独り言集 令和四年八月版
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神社巡り(II) 十一社 [2022/08/29] 

+++ 葛神社 +++

今回は、大和・都祁界隈の十一社を訪問・参拝した。
十三社の予定だったが、一社は見落とし、一社は道が細く、普通車では無理と判断して中止。

01−「国津神社」(奈良市都祁白石町580
02−「国津神社」(奈良市都祁甲岡町352
03−「雄神神社」(奈良市都祁白石町1668近傍
04−「都祁水分神社」(都祁友田町182
05−「葛神社」(奈良市都祁藺生町1
06−「都祁山口神社」(都祁小山戸町640
07−「琴平大神」(奈良市来迎寺町
08−「天照皇大神社」(桜井市小夫嵩方440
09−「菅原神社」(桜井市三谷468
10−「瀧蔵神社」(桜井市芹井299
11−「八王子神社」(桜井市修理枝80
(リンクは、神社、駐車場所や周囲道路状況の風景など)

葛神社」は、敷地は左程広くは無いが、何やら趣があって、清々しく素敵な神社だ♪(図1)
ただ、本殿後ろは、雨による土砂流れが気になるが...(ま、部外者が余計な心配をしても始まらぬ)(図2[クリック])

事前の「神社」の場所探しは、「Google マップ」と「カーナビ(NSCT-W61)」を利用した。(だが、"場所が特定出来ない時"、"道路図が無い時"の「カーナビ」は、全くの役立たず!)
今回は、急遽、スマフォの「Google マップ」の"ナビ機能"を利用してみたが、電波が届く範囲なら、役に立つ!
只、手持ちは(大変)危険なので、目下、固定する方法を検討中。


+++ 八王子神社 +++

山中の半分放置されたような「神社」への道は大変険しいが、狭い道しか無さそうな村内を(普通車で)通らせて貰うのもまた、気を遣うことだ。
この「八王子神社」は、その一つだった。

まぁ、人気の無いのを幸いに、そっと村内の道を通り抜けさせて貰って、「神社」近くまで来た処、かなりの急坂に出遭って、一瞬、怯んだ!

しかし、「Google ストリートビュー」で見た公民館の屋根に気が付いて、(ブレーキを踏みつつ)思い切ってダイブ!(?)
今回、一番緊張した瞬間ではあった。

結局、下の公民館前の広場に駐車した後、徒歩で息を切らして登って行って、「神社名」を確認し、階段上の拝殿前で参拝。(図3)
撮影も済ませ、横の道から下りて来たら、村内の風景が広がっていた。(図4[クリック])
稲田には、穂を垂れた稲が収穫を待っている。

...これからは、"収穫作業"の邪魔になるだろうから、「神社」を探して村々の道を走ることは、そろそろ注意して、避けた方が良いかもしれない。


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一文字名の神社 四社 [2022/08/25] 

+++ 天神社、他 +++

滋賀県・甲賀地域の沢山ある神社を拾っていて、偶々、「天神社(滋賀県甲賀市甲南町野尻581)を見掛け、"一文字だけの神社名"は少ないかな?と、妙な好奇心が湧いた。

日本の多くの神社の名称には、大抵、二文字(「神社」を付すと四文字)が多い。
尤も、「三上六所神社(みかみろくしょ)」や「陽夫多神社(やぶた)」などのような"多文字の神社名"もあるが。

甲賀地方で、他に"一文字神社"が見付るかな?と探してみた。
あった! 「天神社」「櫻神社」「島神社」の三社(図2[クリック])あり、また、少し離れた地域(湖南市)に、「斎神社(いつき)」があった。

昨日(8/24)、それらを参拝するべく出掛けたが、
島神社(甲賀市甲南町下馬杉671)は入り口道路が工事で通行止めの為に入れず、
櫻神社(甲南町柑子(こおじ)は(カーナビの住所設定ミスで)見付けられず仕舞い。(結局、二勝二敗!?)
おまけとして、「もくもくファーム」内の「とんとん神社(?)」なる所を、一応、見て来た。
こんなのを見ると、「神社」の意味を再考してみなければならぬ。(苦笑)


+++ 斎(イツキ)神社の由来 +++

この神社名の読みは、難しい!(それに、覚えたつもりでも、半日後には忘れてしまう。恥)

この「斎神社(湖南市菩提寺1305)には、適当な駐車場が無かったので、村内の奥の空地に(そっと)無断駐車をして、(汗を拭いながら)歩いて行って、参拝。(図3)
先の「天神社」には、門前に広い駐車場があったが、こちらの周りには商業的建物が多くて、無断駐車は難しい。
(地域の「公民館」や「集会所」などであれば、ちょっとだけの駐車なら許して貰えそうだが)

社内の"由来書き"を拝見して、ウッ!(図4[クリック]
[...円満山少菩提寺ノ守護神トシテ建立ト伝エル。...]
何と、"守護神"だとは!?...尊崇すべき神というより、実は、"仏の従者xx神"と同じではないか!

...結局、日本歴史の早い段階で、"大和神(道)"が、"外来仏(教)"との"勢力争い"で、負けてしまった結果なんだろうけど、何かスッキリしないなぁ。
私的には、「神社の領域」が、随所で「寺院」に"横取り"されている風景を見るにつけ、それでも頑張って未だに存続し続けている「神社群」に、(僅かながらの)"声援"を送りたい。


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鳥見山公園 登坂 [2022/08/22] 

+++ 睡蓮 +++

先日、奈良・宇陀の「鳥見山公園」まで登ってみた。
(もう、私達の脚力が覚束ないので、車に頼って)
近頃は、車で狭い山道を幾度も登り下りしているので、慣れて来ているはずなんだが、やはり、狭い細い山道は、結構緊張を強いられる。
(登り道 YouTube動画」

公園の池には、綺麗な「睡蓮」(すいれん)が咲いていた♪
(図1、図2[クリック])
夏の花は、これまで、「百日紅」(さるすべり)や「紫陽花」(あじさい)に出会っていたが、「睡蓮」とは今日(8/20)が初めて。
葉や花が、少し"小振り"に感じたのだが、私の気のせいか?


+++ 鳥見神社 +++

この「奈良・宇陀 鳥見神社」の由来は、随分古いらしく、それ故か、「本殿」は随分立派な造りのように思えた。(図3 この様式は、「流造」だそうだ)
でも、通常の神社に見られるような(前に置かれる)「拝殿」が無いのは珍しい。
前庭の勾配が急なこともあって、敢えて設けなかったのかな?(図4[クリック])

此処の「賽銭箱」は綺麗だったので、確か..."入れた"はずなんだが、写真を撮るのに夢中だったこともあって、記憶が少々曖昧。
(箱に鍵が付けられていたりして、箱が活きているような所へは、必ず、僅かだが"寄進"するように心掛けているんだが)


+++ 檜原神社への参道入口 +++

StreetView車も四つ足、我が車も四つ足、越えて行けないわけがない!?(図6[クリック])
("鹿も四つ足、馬も四つ足、ひよどり越えの逆落とし"とは、ちょっと違うが。笑)
檜原神社」へのずっと手前の入り口に、狭い橋が架かっているのだが、此処を、果たして我が愛車(カローラ・アクシオ)が、越えて行けるか否かが、先日来の疑問だった。

それを今日(8/20)、「檜原神社」を再拝した後、逆から走って出られるか否かを試してみた。
(図5:ドライブレコーダ映像のワンショット)
...何とか、ギリギリ通れるみたい!得心した!(?)
しかし、此処を使うのは"最後の手段"であって、出来れば、他の道を選ぶべきだな。

尚、門前の「檜原御休処」は、今日(午後)は開いていた。(休業は火曜日)


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鈴鹿スカイライン 通過 [2022/08/14] 

+++ 小岸太神社 +++

先日、(一泊して)涼を求めるべく「鈴鹿スカイライン」を走った。しかし、単に、通過しただけ。

実は、途中に"駐車場"は沢山あるものの、景色が遠望・展望が出来る所は皆無で、殆どが、"登山者"用のものらしく、周りは木々で囲われていて、そこから登山口に繋がっているらしい。
結局、"展望を愉しみながらの涼(風)"は得られなかった、という(納涼失敗)話。

それとは別に、私の方は「神社巡り」の一環として、前日に、「小岸太神社(鈴鹿市小岐須町)」、「椿岸神社(四日市市智積町)」、「鵜川原神社(三重郡菰野町)」などを参拝して、一応の成果は得ていた。
(家人は車で待つというので、そさくさと、"2拝2拍手1拝"と"写真撮影"のみ!箱がしっかりしていれば、お賽銭の投入も)

小岸太神社」の前広場への(車での)乗り入れは、予想通り、大変緊張した!(図2[クリック])
Google Map」で紹介されていた写真の中に、駐車風景があったのが助けになった。(感謝!)
あの写真が無ければ、「桃林寺」横の狭く厳しい道へ突入する勇気が、湧かなかったかもしれない。
神社・拝殿横から眺めた本殿は、静かな山中にあって、質素だが"品"が有るように感じた。(図1)


+++ 椿岸神社 +++

椿岸神社」は"つばききしじんじゃ"と訓読みするのだそうな。(図3)
まぁ、そりゃそうだわなぁ!...日本古来の「神社名」は、仏教的な"音読み"は避けて当然だと思う。
何せ、外来の仏教・寺院に"自社の土地"を乗っ取られることの多かった「神社」にすれば、仏教は一種の敵だもんな。

「神社の祭神名」には、元々日本語音があって、それに適当な漢字を当てているから、幾通りもの漢字名がある。
例えば、「イザナギ」「伊邪那岐」「伊弉諾」、...など、『古事記』、『日本書紀』や"地域"によって、当てられている漢字は様々らしい。

私は、今は"仏教徒(浄土真宗)"ということになってはいるが、最近、何故か無性に"簡素な、古来の神社"に惹かれるようになってしまい、この処、週1回は、「神社巡り」をするようになった。
まぁ、地図で探して、"車で順訪する"のが面白いから、だけかもしれないが。

この「椿岸神社」には、「境内地拡張記念碑」がある。(図4[クリック])
境内に広い場所があっても、駐車場を造る余地が無くて、それは、余程の悲願であったに違いない。
そうした(駐車場の無い)「神社」も多くある。(以下の「鵜川原神社」もそうらしい)
此処には、道を隔てた向かい側に広い「駐車場」が設けられていて、私も、其処に停めさせて貰った。


+++ 鵜川原神社 +++

鵜川原神社」の門前には、そこそこ広い広場・空間があるにはあったが、どうも"通用道路"のような感じがしたので、其処は避けて、車は、「神社」側の狭い空間に停めた。(図6[クリック])

境内は奥行きがあって、木立のトンネルのずっと先に、拝殿が見えた。
家人は、エンジンを止めた車の中で待っているというので、そのトンネルを急ぎ足で抜けて、参拝して来た。

境内に、"由緒"が記された石板が建てられてあったが、私が興味深いと思った内容が2項目あり。(図5
 +戦没者の英霊二二○柱を祀っていること
 +明治三十九年に「神社合祀令」があったこと

何時の「戦没者」かは書かれていないが、恐らく、第2次世界大戦(/大東亜戦争/太平洋戦争)の時の兵役に出られた方々だろう。あるいは、もっと古くの日清戦争、日露戦争の時のことかな?
「神社合祀令」の話は、以前微かに聞いたことはあるが、それまでは、きっと「式内社、式外社の神社群」が乱立していて、国で面倒を見るには多過ぎたのだろう。
("式内社"というのは、「延喜式」に記載されている公式な神社という意味らしい)


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檜原神社・笠山荒神 山辺 [2022/08/07] 

+++ 檜原神社 +++

車で「神社巡り」を始めようとした時に、早くに思い付いたのは、以前から幾度も"山の辺の道"歩きの途中で参拝していたこの「檜原神社」だ。(図1

今回、「Google Street View」で十分に下調べをせず、カーナビが案内してくれる"遊歩道兼車道"からの道が唯一だと思い込んで、その道から入って、「神社」直ぐ横の空き地に駐車した。
(実は、正面の道の左側にちゃんとした駐車場が設けられていたのに、気が付かなかった。後で、現地の看板で気が付いた次第だが、矢張り、旧いカーナビの地図は、欠落に注意せねば!)

参拝を済ませてから、付近を眺めると、参拝者がちらほらとあったが、当日は土曜日の昼前だったのに、前の"茶店"(「檜原御休処」)は閉まっていた。(偶々か?)

帰り際に、ナビの地図では行き止まりになっている「神社」正面の道を、行ける所まで行ってみた。
しかし、道の両側に草木が生い茂っていて、どうも通行不能なような気がして、敢えて行くのは止めた。(図2[クリック]

そのまま引き返えしてしまったが、後日、改めてGoogle Street Viewで見直したら、車で通れそうな道がありそうだ。
これが使えれば、"遊歩道兼用の道"を使わなくて済むはず。
何時か、念入りに確かめてみたいと思う。


+++ 笠山荒神・蕎麦処 +++

檜原御休処」が閉まっていた所為でもないが、何だか急に腹が減って来た。
そこで、途中で見掛けた「笠山荒神」の"蕎麦処"の看板を思い出して、其処へ行ってみた。(図4[クリック]

コースとしては、帰り道を、折り返さずに、そのまま山へ登って行けば、「笠山荒神」の"表参道口"に到るが、其処には駐車場が無いので、更にぐるっと回り込んで駐車場のある"裏参道"に到着する。(図3)
笠山荒神社」の門前に、それに加えて、周り全体に"広〜い駐車場"があり、停める場所に悩むほど。(笑)

一応、先に参拝を済ませてから、「笠そば処」で、"ざる蕎麦"を注文。
やはり、未だ本格派の"蕎麦処"らしく、ちゃんと"蕎麦湯"が付いて来た!
(もし、付いていなければ、"冷水割り"で、"残りつゆ"も美味しく頂くつもりだったのだが、此処ではちゃんと配慮があった♪)
此処の"蕎麦+汁"は、美味い♪また、機会があれば、来よう!

帰りは、「笠そば処」の横を「天理ダム」の方へ下って行けば、「国道169号線」へ(簡単に)出られた。


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涼を求めて 運転 [2022/08/05] 

+++ 高野龍神スカイライン「R371」 +++

先日、地上が36℃とかの高温になるらしいので、高い処へ行けば、多少はマシかもしれないと、車で(奈良・和歌山)「高野龍神スカイライン」へ避暑に出掛けた。

確かに、上の駐車場(標高約1,300m)では、日当たりの良い処でも、なかなか涼しかった。
それに、晴れていて、景色も悪くない!(図1)
尤も、涼風があったので、それも加わってのことだが、思っていた以上に、快適♪

でも、コンビニで買って来たお握りで昼飯を済ませたら、後はすることが無くなって、直ぐに退屈して来た。
(昔なら、車を置いて、護摩壇山・山頂まで歩いたことだろうが、昨今の我々は、もうあまり無理はしなくなった)

それで、ナビに次の目的地として、「国道371号線」から分岐している「県道19号線」途中の「小川神社」、「八斗蒔峠」をセットして、(そろそろと)行ってみることにした。(図2[クリック]

ところが、この和歌山県「県道19号線」は、普通車(カローラ・アクシオ)で走るには、快適とは言えず、少し荒れ気味の感じで、落石があったり、路面上を水が流れていたり、道幅が少し狭かったりで、運転にかなり気を使わざるを得なかった。

結局、このコース、「小川神社」の直ぐ傍まで行ったにも拘らず、「神社」が見付けられず。
その後の道も、あまり快適そうにないので、其処から(とんぼ返り/Uターンで)「国道371号線」へ引き返してしまった。

後で、「Google StreetView」でコース(「私有林林道小森1号線」=「県道19号線」?)を辿ってみると、「小川神社」はちゃんと林の中に鎮座しているのが写っているし、「八斗蒔峠」から先の道も、それ程難路ではないようなので、頑張って「小川神社」を探したり、「八斗蒔峠」まで走り抜ければ良かったと、臍を噛んでいる。(事前に予習をしておくべきだった!)
(まぁ、この「アクシオ」は、ボディ周りに、未だ大きな傷などは無いので、出来れば、傷が付くような難路は避けたい、と思っているが)


+++ 湯浅・顕国神社 +++

「国道371号線」から、"龍神温泉"を通り抜けて、「国道424号線」「国道425号線」を経由して、"田辺-御坊"を掠め、"湯浅"に入った時、やはり1社でも「神社」を拝んでから帰りたいと、突然発作のように欲した。

ナビで探すと、幸い近くに、「顕国神社」がある。
山の中の道路と違って、勝手の判らない都会では、周りを沢山の他車に囲まれながら走るので、モタモタと成り勝ちだが、でも、今回も、難無く到着!
(多分、"慇懃無礼"までにはならないようにしながら、"慇懃に厚かましく"走るよう心掛けているからだろう。笑)

(偶々見付けた)この「顕国神社」は、全国的に有名な"湯浅醤油”の醤油醸造家らが建立した「神社」だそうだ。(図2[クリック])
そう言われれば、何処と無くそんな(目立たない処にお金を掛けてあるような)雰囲気がある「神社」だ。(図1)
村や山の中にある「神社」で、これよりずっと素朴な造り・構成の「社」を幾つも拝見しているから、余計にそう感じるのだろう。

家人は興味が無く、車内で待っているというので、(畏れながら、)エンジンを掛けたまま、クーラはそのままにして、参拝と撮影をした。
幸い、「神社」の前の道路には車が行き交っていたので、エンジン音・排気音は、殆ど目立(耳立?)たなかったと思う。もし、他の場所だったら、エンジンを掛けたたまま状態は、控えただろうと思う。



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神社巡り(II) DNA [2022/08/03] 

+++ 始祖の神々 +++

登彌神社(大和郡山)」には、日本人(のみならず人類?)の始祖となる「御祭神」の名が沢山挙げられている。(図1、図2[クリック])

古事記』の書き出しの一番初めの神は、「天之御中主神」で、その次が「高皇産霊神」と「神産巣日神」で、これら御三神はいずれも「独神(ひとりがみ)」であったと書かれている。
そして、この後、イザナギ、イザナミの二神が現れるまでの神々は全て、「独神」だったという。

こうした『古事記』の話は、通常の理解の仕方では、さっぱり意味が通らないので、通常は、"まぁまぁ、それは置いといて"...と、お茶を濁して済まされて来た。
しかし、これを生物学的な見方で解釈したら、どうなるか?...私の素人解釈だと、

天之御中主神」は、ほゞ(人に近いかどうかは不明な)形をした"単性生物"ではなかったかと、思える
その後に続く「独神」達は、次第に、益々人似た形になって来たはずだが。
しかし、やはり"単性生物"であったらしい。
当然ながら、その間には幾億年、幾千万年の"地球の自然"の営みの中で、生物達への様々な干渉があったことだろう。
生物達は、そうした"自然からの干渉"に、否応なく、懸命に対応して来なければならなかったろう。

そして、様々な自然からの干渉の内に、それらの生物の細胞内への「ミトコンドリア」の侵入と、「Y染色体」の発生・生起によって、"男性生物"(オス)が発生して、伊邪那岐(男性)、伊邪那美(女性)という二つの性に分かれて、継続・永続的に生存することが容易になったと解釈出来る。

...しかし、誰がどうして、そんな経過(歴史)を知っていたのか?
...実は、そうした自然からの干渉の多くは、「遺伝子(DNA)」(群)に情報として残されているのではないかと思う。
物理的な手法としては、地球表面の地層などの研究から、旧い世代の地球環境を知ることが出来るように、生物学的には「遺伝子」内に含まれた情報から、単細胞からの古い時代を推察することが出来るのではなかろうか。
古事記』(の神話の箇所)は、人(人間)が聞き得た(自らの)「遺伝子」からの微かな声なき声を「神の話」として聞き、伝え、それを書き記したのではないか。
モーゼの「十戒」も、そのひとつの例ではないかと思う。また、密教なども、「遺伝子」の声を聞く為の修行ではないか。)

未だ、現代の"遺伝子解析学"などでは、解釈出来ていないらしいし、そんなことをする研究者も居ないようだ。
でも、始めれば、"生物学的・古代神学論"といった新分野も開けそうで、"宇宙論"程に面白い分野ではないかと、勝手に想像しているが、こんなのは天才級の研究者でないと、とても無理!
(私の存命中に、何かそうしたことの"研究譚"を聞けると有難いのだが...)


+++ 大和神社・戦艦大和 +++

大和神社(天理)」には、本殿の手前脇に「戦艦大和」関連の資料館がある。(図3)
其処には、(今は昔の)「戦艦大和」に関する種々の資料、模型や写真などが展示されていた。(図4[クリック])
それを拝見しながら、色々考えていた。

展示物の中に、「戦艦大和」に搭乗していた将校達の写真があった。多分、この地域の出身者だろうが、皆40歳代で若い/いや若かった!
恐らく、その時点で、それぞれが"自分の職務"に身を捧げ、惜しまれながら散って行ったのだろう。

...それに引き換え、(今は老の)私はどうだろう?
若い人達への負担を減らす為に"高齢者の集団切腹"(!?)を勧められる世の中になっても、未だ生き長らえてしまいそうなのには、我乍ら困惑している。(苦笑)

生存定年制」や「安楽死」が認められず、老者は"社会の邪魔モノ"と言われながらも、"生き物"としては、兎に角、「自然死」までは生き続けねばならないらしい。
ただ、生物的男性としては、伊邪那岐・伊邪那美の時代から、生物的女性(達)を「先導・保護・救済」しながら、「子孫」を増やし「DNAを継承」して行くのが、本来の男性の役割だから、それを全うすれば、何時"命"を終えても良かろうと思っている。
その後は、"姥捨て山/爺捨て谷"でも探して歩くかな。(笑)


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