導育甘言集 2013.01 [我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ [表紙頁]へ
悪名の棺 [0130]
『悪名の棺 工藤 美代子著 幻冬舎 2010年11月 3刷 \1,700+税』 (購入\105税込み)
以前から探していた本(笹川 良一氏の伝記)が、やっと見付かりました!
今まで、極悪人のように書かれたり云われたりして、私もそう思い込んでいたのですが、色々本を読み始めて知識が増えるに従って、“どうも、世の中の常識!とは違って優れた人物ではないか?”と感じるようになり、もっと詳しく知りたいと思っていました。
戦後の“東京戦犯?裁判”でも、裁判の不当性に抵抗したり、自ら監獄入りを図って(犯罪人扱いされていた)囚人達や家族を励まし続けたそうだし、国外ではハンセン病(ライ病)撲滅などに力を尽くされたそうです。(“人類みな兄弟”は、氏の標語とか)
他方、女性関係については、(多情多感なあまり?)あちこちで第二、第三妻を囲っていて、これが一般受けしなかった|評判が悪かった理由のひとつなのでしょう。
(きっと、賢明さや優しさなど、一人の女性の持分だけでは足りなかったのだろうと思いますね。要は、器が大き過ぎたわけだ!...私みたいな凡夫は、自分の大きさが分かるから、そう沢山求めることはありませぬが)
この人物を(偏見のみで)攻撃したマスコミ連の話で、真っ先に例の「朝日新聞」の名が出て来たのには、つい苦笑してしまいました。
あの新聞は、“私達日本人の(表面的な)偽の優しさばかり追っ掛けたり、無実の人や職務に冤罪を被せたり、(子供達を含め)出る釘は打たないと気が済まない根性”を代弁しているらしい。そうしないと、あの新聞紙は売れなかったらしいから、“やれやれ(嘆息)!”って処。
が、そんなことより、この伝記を読んでやっとスッキリしました!氏に負わされていた冤罪を、サッパリと晴らせた感じ!
無駄本s [0129]
『「せぬがよき」文化の黄昏 竹内 宏著』、『長安の月 大原 正義著』、『秦の始皇帝 吉川 忠夫著』 (購入各\105税込み)
どれも、私にとっては、全然面白くない無駄本でした。(他の人には何かの役に立つかもしれませんが)
“「せぬがよき」・・・”は、物事の部分だけを採り上げて、さらりと上手く纏めてありますが、はて?それならば、解決のために私達がどうすればいいのかについては、“・・・する必要がある”で、サラリと逃げられています。(結局、著者自身も「せぬがよき病」の罹病者らしい)
“長安の月”は、話がダラダラ・・・。事実の羅列・情景の抑揚が無い描写ばかりなので、阿倍仲麻呂という人物への感情移入も出来ないまま、やがてうんざり。これも途中で放り出しました。
“秦の始皇帝”は、教科書にするつもりだったのでしょうか?沢山の事実が“これでもか、これでもか!”と並べられているため、平板で全然面白味が無い。(他の学者の参考書にはなるかな?)
これらを放り出してから、『義務教育用の教科書』もこんなだったなぁ!と思い返してます。
事実を並列的にばらばらと並べてあるものが殆どで、あれじゃあ、私達生徒の“ぼんくら頭”に殆ど残らなかったとしても、無理ないぜ!とか。
それにしても、未だにあのうんざりするような教科書を使わせてるって、現教育関係達は「(改善)せぬがよき病」の重症患者達でしょうねぇ。
「ヨコミネ式」などで、幼少時から読書の練習を積んで、上手な(面白い)執筆者達の書いた書を沢山読めば、私達も随分賢くなっていたのではないか?!と悔しい想い。(ごちゃごちゃと内容を「教える」よりも、生徒達に「自発・自己学習の仕方」を指導すべきですね!)
騙しても [0127]
『騙しても まだまだ 騙せる日本人 邱 永漢著 実業之日本社 1998年8月 1刷 \1,500+税』 (購入\105税込み)
私は、まだシナ人から実際に騙されたことは無い(やたら、自慢ばかりされたことはある)のですが、色々な情報を見たり聞いたりしていると、さもありなんと思い、もっと具体的な話が知りたくて、この本を買って来ました。
この『表題』は、「あとがき」に書かれていますが、上海の日本人会で行われた川柳大会で一等賞になった川柳だそうで、現地の人達の実感がこもっているようです。
内容を拝見して判ったのは、やはりお互いの「思考方法」や「行動様式」の違いと、日本人が“性善説信奉”で、“お人好し”で、“面倒臭がり”なのに対して、先方は“性悪説が前提”で、“人は泥棒と思え式”で、“信用出来るのは家族、親類、親しい友人だけ”で、“やれることは何でもやる”という“強(したた)か姿勢”の違いが、騙し騙されの原因らしいですね。
まぁ、日本人の大方が“好人物”らしいのですが、私が思うには、単に“相手を疑う/評価するのが面倒臭いから”だけなのではないかと。(多分、判っていても騙されてあげるよ♪ってな、太っ腹でもないでしょうし)
一旦(静かに真剣に)評価した上で決めればいいのに、その手前で止めてしまうから“お人好し/間抜け”になるわけですね。
私は、何事も「性悪説」で処すべきだと思うのですが、日本人はなかなか「性善説」から抜け出せないようですねぇ。(苦笑)
ほんの少しの疑いを持つだけでも、相手に失礼だと思うからでしょうかね。でも、疑わなくても、裏でじっくり確認だけはすべし!
(ところで、シナとのやり取りで、『戦略的互恵関係』とかいった言葉を、マスコミや政治家は得意になって使っていますが、私達日本人には“戦略性気質など、ちっとも無い”ことを知っているのでしょうか?自分達のことだから、ちっとは疑ってみたらどうですか?)
沈黙の王 ? [0124]
『沈黙の王 宮城谷 昌光著 文藝文庫 1999年5月 11刷 \476+税』 (購入\230送料込み)
いやぁ、この本はまったくの期待ハズレでした。
この著者のもの/著書は、概ね面白いものが多いし、解説(左写真クリック)の「古代中国で初めて文字を創造した王を描いた」とあったのに甚く興味を惹かれたので、BOOK-OFFやネット中を捜し廻って入手したのですが。。。
「文字を創造した」とあったから、きっと、喋るのが不得手な王が、苦労して文字を開発していった経緯を描いたのだろうと期待したのですが、違った!
何と!「文字」の話は、最後の数行にチョロリと書かれていただけ。
“解説屋”も“解説屋”なら、これを裏表紙に載せた“編集者”も“編集者”だ!...後で、無性に腹が立ちました!
でも、宣伝文句だけを見て中身を期待した方も、“愚か”といえば“愚か”だったわけですが。
これも『鶏頭狗肉(けいとうくにく)』と言えるでしょうね。
これで、私が反省させられたことは、下手に書籍などの“(万人向けの)解説や評論”などはしない方がいいなぁ!ということ。
むしろ、“私自身が感じたり思ったりした個人的な偏見や曲解”だと分かるように書く方が、害は少ないだろうと思いました。
民の見えざる手 [0121]
『民の見えざる手 デフレ時代の新・国富論 大前 研一著 小学館 2010年8月 2刷 \1,500+税』 (購入\105税込み)
アダム・スミスが、経済や市場を「神の見えざる手」だとして、解釈・説明しようとしたそうですが、この著者は「いや、其処にあるのは民の手だ」と仰りたいようです。
著者は、現状や民情を細かく分析し、そこから行動すべき事を抽出して、“増税などをしなくても、経済は活性化出来る!”と訴えられています。
現状では、政治家(達)が“がやがや諮問会議”などを開いているようですから、多分アンチョコな方法しか思い浮かばず、成り行きで、増税!ってことになるんでしょうけど。
中の記述で、なるほど!納得した内のひとつ。
『人は選択肢が増えると選択しなくなる』 ・・・ これは、物の購買方法についての分析なのですが、実は先の衆議院選挙でも、それが起きましたね!
党派が増え投票先が増えたら途端に投票率が落ちたし、結局は、分かり易い自民党に逆戻りしてしまった!
で、この著者の提案は、『顧客の顔を見て「価値」を提案すべし』だそうです。
・・・ あ!これも対応した事件がありましたが、「嘉田氏の顔を借りて、その応援者の票を横取りした小沢氏グループの策」がそれ!
(本来全滅するはずだった、“生活がイチバンの党”が、そうした阿漕な方法で巧みに生き延びましたからね。嘉田氏の応援者達は、結局、“無価値なモノ”を売り付けられたってわけ)
まぁ、現実の経済活動では、庶民向けには“安いモノ”を、高所得者には“値打ちモノ”を提案すれば、皆がそれぞれに買う物に満足が出来るっていう事と、それぞれの顧客層で創られたブランドイメージは、崩さないでおく事が重要だそうです。
「ユニクロ」の別ブランド「ジーユー」は、それを崩した失敗策ではないかと、この著者は嘆いてますね。
(そいや、柳井社長が、あれは一度見直す!ってな話を、何処かのニュース記事で見たことがありますが、その後どうなったのかな?)
太公望[上,中,下] [0118]
『太公望[上/中/下] 宮城谷 昌光著 文藝春秋 平成10年7月 5版/4版/1版 各\1,762+税』 (購入全\315税込み)
大変に面白かったので、三冊を一気に読み通してしまいました。(でも、疲れた。ハァ〜!)
「太公望呂尚」という名は、シナの昔、日がな一日釣りばかりしていた人物で、それをある国/邦の王が、アドバイザ賢者として招いた?と、中学生時代に教わった微かな記憶があるだけ。
この本は、少年「望」が成年になる間の異能な活躍ぶりを描いた小説で、武・智に優れ、“先読み”と“実行力”で、自族「羌族」を再興しようと努力し、「商/殷王朝」を倒すまでの話。
ははぁ!と思ったのは、中巻の「向族」との接触時に、その向族人の気分が丸で今の日本そっくりに描かれていたことです。
武力を持たず、中立を望んでいて厭戦気分が強い。他の強国からいずれ襲われることも分かっている。しかし、積極的に身動きもしない。
「望」に、“これからはそんなに悠長な世の中ではなくなる|大地が裂ける時が来れば、右か左の地を選んでおかないと、否応無く地中の闇に落ちるだろう”と諭されて、やっと自分達も武装する事を考え始めるのです。
今の日本も同様で、(ひ弱いのに)自分達だけが(幾ら格好よく)戦争放棄を宣言しても、中立だと両側の大きな勢力に押し潰されてオシマイ!
でも、この小説のように、“警告してくれる賢人”や“それを聞き分けて行動に移せる族長”などが居ないのが、似て非なる処。
この辺りの話は、著者から、“日本人全体への警告”なのかも。
楊家将 [0115]
『楊家将[上,下] 北方 謙三著 PHP研究所 2003年12月 1版 \1,600+税/\1,500+税』 (購入\210税込み)
10世紀後半、北漢(後に宋に加わる)の兵家一族「楊家」の話ですが、家長の「楊業」を始め、長男の「延平」以下「二郎」から「七郎」に至るまで、皆が(戦いに)強いの何のって!
厳しい教練と研鑽によってそう育って行ったのでしょうが、自分達は「兵家だ!」という“自覚”や“誇り”、それに“割り切り”があったからだろうと思います。
この一家が、騎馬隊数千と歩兵数万を率いての戦いの時代に生き、やがて味方の総大将の裏切り(“怯え”による退却)で一家が全滅に近い被害を被る。が、生き残った「六郎」と「七郎」が自家再建を目指すまでの話。
これを今の自分に引き替えて考えてみると、実力からして、きっと“武将”達の方ではなくて、“累々と横たわる戦死体の中の一つ”にしかならなかっただろうと思いますね。(苦笑)
でも、その時代にそれ以外に生きる途がなければ、そうしたでしょう。
また、もし運が良くて強い武将/指導者の下に入れれば、厳しくしごかれるかもしれないが、生き残るチャンスも増えたかも。
もっと、強くて賢明であれば、自分もこうした武人の一人になれたかな?(いや、ムリムリ!)
・・・ 最後に少し無念さも残りますが、全体では“爽やかさ”を感じる小説です。(勿論、男性向き!女性には、男性を知る参考に)
山師の兵法 AtoZ [0112]
『レアメタルハンター・中村繁夫の 「山師の兵法 AtoZ」 中村 繁夫著 ウェッジ 2011年9月 1版 \900税込み』
何だか、凄い“山師”ですね!
昔は、“山師”といえば、“ほら吹き”か“詐欺師”の代名詞のように使われたことがあったらしいけど、この人物は“大変有能で、人格的にも優れた方”のようですね。
世界各国を飛び回り、人種や国柄に合わせて、レアメタルの取引や開発を、リスクを最小にしながら出来るだけ利益を上げるようダイナミックに仕事をされているようですが、(狭い日本の中でこせこせ生活している)私などから見ると、「凄い!」の一言!
元々、商社マンだったそうですが、後ご自分で会社を立ち上げられ、年商340億にされたとのこと。取引先は、世界中何処でも!異国間ででも事務所を置いて取引をされているそうです。
この本の中で指摘されている点で気になったのは、東南アジアの中でベトナム人は「融通無碍」、「面従腹背」で、彼らの“二重構造的思考法”を熟知しないと、日本人企業家などは簡単には事業は進められないような感じですね。(“脱中国からベトナムへ”は、そう簡単ではないってことか!)
興味深いのは、ロシア人のことで、彼の国と日本ほど補完性の強い国はないそうです。
日本人は、先方の(日本への)片思いに、全然気が付いていないし、向き合うタイミング|呼吸も分かっていないとの由。
例えば、北方領土のこともタイミングさえ間違えなければ、2島先行で、じっくり時間を掛けて4島返還まで漕ぎ着けられたのに!とのこと。
(それを、頭の固い有識者?やマスコミ、政治家(達)が、全部潰して来たのは周知の通りですが、最近になって明らかにされ始めた、東郷元欧亜局長や森元首相などの話も、納得出来ますね)
また、従業員として、日本人学生は(ひ弱で?)採用し難い、むしろ中国人学生の方が、優秀な上にハングリィで、期待出来るそうです。
この著者も、“義務教育の大切さ”と“日本の教育の甘さ”に言及されています。(現状だと、日本はやがて“優秀人材不足国”になってしまう)
(まぁ、著者の会社では即戦力が必要だから、従業員の半分以上は、仕事が出来る他国籍の人達だそうですが)
霞ヶ関「解体」戦争 [0110]
『霞ヶ関「解体」戦争 猪瀬 直樹著 草思社 2008年12月 1版 \1,400+税』 (購入\105税込み)
この本の著者猪瀬氏は、やっと(霞ヶ関の端っこの方から、少し崩せるかもしれない力を持った)為政者(東京都知事)になられましたね。
幾ら“改善の意思”があっても、やはり、人事権や決裁権を持つ立場にならないと、現実的な「改革作業」は出来ないだろうと思いますが、氏のこれからの活動を期待したいものです。
(都知事選での猪瀬氏への400万票超は、そうした期待の現れでしょう)
この本の内容は、一委員として官僚達を口撃していた時の各場面を採録したものですが、「問題点」を理詰めで責めて|攻めても、結局は、“暖簾に腕押し”の感じで、官僚側に反省の意も無ければ、改善の気持ちも無いのが良く分かります。
一番問題なのは、既存組織の(効率が悪くて)仕事が捗らない時には、更に余分に組織を増やす悪癖のあること。
組織のスリム化で効率的に運用することなどは、自分達や仲間が失職したり、利権エリアを狭くするわけだから、そんな気などはサラサラ無い様子。自浄作用なども皆無で、そのままにしておくと、汚れは増すばかり。(性悪説を、地で行くが如し!)
(改善意思を持つ)為政者がやるべきは、議会の応援を得て“指示や命令”などでばっさり削り落とすことしか無いですね。(抵抗も激しい!)
他方、私達一般人は、そうした改善を応援しますよ!って少しでも声を上げ、態度で示すことが重要でしょうね。(男の子は政治から逃げちゃダメ!)
真・国防論 [0108]
『真・国防論 田母神 俊雄著 宝島社 2009年5月 1版 \1,400+税』 (購入\105税込み)
この著者の言、『国際社会は性悪説で眺めるべきもの』は、私も正しいと思っています。(性善説、性悪説の語源については色々異説があるようですが、ここでは“文字通り”に使って)
現に、先般も日本国内での犯罪容疑者−靖国神社の放火犯(シナ人)が韓国へ逃げ出して、その後シナ政府の圧力によって日本へ引き渡されずに、シナへ放免されてしまったそうですが、これなど“日本人の(性善説的)常識”では考えられない“悪行|悪業”ですよね。
ま、そうした現実の中で“友好関係”を維持するには、どう考えて、どう対応すれば良いか? ・・・ この著者は「牙を持て!」と。ただし、「直ぐに噛み付くわけではない!」とも。
ところで、この本で、私が気になったのは、防衛省の中で「事務次官以下に属する内局」が、実は“自衛隊(制服組?)を助ける働き”よりも、むしろ逆に足を引っ張っている現実を指摘されていることです。つまり、此処にも、例の“シロアリ組織”が巣食っているらしい!
しかし、一方で、自衛隊が真面目に“日本国憲法”や“国内法”を守ろうとすればするほど、自縄自縛(じじょうじばく)に陥り、自国が守れなくなるそうで、本当に効率が悪いし、勿体無いことです。
何故、私達日本人は、大事な組織を、非効率的で非力なものにしないと気が済まないのか、良く分かりませぬ。というか、どうも“性善説”が逆に“悪業”をしているとしか思えないのですが。
今は冬山登山の時期で“遭難”や“救助”のニュースが絶えませんね。流石に、そうしたケースでの「救助隊」を粗末にしたり貶(けな)したりする勢力は無いようです。 ・・・ が、他方「自衛隊」に関しては、蔑視するマスコミ記者連や、政治家達がまだ居るらしいのは、困ったことです。
子供達に、“危ないから”と「切り出しナイフ」などを持たせない母親(達)と同じ類でしょうかね。
英国こんなとき旅日記 [0105]
『英国こんなとき旅日記 江国 滋著 新潮社 1992年10月 1版 \1,300税込み』 (購入\105税込み)
昨年末に読んだ「松尾芭蕉」が結構おもしろかったこともあって、“旅券は俳句”という小文句に惹かれて、この本を買ってみました。
紀行文としては、沢木耕太郎氏の「深夜特急」とはちょっと趣が違って、もっぱらハイ・クラス|ハイ・ソサエティ(?)の香りがするのですが、まったく嫌味の無い愉しい紀行“随筆漫文(著者の言)”でした。
著者が、英会話に長けて居られるのは羨ましい限りですが、それより「カード・マジック技」や「スケッチ技」が“素人離れ”されているらしいので、それに感心しました。
私などは、“無芸少食下戸”なので、なかなか他人様と楽しく付き合えないのですが、こんな「一芸に秀でる」というのは、必要で大切なことではないかと思います。
先頃、故アインシュタイン博士が弾いたというピアノが話題になっていましたが、西洋の教養人は必ず何かしら“一芸”を持って居られるようで、私達一般日本人も、そうした教養水準の方も上げないといけないなぁ!と思った次第。
(これは、小さい頃からの訓練の有無によるのではないでしょうかねぇ。やはり、「胎教」や「乳幼児教育」が有効だろうと思いますね!)
タカツカヒカルの遺言 [0102]
『タカツカヒカルの遺言 高塚 光 扶桑社 平成6年12月 2版 \1,300税込み』 (購入\105税込み)
この方(かた)の本、これで2冊目ですが、読んでいて大変愉しいし、夢がある!
普通のサラリーマンなのに、こうした『超能力』を持って居られるってことは、我々普通人でもそうした能力を持ち得るのだ!そうした能力は、ただ眠っているだけなのだ!と確信に近いものを感じさせて貰えるから、大変有意義で貴重ですね。
しかも、言って居られることが、全て“前向き”で、『試す、選ぶ、利用する』という“自力意図+超能力”だから、とても共感出来ます。
(病院通いや宗教依存のように、「頼る、すがる、お願いする」など受身的な発想だと、それを思った途端に免疫の数値が一気に下がるそうで、具合が良くなるどころか、もっと悪くなるらしい)
この方(かた)の超能力の善い処は、“西洋の魔法”のように“アクティブな道具≒人に害を及ぼすこともある技”ではなくて、“受け手の免疫力・治癒力を高める作法”なので、まさに“(モテナシの心を大切にする)日本人向き作法”ではないかと思いますね。(PCゲームなどでの、「ヒーリング・ポーション」のようなものかな?)
実は、自分でも、“超能力呼込み”を、気が向いたら時々やってみているのですが、まだ一向に霊験はないなぁ。(笑) ・・・ でも、それが全然負担にならないのがいいですね。z(^^;?
他方、日本の子供達に、こうした能力も持たせられたらいいなぁ♪どうすれば、持たせられるかなぁ♪と思いながら、読み返しています。
(更に、右脳開発がポイントらしいから、七田 眞氏らの考え方も参考になりそう)
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