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物事集 二〇一八年二月版



ドナウを越えて バルカンへ  「二月二十六日」

ドナウを越えて バルカンへ 杉野 圀明著 窓映舎 2017年6月 1刷 ¥2,000+税』 (購入¥200税込み)
これは、実に430ページにも及ぶ旅行記・紀行文で、著者自身が足で歩いて、直接見た風景や事物を丹念に記録してある。
この記録は、東ドイツ→チェコスロバキア→オーストリア→ハンガリー→ユーゴスラビア→ブルガリア→ルーマニアと、ヨーロッパ縦断コースの分で、学術調査報告の一環・一編だそうな。
各地域での観察目標物(?)は、一応、博物館や美術館らしいが、それに限らず、何でも彼でも、足の向く範囲で見て廻ろうという感じの記録である。
大半は、害の無い取り留めの無い話なので、読んでいて飽きるかな?と思っていたが、それ程飽きもせず、4〜5回に分けたが、結構興味深く読み続けられた。

でも、表面的な視察記だから、読んでいても“国毎の違い”などは、お金の換金率ぐらいしか印象に残らなかった。
“違い”を強いて挙げれば、著者も書いているように、ブルガリアでは、否定は首を縦に振る(肯定は横)という、一般常識とは異なる習慣の国もあるという話くらい。これも何時か何処かで聞いたことがあるような。

しかし、この著者は、“文学系学者”のご他聞に漏れず、“空想的平和論者”らしく、空論を披瀝している。
“再軍備しないと決めた日本だが、今は軍艦や戦闘機、そして大砲や戦車もある。また米軍の基地がある。このような状況では、戦争をなくし、世界の恒久平和を希求するという日本国民の歴史的役割を果たすことはできないであろう。 ...”
とまぁ、こんなご意見だが、“軍備”とは、(著者が幾度か遭っている)“スリ”や“チェンジマネー屋”に盗られたり、騙されたりしないための“現実的な知識や技術”と同じものであり、「自分達の身を守るための必要最小限のもの」だってことを、ちーとも学んで居られないようだ。
所謂、“戦争放棄”ってのは、自らだけでなく、相手方にもそれを強要する力が無ければ、まったく“文学的な言葉”でしかないんだから!



終わりなき戦い  「二月二十日」

終わりなき戦い ジョー・ホールドマン著 風見 潤訳 早川書房 2009年5月 14刷 ¥900+税』 (購入¥108税込み)
この本は、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞という米SF界では、一流で高名な“賞”を総ざらえだったそうだし、翻訳版の刷数も大変多いようだ。
でも、読んでみたが、ちーとも面白くなかった。

ベトナム戦争を模したSF小説だということだが、得体の知れない相手(怪物?)を、殺せという指令だけで、無神経に、いや多少は矛盾すら感じながら、殺戮するだけという話で、詳細に描かれているのは、主人公の側の活動・話ばかり。

面白い話は、こうあるべきだ!なんてことを、(一読者が)言えた義理ではないのだが、やはり、“SF”は科学的手法を盛り込んだ手に汗握る活劇か、ありそうな未来やとんでもない世界が描かれている方が分かり易い。
その中で、人間と敵生物との知力・体力のぶつかり合いや、思うようにならない自然を何とかねじ伏せる闘いなどが、あればSF小説らしいと思うのだが。
でも、この本は、何か独り善がりの感じばかりで、愉しめなかった。
まぁ、途中で止めればいいのだが、“傑作のはず”と書いてあるから最後の方まで読んだのに、結果は無残。
“大賞”って評価は、常には正解とはならな〜い。チャンチャン。



火星の人(上、下)  「二月十四日」

火星の人(上、下) アンディ・ウィアー著 小野田 和子訳 早川書房 2016年3月 9刷 各冊¥640+税』 (2冊購入¥216税込み)
久し振りに、早川書房のSF小説を買った。
以前、新刊(「異種間通信」)を買って(面白く無くて)失敗したのに懲りて、「BOOK-OFF」で安値になったものを選んだ。
(この本は、映画「オッデッセイ」の原作だということだが、その映画は見なかった)

中味は、勿論空想だが、ひょっとしたら有り得るかもしれないという内容が盛り沢山。
それというのも、(危険事故続きだった)「アポロ13号」の実例があるから、いずれの話もフムフム、へぇー!ナルホド!...と納得させられながら読んだ。面白かった!

しかし、ちょっと寂しく思ったのは、危機状態の米国NASAの支援に、日本ではなく、中国が出て来たことだ。まぁ、それも当然のことだろうけど。
世界の大きな流れの中では、日本はどんどん取り残されて行くのは、“現実”だからだ。

(高エネルギー開発・維持・改善技術力の必要な)“原発は止めよう”、(最先端技術開発力・資金力の必要な)“軍事力は持たない”、(今も続いている)“2位じゃダメなんですか気分”など、何もしない主義・寝て待て一本槍の日本の現状では、“後退り(あとずさり)”に近い状態だからだ。

(私達草食系日本人の)この傾向は、単に、“悔しい”とか、“何もそんな分野で競争しなくても...”という気分・感情的な話だけでなく、実は、日本民族がずっと“生き伸びられるかどうか”という問題にも関わっている。
まぁ、其処まで考えなくても、この本の主人公達(肉食系種族)のように、“普通に考えたら出来ないはずのことでも、懸命にやってみる努力を惜しまない”っていう姿勢を見習うべきでは?と思うのだが。(草食系には、やはり無理か)



ピラミッド,共産党  「二月八日」

ピラミッドの謎をハイテクで探る 吉村 作治著 講談社 1994年5月 1刷 ¥1,700税込み』 (購入¥108税込み)
「嘘ばっかり」で七十年 谷沢 永一著 講談社 1995年一月 3刷 ¥1400税込み』 (購入¥200税込み)
読んだのに、記録を残さないまま、処分・返納(BOOK-OFFへ)してしまうのは、何だか勿体無いので、今回は2冊纏めて書いておく。

吉村氏の「ピラミッドの調査」は、大変読み易かった。
それは、様々な活動が、科学的な考え方や手法がベースになっていて、門外漢・素人にも理解し易いからだろうと思う。
1990年代の“ハイテク”は、2018年の現在では、かなり古臭くなっているのかと思いきや、そんなことはないようだ。
コンピュータによる“後処理技術”の方は、相当に進んで来てはいるのだろうが、“センサーによるセンシング技術”の方は、まだまだではないかという気がする。
この本で知ったのだが、“宇宙線によるX線風写真”の手法は、欧米の科学者が(成功はしていないが)先行していたという。
以前、福島原発事故の後の溶融炉心部“を宇宙線での撮影する”という話を新聞で読んで、“世界初!?”と思っていたのだが、そうではなかったらしい。
その後、ピラミッドの内部の局所撮影を、日本隊が宇宙線を使って成功したということもあったそうだ。
私達日本人は、一般的に、先進性には欠けるけれども、“先人の功績”の後の、労を厭わない改善・改修努力は、大切な資質ではないかと思う。

谷沢(失礼ながら、私は、ずっと、氏のことを“やざわ”と読み違えていたが、が、“たにざわ”であることをこの本で知ったが、)は、この本で、(戦後70年間の)日本共産党の思想実態を、曝し出されている。
彼らは、過去から、(自分では考えられないから)他人・他国人の知識や行動パターンを借りて来ただけだし、またその“革命の方法や実行”も“他力本願/他人任せ”でしかないと指摘されている。
そして、“日本共産党は、既に宗教団体と変わりない”と断じて居られる。
現実には有りもしない理想の社会が、他人や他国の手によって実現されることを夢見て、現民主主義政権に楯突くことだけを身上としている。

(この本には無いが、私は)共産党のような反社会勢力が、(犯罪者らが無くならないのと同様に)多少は残存していることは、民主主義国では、止むを得ないことだろうと思うが、彼らが他国(敵)勢力に協力・支援して、自力では出来ない“日本破壊・日本征服”をやろうとすることに対しては、許す気は無い!
憲法改正や第二章第九条の改廃を望まない、シナ・中国や北朝鮮(・韓国もか?)に呼応して、憲法改正に反対する動きは、正に、宗教的信者、そのもので、私達一般日本国民には迷惑千万なものだ!
それにしても、私達一般日本人も、もう少し独立心自主心を持つべきではないか?!と強く思う今日この頃。



CD 200ケース 買い  「二月二日」

最近、諸作業中に、BGMとしてクラシックCDを、良く掛ける/聞くようになった。
手元の40枚を3、4周くらい掛けていると、飽きるわけでもないが、そろそろ別の盤も聞いてみたくなって来る。そこで、ヤフオク!で、“クラシック盤”をまとめ買いしてみた。(約100ケース¥4,600送料込み)

これらで、面白い発見をした。
手持ちのドボルザークの「糸杉」と、今度買ったシューベルトの「死と乙女」とが良く似ているのだ♪...一瞬、勘違いかと思ったが、やはり別物だが似ている!
どちらも、メランコリック調なので、気分を落ち着かせる時に良さ気だが、憂鬱な時には、余計に気が滅入るから良くないだろうけど。
それと違って、モーツァルトの曲は、(世に喧伝されているように)無難で、何時聞いても落ち着ける。
また、別の作曲家の同じ楽曲でも、演奏者や指揮者で、随分感じ(セカセカ感やゆったり感)が違うので、それぞれに楽しめる♪

これら“クラシック100ケース”に気を良くして、雑物(洋楽+邦楽+他)100ケースも買ってみた。(図2<クリック> ¥828送料込み)
これらは、殆ど売れ残り品ばかりらしいが...残念ながら、どれも、私の耳(?)には合わないのが多過ぎた。

取り敢えず、約40枚ほど1次予選で残してみたが、それとて、“美しさ”、“軽快さ”、“楽しさ”、“面白さ”、“奇抜さ”の点で、いまひとつ。
残りは、どれを聞いても、“ワン・パターン”で、やたらエレキ・ギターやドラム、シンバルを大音響で掻き鳴らす騒音でしかない!
つい、塀や壁・シャッターなどに為された汚らしい落書きペイントを思い出した。


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