろうか?
私は、最近「遺伝子の話」を幾種か読んでみて、やはり人間(Y染色体を持つ男性とそれを造り出したミトコンドリアDNAから成る女性)は、自分達の子孫を残し、増やすことが私達に与えられた使命(=大義)ではないかと思うようになった。
だから、今の日本人の少子化現象は、実は、自分達の生存を損なう方向に進んで|進めているのだろうと思えて仕方が無い。
本来、男性は、女性によって作り出された“種が生延びるための変種”だそうで、もし女性だけのクローン(同一種)になってしまうと環境変化に大変弱いから、どうしても男性のような変種が必要だったそうな。
ということは、「日本人種の少子化」とは、女性達から日本人男性が、もう当てには出来ないと見限られた結果なのかな?だけど、そうした息子たちを育てたのは母親たちなのに!(苦笑)


アナログを  [0702]
『アナログを蘇らせた男 森谷 正規著 講談社 1992年7月 1刷 \1,700税込み』 (購入\200税込み)
この本は、あるオーディオ・マニア(寺垣 武氏)が、アナログLP(プラスティック盤に溝で刻まれた)を、機械−電気変換して、それを電気的に忠実に再現してみようと執念を燃やす様を、追い掛けたレポートである。
素直な感想は、ちょっと狙っている方向が違っていて、有意味なのか否か疑問を感じたのだが、その執念や実行力には敬服した!
(私自身は、趣味といえども出来るだけ有益で、かつ節約的であることを狙っているのだが、)この本の主人公は、金や技術に糸目は付けず、とことん拘り抜く点が面白く興味深い。

疑問に感じたのは、「果たして、LP盤の一本の溝の中に、“真の音群”が刻み込み得るか否か?」という点だ。
また、“真の音群”とは何か?についての考察の方は置き去りにしたまま、やたらアナログ再生装置の方に技術力を注入している姿には、“凄さ”はあるが、素人なりに、かなり“違和感”を感じてしまった。
(これを、社会活動としてやっているなら否定せざるを得ないが、)趣味の範囲でやって居られるので、何等否定する要素は無い。

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