モグラの繰言 2010.10    我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴?!)

バカは損 [1030]

自主規制により、削除

軽運動と脳力 [1029]
あるエンタメ番組(“すイエんサー”だっけ?...でした!)で、「軽運動をした後では、計算能力が向上する」傾向があるという実験をやっていました。
こんな話は、「ヨコミネ式保育園、幼稚園」では、既に実践されていますし、多分、もう目新しくないのでしょう。
そこでですが、これをエンタメ番組として(でもいいから!)、小学校、中学校などで実際に導入出来そうな形で、(学校や教育委員会と協同で)実験をもっと大々的にやる事は出来ないものですかね?
実は、旧いタイプの人間や教育システムでは、体操した後など、血液が身体の方へ廻ってしまい頭/脳には必要な血が行かなくなるはず、という迷信に引き摺られている節もあるので、それを払拭する意味でも、必要ではないかと。
それに、あわよくば、『次世代の手法』として、今の教育課程に取り入れられないものかと思うのですが。

保護者の責務 [1025]
現実には、こんな無責任極まりない親が居るんですね!
こんなのは、その子供のことを考えると、同情よりも、義憤を覚えます!)
親に詰問したい!どうして、自らが自分の子供を守らなかったのですか!
事前に、いじめが危険だとの評価が出来なかったのですか?
その評価をしていたのなら、即座に子供を転校・退校させるとか、いじめ相手の直接説得や補導(勿論、学校や児童相談所の支援・共同で、合法的に)をするとかの勇気は、無かったのですか?
自分の子供が、それも小学生の子が自殺したのに、保護者である親が防げなくて、どうして他人/学校側が防げると思うのです?
もし、親が、自分の身を張ってでも、子供をいじめから守ってやろうという気概があれば、子供だって、自分も強くなろうとしますよ。逆に、子供は、親の不甲斐無さに絶望して、自殺を考えざるを得なかったのでは?
それなのに、亡くなってから、恥ずかしげも無く弱者を装って、他人に向かって“子供を返せ!”なんて、言って欲しくないですね。そんなだらしない事を云う前に、子供をもっと大事に育てて下さいよ!
(とは言っても、実は、世の中、訳あって“いじめの根”は深いから、この人だけを責めても仕方が無いのでしょうけど)

迷惑禁止 [1023]
我々の子供達・孫達に、“規律ある社会生活”を教える際に、先ずその基本は、「公衆の利益、つまり他の人達に迷惑を掛けるな!」ではないでしょうか?
でも、現実の社会をみると、「それはするな!」と言っても、“誰もが、やってるじゃん!”と市民感覚 で反論されると、とても説得力のある指導は出来ないですね。
それを是正するには、厳しく法律で縛るしか方策が無いのでは?と思います。(左記事)
全市町村で、頑張って条例・法律化を進めて欲しいものです。
可笑しいのは、一部の市民からは「行き過ぎではないか」と懸念する声もある、とあるのですが、その声の主として直ぐ思い浮かぶのは、「しょっちゅう罰金を取られそうな人」ですね。(笑 (違うとしたら、なぜ、行き過ぎなのかを、ちゃんと説明させて上げたらどうですかね。あ、近頃では、悪質者ほど居直るらしいから、無駄か!)

プロの仕事 [1022]
橋下知事が、“首長は、育児休暇など取るべきではない”と言った話は、尤もだし、賛成ですね。
実は、これは、何で「個人の利益」が「公共の利益」に優先するんだ?って話と、職業人/プロフェッショナルは、何処まで、「プロとして行動すべきか」?という話だろうと思います。
近頃の、(間違った=自分の義務を忘れた)個人の利益優先 の風潮は、子供達の教育上よろしくないと思っているのですが。
(でも、もう止め様が無いほど、“ぐずぐず”になっていますがね)
また、プロの仕事の多くは、代理では勤まらないほど過酷で、重責のものだと思うのですが。例えば、救急医など!
休暇時間中は、代理人でも仕事が務まる?そんな“軽い仕事”なら、プロの首長など居なくてもいいってことですよねぇ!
逆に、“ちょっとだけなら、いいだろ?”てな、中途半端な時間でやっつけ仕事をせず、半年なり一年なり、ちゃんと休職して子育てをしたらどうなのかな。
その方が、私的にも公的にも、プロらしい、きちんとした仕事が出来るのではないでしょうか?

英会話と話題 [1020]
新聞の特集記事で、「話せる英語教育」か、(従来型の)「読む英語教育」かの話が出ていました。
勿論、どちらも必要だろうと思いますが、それより、“話したい内容”が整理出来るって事の方が、もっと大事ですよね!昔から、よく言われている事なんですが、“英語を話す”前に、日本語できちんと話せるってことが重要だって!
確かに、日本語でちゃんと説明できない話を、外国語で上手く話せるわけが無い。
話の筋書きがちゃんと出来ていれば、ボロボロの英語でも、内容は結構伝わるものです。
ところで、「読む英語教育」しか受けて来なかった“英語下手”が一番苦手なのは“日常会話”でしょうね。...それは、「話せる共通の話題」が見付からないって事が主な原因のようですが、それでも仕事で1日同じ外国人と付き合っていると、英語が出来なくても、不思議と(英)会話に苦労しなくなります。
(という事は、これまで“話せる英語教育”を強く主張して来ましたが、やはりそれだけではないって事でしょうかね)

運動能力 [1018]
昨日、京都府立植物園に行った時の事、1〜1.5歳の幼児が、広いテラスの端から、3段程の石段を、下へ降りようとしているのを見掛けました。
保護者らしい人は少し離れた場所に居て、振り向いた瞬間に、まさか?もうそこまで来たの!と気が付いた風情。
その瞬間、こちらも幾つもの考えが頭を過(よ)ぎりましたが、結局、ちょっと遠過ぎて駆け寄るのは無理だし、声を上げても役に立たないだろうと思ったので、幼児本人の運動能力に期待して、見守るしか方法が無かったのですが。
幼児が一歩踏み出した瞬間、足を充分に折り曲げられないので、当然足を踏み外した状態になったのですが、幸い、身体を半回転させ(多分無意識に)、横向きに倒れ肩と背中で受けたので、石段でを打たずに済んだようです。(ヨカッタ!)
やはり、その体勢になった/した?のは、本人が持っている(本能的な)運動機能のお蔭だったのでしょう。
直ぐ保護者が抱き起こしたのと、周りの皆から声を掛けられたので、泣かずに居ましたが、出来れば起きた事を本人に自覚させ、誉めてやれたらいいのにと思った次第。(傍に居て、もう一度、やらせてみたい)
因みに、最近、小学生の運動能力の下降が、やっと止まりつつあるそうですが、やはり積極的に改善するよう、周りが配慮・工夫してやるべきだろうと思いますね。

講義 [1016]
昔、新しい技術内容を、部外者(素人)や若い人達に教えて廻った事があります。
毎回講義して感じていた事ですが、内容を詳しく教える/説明する時、必ず途中で受講者は、飽きて退屈し始めます。
飽きるタイプには二通りあって、ひとつは“理解が早過ぎるせいで説明がまどろっこしい”のと、二つ目は逆に“理解が追い付かず、早々に投げ出す”タイプです。
では、本来の内容説明だけで、両方のタイプの人達の興味を持続させられるものでしょうか?現実は、殆ど否です!
やるとしたら、関連する逸話を、面白く情熱的に語るのが、一つの方法かな?この方法だと、結構、全員をある時間は引き付けておけます。(ただ、経験としての『材料』が沢山必要なので、長時間は無理)
講義後にアンケートを採ってみると、講義が有効だったと答えた人の理由の多くは、“話に刺激されたので、帰ってから自分でじっくり勉強したいと思う”という主旨のものでした。
つまり、講義は、単に刺激を受ける為だけに有効だったようです。
これは、恐らく現在の学校の授業でも同じでしょう。「授業」ってのは、そんな用途として使うべきだろうと思います。

授業の形 [1014]
前に、教師が教壇から「押し付け授業」をする方式は間違っていると言いましたが、マイケル・サンデル教授の「白熱授業」をみれば、それが良く解ると思います。
何故なら、あのように白熱するのは、学生達自らが積極的に、話題に関わろうとしているからで、きっと皆の頭の中はフル回転しているに違いありません。こんな状態は、一方的に押し付ける授業では到底望めないでしょう。
そこでは、自分の知識や考えを整理する事だけでなく、自分の持っている分だけでは不足で、他にもっと知っておかないといけない知識や考え方が有る事に、自分達自身で気が付いて行くわけです。
もし、教師が教壇の上から、“この考え方も有るが、あの考え方も有るぞ”と一人芝居で押し付けた場合、生徒・学生達は混乱と矛盾を感じるだけで、多分、そこで思考停止をしてしまうでしょう。
やはり、望ましいのは、各自が自分の回転数で頭脳を働かせるよう、起動してやるのが一番でしょうね。
(尚、上記で便宜上従来の「授業」という言葉を使っていますが、実際の内容は「コントロールされた討論と解説」でしょうね)

自己抑制 [1012]
子供達を育てる場合、物事は常に、子供達を主体に、考えてやる事が必要だろうと思います。
そうは言うものの、実際にやってみると、これが意外に難しいことに気が付きます。
例えば、予定表を作って、それを子供達に守らせようとすると、始めは「予定」の意味が分からないから、どうしても、育てる側の都合もあって、“丁寧な説得無し、思い遣り無しの単純な強制”になってしまうわけです。
しかし、強制とは、育てる側の利己的な自己満足手段であって、幾ら弁解しようとも、やはり子供達が主体の考え方ではない!と言えます。(つまり、“ワシは、お前達のために、やってやるのだ!だから、言う事を聞け!”式な...でも、子供達が成長して自我を持ち始めると、あっさり反抗されるようになり、そうした手が使えなくなるのは、よく知られた事実ですね)
やはり、そうではなくて育てる側は、思い切り自分(の都合)を抑え辛抱強く援助するやり方で、子供達自身が自分で理解し、自分で実行出来るように、「予定表」を作らせ消化させて行くべきでしょうね。
(まぁ、言うは易しだが、これの実行がなかなか難しい。でも、やらないと進まないし)

指示待ち [1010]
今の日本の“教育”といえば、生徒が、教師からの“説明を聞く”というのが、専らのスタイルなのですが、これは早く改めるべきでしょうね。
「教わる−理解する」作業の中には、本当は、受ける側が主体的にやらなければならない作業が2つ以上あって、それには結構時間が掛かるし、個人差も大きいからです。
それは、まず、知らなかった「新しい言葉」に馴染む事、次にそれを自分の知っている知識と「結び付ける」事です。
(だから、逆に、説明する側に立つと、相手が持っている知識が少ないと、説明のしようが無くて、途方に暮れる事がよくあります)
そんな“ける作”を、画一的に教壇の上からやろうとするのは、根本的に間違っているように思います。
それに、このスタイルは、“指示待ち人間”を、作る/量産する原因になっているのではないでしょうか。

イクメン [1006]
最近、イクメン(家庭で育児をする男性)なる人口が増えているそうですが、喜んでいいのか悲しんでいいのか、実はよく分からず、迷っています。
社会的に見れば、チームで仕事をすれば効率が上がるグループの一人が、ある期間抜けて育児に専念するとしたら、その人の能力が高ければ高いほど、チームにとっては効率の低下、仕事の質の低下になるからです。
他方、個人的な観点から見れば、子供達の養育に関して、男性が加わる事で、より創造的・想像的な育児が期待出来るだろうと思いますね。
と言うのは、子供に対する“女性の愛情”は優しさ平穏さに向けられるのに対して、“男性の愛情”は強さ賢さを促進する方向に向けられるだろうと思うからです。
昔から、よく言われるように、男性は何時まで経っても夢を追う子供であり、女性は早々と常識を身に付けて大人びてしまう事からも分かるように、弓矢の矢に例えれば、“男は鏃(やじり)、女は矢羽根”ではないでしょうか。
子供の養育・教育に、そうした相補的な機能を上手く活かさないと、大損ではないですか。

ブログ増設 [1005]
ある事が切っ掛けで、当苑でもブログなるものを、開設?してみることにしました。
お仕着せ(押し着せ?)の「枠組み」は苦手なのだが、生来の好奇心で、何でも一応は試してみたくて。
  我楽多苑 別亭

ここの欄は、主に『子供達の教育に関すること』など、じっくり書き溜める場所に替えようと思っています。
日々見たり聞いたりすることで、つい異論や提言をしたくなる事は、追々、ブログの方に移そうと思っています。それもあって、また「気まぐれ企画」も少し組み替えるかもしれません。(何卒、ご容赦を!)
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尚、蛇足ながら、検索をしていたら、偶々、面白い投稿を見付けてしまったので、披露。p(^^;

最初の4行は、ある程度分かるのだが、後の2行がどうにも意味不明。
推測すると、何か皮肉を云われているらしいのだが、各単語の指すものが全然解らない。
丸で、呂律が廻らなくて 「+~/""あ、ええ_@¥^。#ッツだ!」 なんて云われたみたいで、
失礼ながら、つい笑ってしまった。
何がバイアスで、それが掛かるとどうなるか、何処に誤りがあるのかを、もう少し丁寧に指摘して頂けたら、
反省・反論も考えようがあるのにと、勿体無い思いがしたんだが。

『963 名前:日出づる処の名無し:2010/01/18(月) 13:20:32 ID:5/RBv8zr
  個人のページで、以前から面白いと思って読んでいたんだけど、
  政権交代の頃から突然狂い始めてしまった。
    http://garakutaen.sakura.ne.jp/misc/Opinion1.html
    http://garakutaen.sakura.ne.jp/misc/Opinion2.html
  プライドを守るためにバイアスが掛かってしまう頭の固い老齢世代は
  誤りを修正できないんだろうな(哀) 』



以下の項目は、我楽多苑 別亭へ移しました。

施策コンテスト [1002]
重要資料 [1002]
身の安全 [1002]


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