モグラの繰言 2011.02 我楽多苑 別亭へ (真面目な愚痴!)
嫉妬? [0228]
『「子どもの知能は限りなく」 グレン・ドーマン著』(承前)
この本で、指摘されている項目で、私達が真面目に考えないと損な事があります。
それは、何か幼児/子供達への天与のもの(?)を親/人間が後から勝手に弄(いじ)ってよいのか?との恐れ/畏れ”みたいなものがあって、『幼児(達)を賢くする』のを嫌がっている風があることです。
これは、“幼児/子供(達)は、在るがままが一番!”という迷信(?)にも似た、親達の思い込み(/無難思想)が原因ではないかと思いますね。
この本では、“それは、違うんですよ!”と、色々具体的な事例を挙げて説明してくれています。
別の人の別の本では、それは「(大人/人間の)嫉妬だ!」と言われている方も居られますね。
(確かに、大人としては、子供が自分より賢かったら、立場が無くなると思い込んでいるからでしょうけど。自分が踏み台になってやる勇気/気力さえあれば、違ってくる?)
赤ん坊 [0225]
『「子どもの知能は限りなく」 グレン・ドーマン著 サイマル出版 \2,400 1988年10月第1版』(購入価格\105税込み)
この本の中で挙げられている『130項の発見』の中に、手を打って同意したい項目が幾つもありました。(左写真クリック)
(実は、ここに書かれている内容の多くは、久保田カヨ子さんや横峯吉文氏らが、提唱・実践されている事と、基本的な処(ところ)は同じですね)
ポイントは、「子供(達)は学びたがっている」、「三歳児の質問攻め」などの話でしょうね。それは、子供(達)が「自分の生存のための技術拾得」を、本能的に欲しているからのようです。
私達も、それには薄々気が付いてはいるけれど、本気になって提供する努力なんて、実際は、あまりしてませんがね。(与えるのは、「食事と遊びと睡眠」だけだと思っている)
“そうは言っても、日常生活で、子供(達)にそんなに多くの時間は割けない!それに、私(達)には、そんなに割く積もりも無い!”って、自己保身・充足ばかりで、割譲してやる元気?勇気!も、無い...?
(『親は無くても、子は育つ』という、古い諺が邪魔しているのかな?他方には、『子は親の鏡』という喩えもあるのに!)
それに、近頃では、子供(達)の大事な時期に、子供を捨てたり虐待したり、また母親(達)が外へ働きに出るという“現代版悲劇”も見逃せないですね。
本当の適齢期(0歳から6歳まで)に、出来るはずの事を、充分にやらせていないのが、現状!
それでいて、(義務教育だとか云って)手遅れの年齢になってから、無理矢理(他人の手で)知識を押し込んで貰う今の状態に、甘んじてしまってる...でも、もうそろそろ、こんなのは、変えて行きませんか?
(私達の課題は、まずそうしたことを「認識」する事でしょうね。次に、自分に出来る範囲で、少しずつでも「試みる事」でしょうか)
逃げないで! [0224]
『新しい教科書誕生!』既述を読み進めていて、大変興味深い話を、知りました。(左写真クリック)
“フライング・タイガー”って、米国の策謀で(日本の開戦宣言より前に)実在した一種のゲリラ的先遣部隊だそうですね。(左写真)
実は、史実など全然知らずに、これに“戦闘機の華やかな空中戦”を期待して買ったのですが、見た時、映画としても、クソだ!と思った記憶があります。
色々な歴史本を読んでいると、太平洋戦争は、米国(や欧州列強)が(悪意を持って)仕掛けて来た戦争だと分かりましたし、この映画だって“豚!でもないもの”のようでした。(苦笑)
(それを、戦後の我々日本人の多くは、“相手の善意”と教えられて来たようですし、まぁ、そう思い込む方が“気楽”でいいのですが。でも、“そんな真実は知らなかったし、どうでもいい事だ”で終わりにしてはダメでしょうね)
『人間の善意』の大切さは忘れてはいけないですが、『人間の悪意』の方も、ちゃんと知って、しっかり直視しておくべきだと、強く思います。
悪意には、極力目を瞑りたい/それから逃げたいと思うのが(日本人特有?)の「性癖」のようですが、実際には、それから逃げよう/蓋をしようとしても、簡単に逃げられる/逃がしてくれるものではないはず!
だから、その悪意に、真面目に正面から/或いは横からでも、立ち向かう気力・知力を養うべきでしょうね。
(逃げ回って、最後に追い詰められて、自爆してしまう前に!子供達には、ぜひ知っておいて貰いたい!)
就活って? [0222]
日本橋からの帰りに「千円散髪」をする予定だったのですが、常とは違ったコースを採ったせいで、新しい店を発見!
色々なことを考えながら、ふらふらと其処へ入って行きました。
「+五百円」で、「洗髪と髭剃り」が付くなら安いが、通常は帰宅後洗髪するのだから「整髪」だけでも用が足りるんだけど...
他方、店の経営から見ると、完全分業制のようだから、従業員は技能別に雇って、賃金はリーズナブルに抑えられるでしょう。
客が多ければ、収益は勿論のこと、従業員の給料分も、それなりに確保出来そう。
でも、こんな商売は、人が少ない地方都市では無理だろうけど、それなら、自らが大勢の人の所を廻って頭を刈る商売も有り得るのでは?...と思ったり。
ただ、ピン職人/商人だと、信用の問題もあるでしょうから、数人で組んで拠点を構えるなどの工夫は必要かも。
よく就活(雇われ側)の話を聞きますが、何処にでも居る「消費者」を相手に、自分で起業(雇う側)なんて事は、考えないのでしょうか?
(でも、実は、私自身は物を作る事以外は「得意」ではないので、自分が不得意な仕事は、あまりお勧めはし難いのですが)
玩具飛行機 [0220]
「ツバメ玩具製作所製 プラ飛行機」
店頭に雑然と並べてあったのですが、懐かしくて、2機買ってみました。 (\80/機税込み)
こんなのを見ると、昔、手作りした「リブを組み合わせた紙張りのグライダー」や「Uコン式エンジン模型飛行機」などを思い出します。あれで、ものの構造や機能に興味を持ったものです。
今でも、作ってみたいとは思いますが、何せ飛ばす場所に事欠きますし、下手にブンブンやってると、騒音公害だ!って訴えられかねないでしょうね。
「自分の手」で物を作るって、ホント面白かった!
(今は、物が複雑過ぎて手に負えないので、修理などで誤魔化していますが)
自己生存 [0218]
−「新しい教科書誕生!」既述−
大分、読み進みましたが、大変興味深いし、色々考えさせられます。(まだまだ、出て来そうですが)
この本の内容と直接関わらないのですが、やはり、子供達には、次のようなことを知っておいて貰わないと、いけないのではないかと思いました。
+「自分」が一番大切なものであり、必ず生延びなさい!(基本的生存権)
+「自分」を生延びさせるのは、自分だけで/自力でやるのが基本です!
+もしそれが難しい時には、他の人(達)の力を借りてもよいでしょう
+他人に助けて貰う時には、それなりの返礼、返済を、きちんとしなさい!
+また、相手に利益を与えながら、相手に協力して貰う事(相互援助・扶助)は構わないし、むしろ勧めます
+もし、自分で返済し切れないなら、援助は求めず/期待もすべきではない! 他人に生かして貰うのは、基本的に恥です!
+但し、これらは15歳になるまでは、「猶予」とします
そのために、親は、「子供達に、自分独りでも生延びられるように、育てないといけない!」という義務を負わねばなりませんが、普通の親には、それ程難しくはないと思います。
しかし、それをしない親には、重罰を与えるべきでしょう。初っ端から、人権を無視しているわけですから。
(もう少し整理すれば、これらを「憲法の基本理念」として、盛り込んでもよいかもしれませんね。てへっ!厚かましいかな?)
好奇心 [0215]
『「情報力」 長谷川慶太郎著 サンマーク出版 \1,600+税』
豊富な「情報収集」のノウハウは、大変参考になるし、(口幅ったいのですが)同意出来る箇所も多くあります。(左写真。\105税込み)
やはり、一番大事なのは、何事にでも『好奇心』を持つことのようですね。
ただ、人間のサイズ?によって、好奇心を持つ事象の範囲や件数は、かなり違うだろうと思います。
まぁ、人それぞれに「向いている/適している方向」も違うしで、先ずは“自分の好きな方向から”、適当に攻めればいいのではないかと思ってます。
それに、分かる事が増えて来るほど、知りたい範囲が自然に広がって来るようだし、今まで「喰わず嫌い」だった物事も、味わい方が変わって来ています。
「新しい教科書」 [0213]
『「新しい教科書誕生!」 新しい歴史教科書をつくる会編 PHP研究所 \1,500』を、BOOK-OFFで買って来ました。(\105税込)
じっくり読んでみようと思っていますが、初っ端から、面白くも悲しい話に出遭いました。
日本の(歴史)教科書は、無償配布するため、七百円程度に価格統一されているそうで、当然ページ数が限られるので、「盛り込める量や質」も制限されるようです。(2000年9月頃の話)
何だか、本末転倒のような気がしますね。
そんなせせこましい教科書を頼りに進めるような義務教育は、そろそろ考え直してはどうでしょうか?
子供達には、速読法を早期にマスターさせておいて、違った観点から面白く書かれた幾冊もの参考書を、各自自由に全部読ませ、討議でもさせれば、学習効果は凄く高くなるだろうと思うのですがねぇ。
参考書は、有りっ丈用意しておいて、順に廻し読みさせれば、費用の点でも助かる。
そうすれば、“何を、どう絞って教えるべきか?”なんて、悩む必要もなくなるし。“偏向教育だ!”?って、そしりを受ける事も無い。
お金の意味 [0211]
先般から、消費税増税の話が持ち上がっていますが、「税金の無駄遣いばかりの話」のように聞えます。
国会議員の多くや官僚達は、「お金」を「物凄く粗末なもの」として扱っているようですね。
お金には、「作る/生み出す努力」と「使う楽しさ」の二面がありますが、「使う」ことだけに溺れる人間は、それを「作って渡す側の努力」に敬意を払う事を忘れ勝ちになるようです。
税金にしても、私達庶民が“上手に使ってくださいよ!”と納めたのに、国(政府や官僚たち)は、そんなつもりでは受け取っていないんでしょうね。
きっと、「お前等のために使ってやるんだ!足らんから、もっと出せ!」くらいにしか考えていないらしい。
出来れば、気持ち的には拝みながら、丁寧に使って欲しいものですがねぇ。
左上写真は、孫達がその時々で「努力した事」に、お互いの“お祝い”として1個ずつ手渡すため等に、貯めている500円玉。
これは自慢ですが、吾が孫達は、その意味をちゃんと理解して受け取ってくれるので、多寡が500円ですが、大変値打がありそう。でも、もしかしたら、もう自分の思い込みだけで、現実は違って来ているかもしれません。f(-,+;
教科書ナシ [0209]
『「けじめをつけろ、責任者!」 日下公人、谷沢永一著 PHP研究所 \1,000』
日下氏の著作は始めてだったのですが、谷沢氏との共著だから、多分面白かろうと買ってみました。(中古本\105税込)
参考になる点は多々ありましたが、中でも興味深かったのは、昔の陸軍大学校では「教科書無し」で教えていたそうで、その話が紹介されていました。
確かに、それだと、教える方は必死になるし、当然「熟(こな)された知識」だから、受ける方も真剣に聞き入るでしょうし、不足分は自分で考えたり、探して来て補う事になる。
つまり、お手本が無ければ、『知識や知恵の授受』は、どちらも真剣になるに違いないと思いますね。
(昨今の授業のように、「教科書の受け売り」で精一杯の授業って、何の味もないですからねぇ。それに、不足分を補うのは、自分の好奇心や興味による努力以外にはないですし)
強者と凡人 [0207]
『「好き 嫌いで 人事」 松井道夫著 日本実業出版社 \1,500』
この本、表題に大変興味を惹かれたので、BOOK-OFFで購入。(\105税込)
松井氏の持論は、『給料を貰って働く人間は要らない。働いて給料を貰う人間しか要らない』だそうで、これは、当然物事を自主的・自律的に進められることが前提になるので、それには大いに共感しました。
ただ、やはり成果を上げるには、それだけの実力が必須で、単に自律的であるだけでは済まないようで、結局「松井証券」は、自律的実力派集団なのだろうと思いました。
(現役の私だったら、残念ながら、とても雇って貰えない/参画出来ないかも、と思いますが)
氏が、一つ面白い方程式(不等式)を示されていましたが、これにも大いに納得です!
2-1 > 3
つまり、何事も、新しくしたいと思ったら、「付け加える」やり方は絶対ダメ!で、「余計なものを排除」してから作り直すべきだ!と理解しました。(でも、凡人には、なかなかそれが出来ないんですよねぇ)
本音 [0205]
通りすがりに拝見して、つい無駄口(本音)を叩きたくなりました。
子供らは、厳(きび)しく叱れ、皆のため
年寄りに、疾(と)く逝(ゆ)けと云え、皆のため
近頃は、こんな事を言っても、それ程非常識では無くなって来ているようです。(昔だったら、皆が眉を顰(ひそ)めたでしょうけど)
誰もが、遠慮勝ちになって、子供は厳しく躾(しつけ)て「社会人」にすべきだし、年寄りは社会のためには早く逝くのが「役目」だということを、あまり言わなくなったけど、もっと強調すべきだと思いますね。
(自分もそうなのですが、今時の年寄りは、生産性が低いのに、無駄に?健康で長生きし過ぎですよね。笑)
実地で [0203]
先日、幼児(一歳半)と一緒に歩道を歩いていましたが、所々車道側のガードレールが切れる箇所があり、そこへ差し掛かると、ちょこちょこと車道側へ彷徨(さまよ)い出そうになります。
後ろから、じっと注視してついて行きながら、“その直前”で阻止してやるのですが、どうも、まだその意図がよく分かりません。
酔っ払いの酔歩と同じなのか?単に変化を愉しむだけなのか?勿論、当人に聞いても返事は無いでしょうし、分からないですが。
でも、車道へ出る寸前で、「ダメ!」って大きな声と、手で遮断するのを数回やれば、覚えてくれるようです。
こんなのは、もう理屈ではなくて、「条件反射」で教え込まないといけないのでしょうね。
で、大切なのは、そうした状況に沢山出くわすように配慮してやって実地で教える、つまり、事前に危険を取り除いておく方法より、その直前まで経験させる方法がベターだと思いますね。(手間隙は、掛かるけど)
先読み不足 [0201]
[asahi.com (2011年1月31日)]
実情は、子供達の体力不足ですか?それとも、知力不足?
いずれにしても、大変な結果が出て来ましたね。もう、教科の強化は、『負担』としてしか感じられていないらしい。
問題は、家庭も学校も、そうしたことに、前もって何も手を打たずにやってしまったらしい。
教科科目を増やすだけで、受け入れる能力は増える、或いは、子供達は、無条件にそれを受け入れるはずだ/べきだと考えていたわけですね。
個々には、様々な対策をしながらやっているとは思いますが、問題は、現在の教育組織?「文科省」や「教育委員会」が、事前にどれだけシーンの先読みが出来ていたのかという事です。
どうも、現場は、“さぁ、やれ!”と与えられたら、“云われるままやりました。それで、問題が出ました。さぁ、どうしましょ?”それでは、子供達が可哀想だし、遅過ぎるでしょう!
結局、家庭や学校を含めた日本の教育界全体の『先読み不足/実態把握力不足』ではなかったのでしょうかねぇ?
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