[表紙頁]へ 我楽多苑 別亭]へ
物事追及集 二〇一六年七月版



松本人志の怒り(青版)  「七月三十一日」
『松本人志の怒り(青版) 松本 人志著 集英社 2008年10月 3刷 ¥1、048+税』 (購入¥200税込み)

こちらの方は、[赤版]と少し感じが異なり、やや“シモネタ系”を多く混じり込ませてある。

男性なら笑って済ませられても、女性には受けが良くないだろうなと思うが、著者はお構い無しに書いている点、ユニークかも。
(尤も、“シモネタばかり”の下品な雑誌や芸人達は、私の好みには合わないが、まだ其処までは行ってない)

それに、話題の領域がかなり狭くなっていて、社会全体に対する「怒り」というより、「個人の好み」に属する話が多いので、ちょっと面白みが少ない。
“ふ〜ん、そんな見方も有るんか?!”という程度に留まってしまう。

買って損をした・・・と言うほどでもないが、買う前なら止めておいたほうがいいかもしれないと思った。



隠される原子力  「七月二十九日」
『隠される原子力 核の真実 小出 裕章著 創史社 2011年4月 5刷 ¥1、400+税』 (購入¥200税込み)

私は、「エネルギー源の分散化」が上手く行けば、「核技術」は最後まで捨てられないが、「原発」は自然消滅するのではないか?と考えているのだが、(今の)原発反対論者達には、“甚だ、無責任な夢見論だ!”と反感・反発を感じている口だ。

実は、現核廃棄物を何とか上手く処理する方法を、早く見付け出さないと、どんどん汚物が溜まるばかりなので、この本がその技術的助けにならないかと思ったのだが。

生憎、この著者は、原子力技術で飯を喰っているにも拘わらず、抽象論的で単純な反原発論つまり、核技術は反対だ!害がある!怖い!何も対策が出来ていない!こんなことでどうするのか?って話)を吹聴しているだけで、新しい核処理方法汚染防止・回避対策などの提案は、何も無いらしい。
曰く、
まったくこの国はなんという国なのでしょう。他国に核を持ってはいけないというのであれば、自分が米国の核の傘に隠れてもいけません。本来なら、軍事力でなく諸国民の公正と信義に信頼して安全を守ろうとした国です。・・・』とか。
・・・社会構造を変革し、エネルギー中毒から抜け出すためには、まず私たち一人ひとりがしっかりと自覚することが大切です。・・・
だそうな。(苦笑)

これを読みながら、どれもこれも、自分達の国のこと!ではなく、自分の仕事は何か?ではなく、“他人がやってる拙くてどーしようもないネガティブな結果”の話ばかりではないか!と思った。それで、
つい・・・あんた!核技術者だったら、もっと研究すれば、核処理方法は改善出来る!とか、こうやれば、核は怖くない!とか、もっと具体的でポジティブな話は出来ないの?・・・って言いたくなってしまった。

この本、ベストセラーらしいから、現実には、こうした“(技術に詳しいが技術者としては不誠実な人物の)核恐怖論”に惹かれる人も多いってことなのかもなぁ。(苦笑)



(世界初!)プログラム革命  「七月二十七日」
『(世界初!)コンピュータウイルスを無力化するプログラム革命(LYEE) 根来 文生著 日本地域社会研究所 2014年11月 1刷 ¥2、500+税』 (購入¥200税込み)

“ウイルスを無力化する”という副表題に釣られて買ってみた。
・・・読んでみたが、よく分からない。
狙っていること、やりたいことはある程度分かるし、ちょっとした“プログラミングの違い”でそれがやれれば、結構なことなんだが。

実は、この本では「生命作用」だとか「自覚関数」だとかの新規(珍奇?)な用語が色々出て来るのだが、その実態がさっぱり分からず。

もし、プログラムに「生命作用」を作り込んで、目的的に“ウイルスを排除する”という機能を持たせるなら、そりゃ、今皆が目指している「人工知能AI」構築と同じものではないかな?
その定義や、実装方法の違いだけなら、別に「世界初!」と書かなくてもいいのでは?と思ったり。(苦笑)

まぁ、私の頭が、そんな難しいことには、もう付いて行けないってこともあるが、自分が読んで分からなければ、自分の役には立たないってことだから、この本も早期処分対象だ!



松本人志の怒り(赤版) (続々)  「七月二十三日」
『松本人志の怒り(赤版) 松本 人志著 集英社』 (承前

国民投票」のことについて、この著者は、まことに思い切った発言をして居られる。(笑)
私も同感なのだが、質問者に答えて、これほどまでに明け透けに否定論を表明する/出来るのも、やはり、日本には言論の自由がある!ということだろうな。
因みに、鳥越俊太郎氏や田原総一郎氏などは、日本には政府からの圧力があって、言論の自由が無いと、私的記者会見まで開いていたようだが。嘲笑

私は、(自分も含めて)「衆は愚、集も愚」だと思っているのだが、昔から言われて来た「三人寄れば文殊の智恵」では、大勢集まるとしても「三人が最大限度だ」ということではないか。(笑)
それ以上になると、常に「烏合の衆」になるのがオチだ。誰も責任を取らなくて済むからだ。
議論をしても、「小田原評定」になり、何時まで経っても結論が出ないまま、ぐずぐずしている内に“成り行き”で、(他人がやったことにして)事が済んでしまう。
(ズルイ輩は、オレは反対だったのに!ってな言い訳で、涼しい顔をして居れる)

だけど、民主党政権の時の総理選びには、私達全員の“反対の声”を何とか通したかったので、「国民投票」もありかな?と思ったこともある。
ただ、今から考えれば、あの時は、国民の代表であるはずの国会議員達ですら、私達国民レベルの考動しかしていなかったから、“それなら私達国民全員による投票が必要だ!”と望んだのも当然だったかも。
だが、今は、“国民投票なんて、ちょっと考え物だな”と思う。



松本人志の怒り(赤版) (続)  「七月二十三日」
『松本人志の怒り(赤版) 松本 人志著 集英社』 (承前

この著者は、『内藤大介vsポンサクレック(世界戦:2008年3月)の項』で、『私達日本人も、日本人に有利なように「ホームタウン・デシジョン」をすれば良いんだ!』ということ説いている。他国では、自国選手に有利な「ホームタウン・デシジョン」が当たり前の世の中なのに!って。

私達日本人は得てして、(世界市民的に?)公平であろうとして、日本人選手には厳し過ぎる判定をする傾向があるという。
(正義の味方として?)世界から良く見て貰いたい/見て貰えるだろうという(浅墓な)思い込みで、わざわざ自国選手に不利な設定・判定をしてしまう癖があるらしい。

それが私達日本人の安全保障に関わることであっても、お構いなしだ!

・・・だが、現実には、それでは拙いんだ!
安倍首相や自民党は、未だに「憲法九条護持・改正反対派」の意見に気兼ねしているようだが、世の中は“皆に、良く吹く風など無い!”という西洋の格言の通りだ。
今、思い切って、“第二章第九条”は斬るべし!・・・と言うのが私達一般庶民・市民の考えだ。
改正反対派は、虫歯治療の前の麻酔注射を“チクリ”とされるのが嫌なだけだ!
共産党や敵の連中に、“虫歯治療は、痛いぞ!痛いぞ!”と脅かされて、治療をするのをヒステリックに嫌がる子供みたいなもんだ。

日本国首相”は、果敢な改憲決断をし、(夢想家の夢物語風な)『手段』でしかない“憲法九条”は思い切って削除すべし!
その代わりに、新たな『目標』として、「われらは、まず日本の安寧と平和の維持に力を尽くそう!さらに、その先に世界平和を目指そう!」という条文を盛る。
そのついでに、具体的な『手段』として「日本国の防衛力・国防力の強化」という項を入れればよいだけだ!



松本人志の怒り(赤版)  「七月二十一日」
『松本人志の怒り(赤版) 松本 人志著 集英社 2008年9月 2刷 ¥1、048+税』 (購入¥200税込み)

この著者の本は、以前読んだ記憶があって「まぁまぁ読ませる内容だ」って思ったのだが、その記録は残っていない。

この著者が、(芸能人、特にお笑い系であってもなくても、)「通常の日本人の倫理感覚」で、素直に書いておられるのだろうと思う。
ただ、並みの一般人なら発言を控えるようなことでも、ズバズバと言えるところは、この人の「良い持ち味」だろうな。

同感だ!と思った一節に、こんなのがある。クイズ番組の話に関してだが、

『 ボクは「知識がある人」=「頭がいい人」とは思っていないんです。もの知りの人は、知識があるというだけでおそらく安心できて「オレは賢い」と思っているのでしょうが、ボクは答えのないことを見つけ出す人のほうが偉いし賢いと思ってますから。 この時代、必要な知識はネットで調べたらいいじゃないですか(笑)。』
でも、そんな“クイズ番組”を一心に見ている人達は、自分達の頭を試すのと併せて、(他人である)出演者達の頭の程度を比べて楽しんでいるのだろうし、まぁそんな人生もあるさ!と大目に見てやらねば。(笑)



いま「ゼロ戦」の読み方  「七月十九日」
『いま「ゼロ戦」の読み方 日下 公人、三野 正洋著 ワック出版部 1998年4月 1刷 ¥1、600+税』 (購入¥200税込み)

「いま」と言っても、既に20年前に書かれた話だが、2016年の今読んでも、なるほど!と感心させられる、大変厳しい(「ゼロ戦」に対する)見方だ。

純国産だとはいえ、部品の一つに至るまで、元は全部外国製品のコピーだし、心臓部の「栄エンジン」などは、米国ライト・サイクロン社から特許と工作機械を買って造ったものだそうだ。

では、何が優れていたかと言えば、海軍がその時代の仕様より1・5倍か2倍の性能を「計画要求書」として出したこと、それを、故堀越二郎氏が、素直に実現したことだという。

初戦から暫くは華々しい成果を上げたため、その後はフォロー無しで使い続けられたのが、いけなかったようだ。
相手に弱点を見抜かれた時点から、「ゼロ戦」の凋落が始まるわけだ。

これは、私達日本人の「押し続ける」粘り強さが無く、直ぐに「へたり込んでしまう」弱さが問題なのだと思う。
穀類を主食とする農耕民族特有の(低エネルギー種族・人種)が持つ資質に起因するのだろうと思う。

本来なら、戦争が継続すれば、元の「ゼロ戦」仕様に留まっていれば、敵の新しい機種に負けるに決まっているのに、それをしなかった/出来なかったのが、日本の、日本人の弱さだろうな。
やはり、私達日本人にも、ルーピー鳩山のような、しつこさ、しぶとさが、常に必要なのかもしれない。



まんが 日本昔ばなし 101 (続)  「七月十七日」
『まんが 日本昔ばなし 101 (続)川内 彩友美編 講談社』 (承前

この本の最後の方に、傑作な話があった!(図2<クリック>
それは、働き者に変身した夫婦と、その家に住み着いていた貧乏神と、後から来た福の神の話だが。
通常の話なら、福の神が来てメデタシメデタシ!となるのだが、どうも最後がヘン?(笑)

昔話が101話あって、そうしたメデタシ!の話も幾つかあるのだが、これはちょと妙だ!
福の神を追い返して、貧乏神を居つかせるのに、夫婦が力を貸すなんて!?

どうも、これは昔話ではなくて、新作噺のようなものではないかと思うが、確かめようがないし、ま、その気も無いが。
それにしても、これを子供達に読んで聞かせて、「これでいいのだ〜♪」と教えるべきなのか、それとも「もっと頑張れ〜♪」と言うべきなのか、迷う処だ。(苦笑)

やはり、この噺は、小さい子供達には、説明が難しいから、不適だ!
・・・むしろ、「成人に達する直前の若者達」に話して聞かせるべき話ではないか?



有機ELのすべて  「七月十五日」
『有機ELのすべて 城戸 淳二著 日本実業出版社 2003年2月 1刷 ¥1、600+税』 (購入¥200税込み)

私は、電流を流して活性化(例えば、光らせるとか、音を出すとか)するモノは、無機物か無機化合物しか無いと思っていたのだが、そうした旧い知識(自己常識)は、やがて「液晶」などの出現によって崩れることになった。
だが、その「液晶」とてパッシブな役割しかしていなくて、発光体そのものは、バックライト側の蛍光ランプやLEDが受け持っているわけだから、「有機EL」なんて“実用化はムリ!ムリ!”と(頑迷に)否定的だった。

でも、「有機EL」の現物を、au Kyocera DIGNO ISW11で見て、もしかしたら?実用化は、可能かな?と思い始めた。
そこで、もう少し詳しく知りたくなって、この本を買って来て読んでみた。

問題・課題は、“発光効率”と“寿命”が、実用的な範囲にまで引き寄せられる/伸ばせられるかどうかだ。
否定的に見ているのは、有機材というモノは、整然と原子が並んでいるとはいえ、所詮は「高分子群」だから、その脆弱性は、結晶構造の無機材とは比較にならないという点だ。

だが、この本によると、「材料の純度」や「膜の緻密さ」を高めると、色々な不具合は、改善出来るとのこと。
確かに、そうした方向での追求・研究なら、“改善”が期待出来るかもしれない!
「有機EL」に対しては、(少し懐疑的な)「有望株」として期待していようと思う。(狡?)

これを、「日本の民主主義」と対比させるのは、ちょっと無理筋かもしれないが、ごった煮状態の有機材料を、高効率・長寿命にするには、それの高純度化しか手は無いのではないか?それには、憲法改正とそれを担当させる代議員・国会議員達の精選が最初だ!と思う今日この頃。(笑)



怖くて眠れなくなる科学 (追)  「七月十三日」
『怖くて眠れなくなる科学 竹内 薫著 PHP研究所』 (承前

読んでしまってから、”へ?これは記憶に残して置かねば!”と思ったのが、「故ガリレオ・ガリレイ翁」の話。
昔、様々な本で読んだ限りでは、「地動説」を唱え当時の宗教と対立し、異端審問に掛けられ罰を喰らわされた人物として知られていたはずなんだが、この本では、そんな状況ではなかったという。

彼は、お世辞が上手で、世知に長けた人物で、敢えて罪になるような発言や立ち回りをすることは無かったそうだ。
それでも、出版した「天文対話」の中で唱えた「地動説」の話が大騒ぎになって、二度ほど裁判を受ける破目になったが、「宗教に対立した科学」などという大袈裟なものではなくて、神聖ローマ帝国とローマ法王との争いの“とばっちり”でガリレオが罰せられたと言うのが真相らしい。

どちらの裁判の判決も形式的なもので、二度目の判決では、罰は友人貴族の屋敷に預けられただけという、大甘の処分。
全くの捏造話ではないにしても、怪しげな「科学の歴史」が今にまで伝わって来ているのは、怖い話だ。・・・これではおちおち眠れやしない!(笑)

そいや、シナ・中国の捏造歴史文学“南京大虐殺”や幻の九段線?産経新聞記事)や韓国の“戦地売春婦記念像”なども、後世代に、どんな風に残って行くのか知れたものではない・・・と思うと夜もおちおち・・・。(苦笑)



SQL(ポケットリファレンス)  「七月十一日」
『SQL(ポケットリファレンス) 朝井 淳著 技術評論社 平成12年11月 6刷 ¥1、980+税』 (購入¥200税込み)

今まで、何か良く分からなかったし、興味も無かったSQLについて、この本をさらっと見て、どんなものかが初めて分かった!

要は、データベースを扱うための「非手続き言語」であって、「コマンド(命令)」や「関数」を備え、BASICなどの「手続き言語」の中に埋め込んで使うものだそうだ。

データベースの中に、後からデータを追加したり、その中から指定した範囲のデータを取り出したりするのに適した「コマンド」や「関数」が備わっているようだ。
実際に、SQLを必要とする場面になれば、「コマンド」などは、BASICのそれらにも良く似ているので、使い方で迷うことは少ないだろう。

問題は、SQLが必要になる事があるかどうかだが、当面、当苑では無さそうだ。


怖くて眠れなくなる科学  「七月九日」
『怖くて眠れなくなる科学 竹内 薫著 PHP研究所 2012年6月 1刷 ¥1、300+税』 (購入¥200税込み)

この本は、“怖い”とは何か?から始まって、人の科学的な知識の限界辺りにある“「未知の事柄」に対する色々な恐怖”に触れている。

この中で興味深かったのは、SF映画などで「人間が生身で宇宙空間・真空の中に出たらどうなるか?」という話だ。
大抵は、真空の中では身体が破裂する!とか、目玉が飛び出るぞ!と脅かされると、真空って本当に怖いものだ!と思うかもしれないが、実は違うんだ!との解説があって、“なるほど!”感心させられる。

それとか、原発事故や放射能被害では、やたら皆が恐怖を感じているが、実は重要な点は見逃しているのに、どうでも良い事象や言葉だけに恐れ慄いて、一部の人達だけで騒いでも、それが次第に蔓延するそうだ。
(・・・「恐怖」は伝染するってのは、やはりあれが“一種の病気”だからかもしれない。苦笑)



ナノフューチャー (終)  「七月七日」
『ナノフューチャー 20世紀の産業革命 J・ストーズ・ホール著 斉藤 隆央訳 紀伊国屋書店』 (承前

この本の読み始めで、「ナノ・テクノロジー」の目新しさに惹かれ、“将来の凄い社会”を思い描きそうになったのだが、読み進める内に、次第に「この技術」の適用範囲が、かなり制約されるはずだということに気が付いた。

分子や原子に近い所まで迫った、あるいはコントロールされたモノは、生み出せるかもしれない。
だが、「ナノ・テクノロジー」は、「長距離」や「多量」といった領域には、左程有効ではないからだ。

例えば、ナノ級の超スーパーコンピュータが作れたとしても、その処理データをナノ・プリンタで出力したって、人間の眼では読めやしないし、打ち出された図面も実用的ではないわけだ。

結局、ナノ・マシンを効率良く働かせたいなら、それらの閉鎖環境(社会?)の中でしか有効ではないし、逆に人間の役に立たせたいなら、必ずナノ・マシンと人間との(無駄で巨大な?)インターフェースを用意しなければならないわけだ。
つまりは、「ナノ・マシン」ってモノは、小さいという制約があるから、それが上手く使える領域は何処か?そこでは、どのような形や構成が望ましいか?を考えるって話だ。
謂わば、「ナノ・テクノロジー」が「テクノロジー」の全てではなく、それは「テクノロジーの発展枝」の一方向だってこと!

そのことで、つい、“(日本国憲法第二章第)九条の護持”の話を思い浮かべてしまった。
戦力放棄”なんて、平和欣求の“ひとつの案”に過ぎないし、それが現実には“ベターな案”ですらないのに、その“案”が全てだ!と思い込んでいる人達も世の中には居るわけだ。
ただ、その“案の護持”は、その本質とは関係無く、「面倒臭さ」、「気弱さ」、「狡さ」や「卑怯」などと簡単に結び付くから、平和な世の中では“嫌味な大きい勢力”になる怖さがある。
18歳になった若い人達は、そうしたこともちゃんと認識して、今回の参院選に参画して欲しいものだと思う。




初めてのAndroid (続)  「七月五日」
『初めてのAndroid (続)  エド・バーネット著 日本Androidの会監訳 長尾 高弘訳 オライリー・ジャパン』 (承前)

SQLとは何か?を知りたかったので、第9章の『SQLを使いこなす』に期待したのだが、(悲しいかな)読んでもさっぱり分からず。
ここで分かったのは、SQLiteは機能十分だが極く小さなプログラムだってこと、ライセンスフリーだってことくらい。

まぁ、元の表題が『使いこなす』だから、基本がちゃんと分かった上で使え!ってことだろうし、入門者の私が不平を言えた義理ではないのだが。(苦笑)
そう思いながら、(準備をしておく)「義務」と(教わる)「権利」との話を反芻していた。
というのは、色々な場面で、自身が為すべき「義務」よりも、(只要求するだけの「権利」の方を優先するケースを良く見聞きするからだ

ま、それはそれとして、此処では私自身が「SQL入門」からちゃんと基本を学ばずに、兎に角潜り込んでみようとしたのだから、我乍ら厚かましいわけだ。

やはり、次のステップは、いきなり“SQLを学ぶ”のではなくて、“SQLを必要とする状態を作ること”ではないかなと思っている。

幼少の頃なら「好奇心」、「向学心」だけで学べたのだが、年齢が進むと“必要性を感じない”と、なかなか学ぼうと思わない、出来ない傾向があるからだ。
そして、その必要性も感じなくなったら、もう先は無い!(苦笑)



産経が変えた風  「七月三日」
『産経が変えた風 ウェーブ産経事務局編 産経新聞社 2001年12月 3刷 ¥1、238+税』 (購入¥108税込み)

私が「産経新聞」の「真面目さ」や「追求力」を知ったのは、実はネット上の記事群からだ。

それまでは、「朝日新聞」の妙な記事や社説に疑いを感じながらも、新聞紙批判をしていたのだが、ネット上で「産経新聞」、「読売新聞」、「毎日新聞」、「朝日新聞」、「東京新聞」、「日経新聞」、「共同通信」などの記事群の“比較読み
”を始めてから、「朝日新聞」の「書く偏見(や無知)」と「書かない偏見(や無知)」を知って、もうこれはイカン!と新聞紙の購読は止めた。
今は「産経新聞」のみだが、これが、これまでの予想に反して、紙面全般に渉って面白い!ことを知った

この本は、『「朝日」と比べてください』と書いてあったので、興味を惹かれて買ってみた。

読んでみて、大方は賛同出来る意見や話が多いが、中には「産経新聞」が、世の中を読み間違った話や出しゃばり過ぎた話(とその反省?)も書いてあって、やはり全部が全部「正論」ではないことも分かる。(笑)

例えば、「小選挙区制の導入の件」だ。
“政治と金”の悪弊を減らすために、中選挙区制を廃して小選挙区制にしようとした時、産経新聞は、盛んにそれの尻押しをしたそうだ。
だが、それによって、今のように“国会議員の質”が、更に落ちる/落ちたことには気が付かなかったし、今でも気が付いていないのではないか?と思うが。

“政治”は、政治家の資質(智力や実力)の方が重要で、“お金の問題”など二の次だ!と、世の中を啓蒙すべきなのに、他紙と一緒になって騒いでいた/いるのは、どーかと思うがなぁ。(苦笑)
まぁ、これとは別に、「憲法改正」について堂々と意見を披瀝している/出来るのは、やはり「産経新聞ならではの矜持」からだと思う。



まんが 日本昔ばなし 101  「七月一日」
『まんが 日本昔ばなし 101 川内 彩友美編 講談社 2007年10月 27刷 ¥2、800+税』 (購入¥108税込み)

先回、(私が)くさした西洋童話「幸福の王子」は、同じ貧乏や貧乏人に対する「思い遣り」でも西洋風で、如何にも大金持ちが「施してやる」っていう感じが見え見えなのだ。

だが、この本にあるような昔の日本の貧乏や貧乏人は、自分達(のご先祖)のことであり、それも近隣・隣人同士の話であり、まだ今でも“リアリティ”を感じることが出来るだろうと思う。
いや!現実の私達日本人は、既に“そうした感性”も、無くしてしまっているかもしれないが

こうした昔話は、親から子へ、子から孫へと(口伝えに)伝えられて来たように思うが、今ではどうなんだろう?

この本は、そうした昔話を集めてあって、一話一話が短く纏められているから、飽きっぽい子供達にも継続的に読んでやり易いし、また子供達自身なら気に入った話を何度でも読み返すのではないかと思うが。

中の「挿絵」も、ギトギト脂切ってはいなくて、淡白で、ユーモラスで、大人でも愉しめる!
子供達が幼少の内に、こうした話や絵を沢山見せておくと、“好ましい人格形成”に大いに役立つと思う。



[表紙頁]へ  関連記事の目次へ