モグラの繰言 2010.09
火事場泥棒? [0930]
ロシアが、また火事場泥棒 的な動きを始めたようだ。
二次大戦で、日本が降伏した直後に、参戦して攻め込んで来たそうだから、卑怯なやり方で北方領土を横領したわけだが。
以前は、“帝国主義的な領土拡張策 ”と非難されていたから、ロシアの良識のある人達は、何らかの材料で日本と取引をして、返還しても良いと考えていただろう。
しかし、今は彼地の世論は“もう、俺たちの物だ!”と、私利私欲ギンギンで政府を突き上げているに違いない。
今は、対中国問題で、日本は弱腰だし、ロシア政府もいいチャンスだと見たのだろう、恐らく、押せる所まで押してくるはず ・・・ と、ここまで書いた後、夕刊を見たら、左記事<クリック>の如くで、恐らく日本外務省の再三の抗議で、
取り敢えず、引いたように見える。しかし、今後も油断は絶対禁物だと思う。
また、北方四島を返還させる上で(相手方にも)良い口実になるようなネタを、探し出す事が肝要だろう。
戦略的? [0929]
「公の情報の公開」の必要/有用性は、時と場合によりけりだと思うが、またこれは、効果から見るとタイミングがヘン!...難を避けて船長を釈放したはず?なのに、また、火に油を注ぎたい!って感じだが。
これを「検察」や「政府」が、今、公開するのが、本当に戦略的に良いのかな?(左記事&<クリック>)
今の「検察」は、三権分立が名実ともに音を立てて崩れ始めているから、「政治」の言い成りにならざるを得ない苦しさは理解出来るが、だからと言って、あっさり証拠物件を公開して良いものか?
それに、「与野党」が、早く公開せよ!と騒ぐのは、真に国益を考えての戦略的な意図なのか?
政府は、(“船長の釈放”と同様な話なんだが、)“この情報”、または“情報公開”といった切札を、何故、中国との間の課題の交渉材料として使わなかった/使わない/使う知恵が無いんだろうか?(まぁ、策に溺れると失敗するそうだけれども、将棋も“駒の使い方”を間違えると、勝てる勝負も負ける)
“持ち駒”を、むざむざと無駄打ち(?)してしまうのは、勿体無い!とは考えないのかな?
正論 [0927]
何時の世の中でもそうだろうと思うが、“正しい事”というのは、常に相対的のものだろう。しかし、子供達への教育では、果たして何を“正しい物・事”として教えるべきだろうか?
また、彼らに“穏やかで平和な日々”を過ごさせてやるためには、どうしたらよいのだろう?(自分達だけが、今、平穏だったら、それでいいのだろうか?)
やはり、原理原則を柱にきちんと教えておくべきで、何も教えないまま放任したり、好き勝手に捻じ曲がったもの教えたりすべきではないと思う。
最近、頻発する違法・違憲行為は、“単なる一時的逸脱”だとか、“結局は、罰を受ける”などと誤魔化す のも、もう限界だ。
正すべき事は正し、罰すべき事は罰すべきではないか。
また、“まぁ、なるようになるさ!”、“そんな事、私は/俺は知らないよ!”と、“完全他人任せ ”
も有り..かもしれないが、同じ「他人任せ」でも、少しでも“自助自立の意識や見解”を持って、子供達にもそれを教えて行かないといけないだろうと思っている。(それは大変煩わしいし、喧しいことではあるけれども)
謝罪したの? [0927]
一体、この朝日新聞って、“何処の国/どちらの立場”の新聞なんだ?
これだと、“謝罪や賠償を要求した側”の表現だぞ!これを見て、一瞬「えー、日本は“謝罪”を認めたの?..で、“賠償”には応じるの?」と思ってしまった。
大見出しにするなら、まず、「首相、(理不尽な)要求には、応じず」とでも書いたらどうだ!(もし、菅首相の正確な発言が必要なら、記事中で書けばよいのに。それに、正確な表現は時として、詭弁や虚言を、本物らしく見せてしまう危険もあるのに)
偶々後で、産経新聞の第一面をみる機会があったのだが、そこには適切な見出しがあった。(左上記事<クリック>)
(成る程!産経新聞が時の政府などから嫌われる理由が、こんな風に意見をずけずけ言い過ぎる事にもあるのだろうな)
それにしても、マスコミ連は(選挙・政党・内閣など内輪の)支持率調査などが大好きなのに、「外交硬弱問題」でも、「三権分立廃止論」でも、どうして積極的にやらないのかねぇ。
世論が、どれだけクールか、あるいはどれだけ(無/有)感覚なのかも、良く解るのでは?(無実の日本人が、外国で逮捕されようが、国内で逮捕した犯罪外国人があっさり放免されようが、気にならない?)
(もしかして、“明日は、我が身”...っても、“んなの、明日ニュースになってれば、分かるさ!”なのかもしれないが)
喧嘩 [0924]
“売られた喧嘩は買おうよ”と書いた尻から、国の政府の方で先に、頬かむりで逃げ出されてしまった!あらまぁ!
「日本の国内法」で逮捕した船長を、ちゃんと裁かずに無罪放免だって?それも“政治情勢を鑑みての判断”だそうな。
何時から、「司法」が「行政」の代わりに政治判断をするようになったのだ?また、勝手な越権行為か?もう日本の司法も滅茶苦茶だなぁ。
司法ももっと毅然とした態度で、司法の仕事として対処すべきなのに!また、職責放棄か、はたまた事勿れ主義か?
それに、「行政府」の方は、(わしゃ知らんと)頬かむりしたまま、役目を「司法」に肩代わりさせたのか?(何と無責任な!三権分立なんて、最早誰も気にせず、名ばかりだな)
(子供達には、民主主義を、どう教えてやればいいんだ?)
どうも、我々日本人は、何事であれ嫌な物事は、事勿れ主義的に(自分勝手に)軽く扱おうとする性癖があるが、“相手もそれで軽く扱ってくれるはず♪”と勘違いしている節がある。が、世の中、そんなに甘くは無い!
もし、相手から、もう二三発喰らわせられたら、どうすんだ?それに、別の相手 も居るんだぜ。
一言でも二言でも(口)喧嘩する姿勢で、交渉すべき事はちゃんと交渉し、取引してからにすべきなのに!
世界からは、“一言も言い返せない馬鹿”扱いされているのに、その認識が無いほど馬鹿なのかねぇ。(ホント、悔しいなぁ!)
人質? [0924]
“油断大敵!”という言葉は、常に頭に置いておかないと、大変に煩わしい事を引き起こす。
民間人だからと云って、今“日本に喧嘩を吹っ掛けようとしている国”の中で、ビジネスが(政治的にも)安全かどうか配慮していないのは、如何なものか?(少し“のんびり”し過ぎていないか?)
他方、中国もやる事が汚い!民間人でも見分けが付かない場所を、仕事のために撮影していたからって、即逮捕はないだろう!恐らく、観光地で写真を撮っていたとしても、適当に“でっちあげ”て、逮捕・確保をすることだろうな。
明らかに、自分達の要求・強欲を通そうと、“人質・捕虜 ”として取ったものだと受け取れる。本当に、喧嘩を売るつもりか?!
(我々、根は弱虫だけど、売られた喧嘩は買おうじゃないか!)
義務は? [0923]
近頃は、「“権利”アレルギー 」に罹っているようで、“権利”の文字を見ると、痒くて堪らなくなる。
“権利”に対して、必ず“義務”が不文律として伴う事を、皆あっさり忘れて/知らぬ顔でいる話が多いからだ。
“権利≒要求”を言う前に、要求者が“義務は果たしたか?”を問うべきなのに、(恥も外聞も無く)まず“先に、権利ありき”だ。
先に「俺の権利だ!私の権利だ!」と声を挙げると、マスコミの力で同情票が集まるので、(“権利”に仮装した)要求 は、簡単に攻め取れるらしい。
特に、それが税金で賄われる場合には、受身になる政府や地方自治体側は、常に“拒否する悪者?”にされるので、防ぎ切れない。
“権利”云々を言う前に、“義務はどうした!”、“その義務をきちんと果たしたか?”を先に評価・議論すべきだろう。
沈静化 [0921]
中国は、国内統制に関しては(チベット問題などを含め)かなりの抑え込む実績を持っているはずなのに、今回の件に関しては、むしろ抑えずに、日本に対して“何か”の交渉材料として利用しようとしているかに見える。
それは、良き隣国として、また法治国家であろうとしている国としては、良識あるやり方ではない。
お互いに、国内法は、例え外国人であれ厳しく適用しているはず。(中国の“麻薬取締法違反(?)”で、日本人が死刑になった例もある)
中国での、妙に感情的なデモを見て、アジテータ達が何を狙っていて、どんな得があるのかを知りたいものだが、大騒ぎになる/する前に、中国政府は、良識ある府ならば、ちゃんと国民を統制・誘導して、沈静化させて欲しいものだ。
勿体無い! [0919]
最近、教育面で、保育・幼稚園児達に強い関心があるのだが、「ヨコミネ式」に限らず、あちこちで強化教育をされているらしいのを聞いたり見たりすると、心強く思う反面、もっと大きな波・うねりにならないものかと、何時も気を揉んでいる。
今日偶々、新聞の番組の紹介欄「試写室」で拝見したのだが、それを見て、“何で、こんなのを、深夜にやるの!?”と叫んでしまった。どうして、ゴールデン・アワーにやらないんだろう?勿体無いねぇ!30分構成のちゃんとしたドキュメント番組らしいのに。
(ネット上には紹介があるし、いずれYouTubeにも上がってくるだろうけど、一般のどれだけの人達の眼に届くものやら)
誰が、何を考え、どんな事情で、こんな所に組み込んだんだろう?多分、色々事情があって・・・ もしかしたら・・・ なのかもしれないが、それにしても、視聴者の少ない“真夜中の埋め草”にするようなものではない!と思うが。
(出来れば、もう一度、ゴールデン・アワーに放映し直し貰いたいものだ!)
よかったか [0916]
これを見て、“何が、よかったの?”って思ってしまった。
民主党代表選挙を、外野から眺めると、我が国の首相選びに、正規選挙権の無い人達にも投票権があるらしいのに、大問題にもしていない事(問題視は産経のみ?)や、大きな改革を期待していたのに、結局は元の『成り行き♪の事勿れ路線 』に戻ったのを“よかった!”って喜んでいる風だし、それが民意(何処の?)だそうだし、本当に面白い国だなぁ。(いひひ、と泣き笑い)
“成り行き”の“事勿れ”と云っても、自民党時代と同じように、全然改善が出来ないわけでもないだろうけど、今の日本は、もう“ブレーキが効かなくなって、急坂を転げ降りるチャリンコ”状態なんだが...ハンドルを切るのも怖くて、何もせず、ただひたすら風を切って下る(加速する)のみ。勿論、坂道の下の行き止まりは、見えてるがなッ!(とまれる!よかった♪)...はぁ?
(毒薬も、適切に処方し服用すれば、妙薬になるんだって、学んでるはずだけど。でも、使わ/えなければ、只の毒か)
夏休み [0915]
「(夏休み明けの)9月は、不登校が増える」って、毎年の事らしいが、文科省のコメントも、“はぁ、そうらしいですなぁ”で、特段の改善策も無いらしい。
現場で出来る対策は、当然、場当たり的(風邪を引いたら、風邪薬♪)にならざるを得ないのだろうが、今の教育界に、もっと本気で知恵を出せる人は居ないのかねぇ?
例えば、風邪を引くってのは、“免疫力が落ちているせい”だが/だから、「この期間は、積極的に体力/学力維持を図らせよう」とか、「体力/学力を削ぐ“夏休み”を、無くしてみよう」とか出来ないの?(週休2日制で学力が落ちたのに、まだ教育界は、反省してない?)
(多分、今だと、何かやれば教員自身の持ち出しになるだろうし、あまり派手な具体案も無いんだろうけど、教室を借りて、自学自習を基本にして、選抜した(一般人)ボランティアに援助させるなどの手はどうなの?勿論、子供達の安全確保は、親の責任範囲だが)
(しかし、なぜ、未だに、「学校の長い夏休み」なんかがあるんだろう?なぜ、沢山の勉強が必要な年代に、そんな無駄な期間を設けたんだろう?どうして、早く改善・廃止しないんだろ? ・・・ 誰も、不思議に思わないのが、不思議だ)
野蛮 [0914]
“自分達は武力を付けて来たから、周りの国へ攻めて行ってもいいのだ!”と云う理屈は、人が野蛮/蛮族 であった時代の遺物だ!それが出没するとしたら、過去の亡霊が復活する国か?
確か、日本もそうした国であったらしいし、中国も一部ではその被害にあったらしい事は、歴史から知る事が出来る。
しかし、そうした歴史を経て来たにも拘わらず、同じ理屈/化け物を持ち出して来て、周りを侵そうとするのは、自らを未開の蛮族だと宣言するようなものではないか!
しかも、広大な自身の大地を保有しながら、更に領土を海洋にまで広げようという強欲な領土拡張欲 は、もう捨てるべきだ。
もし、本当の近代化を目指したいと思うなら、周辺諸国も大切にしながら、自国をも盛り上げる事を考えるべきだろう。(尤も、“実際の近代化”って、税金・借金大国 を意味するって事を、誰も云わないけどね)
(ついでに、米国のイラク侵攻なら、別の化け物の仕業だと、皆んな知ってるけどね)
マニフェストって? [0910]
政党の掲げていた「マニフェスト」って、何?...情勢が変わったから、一言一句だったら途中で変更もありって、そんなのあり?...仙谷由人官房長官「(マニフェストは)一言一句変えてはならないということはない」(左写真)−「毎日動画」
「所信表明」って、本来は“事前に十分、現状分析をした上で立てた「実行計画」に乗っかってるはずだし、幾ばくも時間を経ていないのに、現状から乖離(かいり)しているとしたら...それって、“出たとこ勝負”の“成り行き任せ”に見えるよね。
(実力が不明で、計画が周到なら、やるかどうかは“根性の有る/無し”って話だろうけど、計画も杜撰(ずさん)だと悲喜劇だねぇ)
反抗期 [0908]
子供の反抗期に出会った親は、“楽しもう!”どころではないと思うが、他人や専門家?は呑天気な事を云ってられるもんだ。
この反抗期の発生は、『幼児期からの子供の育て方に、原因がある!』と思う。
一番の問題は、子供を、「未完成だが“ちゃんとした人格”を持つ一人の人間」として扱わず、幼児期から自分達の愛情(時には、自分勝手な押し付け感情)を注ぐだけの愛玩物として、扱って来ているからだろう。
そうした前段階での問題を考えずに、成長し始めてから、世の中の常識≒“反抗期なんて、昔からあるものだから、慣れるか、凌(しの)げばいい”、“それが正常な発達段階なんだ”って、済ましているだけではないか?!
昨今、子供達の暴力が、殺人にまで変化し始めているのに、“それが喜ばしいこと”だって、なんと無責任な!(真の専門家なら、“根本原因の改善”を/も、進言すべきなのに)
根性 [0906]
イモト・アヤコさんの登山挑戦番組を拝見して、“根性”について、色々考えさせられた。
まず、当人の強い挑戦欲・忍耐力・克己心には、敬服!
他方、(気弱な)ディレクタを責めるのは、今の自分達を責めるのと同じ。(己を鍛えている人達以外は皆、総弛(だる)みだって)
また、プロのカメラマンの凄い仕事力。あれには、いつも頭が下がる思い。(最近のカメラは軽くなっているかもしれないが、常にそれを構えて、厳しい場所を、撮影しながら移動するのは大変なはず。例えば、ジャンク・ノートPCの2Kg程ですら、持って移動すると、その辛さがよく分かる)
背景の中に、多くの登山家達が登って来ているのが写っていたが、やはり世界は広い。力量のある人達が、まだまだ他に一杯居るってことだ。
(彼女だけを“根性人”扱いするのは、視野狭過ぎってことかもしれない...でも、“根性人”こそ、もっと増えて欲しいものだ!)
工夫と耐性 [0905]
“作られた快適さ”と云うのは、人間を段々軟弱にして行く一方ではないのかなぁ?「教室環境」を良く?したからったって、『教育』の質や量が(そんなに)増大するわけでも無いし!
実は、先日ある保育園を参観させて頂いた時に、気が付いたのだが、ここでは、園児達の大半に、学習や運動を、そこの大広間/体育館?でやらせて居(お)られた。(左写真<プッシュ>)
当日も大変暑かったのだが、そこだと風がさらさら吹き抜けていて、結構涼しかったし、確か冷房は入ってなかったはず!
きっと、その環境設定は、園の工夫だと思う。
室内の半分で運動、もう半分で、2組(4組か?)毎の学習だから、騒然としていたのかもしれないが、自学自習だから、複数の先生が声を張り上げる必要も無いし、暑くて眠いのにじっと座って講義に聞き入る必要も無い。
各人/園児達は自分のやる事がはっきりしているから、暑さや周りの騒音など殆ど気にならない様子。(こちらも、気合が入っていたせいか、いずれも苦にならず。園児の一人二人と腰、尻がぶつかったのも、後で気が付いたほど)
にもかかわらず、園児たちの学習・運動は、どんどん進んでいたようだ。(左上写真<クリック>)
“冷房”も否定はしないが、もっと“工夫”したり、“耐性(忍耐度)”を上げないといけないのでは?
夢も希望も [0903]
『将来への夢や希望』に、まったく、言及していないではないか!...あれこれ云うのは、“目先の幸せや不幸せ♪”ばかり。
『10年先50年先の日本の姿を、こうしませんか?!』と問い掛け、実現しようとする政治家は、もう出て来なくなったのかしら?
坂本龍馬氏らが、“新しい国造り”に情熱を燃やした時代と、今の時代と何処がどう違うのだろう?
単に、国が肥大化・複雑化し、国民は小粒・軟弱なまま?
マスコミも、マスコミだ!なぜ、もっと国の行くべき先を見据えて、「取材・記事化」や「提言・誘導」をしないんだ?
夢ばかり追っ掛けていると、読者から疎(うと)まれるのは分かるが、現実ばかり追っていると、小刻みにブレながら、ぐるぐると同じ所を彷徨(さまよ)っている“吹雪の中の遭難 ”と同じだって、分かってるのかなぁ?
(少なくとも、借金汚物(赤字国債)を清掃して、巨大ゴミ屋敷から脱却するには、国民全部の必死の尽力・協力が不可欠なんだし、余分の財源など何処にも転がってはいないと、はっきり言うべき!...ついでに、景気回復策 なんて、“詐欺師の見せ金”だからね)
教育の意味 [0902]
民族や属性の違う人達へも、教育費を支払うらしいが、“教育とは、何だ?”ってのが、あまり丁寧に議論されていなような気がするが、誤認か?
『教育』は本来、『子供達を、自分達の集団・社会に適応させ、構成員として自社会を適切に運営・維持して行く能力を付けさせるためのもの』であるべきだろう。
当然、教える内容も他国・他集団/社会とは異なるし、他の集団・社会の人達を教育する義務は、先には無いはず。
有るとしたら博愛精神か?(他国の子供達に校舎や教科書を贈るようなもので、)それはそれで頷(うなづ)けるが、だとしたら“費用は別の財布から”でないといけない。
何でもかでも、“本来の教育費”から出そうとすると、只でさえ厳しい財政が、益々圧迫されるだけだ。
(しかし、実情は、当社会の構成員として参画・協力してくれている人達も多いし、一概に拒否も出来ないから、お互いに評価基準を決めて、シビアに“費用支給率”を決めるのも、良い案だと思うが)
それにしても、“費用の無償化や子供手当て”など、それ自体、甚だ非効率的なやり方だ。
もっと、“教育の早期化・短期化/効率化”をやって、費用節減を考える方が、先ではないか!
(云うだけなら、“金は出さずに、知恵を出せ!”って云えるんだが♪大人たちにも、“やる気スイッチ”が必要かな♪)
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