モグラの繰言 2010.03

“清湖雛” [0331]
もう半月ほど前になるが、娘・孫娘達と滋賀県・五個荘町の近江商人屋敷での“雛人形祭り”を見に行った時、“中江準五郎邸”では、大変素敵な“創作雛”の展示を拝見した。(左写真&<クリック>&展示品の半分
他の従来の内裏雛などもその豪華さ・多彩さには感嘆させられたが、この“清湖雛”は、“質素”だけど“気品”があり、甚(いた)く気に入った。
また、人形達を、湖水・湖畔に模した床のそこここに佇(たたず)ませていたのにも、“爽やかな雰囲気”を感じた。
近江商人達の家訓?「三方良し」の気概が、これらにも映(うつ)されているような気がして、(物事もまだよく分からないはずの/ことになっている生後六ヶ月の)孫娘を前に座らせて、破れたジーンズなどよりも、まずこんなのを先に気に入って欲しいものだと、そっと説明してやった。(当人は、人形達の方はそこそこで、こちらの顔ばかり見ていたが)

野次馬参加 [0327]
こんな言い方は失礼かもしれないが、最近増えて来た“強制起訴”を見て、“検察審査会”は、もしかして“野次馬連”(?)の集まりではないのかと思う事が多い。
多分、被害関係者の方達の心情を慮るあまり、“何が何でも他人(以前のJR責任者)を血祭りに上げないと済まない”ような気がしているのだろうが、本当にそれが必要な事なのか?
被害関係者達も、“悲しみに、静かに堪える”のではなくて、わぁわぁ騒げば気が済むのかな?(まぁ、ドバッー!!!の時代だしな)
事故 ってものは、努力/費用(コスト)を掛ければ減らせるが、幾ら費用を掛けても絶対ゼロには出来ないのだが、(無知を装って)それに眼を瞑っていないか?(“努力すれば、減らせただろう”というのは、単に一般論・結果論にしか過ぎないのに)
それと、検察が捜査した後を浚えて、起訴するための更なる材料集めや起訴に、“自費”ではなくて“皆の税金”が使われるって事を意識しているのだろうか?(あ、親方日の丸か!昔の国鉄の体質と同じだな)
もし、自分が自力で訴訟を起こして“裁判”までやらなければならないとしたら、あまりにも「コストパフォーマンス」(?)が悪くて、二の足を踏むだろうな。
尤も、死んだ者が生き返るならやっても良いが、残った者の“慰め”にしかならないなら、非生産/創造的。
(税金でもっとやって欲しいのは、捜査のための設備充実や研究・人材への大幅投資で、既犯罪の精査追求と冤罪の撲滅かな)

タコ(他己)責任 [0323]
近頃は、何でも自分/自分達の利益を損ねられると“賠償せよ!”と他人を訴える話が、多くなったような気がする。
“物事を為す時は、自己責任で!”とお互いに戒め合っていたのは、何時の時代の事だったのだろう?
“株”だって、元々は“リスク覚悟で投資する”が前提だったはず。株価が下がったからって、理屈を捏ねて他人のせいにするなんて、ふざけているとしか思えない!
天気予報が外れて損をしたからって、気象庁を訴えるようなもんだ。(いや、もしかしたら、やりかねないかな?)
(日本では、まだ“良識=自己責任の心得”が残っていると、思いたい...が

関心度 [0317]
毎回思うのだが、“内閣支持率”って仰々しく云ってるけど、ホントは“大衆の関心度・興味度”に過ぎないのでは?
何か国政関係の“(人気取り)イベント”があるか/やるかすれば、バーッと上がる/下がるそうだから、正に“関心・興味の有無”だろう。(マスコミは、無理にでも「支持率」にしたいようだが)
淡々と政治が行われている時は、あまり興味が湧かないのも事実だし、本来はその方が国にとっても良い場合が多いだろうと思う。
つまり、国事があまりガタガタ していない方が、物事がスムーズに行っているってことなんだが、マスコミにとっては、ニュースが無いから詰まらなくなり、売れ行きが落ちる心配があるってか?
(稼ぎを増やすために、無理にでも事件や訴訟を創り出すと言われている、何処かの国の弁護士達 を思い出した)

感想の自由? [0316]
東京都が青少年の健全育成を考えて、少しでも有害な情報を街中から減らそうと考えているって時に、(売れっ子の?)漫画家達が、何かを反対しているそうだ。(左記事)
だが、“表現の自由”だとか“芸術性”だとか云う近頃の話には、金儲け主義の商売根性的な“胡散臭さ”がプンプンする。
早い話、自分達の周りには“年頃の子供達”が居ないのだろう“親達の困惑・苦痛”なんて屁とも思わないようだし、逆にそうした子供達を食い物/飯の種にしたいと思っているらしいから、平気で“個々人の感想の自由”なんて云って澄まして居れるわけだ。
「慎み」なんて、もう今では「美徳」では無いのだろうし、昔の“チラリ♪”より、“ドバーッ! ”の方が分かり易くて、今はそれが“売り”なんだろうけど、その内描く事が無くなって、グロ ばかり?

資源保護? [0313]
最近、世間では“やれ、鯨を捕るな!”とか“やれ、マグロは獲るな!”とか喧(かまびす)しい。
“他人の事は放っておけ!”と言いたいが、僅かな根拠でも/真実でなくても、わいわい騒いだ方 が勝ち、ってところかな?
受け手側の言い分としては、資源保護が大事だと言うなら、石油資源なども、(人間の子孫も大事だと思うなら、)その対象にしてはどうだ?生物資源は、配慮すれば“再生”は可能だが、石油資源は使い切ったら“終り!”ではないのかえ?
まぁ、騒ぐ側は、“資源保護”などと云っているが、単なるご都合主義なんだろうな。
とは言え、声が大きい方が勝つのだから、受け側も大合唱すべきだが...ん?まてまて!別の意味で、日本も(飽満している)食生活を考えるべきかもしれんて!
調達食料の半分近くを、食べずに/食べ残しとして廃棄しているらしいから、摂食率をもっと高めるか、調達量をもっと減らすべきかもしれない!

弱者保護 [0307]
愛子内親王”の不登校の原因と対策が、気になる。
乱暴をする学童達は、誰彼なく“悪さ/弱い者苛め”をしているのだろうし、それが彼等の世界なのだろうが、被害者が“皇室人”の場合、大人達が手や口を出しても、是非、それを防がないといけないと思う。
皇室の方々は、国民自身にとって、大変重要な善側人格(?)(つまり、“日本人の良心側の象徴”)であって、国民自身が、(失礼ながら)大切に保護して差し上げないといけない存在だから。
(人間性の「良い半分」だけだと、世の中では、常に「弱い」)
以前は、“皇室の権威”などで、“皇室人”に対して周りが“不可侵性”を意識していたのだろうが、近頃はそんなものを屁とも思わない風潮が蔓延。(味噌もクソも一緒で、きちんと“けじめ”が付けられないのが増えたし)
もし、愛子内親王に“悪童連に、立ち向かいなさい!”と(叛意を)教示した時点で、大切な“善側人格性”を崩してしまうが、それは許されないのでは?
(近頃は、親が子供の保護者ではなくなるケースもあるようだが、意図的に社会全体で保護すべきか)

事業仕分け [0303]
四月下旬に、第2弾の「事業仕分け」が始まるそうだ。
しかし、これで搾り出せる“埋蔵金/税金節約”は、それ程大きな金額にはならないらしい。(もう、ショー的な意味しか無いのが、残念だ!)
となると、赤字国債を税収で補填し、解消しようとするには、増税しかないではないか!
しかし、増税を好む国民・大衆は居ない。やるとしたら、金額が大きくて抵抗数の少ない処を狙った大増税か?(だが、何処も抵抗は強大だろうな)
森永卓郎さんが言っているように、“相続税”を相続財産の50〜100%にする案が良いと思うが。
“子孫に、美田を残さず”と言った昔人も居たようだが、子孫が労せずして“不労所得”を手に入れるって事は、“”だと設定すれば良いわけだ。ちょうど今、国会で、鳩山さんが、“正義の味方?”になった政敵から、責め立てられているのと似た話なのだが。
そろそろ、責める側も、攻め方/攻める方向を変えて、収税の新案−「相続財産の国庫への強制寄付法案」でも出せばどうだ!(同時に、“持ち逃げ禁止法案”などの併設も必要か)

不真面目蓄財 [0301]
左記事のような独自調査は、どんどんやって欲しいものだ。(偶には、新聞の調査も、褒めねばなるまいて)
しかし、独立行政法人が蓄財をするなんて、呆れたもんだ。
大体、計画した予算が余ったら、次のようなことだ。
 +予算組みが、どんぶり見積もり
 +仕事が、きちんと出来なかった
 +仕事を、真面目にしなかった
 +仕事が、途中で無くなった
ところが、税金を使う場合面倒だからか?返納しなくて良いとなっているため、するに事欠いて“残った/余ったお金”で国債を買っているらしいのだが、不真面目極まりない。
仕事は、その内容と成果で見るべきだし、必要諸費用は、面倒だが、その都度払い出すのが筋。
もし、予算を使わないなら、当然払い出ししないだけの事なのに。
問題は、管理する側の財務省の手抜き馴合いか、更に、政府の怠慢にもある/あっただろうな。
他方、“いい仕事してる!”(成果を挙げた)部門には、きちんと褒賞(実務者には賞与、管理者には栄誉)を与えるべきだと思うが、どうだろう?
(やはり、“事業仕分け”だけではなくて、“事業成果の評価”なども、早く実施すべき)

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