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物事追及集 二千十六年三月版


一号線を北上せよ  「三月三十一日」
『一号線を北上せよ 沢木 耕太郎著 講談社 2003年2月 1刷 ¥1、500+税』 (購入¥200税込み)

この著者の『深夜特急』は全部読ませてもらったが、あれは大変面白かった!というか、愉しかった!
その後、随分長い間、この著者の作品とは縁が無かったが、久々に今回「BOOK−OFF」の棚で見掛けて、買って来て読んでみた。

この本を読み始めて、その“質の良さ”が改めて分かったような気がした。

それは、この著者(主人公)が、時折見せる「他人への思い遣りや親切心・義侠心」などを、そっと、衒いなく披歴していることだと思う。
これが下手糞な筆者だと、単なる自慢話にしか感じないだろうし、それもあまり多過ぎると“うんざり”しかねない。

例えば、ある一節はこんな風だ。

『(あまりその旅を楽しんでいない様子だった)隣に坐っていた少女が、私の方に向かって小さく「アッ」と声を出したのだ。・・・(何百何千というクモが糸に張り付いている風景に)・・・ それは壮観だった。私がその様を見て、「ほんとにすごいね」というように頷くと、彼女は初めて微笑を浮かべた。それからである、この少女が外界に対して心を開き始めたのは。私がするのと同じように、手を振ってくれる通りすがりの人に恥ずかしそうに小さく手を振り返すようになり、休憩でバスを降りても、まとわりついてくるヴェトナムの子供たちに邪険な態度を取らなくなった。』

・・・ だが、その後の「パリ編」や「アメリカ編」などはあまり面白くなかった。
やはり、“人との触れ合い”の無い、少ない話は、何だか無味乾燥な感じがして、読み飛ばしてしまう。



イギリス式・・・で暮らす  「三月二十九日」
『イギリス式年収200万円でゆたかに暮らす 井形 慶子著 講談社 2008年11月 2刷 ¥1、500+税』 (購入¥200税込み)

他の本で、旅行者目線での“イギリス紀行”が面白かったので、この本を買ってみたが、読み始めて、なぜ日本人(女性)がイギリスくんだりで、節約生活(?)をしなきゃぁならんのか?と思ってしまった。

愉しい生き方、面白い生き方なら、自分の考え方次第で、この日本ででも出来るはずだし、生活の知恵や工夫なら、別にイギリス人式でなくっても!と思う。

「はじめに」で著者が書いている・・・ 日本にはないイギリスの人々のライフスタイルを参考に ・・・といったことを見返してみて、果たして、こんな内容を私達日本人が参考に出来るかいな?となりそう。
日本女性の多くは、こんな生活は“単なる憧れ”としか見ないだろうし、下手に執着すると「日本に土着」でないだけに、“反って害がある!”と思うがな。
実際に工夫したいと思えば、別にイギリス人のそれを参考にしなくても、“日本の中に、日本の風土に適した日本人らしい工夫”が一杯あるはずだ。
だから、日本女性達には、(無意識的にでも、)風土の違う“外国産の生活”などに憧れて欲しくない!

その代表的な悪例が、「日本国憲法第二章第九条」だ!
あれは、単なる「憧れ」であって、実用に乏しい「願い」なのに、わざわざ日本国憲法に貼り付けられてしまったために、私達日本国民の多くが、未だに迷惑しているわけだ。

この本は、残念ながら、参考にもならず、小説としてもあまり面白くもなかった。



明和電機 魚器図鑑  「三月二十七日」
『明和電機 魚器図鑑 土佐 正道、土佐 信道著 NTT出版 2000年7月 6刷 ¥2、800+税』 (購入¥200税込み)

“魚器”と書いて“NAKI”と読ませるらしい。
そういえば、C.W.ニコル氏の小説「勇魚」は、「いさな」だったから、「魚」=「な」でいいわけだ!(勿論、辞典を引けば、出て来るんだが)

しかし、この著者のお二人は、ナンセンスな物を実際に動く現物にまで造り上げられるところが凄い!
さらに、溢れるばかりの(ナンセンスな)想像力・創造力には敬服する!

この本の中の「オタクギョタク」で、頭の中から1000匹釣り上げたという魚の「魚拓」があるのだが、果たして全部、別種なのかどうかが気になった。
ランダムな中から、二つの一致すら、見付け出すのが難しい。・・・というか、至難の業になるようなので、早々に探すのを諦めた!(笑)

その他、実動化された魚器群は、面白いけど役に立たないし、役に立たないけど面白い!
いや、いや!他人を驚かせたり、感心させたり出来る点で、役に立っているのかも。

それにしても、この方達、糊口は何なんだろう?これらの「魚器」の公表・販売だけでは食っていけないのではないか?と思うのだが。



脱原発の是非を問う!  「三月二十五日」
『脱原発の是非を問う! 森谷 正規著 (株)エネルギーフォーラム 平成24年6月 1刷 ¥1、200+税』 (購入¥108税込み)

この著者は、ご自分は素人だと断って居られるが、丁寧に現状や科学的データを調べられて、出来るだけ公平な立場を保とうとしながら、原発の是非を論じられている。
この本の「諸項目の選択」と「生活全般の分析」は、大変参考になる。

放射能の話だが、先般、ある環境大臣が、「被曝限度1ミリシーベルトは、科学的根拠が無い」と言ったら、総スカンを喰らったらしいが、まぁ、世の中には、無知で非科学的人種が多く、新聞やテレビも偏見が強いから、多少の正論も叩き潰されてしまうってことのようだ。
まぁ、“無理が通れば、道理がへっこむ”ってやつだな。(苦笑)
この本の中に、被曝による発がん率に関して、こんな既述がある。

『それは、国立がん研究センターが、福島事故の直後の4月30日に発表したものであり、シーベルトで示した放射線の被曝量と生活習慣を対比させたものでした。その内容は、驚くべきものです。毎日3合の飲酒と喫煙は、2000シーベルトの被曝に相当するのです。2合の飲酒や太り過ぎ、痩せ過ぎ、運動不足などは1000ミリシーベルトです。受動喫煙と野菜不足が、100〜200ミリシーベルトです。・・・ ところが、この国立がん研究センターの発表は、新聞やテレビではほとんど報道されませんでした。したがって、国民がこのきわめて重要な情報を入手できなかったのです。』

つまり、私達は、日常的に100ミリシーベルト以上を浴びているのに、多寡が1ミリシーベルト位で怯えるなんて、どうかしているってことのようだが、私もそう思う。

今では、こうした情報も簡単に入手出来るはずなのに、大臣発言に、理由もなく(宗教的偏見?だけで、)反対・非難する人達やマスコミ(新聞やテレビ、週刊誌)が多いのは、困ったものだ。

しかし、福島原発事故の当時、東電の故吉田所長が予想されたという、「東日本全域壊滅」が、なぜ、今の程度(チェルノブイリの1/7以下)で止まったのだろうか?
・・・ 私は、未だに不思議に思っている。



無限の話  「三月二十三日」
『無限の話 ジョン・D・バロウ著 松浦 俊輔訳 青土社 2006年5月 2刷 ¥3、024』 (購入¥200税込み)

この本は、比喩・暗喩・直喩・引用・代弁など様々な表現を使って、ある事柄「無限」を説明しようとしているらしいのだが、端的に言えば、シツコイ!ダサイ!ウザイ!(笑)
例えば、
完全無欠の誤解 無限大を単に非常に大きな数と考える、無理もない傾向がある。無限大は、自分で考えられる数よりも少し大きいだけで、手の届く範囲の直ぐ向こう側にある。虹のたもとのようなものだ。ただ、無限大のややこしいところをきちんと理解するには、無限大は単なる大きな数ではないことを見きわめなければならない。それはどれほど大きかろうと、いずれ有限の数(たとえば124,453,567,000,000,000,000,000,000,000,001)とも、質的に(ただ量的にではなく)違う。この、無限大はとてもとても大きな数にすぎないという考えは、たいていの人が抱いているらしい。無限大は、どこまでも数えていった勘定にすぎず、自分で考えられる最大の数にさらに少し足したものと考えれば近いと思いたくなる。』
とまぁ、こんな話が延々と続くのだから、途中で読み疲れてしまう!
(特に、「翻訳」が悪いわけでもないようだし)

この本の始めの辺りは、丁寧な説明のように思っていたが、どうやらこの“説明の廻りくどさが無限に続く”ようなので、途中で飽きちゃった!
この本で、私の得るもの、身に付くものは、殆ど無いだろうから、もっと別の説明書を求めようと思う。



日本化するアメリカ  「三月二十一日」
『日本化するアメリカ ボーイ・デ・メンテ著 蓮田 利文、天川 由記子共訳 中経出版 1986年11月 1刷 ¥1、500』 (購入¥108税込み)

この本には、米国が、日本国の真似をする部分が多くなった来た様々な事象から、「日本化する」と見ている。
だが、もうそれも“今昔物語”で、米国に真似されて来た「日本の特質」が、本家の日本では逆に失われて来ているから、皮肉なもんだ。

私は、米国自身が持っている日本のそれに似た潜在的な能力や気分が、膨らんで来ているだけではないかと思う。
荒っぽく見れば、世界の国々も同じような傾向にあると思う。
文化の爛熟期には“マイルドさ”や“優しさ”が強調され、“ギスギスさ”が嫌われるのだ。
やがては、何処の先進国の人達も、そうなって行くのではないか、ただ、日本は、それらに先行して居るだけではないかと。

他方、昨今の米国は、大統領候補の人柄にも見られるように、(本音をはっきり出した)“ギスギスさ”への復帰願望があるようにも見える。

この本は、今の日本人が失い始めている特質を、改めて見直す上で参考になる良い本だと思う。
ただ、幾つかの項目で、現状とはミスマッチな個所も出て来ている。
例えば、「教育ママ」の項では、現実は、著者の予想・希望とはかけ離れた状況になっていることなど、読む側の留意や批判が必要ではある。



日本列島は沈没するか?  「三月十九日」
『日本列島は沈没するか? 西村 一、藤崎 慎吾、松浦 晋也共著 早川書房 2006年7月 1刷 ¥1、800+税』 (購入¥200税込み)

この本は、著者達が最初に断って居られるように、「本書はエンターティンメントである。しかしフィクションではない」という。
一種の教養小説として読んでもよいそうだ。

最新の地球科学技術の知識を基に、どんなことが進めば、この日本列島が海に沈没するだろうか?という想定で、様々な解説と仮説を挙げてある。

面白いのは、場合によっては、日本列島は逆に隆起する可能性すらあるという。
順当な日本沈没仮説では、フィリピン・マリアナ海溝下で大陥没が起きて、それに伴って東日本が二〇〇〇メートル以上沈むのだそうな。
もし、それが急激に起きれば、日本のみならず、環太平洋諸国は甚大な被害が起きるのは間違いないが・・・
この本では、日本の沈没の話に限っているので、その対応には、日本人や機材が活躍することにするそうだが、果たして?
日本沈没」や「ハイドゥナン」という小説以上の小説は、出来上がるかな?(笑)

日本沈没の話はさておいても、昨今日本列島周辺で頻発する地震や津波に対して、観測網は充実してきているけれども、地球や地殻そのものを弄って、それらを防ぐ方法が無いのが、私達人間属の弱いところ。
尤も、そんなことをしようものなら、「勝手に、地球を弄るな!」って、世界から非難轟轟だろうけど。



いらつく二人  「三月十七日」
『いらつく二人 三谷 幸喜、清水 ミチコ共著 幻冬舎 2008年3月 1刷 ¥1,400+税』 (購入¥200税込み)

このお二人の「むかつく二人」は、前に読んで、大変面白かったので、これも買って来た。

やはり、これもお二人の掛け合いが、面白い♪
それぞれにご自分達の欠点や長所、体験や希望などを素直に出すことがお出来になるので、ヘンな衒いや気負いも無く、お互いに突っ込み易く、また受け流すことも自在にやって居られる。

話の流れの中で、その一部分だけ取り出しても、何の面白みも無いだろうが、つい笑ってしまった下りは、

三谷 あ、でもちょっと「怖かった」のニュアンスが違いますからね。僕らが見た清水さんの怖さっていうのは、「壊れちゃった」っていう怖さですからね。
清水 「壊れかけのレディオ」(笑)?そんなん、イヤだ〜。・・・


「壊れちゃった怖さ」って一体どんなのだろう?と想像しながら、芸が出来るお二人の話だから、何となく分かるような気もするから可笑しい。

それとか、似ているという話で、
三谷 ホリエモンには「似てる」って言われたことはないですけど、「高須クリニック」の院長っていうのはね。
清水 あ! ほんとうだ、似てる! 高須さんが、ものすごく整形なさるじゃん。それが、どんどん三谷さんに・・・・・(笑)
三谷 僕に近づけてるのかなあ?
清水 (笑)失敗してるってことじゃない?



日本国憲法  「三月十五日」
『日本国憲法 「写楽」編集部編集 小学館 1991年5月 26刷 ¥777+税』 (購入¥108税込み)

いよいよ安倍内閣&自民党は、「日本国憲法」の改正に向けて動き出したようなので、私も考え方を整理しておきたいと思っている。

ネット上では、色々な形(法務省・素文)で見ることが出来るが、やはり活字になっているものも手元に置きたいと思って、これを買ってみた。

面白いことに、活字として、しかも振り仮名を振ってあると、如何にも“麗々しく崇高な文章”に見えるから妙だ|不思議だ。(苦笑)
だが、内容を正しく把握する為には、ネット上の素の文章の方が、数段良い!と思った。

というのは、憲法(前文)は、飾り立てた美しい小説文か詩文ではあるが、論理性・実用性の無い、謂わば筋や骨の無い空虚な文章だということが歴然と分かるから。

前文には、「目的は何、その手段は何、というのが、ごちゃごちゃになっているから、子供達に、ちゃんと説明が出来ない」というお粗末な文章なのだ。
だから、逆に「頭の良い子供達は、憲法改正が必要だと思っている」という報告を、さる教職員集会で報告していた教諭も居たそうだ。

まぁ、子供達に教える場合、例えば、次のような設問を出して、どう答えるかを示せばよいだけなんだが。
問い:後の文章を読んで、次の括弧の中に出来るだけ簡潔な言葉で「目的」を入れなさい。

・・・ 日本国民は、[  ]、この憲法を制定する。・・・

参考文章正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、

実は、この参考文章の中には、「主とする目的」が何処にも無いことに気が付くだろう!
強いて入れるとすれば、「われらとわれらの子孫のために」となろうが、それは「必要」だが「十分」ではない。
入れるならこうだ!
私達日本人種が、豊かで安寧な生活を永続的に享受するために」だ。
その手法や手段などは後回しだ!そして、世界平和なども私達が力を付け、それに寄与出来るようになってからの話だ。

しかし、昨今の「憲法学者」連中ってのも、今までこんな幼稚で支離滅裂な文章で、異論も立てず平然として居れたものだ。まったく、無責任なもんだ!



愚直に勝る天才なし!  「三月十三日」
「世界一の町工場」オヤジの哲学 愚直に勝る天才なし! 清田 茂男著 講談社 2010年7月 1刷 ¥1、300+税』 (購入¥200税込み)

日本人技術者なら、この著者のように在りたい!こうあるべきだ!と思うだろうな。
私も、そう思った!
この本の中には沢山の話があるが、私がこれだ!と感じたのは、次の三つ。
 『特許だけで守られるものは二流』
・・・ 常に、他人が真似出来ないものを
 『世の中のために尽くせ』
・・・ 仕事は、広い意味での社会貢献
 『引っ掛かりがなくて素直に動くものはダメ』
・・・ 人間の在り方も同じ

3項目は、著者の実体験で、小さなバネを仕込んだ微小プローブが、電気的導通が無くなる瞬間があることから、このことを重要視されたという。

私は、これとまったく別だが、関連した話があることを思い出した。
それは、「摩擦」の存在だ。通常、動くものでは、摩擦は少ない方が有り難いのだが。
もし、世に中に「摩擦」というものが無ければ、随分スムーズに物事が進むはず!?
・・・と思うのは早計で、先ず物を掴むことが出来なくなるし、普通に歩くことすら覚束なくなる。

だから、有って当然の物なら、それをどうやって少なくしたり、多くしたりするかを工夫するのが、「次の仕事」になるわけだ。
ところが、若い人達は、そうしたことをちゃんと教わらないのか、「摩擦」や「抵抗」などがあると直ぐ、“ヤ〜メタ”になるらしい。

先般、内申書に“万引きした”と誤記(?)された中学生が自殺した話があったが、すべき「次の仕事」が「自殺」だって? ・・・ 家族や周りから、一体何を教わって来たのかな?と思ってしまう。



草原の風「上、中、下」  「三月十一日」
『草原の風「上、中、下」 宮城谷 昌光著 中央公論新社 2011年10月 1刷 各¥1、600+税』 (購入各¥200税込み)

久しぶりに、この著者の本を読んだが、やはり面白い!
実は、早くから上巻と中巻は買ってあったのだが、(安価な)下巻がなかなか見付からなかったためだ。
というのも、読み始めたら一気呵成に読んでしまう性癖なので、全巻が揃うまでロックしていたからだ。

閑話休題。
この本に登場する名君・光武帝劉秀公)は、あまり紹介されて来なかったのではないか?という点で、日本の豊臣秀長公と似ているように思った。(個人的な感じだけ?)
まぁ、歴史には、「激しさ」だけが残り易いし、“マイルドな善政”などは、なかなか“面白い話”にはし難いからだろうけど。
人間はどの民族でも、昔から「血筋」というものを重んじて大切にして来たが、この本で、シナ・中国では氏(漢族?)が主で、氏が従として描かれている点は、興味深い。

その「血筋」と言えば、先日、「国連女子差別撤廃委員会」とかいう連中(委員長は誰?)が、日本の皇室・皇位継承にまで、いちゃもんを付けようとする話(産経ニュース:2016年3月7日)があったそうだ。

この連中は、各国・各民族・各種族の現状や実態やその重みも知ろうとも、分かろうともせずに、単純に自分達の“乏しい知識”や“劣悪な判断力”を基に「男女平等の結果だけを要求する」という。
こんな連中・委員達には、
「もっと、色々な本を読み、歴史を知れ!そして、現実を学べ!
そして、「結果だけの男女平等」がどれほど弊害が大きいかを考えよ!。
例えば、競技で、同じ種目を、男女混成で同タイムで競争出来るか否かを、よーく考えて見よ!」
と教え諭したいものだ。(まぁ、馬耳東風だろうけど!)



「見えない資産」の大国・日本  「三月九日」
『「見えない資産」の大国・日本 大塚 文雄、R・モース、日下 公人共著 祥伝社 平成22年10月 1刷 ¥1、600+税』 (購入¥200税込み)

最近、色んな面で、私達の住む日本の「良い特質」を何とか探さねば!と思うようになった。
この本は、そうした点で、探すヒントを多く与えてくれるのではないかと期待しながら読んでいる。

実は、私の個人的な懸案事項は、孫達に「汗して働いて収入を得る安定した平和な生活や家族や地域や国=社会」を残してやれるかということだ。

今の日本国は、「色々な不都合な現実」が、次第に蓄積・増大して来ているから、将来が不安なのだ。
その集積が、「日本国の借金(=国債残高)の増大」となって現れているのだと思っている。
国が借金をしなければいけないってことは、私達国民が自分で働いて代金・代価を支払わなければいけないのに、それらを全部?一部?国・政府に肩代わりさせているわけだ。
それは、私達自身が価値のある働きをしなくなったこともあるだろうし、働きの効率が悪くなって来たからでもあろう。
逆に、効率の悪い働き方でも、それに応じた生活で喰って行ければ、借金などはせずに済むのだが、現実は、収入は減り続けているのに、贅沢はしたい、もうそれは止められないといった状態なのだ。

昔は、働くことが「日本人の美徳」だったのだが、今は「面白く遊ぶ生活」が優先される。
遊び呆けながら借金が返せるなら、それに越したことはないのだが、それは無理というものだ。
それなのに、一部の連中は、何を勘違いしているのか、“せっせと働く”なんてのは「自分の好みに合わない話」だとか「ダサイ話」のようだ。

それで、気が付いたのだが、今や海外訪日観光客による観光収入が数兆円にもなるそうだ。
これなど、観光客の狙いは「日本に昔からある風物」が主だから、(一部の働く人達以外は、)私達日本人は、額に汗せずして収入・外貨を得ていることになるわけだ。

働かない”と言えば、「イクメン」とか「育児休暇」とかを“正当な理由”(?)だとして、仕事をサボることに何の違和感も感じない連中が増えて来ているのも、「日本国の借金の増大」と大いに関係があると思う。

これからは、嫌でも、多くの人間達が、“働く人達におんぶだっこ”の社会になって行くだろうし、その(選ばれた)“働く人達”にシャカリキになって働いてもらわねばならないだろう。
私の孫達には、その“働く人達”の側になるように育てたい!と思っている。



優雅な長期投資  「三月七日」
『優雅な長期投資 澤上 篤人著 実業之日本社 2005年10月 1刷 ¥1、400+税』 (購入¥200税込み)

この著者の経営する「投資信託」は、結構、高率で好調だという話を何処かで読んだ記憶があり、興味が湧いたので買った来た。

やはり、理屈は、株価は大きな超長期的な波(上げ下げ)と長期的な波があって、それを巧く利用すればよいという話。
今は、(2005年時点では)超長期的な波は底を通過して上昇中なので、これからは、中期的な「上げ下げの波」を考えながら、株価が安くなる時に「株」を買って、高くなったら売ればよいということらしいが。

まぁ、仰る通りなのだが、一番難しいのは株価が下がって行く時、もうこれで停まるか?と思いきや、買ったら更に下がるのが常なので、なかなか買えないまま、やり過ごしてしまうのが素人なのだ。
逆に、売る時も、かなり手前(6、7合目辺り)で売ってしまうから、その後で上がると悔しい思いをするわけだ。

この著者の手法(“安くなる時に買い込んで、高くなって儲けが出れば売る−ただし、この逆は、ご法度!”)がマスター出来れば、きっと儲かるのだろうな!と思う。
だが、先般からの「日本の株価」の急激な下がりを見ていると、「株式市場」の方は、この著者が禁じている(プロ・アマ問わずの)「パニック売り」が多過ぎるように思えるが。(苦笑)

巷には、申年は株価が荒れるという話があるが、もしかしたら、これは「プロ」がアマ化する(つまり新人がプロデビューする)時期に当たっているのかもしれないな!などと勝手な想像している。



人生の棋譜 この一局  「三月五日」
『人生の棋譜 この一局 河口 俊彦著 新潮社 1996年1月 1刷 ¥1、600税込み』 (購入¥200税込み)

この著者の本は、以前に文庫本で読んだことがあり(既述)、結構、面白かった記憶がある。
でも、今のせかせかした気分で読むと、話題が盛り沢山なので、なかなか読み進められず。勿論、この本が悪いわけではないのだが。

今、『羽生はなぜ敗れたか』の項を読んでいる。
この頃の羽生氏は、初めてタイトルを取った時で、その後の竜王戦で谷川氏に四勝一敗で負けて、竜王の座を明け渡してしまったそうだ。
その原因を、この著者は、まだ羽生氏は若く、そのポジションや社会の重みに気後れがしたのではないかと、分析している。

その連想で、フィギュア・スケートの羽生君を思い浮かべたのだが、これからマスコミ界に持て囃され始めると、一気に力が落ちるのではないかと気になる。
そうなると、もう実力以上の力は発揮されなくなるだろうし、世界の競合者・強豪達には勝てなくなるだろうと思う。その時には、さっさとスポーツ・アスリートなどを辞めて、プロ界か芸能界などに転向してしまうのかもしれないが。
スポーツ選手には、レジエンド葛西氏のような人物は稀で、そう長く続けられるものではないらしいからなぁ。

それに対して、将棋界の羽生氏は、様々な(山谷を)経験した上で、まだまだ意気軒高なようで頼もしい限りだ!



日本株100年に1度の波が来た  「三月三日」
『日本株100年に1度の波が来た! 武者 稜司著 中経出版 2013年6月 5刷 ¥1、400+税』 (購入¥200税込み)

この著者の、日経平均が4万円にも騰がるってのは、多少オーバーだろうし、その根拠として先進国の株価がリーマンショック以降約2倍になっているから、日本も1.5万円の2倍、約3万円+アルファ位には騰がるだろうとの読みではないか?

まぁ、「株価」なんて、一種の人気度みたいなものだから、今までの日本は、宣伝が少な過ぎや大人し過ぎで、余り人気が出なかったのだろうと、思う。

私は、この著者が盛んに煽って居られるように、日本の経済は、大声で“良くなる!きっと、良くなる!”と皆が大声で叫んで居れば、きっとそうなると思う。
だから、例え自信が無くても、良くなると信じて騒ぐべきだ!(遠慮していたって、誰の得にもならないからだ)

この著者が挙げられている傍証として、頻繁に行われた欧米の経済施策や金融施策がある。
彼らは、リーマンショック以降、打てる手は何でも打って来たから、回復は速かったそうだ。
他方、日本では、やたら“溜め息”を吐くばかりで、積極的な手は何も打たず、皆も、自然回復待ちのつもりで、じっと我慢するのが当たり前のようになっていたわけだ。
民主党政権時代には、「デフレ・スパイラル」が“(愚か者の)勲章”(?)みたいなもんだったからな。

それに、最近では、米国の日本抑圧傾向が、シナ・中国の所為で緩くなって来たそうだから、安倍首相の積極経済・外交施策も左程米国から抑圧を受けなかったし、これからも日本には追い風になるだろうというのが、この著者の読みだ。

積極的と言えば、今米国では次期大統領選びで大騒ぎだが、私達日本人の考え方が卑屈なのには困ったものだ。
トランプ氏が米大統領になったら、対日政策はどうなるんだろ?”ってな心配をしている人、多過ぎ!
それは逆だ!むしろ、積極的に“仲良くして、私達日本を助けよ!”と、安倍首相に言わせる|言って貰うつもりで居なければ!
何時までも、“他力本願”では、ダメだ!米国からも、相手にされなくなるぞ!ってこと。



談合しました  「三月一日」
『談合しました 加藤 正夫著 彩図社 平成17年3月 1刷 ¥1、300+税』 (購入¥200税込み)

私は、「談合」は程度もので、やり過ぎ|やられ過ぎは“国庫の無駄遣い”になるが、「官製談合」などの言葉もあるように、それをしなければ入札・発注・実施が“上手く出来ない”ということもあるそうなので、「必要悪」だろうと思っている。
そんな思いもあって、この本を買ってみた。

この本には、全編に渡って生々しい談合の実情が描かれている。
この著者は、談合が犯罪であるという認識を持っているから、最後は談合を無くしたいと、色々な案を挙げられているが、やはりどれも「有効な解決策」にはなっていないように見える。

私は、日本には、体力の無い中小企業や零細企業が多いし、皆を生き延びさせる必要性から、「談合」は止むを得ないことだと思う。

そうした(受注側)企業群が、継続的に存続して行くためには、それぞれが、むらのある受注や仕事の仕方になってしまうと、「安定した経営」や「事業の継続」が難しくなるからだ。
もし、実力のある企業一・二社ばかりが、毎回落札してしまえば、他社の多くは落札・受注が出来なくなり、その地域や事業領域から離れざるを得なくなるわけだ。

他方、発注側にすれば、常に競争力のある(仕事が欲しい)業者が群がるという前提があっての「入札」なのだ。

だが、そんな望ましい「事業」ばかりではないだろうし、その「事業」に群がる業者が少なければ、入札もままならず、おしまいには、数少なくなった(同じ)業者に発注せざるを得なくなるのは明らかだ。
だが、毎回同じ業者への発注は、禁止されているはずだから、発注側(の担当者)は困り果てるわけだ。

だから、日本の「談合禁止」には、“日本の業者の実態”を考えない「厳しい必要条件」を設定したことに問題があるのだと思う。


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