モグラの繰言 2011.06 我楽多苑 別亭へ (真面目な愚痴!)
志を立つべし [0630]
『「男子志を立つべし」 安岡 正篤ほか著 プレジデント社 1985年1月第1刷 \1,500』 (購入\105税込み)
支那の三国史時代に、各“政体”が出来上がるまでの(血生臭い)抗争の中で生きていた、それぞれに傑出した人物のお話でした。
こうした人物に貼られていたレッテル/目印は、実は、後の時代の“ご都合”で適当に貼り替えられるもののようで、それがまた面白くもあり、参考にもなります。
これらは、それぞれの「個人」の生き方・生き様を“どう見るかの違い”なのでしょうから、時代背景や見る人の要求事項によっても変わってくるでしょうね。
昔は、よく“貴方の尊敬する人は?”と尋ねるシーン(ん!今でも?)がありましたが、果たして、質問する側が、何を尋ねているのかが、分かっているのかな?と思う事がよくあります。
私も、自問して、頭の込み具合で、沢山居たり全然居なかったりする事に、気が付いていました。
(今では、私よりもう少し賢くて、もう少し強くて、もう少し優しい人なら、誰でも尊敬出来そうです。(笑)
日本中枢の崩壊 [0628]
『「日本中枢の崩壊」 古賀 茂明著 講談社 2011年6月第3刷 \1,600+税』 (新刊購入\1,680税込み)
この本を読んで、昔よく云われていたような“暴露本”といった類のものではなくて、もっとレベルの高い「提案書」だと感じました。
つまり、現状の問題点とその由来、“今後こうすれば、官僚主導も、もっと質が良くなる(はずだ)!”という事が、明快に書かれているからです。
でも、「改善努力」は、首相や閣僚の“度胸の無さ”ゆえに、全部台無しにされているらしい。
例えると、“固い目のバネ”を引っ張って、ちゃんとはめ込むまでの作業を、途中で止めちゃった!みたいなもんでしょうね。
官僚達だって、“栄達の途”が“自分達官僚・省庁の利益追求”ではなくて、“国民の利益追及”で、評点が上がるように、システムを作り直せば、皆真面目に働くはずとのこと。
確かに、私もそう思います!今は、システムが拙いからでしょう。
(そのシステムが上手く働けば、“民間出向”だって、“天下り”だって、本当は国民の利益になるはずだけど)
この著者の案、「総理主導」と「総理直結スタッフ制」は、本当の意味での政治主導をやる上で、良い案ではないかと、思いました。まぁ、優れた総理が選べれば!って話でしょうが。
(でも、何の彼のと言っても、最後は、1等!2等!3等!が声高に言える“ホントの競争社会”にならない限り、“優秀”だとか“仕事が出来る”とかで評価するシステム/仕組みは、作れないかもね。“子供は、並みでいい!”って云ってる限り、世の中は変わらない)
[追記]
著者は、仕事が出来る上に常に前向きだからでしょうが、色々な件について意見をお持ちで、提案もされています。この本一冊に、詰め込み過ぎだ!と思いました。また、次の著作を期待しましょう。
虚報の構造 [0626]
『「虚報の構造 オオカミ少年の系譜 [朝日ジャーナリズムに異議あり]」 井沢 元彦著 小学館 1995年5月第1刷 \1,500税込み』 (購入\105税込み)
この本では、ずっと以前からの「朝日新聞紙系」の怪しげな振る舞い/記事群を、細かく挙げて、非難されていますね。
傑作なのは、朝日新聞からの「言論上の反論」は殆ど無いらしい。また、あっても、支離滅裂!(これは、どう見ても井沢氏の勝ち!)
私は、最近になるまで、「朝日新聞紙系」の報道偏向が、これほど酷いものだとは思いませんでした。
時々、「上下に並んだ2つの社説」を見ると、上と下で(もし、有ればの話なのですが)主義主張が完全に矛盾しているのに、出くわします。
どうも、この新聞紙は、“頭と尻尾が別々の指令で動く幻の生物”よりもっと酷い、頭の中が全然統合されていなくて、全部別々の神経中枢だけから成っている“奇怪な生物”ではないかと。
だから、言論で名指しで非難されても、感じないから、反論しないわけです。
(でも、新聞紙には、他に面白い記事も色々あるから、手放せない人達も多いのでしょうね)
マクロからミクロへ [0624]
『「マクロ・日本経済から、ミクロ・あなた自身へ」 村上 龍著 NHK出版 2002年12月第1刷 \1,400+税』 (購入\105税込み)
ひぇー、痛快な本と出会いましたよ!
これは、JMM(Japan Mail Media)に連載されていたエッセイを本にしたものだそうですが、一編ずつの小主題がはっきりしているし、短かい中できっちりと意見が表明されているので、大変読み易く、理解し易かった。
主題の「マクロからミクロへ」は、今の日本の抱えている課題=集団依存から個人共存への移行による利益や弊害を、色々な視点から書かれているので、私自身、納得や同意、発見などがありました。
これが書かれた時期が、ちょうど小泉元首相の構造改革や不良債権の処理問題の時期だったようですが、マスコミ(や政財界)が、「痛み」だとか「弱者」と云った“ミクロマクロ風?な言葉”を、さもそれらが実存するかのように喧伝し、横行させていたけど、一体“誰の痛み”なのか、“誰が弱者”なのかは、明確にしない/されないままだったと指摘されています。
だから、煩雑にはなるけれど、物事をもっとミクロで見るべきだ!と主張されている点は、尤もだ!と思いますね。(それには、“あなた自身”の見解や意見も拾われねば)
私の最近の持論は、「政治」もそろそろ、もう政党(マクロ)政治ではなくて、有能個人(ミクロ)政治の時代ではないかと。(さて、どうなんでしょう?)
合波長 [0622]
(2歳前の)孫娘に、(登り降りが好きな)「階段」という言葉を覚えさせようとして、ある事に気が付きました。
1段ごとに「かいだん!」と言って発声を促してやると、喜んで「ダイヤン♪」とか、「カーニャン♪」とか、「・・・・(意味不明)」とか返事を返してくれるのですが、残念ながら、どれも正しくない。
答えが違うので、誉めてやらないと、次第にへんな言葉を返すようになり、最後には“無応答”になります。
これはイカン!と思って、音程を高くしたり、アクセントを変えてみたら、ほぼ正しい「カイニャン♪」と応答が帰って来る「(私の)声の高さ」がありました!勿論、返事がほぼ正しくて、誉めてやると、喜びます。
恐らく、これは、「波長が合う母親の声」に近い程、「ことばの認識」や「声での反復」が容易になるのだろうと想像出来ます。
逆に、波長が合わない音やことばに対しては、無視するか、一生懸命聞き取ろうとした挙句、やがて飽きてしまうようです。(根気が無くなるのも、そうした成功体験の積み重ねが無いからでしょうね)
[余談]
それと、半日観察していて、孫娘の別の面白い反応にも気が付いた。
自分がしたいことなどがある時など、ちらっとこちらを眺めるのです。
家人は、“阿(おもね)るようで、少し気色が悪い”らしいのですが、私は、「それはいいよ!」、「それはダメ!」とはっきり返事をしてやります。
これは、“して良い事か悪い事か”を自分では判断が出来ないから、「可否を、尋ねているのだ」と見るからです。(何をしたいかは、動きを追っていると分かりますし)
そしたら、諦められる時には、ちゃんとこちらの言う事を聞いてくれますし、どうしてもやりたい時には、更にじっと待っています...後は、両者の根競べ♪で、負けた方が、(納得づくで)相手に従うわけです。
(こちらが負けた時には、はっきり、妥協した旨を告げてから、“条件”を言っておけば、大体は聞き訳けてくれます)
人事破壊 [0620]
『「人事破壊」 日下 公人著 PHP研究所 1994年12月第13刷 \1,300税込み』
この本は、読んで、大変面白かった!(きっと、ベストセラーだったのではないかと、印刷数を見たら、確かに13刷でした!)
これの始めの方に出て来る項目で、最近の内閣や首相、与党の振る舞いを厳しく指摘しているかのように取れる項目がありました。
*老害よ、さようなら
*損害を被る人に任せるのが一番いい
*「和の経営」神話は、最初から嘘だった
逆に言えば、損害を直接被らない人(達)が一番声が大きくて、如何にも“責任者のような口振り”をするもの(時には、私もそれに近いかな?)ですが、本当は実際に被害を受ける人(達)が、責任や権限を持つ必要があるというわけですね。
確かに!物事の当事者自身が、「責任」も「損害」も被る/被らねばならないことを、肝に銘じておきたいものです。それに、「和が大切」と云うけれど、それは結果論で、その前に激しい戦いが無いとダメでしょうね。
日出づる国 [0618]
『「海洋アジアの日出づる国」 西村 眞悟著 展転社 平成12年1月第1刷 \2,500+税』
“日出づる国”と言えば、隋の煬帝(ようだい)に、国書(『日出づる国の天子、書を日没する処の天子に致す、恙(つつが)無きや』)を送った
聖徳太子を思い出しますね。
つまり、(痩せ我慢だったか、本気だったかは、今となってはよく分からないけれど、)あの時代の為政者は、「自国の誇り」を意識して、外国に対処していた事が分かります。(今は、「自国の埃」ばかりかな?)
それはそれとして、この本を読んで、著者が、常に怒り狂って居られたお気持ちやご様子が、良く分かりますね。(同感する箇所も多い)
多少異論があるのは、平成11年に、日本の国旗・国歌法案が提出された時の話。
第一条 国旗は、日章旗とする。
第二条 国歌は、君が代とする。
著者は、議員の立場から、“そうじゃあないだろ!「日章旗が、国旗である。君が代が、国歌である」とすべきだろ!”と詰め寄られたそうですが、“官僚答弁”は、ひたすら“ご理解頂きたい”の一辺倒で、議論もへったくれも無かったそうです。
でも、これを『日本国憲法』に当て嵌めて考えたら、“憲法は、こうする”なんだから、“必要があれば、更に有意義なものに改善・改正する”って考え方で、良いと思いますよ。
だから、「法」に対して、“である/筋論”を持ち出して、そんなに依怙地(いこじ)にならなくてもいいのに!って気もしました。
勿論、仰っているように、日本歴史の正しい「認識」を持たず、国旗・国歌の大切な「意義」なんてどうでもいいってことではない!のですが。
捏造日本史 [0616]
『「捏造された日本史」 黄 文雄著 日本文芸社 平成9年9月第1刷 \1,200+税』 (購入\105税込み)
著者のお名前を拝見した瞬間、”何処の味方かな?”と、つい思ってしまいました。
(やはり、この歳になっても、そうした偏見?は拭い去れないものですねぇ。それを避けるには、「正しい知識」と「是正する気持ち」だけでしょうが、それにしても、ちょっと恥ずかしい!)
読んでみて、満州国や中華帝国、台湾、ロシアや他の列強、朝鮮(半島)と、日本帝國/日本国のそれらへの拘(かか)わり方が、色々な細かい事件を通して、何が真実だったかが、ある程度分かりました。
『日本帝國』は真面目に筋を通して、多少は強引に?“アジア地域への投資と開発”を企てていたのに対して、
支那は帝國崩壊後の内乱で“主義主張は、しっちゃかめっちゃか&ご都合主義”で反抗するし、ロシアや他の列強は、“領土拡張主義”や“収奪型植民地主義”で、『日本』を圧迫・脅迫し続けて来たようですね。
「アジアの各国」は、“欧米列強の植民地”から脱して、独立が果たせたし、「支那」も“武装集団乱立状態”から、纏まりのある国へと変わって行けたようですが、結局、『日本』は丸損だった!
(「開拓領土」も「自尊心」も盗(と)られてしまって、後に残ったのは、“マンガ”と“赤字財政”だけ)
(でも、“満州国”(今の「モンゴル共和国」辺り?)は惜しいなぁ!...共同経営が上手く行っていれば...いや、もう無駄話ですね)
危機管理 [0614]
『「一人ひとりを大切にする国家」 滝 実著 (財)日本法制学会 平成14年11月第1刷 \1,800+税』 (購入\105税込み)
これは東海村での核燃料加工施設での大事故や、阪神大震災を例に、危機管理のあり方について、“なるほど!”と思える点を、幾つも指摘されていますね。
これが、もし、今回の東北震災・原発事故に活かされていたら、結構役に立ったのではないかと思いました。(でも、現実には全く反映されていないですね!)
で、この本の発行所を調べてみて、奇妙な事に突き当たりました。
“日本法制学会”って、文部科学省所轄の民間財団だそうですね。
そんなところが、何故に、わざわざこんな書籍を発行しているのでしょう?
政府機関では、こんな情報は全く活かしていないし、読むのは一般人だけ。
だから、民間で発行すべきものなのに、わざわざ国の税金を使う組織で、発行するんですかねぇ。
それに、何ゆえか、この学会、『ボランティア活動、奉仕活動に対する援助』までしているのは、とてもヘン! ... 明らかに、税金?の目的外運用ですよ。
もし、全額民間からの寄付金だけで運用されているのなら、文部科学省所轄というのは、オカシイですし。
やはり、これも“天下り組織”の一つでしょうかね。
サムライ議長 [0612]
『「サムライ議長のジュネーブ日記 ILO理事の9年間」 田中 良一著 読売新聞社 1988年8月第1刷 \1,500』
この著者は、確かに、“日本の良きサムライ魂”をお持ちですね。
世界各国の錚々(そうそう)たる面々と、互角以上に(通訳付き日本語で)議論し合える人物のようで、時々大阪弁も出て、同時通訳者から「日本語でお願いします!」と言われたこともあったそうな。
当初、労働界の人物だということなので、少し身構えて読んでいたのですが、本の後の方で、「戦後の組合活動で、共産党の“会社潰し運動”に対抗して、会社と組合員達を守った話」を読んで、何が皆のためになるかを、考えながら行動されて来たのが分かって、何だかほっと♪安心しました。
こうして、世界で活動・活躍されている日本人達が居られる中で、最近の日本政府自身の対外国対応は、色々お粗末ですね。そのせいでしょうか、IAEAの(日本人である)天野事務局長を外そうという動き(Yomiuri Online 2011年6月9日)があるそうですが、何とも悔しいことです!
色々工夫 [0610]
先日、孫娘の中学校の運動会に行って見たのですが、中学生は誰も、まだまだ子供っぽくて可愛い!
最近の子供達は、かなり闘争心が少ないらしいのですが、やはり競争する時には(多少は)闘志心を掻き立てる/沸かすようで、あれこれ“勝てる工夫”もするみたい。
「百足競争」を見ていると、先頭の方ほど背を低くするグループもあれば、逆に背を高くするグループもありました。(左写真&クリック)
結果は、...背の高さを揃えたグループもあるし、それぞれの平均的なパワーも違うようなので、一概にどうこう断定はし難いのですが、...少なくとも、先頭の高低で比べると、先頭に背の低いのを置くのは、不利みたいでしたね。(スピードは上がらないし、メンバーも周りが良く見えるせいか?ダラケルのも早い)
実際は、先頭大パワーで引っ張るグループ(群)の方が、ずっと有利のようでした。
大いなる仮説 [0608]
『「大いなる仮説−DNAからのメッセージ」 大野 乾著 羊土社 1991年14月第1刷 \2,200税込み』 (購入\105税込み)
この本は、目次の「宗教に化けたダーウィン進化論」などを見て興味を惹かれて買って来たのですが、中身は大変難しくて、チンプンカンプン。(と言うより、知らない事実・知識の山盛りだから、分かる訳きゃ無い!のですが)
でも、興味深い事も、幾つか読み取れました。
「ダーウィンの進化論」には、結構色々欠陥があるそうですね。
人間=裸のサルは、何故裸にならねばならない進化上の理由があったのか?・・・(この本の時代1991年までは)、納得出来るような巧い説明は、無かったらしい。(今も?)
また、生命の誕生の瞬間は、「進化論」の適用外となるので、それも欠陥だそうです。(成る程!)
確かに、そう言えばそうですが、例えば描画の時、曲線を、幾つかの直線で近似出来る場合もあるので、「条件や範囲」を限定して使う分には「進化論」でもいいのではないかと、私は思いました。
廃棄 [0606]
先日、もう床が満杯で“積ん読けない”?本たちを、子供会の廃品回収に出しました。
再度、BOOK-OFFへ持って行く事も考えましたが、こちらの想いほどには評価されない(本の綺麗さだけ)のが分かっているので、止めました。(もう、“自分さえ良ければ良い!”としました。(沈)
でも、出した当日気掛かりだったのは雨模様で、“どうか降らないでくれ!”と祈ることだけはしておきました。(当然、何の役にも立ちませんが、もし降らなければ、再利用出来る可能性が、無きにしもあらず?)
(読んだ本の書名を直ぐ忘れるので、それを撮影して残しました。これで、同じ本を2度買い込む事は少なくなるでしょう。多分♪左上写真<クリック>)
バカの壁を壊せ [0604]
『「バカの壁をぶち壊せ!正しい頭の使い方」 日下 公人、養老孟司共著 ビジネス社 2003年10月4刷 \1,400+税』
どちらの方も、一端の論客なので、意見のぶつかり合いが無いかと冷や冷やしながら、読んでいたのですが、幸い、同じ論点を異見で書かれている箇所はないので、一応安心!
読んで、いろいろ啓発される事がありました。
『君子豹変す』は、実は「君子は過ちだと知れば、直ぐに改め、善に移る」との意だそうですが、それは納得しました。
で、更に思ったのは、「では、何処まで改めれば良いかを量るのって、凡人には結構難しい事ではないか?」ということ。
例えば、今話題の菅首相の多くの過ち(失言や不作為)は、単に謝れば済むのか、代わりの案にすり替えれば済むのか、それとも責任を取って辞任すれば済むのか?その程度を量るのが、大変難しいですね。
隠された十字架 [0602]
『「隠された十字架-法隆寺論」 梅原 猛著 新潮社 昭和50年4月26刷 \1,200』 (購入\105税込)
この本では、法隆寺は、聖徳太子の御子・孫達が惨殺された後、(その黒幕だった)藤原不比等一族が祟りを怖れて、聖徳太子一族の怨霊封じ込めの鎮魂の寺として、再建されたものだったと解き明かして居られます。
“独自仮説の立証”に、“沢山の資料や品目”を分析・解釈して居られますが、知識の無い私は読み通すだけでも、大変でした。
聖徳太子は、後世の「諡(おくりな)」だそうですが、やはり卓越した人物だったらしいので、もっと色々知りたいですね。
(請願に訪れた八〜十の人達の話を、全部聞き分ける能力って凄いな!と思います。想像するだけで愉しい!)
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