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物事追及集 二〇一七年十一月版



子産(上、下)  「十一月二十七日」
『子産(上、下) 宮城谷 昌光著 講談社 2000年10月 2刷 各¥1,700+税』 (購入各¥200税込み)

この本も、以前に読んだことがある。
今回、改めて読み直してみたいと思って買って来た。
ところが、妙なことに、今回はちっとも面白くなかった。

上巻は殆ど、子産の父、子国の話ばかりで、なかなか子産自身の“活躍の姿”が現れて来ないのだ。
むしろ、この小説は、中国古代−春秋時代に、「晋」と「楚」に挟まれた「鄭」という小国の股ぐら膏薬的な"在り方”全体を、満遍なく淡々と(散漫に)描いているように読める。
下巻でも、子産はほんの脇役の感じで、華々しい活躍ぶり?はあまり見られない。
にも拘らず、政治家としての階位は、どんどん上がって行ったという話だ。
ある人物の丁寧な描写...ではなくて、乱れた世の事件群だから、筋が通った素直な話ばかりではない。

私の読み方が、ワクワク感を期待していた所為(せい)もあって、この小説に物足りなさばかりを感じた。
最後まで読み切ったけれども、読み終わるまでに、随分時間が掛かってしまった。



CQ誌 2015年4月版  「十一月十三日」
『CQ ham radio CQ出版社 2015年4月 1刷 ¥898+税』 (購入¥100税込み)

久しぶりに、電子機材店の店頭にあった中古のCQ誌を買ってみた。
2年前の4月版だが、多分内容はそれほど古びて(?!)はいないだろうし、どんな無線機の広告が出ているのか、見たいと思った。
やはり、メーカ製無線機は凄い!百万円を越えるものがある!(ゲゲッ!)
もう、“貧乏アマチュア”が、無理して手を出せる範囲を、完全にはみ出してしまっている感じで、“アマチュア無線”も“庶民の技術”との乖離部分が無茶増したということか?(苦笑)

私は、遠・近距離局との交信(ソフト)よりも、むしろ飛ばない自作無線機(ハード)を作って/弄っている方が楽しい部類なので、そうした高級無線機が欲しいわけではないが、どんな項目が実現されて来ているかについては、興味がある。
メーカ製品では、“周波数スペクトル表示”や、“ウォーターフォール表示”機能などが増えて来ているようだ。
こんな機能は、パソコン(PC)のソフトと組み合わせれば、割合容易に実現出来そうな気がするが、無理なのか、それとも難し過ぎてアマチュア的には無理なのかな?

以前、SSTVを、普通の無線機とPCソフトの組み合わせで、やっていたことがあったが、そんなのは無いのか?と探したら、この誌に、『SDR(Softwere Defined Radio)入門』という記事があった。
ネット上にも、様々な関連サイトがあるようで、手繰って行くと、「ワンセグTVチューナ」を改造して、HF帯にも使えるらしい(icomサイト 「online とーきんぐ」など)ので、もっと掘り起こしてみたい!

興味深かったのは、別冊付録の方に「アマチュア無線局数」について、「カムバック・ハム」による局数の増加があるという話。
ハム人口は衰退一方で、一時は関連団体の存亡も危ぶまれたこともあったらしいが、現在まだ40万局強が存在しているというから、無くなってしまう分野ではなさそうだ。
(私は、もう廃局してしまったので、多少後ろめたい気はするのだが)



蒼き海狼  「十一月三日」
『蒼き海狼 火坂 雅志著 小学館 2001年10月 1刷 ¥2,000+税』 (購入¥200税込み)

鎌倉時代、日本の北九州を襲った蒙古の軍勢を、鎌倉武士達が追い払った...というか、実態は、立ち向かっただけらしいし、むしろ、台風などによる、蒙古側の自損の方が大きかったというが、その実情について興味があったので、この本を買ってみた。

だが、90ページほど読んで、面白くなくて、読むのを止めてしまった。
説得力が無いというか、人物(達)の話(思想と行動の間)にギャップが大き過ぎて、鼻白んでしまう。
北方 謙三氏の(独自に創作されていて強烈な印象を与えられた)小説を読んだ後だけに、特にそうした感じを強く受けた。
荒唐無稽な話なら、それはそれで納得して読むのだが、“(資料に基づく)史実”なら“史実”として書き分けて欲しいのに、何処までが“史実・真実”で、何処からが“虚構”なのかが判然としないのが面白くない。
それに、元の動機から推測すると、なぜ、そんな唐突な行動が出て来るのか?良く分からない。ギャップがあり過ぎるのに、兎に角納得しなさい!と強要されているような感じが強くする。...それが、結構不快なのだ。

私が、「歴史小説」では虚構(だけ)よりも、その時代々々の“人々の生活”の直ぐ側にあった“事実・現実”を掘り起こして欲しいと思って読む場合が多いので、装われた偽の/作られた歴史などはあまり好まない。
だから、当時の人々の心や感覚・行動を、現代のそれらに置き換えてしまったら、(私にとっては)何の価値も無い。
尤も、SF小説などは、其処此処で魔法/魔術のような飛躍はあっても、全体としてちゃんと辻褄あわせが出来ているから、面白くてよく読むんだが、“歴史小説まがい”は、やっぱダメだな。


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