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物事追及集 二〇一八年一月版



『古代からの伝言』  「一月十七日」

『古代からの伝言 八木 荘司著 角川書店 平成15年1月 1刷 ¥1,600+税』 (購入¥200税込み)

この著者の本は、以前にも読んだことがあるが、それも今回のも、日本・古代史に関して、新しくかつ説得力のある説を展開されていて、興味深く面白い。

日本の古代の “国”について、“邪馬台国論争”(邪馬台国が何処にあったか?“台”(の旧字)は、実は“壱”(の旧字)の間違いではないか?など)に、未だ決着が付いていないと聞いているが、この本ではその辺りの解明が、見事に、そして分かり易く為されている。

“女王卑弥呼”や“壱与”(の旧字)の登場する時代は、奈良・大和には、2つの勢力が勢力を競いつつあったとしている。
奈良北部から京都・滋賀に掛けては、“女王卑弥呼”を首長とする連合体勢力があって、海を隔てた隣国の“魏国”と国交・朝貢をしており、一方南側には九州から東征して来た神武天皇神日本磐余彦尊かむやまと いわれひこの みこと)”の勢力が伸張しつつあったという。

丁度、シナ・中華側では、“諸葛孔明司馬中達らが活躍した三国志の時代”が終わりつつあり、“女王卑弥呼”側勢力が朝貢したり、援兵を要請した“魏国”(「魏志倭人伝」で有名な)の方も、司馬一族が権力を握り、やがては司馬中達の孫・司馬炎が、魏帝王から帝位を奪って西晋王朝を開く頃だったそうだ。

こんな風な“広い視野”で、日本の古代を読み解くと、随分、全体の状況が分かり易くなるものだと、感心した!
狭い範囲の事柄だけをチマチマ穿り返し論議して、これが日本の古代史だ!なんて言い募っている日本の学者らや学会は、もう時代遅れ品ではないかと、素人ながら思う。それに、古い用語や人物名を入試問題から外そうと画策している学者・研究者らも、勉学・研究に勤しまない木偶と化しているのでは?と思ったり。(苦笑)

この本は、帯にも書かれている「日本民族の歴史」とは何か、“日本の王朝”とは何かを考えるのに、大変有用・有益な資料だ。
また、昨今、日本では“憲法”ですら無視しつつある「民族」と、所謂“国民”なるものとは、果たして別物なのか?あるいは同じものなのか?を、問い直すべきではないか?!と思った。
それは、世界中で問題化していて、近くは“ロヒンギャ問題”、遠くは“東欧・米国での難民排除問題”などがある。



『主婦と演芸』  「一月九日」

『主婦と演芸 清水 ミチコ著 幻冬舎 2013年4月 1刷 ¥1,400+税』 (購入¥200税込み)

先日、場末(?)の「BOOK-OFF」で、この本を見付けた時、思わず“お久しぶり!”ってな独り言。
前に読んだ、彼女の本といえば、三谷 幸喜氏との対話集「むかつく二人以来だもんな。
その前に見掛けた本は「顔まね」とかいう写真集で、その時その本を買い損ねてから、ずっと(「BOOK-OFF」で)探しているのだが、まだ見付からない。
で、気に掛けていると、それ以外のこんな本が見付かるのだ。

この本、日記みたいなものだし、そうそう面白いネタが毎日転がっているわけでもないだろうと思うのに、読んでいると何処かしら/何かしら面白くて、“ウフッ、テヘッ♪”となる。
...○月X日
「ラジオで三谷幸喜さんをバカにしすぎ」、と注意を受けました、反省。...
のくだりは傑作。
実際、気をつけようとは思ってるのに、どうもうっかりすると、三谷さんとこぶちゃん(林家正蔵さん)だけは、身体のどこかですぐバカにしてるんです。どうしたらいいものでしょう。...
と続くが、後は放りっぱなし。既に、「むかつく二人」を読んでると/から、その辺りが何とも可笑しい。(笑)

...○月X日
日本の経済状態(2009年頃)が、芸能人達の楽屋弁当で分かると仰る。
昔は、豪華弁当が人数以上に置かれてあったのに、デフレが嵩じた時期には、世知辛くなって、人数分のおにぎり(しかも手作り?)しか無かったりしたそうだ。...でも、昨今では、同時出演の(雛壇)芸人らが多過ぎて、経費が嵩み過ぎるのが原因(重荷)になるのでは?
“枯れ木も山の賑わい”とかいうが、それらの“(雛壇の)枯れ木”達にまで食わせるような余分な弁当は無い?!(笑)

この本の途中で、「You Tube」で彼女の“ピアノ弾き語り/歌い物真似”などを見ていると、難しそうな構成なのに、巧みに演じて笑わせる。(それで、つい、見入ってしまったが)
ピン芸能人として、色々“ネタ探しや芸の工夫”もしないといけないだろうから、努力家でもあるようだが、やはり、根っからの“芸達者”ではないかと思う。
そいや、「むかつく二人」の姉妹版?で「いらつく二人」や「たてつく二人」などという本も出ているそうなので、また探してみよう。



『史記』 一(北方版)  「一月一日」

『史記 一(北方版) 北方 謙三著 角川春樹事務所 2008年9月 1刷 ¥1、600+税』 (購入¥200税込み)

この本は、漢の武帝(第七代皇帝)を中心として、周りの有能な軍人(衛青)と文官(桑弘羊)の、それぞれの活躍と生き様を描いている。
衛青らの胸のすくような“戦い”や地道な“熱意”(の生々しい描写)は、この著者の筆力によるものだろうが、ついつい読み耽ってしまう。

この巻で、史記を書いた司馬遷が、なぜ腐刑にされてしまったのか、なぜ、金銭で贖えるのにそうしなかったのか、のわけが書かれているが、“なるほど!そんな男の生き方もあるんだな!”と(納得は出来ないが、)理解は出来た。
私なら、きっと借金をしてでも、金で罪を逃れただろうなと思うが。
しかし、男性機能を失ったがゆえに、帝室奥内にまで入れたから、より“多くの詳細”を書き留めて、後世に残せたことは、ある意味では(残酷な)メリットだったのかも。

また、西方に派遣された張騫が「匈奴」に捕らえられた話も出て来るが、「漢」から目の敵にされている「匈奴」も、そちら側の立場では、むしろ「漢人」よりも素朴で、熱血漢も多い、普通の人間達として描かれている。
立場の違いで“敵”であっても、同じ場で生活すれば、同じ人間同士ということにはなる。
だが、やはり、色々な物事(人種や土地風俗など)の違いによる“争い”は、(適者生存・弱肉強食の意味からも、)避けがたい宿命なのかもしれない。

昨年末に、自民党の二階幹事長が、北朝鮮とも対話の可能性を探るべきだとの発言していたそうだが、そんな態度は止めた方が良い!
今の多くの日本人の心・精神の持ちようでは、“安易な妥協/誤魔化し”にしかならない。
またぞろ蒸し返されている「韓国人戦地売春婦問題」などは、そのひとつの悪例で、私達日本国民皆が、毅然として撥ね付けられる心・精神も無いまま、無意味で手っ取り早い“友好関係”話に走るだけだからだ。


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