導育甘言集 2013.08 [我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ [表紙頁]へ
華栄の丘 [0831]
『華栄の丘 宮城谷 昌光著 文藝春秋 2003年3月 1刷 \495+税』 (購入105税込み)
この本の主人公−華元は、“出目”で“太鼓腹”、想像するにかなり恰幅(かっぷく)の良い体形だったようだ。
しかし、争いや詐術を好まず、それで居て、宰相として(当時は小国だった)“宋”の安定維持を、巧みに図っていたとのこと。
日本では、“大男、総身に智恵が廻りかね”という皮肉っぽい見方があるが、他方、“智恵の詰まった大男”ほど、頼り甲斐のある者も居ないのではないか、と思ったりもする。
(私達も、そんな政治家に日本を託してみたいものだが)
でも、近頃は、“醜く太るコト”が流行っているようで、街中で“臨月の男性”(!)をよく見掛けるようになったが、すれ違うだけで、こちらまで恥ずかしくなる。
何を食い溜めしてるのか知らないが、そんなものを孕まなくてもいいのに!
...先日も、「はだしのゲン」の事が話題になっていたようだが、あんな話が“智恵”になるわけでも無いのに、やたら腹に詰め込んで、子供を見苦しい“太鼓腹”にしたいのかねぇ?
愛情たっぷりに育った子供は、大きくなってから他人にも優しく出来る能力を持つし、虐められて育った子供は、大人になっても他人イジメがやめられないってことを、もう皆知っているはずなのにねぇ。(まぁ、耳では聴いていても、頭の方は知らな〜い♪ってこと。つまり“智恵”になってないわけ)
(あれを見せたいと云う)大人達は、もっとまともな分別を働かせられないんだろうか。
頑張れ!教育長!...あっ、下げなくていい頭、もう下げちゃったか...
ユーモア小咄集 [0829]
『ユーモア小咄集 話題に艶をもたせる本 北村 栄著 マネジメント社 昭和63年7月 1刷 \1,200』 (購入\104税込み)
私は、至って“石部金吉”なのだが、“ユーモア”とあれば、やはり覗いて見たくなる性質(たち)でもある。
「艶」となれば、中身は“大人の下(しも)の話”が多いのだが、大方はさらりと乾いている話なので、ケラケラ笑って居れば済む。
しかし、この本には、所々に“なるほど!”と思わせる話も入っている...例えば、
『“文化”とは、その民族や国民の歴史的、個性的な生き方である、と定義したらどうだろう。“教養”とは、人間の心、感情をこまやかにする働きをするものではないだろうか。』と。
確かに、“文化”というのは、地域や国毎に違っている(べき?|はず?)もので、それが全国や全世界に普及してしまうと、(固有の)“文化”でなくなる。
“文化”は、その地域の気候や風土への依存度が高くて地域限定的なものだから、そう簡単に輸出入などは出来ないだろう。
もし、簡単に輸出入が出来るものなら、それは、もう“文化”とは別物だろうという気もするが、交通機関や物流、通信の発達で、地域間の距離が縮んで来たから、その内、“文化”の質や定義も変わって来るかな?
“文化の輸出”といえば、先日も韓国人の国連事務総長が、韓国自前の“日本への嫌味(文化)”を世界へ輸出しようとしたらしいが、するならもっと“金になるようなもの”にした方が、いいんじゃないの?...あ、あれ!潘さんの個人収入になるのか!そぉかそぉか!(苦笑)
『中国てなもんや商社』 [0827]
『中国てなもんや商社 谷崎 光著 文藝春秋 1996年4月 5刷 \1,400税込み』 (購入\200税込み)
この本、大変面白い!(それに、この本の表紙も、大変庶民的でいい!笑)...それよか、この人物の生き様が、とても素敵だ!
普通の日本人だったら、直ぐに逃げ出したくなるような状況でも、平然と?いや、猛然と!こなして行ける馬力・気力があるらしいもんな。
ま、“並みか並み以上の大阪人”だったら、これ位はやれそうな気もするが...いやいや、更に相当な“才覚”も必要かな?
という事は、きっと幼少時からの育ち方、大阪商人のお父さんから(商売)哲学を教えられて来たのが、“肥やし”になっているのだろうと思う。
また、最初に入った商社の“仕事が出来る”王課長も、よき指導役だったようで、それで著者は、航空母艦からカタパルトで打ち出された戦闘機さながらに、大空に飛び出した♪
・・・ ネットで探してみたら、著者のブログが見付かった。「谷崎光ブログ 中国てなもんや日記」
物事の表裏や実態をちゃんと見て、考えて書いて居られるようで、真面目に拝見して損は無さそう!
『中国はノーと言える』 [0825]
『『中国はノーと言える』の読み方 日本人はなぜ中国人に嫌われるのか 高木 桂蔵著 ごま書房 1996年9月 1刷 1,300税込み』 (購入\105税込み)
あー、残念!...少しは、私達日本人が反省や留意すべきことが明確にされているのかな?と思って買ってみたけど、そうではなかった!
彼ら(中国人著者達)の発行本を批判した、よくある“中国(人)発言の批判や非難話”ばかりで、あまり参考にはならなかった!
つまりは、中国(人)というのは“夜郎自大”で、本当の自分達の姿などは見たくなくて、他人ばかりを攻めて|責めて来た民族なのだ!と、この著者は云いたいのだろうと読めました。
・・・ でも、それは、攻撃的な人種や民族なら、大方そんなものでしょう!?
それよりも知りたかったのは、私達日本人の側の“どんな弱み”につけ込もうとしているのか?という点で、其処を上手く防げば、彼らの日本(人)への「嫌がらせ」や「批判・非難」を、上手くかわせるのではないかと期待したのですが。(その意味では、これは物足りない!)
それと、この本には誤植が多いらしく、先の読者の鉛筆での“訂正書き込み”が多くて辟易。(目障りなので、消していたら、ゴミが沢山!苦笑。売るなら書き込まない!書き込んだら売らない! 左上写真<クリック>)
子供の泣き言 [0823]
先日、“ユリの花”を見るつもりで、小さい孫達と滋賀・箱館山へ行って来ました。
もう花は終わっていたけど、簡易遊園地があって、孫達は面白く遊べて満足したようです。
ただ、愕然としたのは、孫娘の泣き言(“ヤメテー!)の二三度で、年長の男の子達や女の子達が、いきなり凍り付いてしまったこと。
大きな風船マットの上をよじ登っている時、大きな子達が幾人も飛び降りてくると、その都度、孫娘が弾き上げられそうになっていたからなのですが、左程危険でも無いのに!
私は、“それぐらいのことで、泣き言を云うな!”と叱ったし、実は、それより周りの子供達には、多少力加減をしながらでも、むしろ平然と飛び回っていて欲しかった!
しかし、平生の“安全教育”で飼い慣らされてしまっているのか、“悲鳴”を聞くと皆が固まってしまったのには、驚いたし、困った事だと思いました。
つまり、子供達が皆、“悲鳴≒危険信号”と解釈して、一斉に行動を止めてしまった(ワンパターン)のですが、それより、もっとそれぞれの子供達に「(瞬間的な)色々な行動パターン」があっても良さそうなのになぁ!と思った次第。(みんな一等賞!と同じではねぇ)
この国のかたち[五](続) [0821]
『この国のかたち[五] 司馬 遼太郎著』 承前
この著者は、『(国固有の)文化』というものについて、其処此処で触れられていますが、「神道」は日本の文化であり、「仏教」は「普遍性のある(文化ではない)もの」と考えて居られたようです。(“普遍性”は、当然“無個性”でもあるのですが、そうしたこともあちこちで触れられています)
古来、日本の神様(達)は、仏教に下に降りて、(有り難い?)仏の教えを聞かされる立場に置かれてしまったらしいとのこと。
確かに、そう言われてみると、何処のお寺へ行っても、隅っこの方に(神様の)社が小さく祭ってあるので、不思議な感じがありましたが、私にも最近やっとその意味が分かって来ました。
(...しかし、“日本固有の文化”の方が地位が低いって?どういう事でしょうね...“普遍性”に征服されてしまったからなのか?)
この事から、“今の日本国憲法(の普遍性)”を有り難がっている人達を思いました。
(大きな看板に“輝け憲法九条”とかあるのを、時々見掛けますが、自分達の生命・財産を守ってくれるのは、一体何?誰?なんでしょうね)
“無個性≒普遍性”を売り物にしているということは、個性が強調される今の世界情勢の中で、果たして“勝ち抜ける”かどうかなど、ちっとも考えたことが無い?いや、むしろ征服されたがっているのでは?...と、この本を読みながら、そんな処まで、思いが及びました。
この国のかたち[五] [0819]
『この国のかたち[五] 司馬 遼太郎著 文藝春秋 1996年3月 1刷 \1,200税込み』 (購入\105税込み)
この本は、孫息子も読むかな?読めばいいが?と思って買って来ましたが、残念ながら、一瞥で撥ねられました。
中身の良し悪しよりも、[五]巻から始めるのが気に食わなかったらしいが。(笑)
まぁ、中身にしても、この巻は、「神道」から始められていて、奈良の三輪山や、大阪の住吉大社(実は、神戸にも住吉神社がある)などが出て来るのだが、こうした神社も行った事が無かったり、知識が無かったりすれば、初めて読んでもちっとも面白くないでしょうね。
(逆に、私はそうした経験や知識をベースに考えたから、“日本の神道”の根源に興味が湧いたわけですが)
孫達には、盛んに“本を読め!”と言い続けているのだけれど、こうした実状を考えると、とても、ガイドなどしてやれそうにないですねぇ。orz
ところで、“マンガ”の話で思ったのですが、「漫画」って“消費文化”で、「書籍」は“生産文化”でしょうね。そんな気がします。
逆説の日本史 [0817]
『逆説の日本史 鎌倉仏教と元寇の謎 井沢 元彦著 小学館 1998年7月 1刷 \1,550+税』 (購入\105税込み)
この本の前半、日本の仏教については、元の仏陀の“教え”というか“悟り”という考え方は、日本では流行らなかったことが縷々書かれていますが、残念ながら、色々な宗派が出来て来た話など、読んでいて途中で飽きてしまいました。(申し訳ないが)
次の、“元寇”の話で、日本側が勝ったわけも、なかなか出て来なくてイライラしましたが、結局、“元”軍が第1次は、多国籍軍(モンゴル人、漢人、高麗人の混成軍)、第2次は旧南宋軍であった事で、元来強かった“元”軍の得意の“騎兵戦”ではなく、不慣れな“海の戦い”だったのが原因だそうです。
それにしても、第1次、第2次の暴風(所謂、“神風”)による“元”軍の“一夜での壊滅”で、多くの日本人が外敵退散の裏に“神風”の存在を考えたのは、“日本の不幸”だったとして書いて居られるのは、同感です。だけど、それ(神風)に対する反論、反証の歯切れの悪さは、この著者らしからぬ手抜かりでは?
(私などは、本当に神風が吹いたのかも知れないと思うこともありますから。笑)
アメリカ素描(続) [0815]
『アメリカ素描』 司馬 遼太郎著 承前
この本は、じっくり読んでいると、あちこちに面白い話、あるいは“なるほど!”と膝を打ちたくなるような話がありますが、ここでは、固有の文化について考えさせられました。
中の「梅とプラムの差」では、風土の違いが植物までも違った種にしてしまうらしいとの話。
米国のある家庭(奥さんが日本人)で、ウメボシを作るのに梅の木を育てたら、3年目にプラムに変身したのだとか。(うーん、考え難いが、誰かの悪戯にしても、結果的に考えれば同じことだけど)
植物ですらそうなら、人間なんて、風土が違ったらコロッと変わるだろうな!と思ったり。
(となると、“文化”は、やはりその土地や風土に大きく影響されるのでしょうね)
で、その続きの話で、「男はつらいよ」の登場する近所の印刷工場の“社長”が、あれこそ本当の日本文化であって、むしろ、“寅さん”などは世界中の誰でもが面白がる?人物だそうだから、普遍性があり過ぎだって!
(つまり、“ふーてんの寅さん”は思っているほど“日本固有の文化”でもないらしい。そいや、CFにも外人寅さんが出て来たっけ!笑)
そう言われれば、そうかも!...考えてみると、今、世界で流行しつつある「マンガ」、「アキバ」、「食文化」などは、日本発とはいえ、“固有の文化”ではなくて、普遍化されたものとみておく方が正しいのだろうなと思いました。
だから、“日本発”だとか“日本固有の文化”と自慢出来るのは、最初の一瞬(今)だけなのかもしれませんね。
アメリカ素描 [0813]
『アメリカ素描 司馬 遼太郎著 読売新聞社 昭和61年6月 20刷 \1,600』 (購入\105税込み)
この本、のっけから“韓国移民の急成長”という項目で韓国人の話が出て来て、「人種差別」に絡んで、私はちょっと言いようの無い不安に襲われました。
というのは、先般、韓国人達が、“斡旋売春婦≒従軍慰安婦”の記念少女像(?)を米国の何とか州の議会承認で建てたそうで、今では相当な政治的勢力を持って来ている事を示していますが、あれは将に、米国内で、人種間の「パワー・バランス」が変わりつつある証拠でしょう。
今でこそ、私達は、米国では「人種差別」が無くなっているかのごとき錯覚を持っていますが、著者の司馬氏も指摘されているように、実情は、(経済的、政治的、人数的)パワーを持った人種が、自分達の地位を押し上げ、そして自分達より下層になった人種を、逆に虐め始めるのだそうです。
米国では、「人種差別」の歴史を、再度繰り返し始めているかのような状況です。(日本人に対する韓国人の嫌がらせも、それ!)
そうした「差別」に関して、私達は、安全地帯にいる時には“見たくない!聞きたくない!”と眼や耳を塞ぎますが、それではダメでしょうね。
現実をしっかり見詰めて、それをどうやって克服するべきかを、ちゃんと考えなければいけないと思うのですがねぇ。
私は、“故障したジャンク品の「修理」の心構え”で、取り組むべきだと思ってますが。 ・・・ 何処が悪いかを細かく調べ分析し、手直しすべき所は何処で、どうすればよいかを決めて、果敢に実行する。失敗したら、やり直すか、諦めればよい!ってな感じ♪...失敗するのを怖がって逃げ廻り、手も付けず、やがて破局が来ても、それは自然や他人のせいに出来る...と思っていては、負け!
花火大会で [0811]
先日、家人が探し出して来た「琵琶湖花火大会」へ行って来ました。(チカレタ〜)
不幸にして、丁度電車に乗っている途中で“地震速報”とやらで、満員の電車が停車したまま動かないという事件に出遭い、不運を呪うことしばし。
それに、大津駅から有償の見物席(\3,800/折畳み椅子席)までの“物凄い人並み”と“騒音以上ガナリ声の誘導”(まるで街宣車並み)、それに腹に響き過ぎる“花火の炸裂音”で、もうへとへとになりました!orz...まともな人間の来る場所ではない!と思った次第。(笑)
それにしても、「JRの車掌」や「花火大会の誘導係り」に一言物申したい! ・・・ マイクと拡声器を使った群衆=私達への案内や誘導は、自分の“ガナリ”が一方通行なのを十分承知した上で、やって貰いたいですね。
乗っている客の大半は、同じ事を何度も聞かされてうんざりしていることや、歩いている人達の大半は、(自らが拡声器で、“ジャカマシイ!”って怒鳴り返していた)誘導おじさん(主催者側?)の“質の悪さ”に耳を塞ぐしか方法が無かったこと。いずれも、放送者側の「独りよがり」に過ぎないのにねぇ!
旅の絵本 [0809]
『旅の絵本 安野 光雅著 福音館書店 1977年4月-2003年8月 48刷 \1,300+税』 (購入\700税込み)
親戚の幼女と母親が大阪まで来るというので、会いに行ったのですが、暫くの間でも一緒に遊んでやれたらと、百均オモチャや絵本2冊を持参しました。
オモチャと1冊の本の方は“当たり!”でしたが、こちらの「旅の絵本」の方には関心が無さそうで、残念ながら、後で持ち帰り。orz
で、この本を、(文字は一つも入ってないのに)読んでやる(!)楽しみが無くなってしまいました。(笑 左写真<クリック>)
大の大人からすれば、自分の人生経験から、子供を愉しませるような色々な事件が思い浮かぶし、それぞれの人物達の会話も創り出せますから、脳の活性化にも役立つ。(^^;?
他方、子供の側からすれば、個々のどれもが疑問符で満ちているし、知っている動物や事物を指して喜ぶし、居ながらにして多彩な経験が出来る...はずだったのですが...でも、時と場所(=TPO 古っ!)がマッチしなかったようで、不発でした。(まぁ、それも“計算・勘定”していたけど)
この本は、また、何処かの誰かが利用されるように、BOOK-OFFへ返納(!)しておこうと思います。
所得税一律革命 [0807]
『対論「所得税一律革命」 加藤 寛、渡部 昇一共著 光文社 1999年7月 1刷 各\1,200+税』 (購入\105税込み)
こうした啓蒙書を読む度に思うのですが、過去から、幾つもの素晴らしい“改善提案”が為されて来ているのに、日本国内は(一向に)ぜーんぜん改善されないけど、どーして?って。
例えば、“国民全員が洩れなく納めれば、所得税は7%で十分”という話など、赤字が1千兆円近くになっている現在では、とても足りないと思いますが、発想としては良さそうに思いますがねぇ。
でも、なぜ今までそうした事が出来なかったのか?...これからも出来そうに無いのか?と周りを見回すと、どうやら、日本国民は、結局、他人任せで、何もやる気が無さそうに見えますし、実際、自分では何もしないで済まそうとしていますね。
例えば、国の規制や官僚達の浪費が悪いという話でも、国民の皆が“何でも国依存の体質”を改善しない限り、官僚は不要にならないし、無くせもしないわけです。
そうした現在の生活をダラダラと続けているだけで、皆満足しているし、それを崩す事(世間を騒がす事)は悪だ!とまで云われますからねぇ。
だから、改善提案をする際には、そうした“無気力さ”をどうすれば打ち破らせ、少しでも前へ踏み出させるかの「工夫」やそれへの「動機付け」の方が、有効・有用なのではないかと思ってます。
(つまり、幾ら良い提案でも、皆が“やる気”にならねば“没!”で、実際に“やる気”にさせた啓蒙書ほど価値が高い!と思う...で、実際、自分自身がやれる分担作業は、身の周りの教化、啓蒙くらいかと思いますが、これがなかなかの難物でして。苦笑)
追記:累進課税は悪だ、金持ちも同じ税金にすべきだという話。
確かに、この本に書かれていることは正しいような気がします。でも、もう私達には、戦後の『(悪の)平等主義』が身に染み付いてしまってますね。頭で分かっても、身体は妙に(嫉妬心で?)反対してます。戦後の『平等主義教育』恐るべし!
海賊丸漂着異聞 [0805]
『海賊丸漂着異聞 満坂 太郎著 東京創元社 1996年9月 1刷 各\1,400税込み』 (購入\105税込み)
ワクワクするような冒険活劇小説か?!と期待したのですが、残念ながら、物足りない!
特に、ここになぜ、“ジョン万次郎”が出て来る必然性があったのかな?と気になりました。
もし、史実だとしても、偶々通詞として居合わせただけなのではないのか?と思ったり。
読者に、“ほんとかなぁ?”と思わせたら拙いですね。例え嘘でも、“そうなればいいな!”と思わせてくれないと、鼻白む事になります。
こうした小説では、もっと感情移入が出来るような筋の運びや登場人物の設定が必要だろうと思います。(私には、とても書けないけど。苦笑)
この小説は、出来るだけ史実をはみ出さないように描かれたのでしょうけど、反ってあまり昂奮させられるような描き方が出来なかったのか?
でも、何の防衛手段を持たない島民達の前に、異国船が入って来るのは、“恐怖”そのものではなかったかと、当時の人達の心情が思い遣られます。だから、当時は“文明開化”が急務だったのでしょう。その点で、ジョン万次郎氏の役どころが、“探偵もどき”なのが、ツマラン!
天翔ける日本武尊 [0803]
『天翔ける日本武尊[上、下] 神渡 良平著 致知出版社 平成19年12月 1刷 各\1,600+税』 (購入\678送料込み、\105税込み)
この本は、最初BOOK-OFFで[下巻]だけを見付け、面白そうだったので、[上巻]をネット書店で購入。(ちょっと高く付いた!)
のっけから話の内容が“やや童話風(?)”なので、暫く迷いながら読み進めていました。
まぁ、普通、歴史読本は、真実味を増すためか、重々しく、(現代人感覚でなくて、古代人らしい)別の感覚をイメージさせられるように書いてあるものが多いのですが、これは違った!
通例なら、貶(けな)して放り出すところですが、でも、考えてみると、一般の人達向けになら、こうした記述の仕方があってもよいのではないか!と思い直して、読んでいます。
ただ、やたら、“現代風な会話”が多くて、そんなのだったら、わざわざこうした“古い時代の人物の話”を読む必要性が薄くなるので、不満足感が残る。
例えば、大和武尊(やまとたける)が、なぜ?というか、どのような理由で?か、熊襲梟師(くまそたける)の“たける”を引き継いだかのか、一応書いてはあるのですが、現代の徳性風で、当時の風習や実状に、本当に合っていたのかどうかが、疑問になりました。
もう少し、“古代”という時代を、それらしく描いて貰えたらなぁと思いますね。
人間の器 [0801]
『「欲望」が人間の器を決める 竹村 健一著 PHP研究所 1993年3月 1刷 \1,400税込み』 (購入\105税込み)
この本は、“自己啓発”には大いに役立つだろうと思いながら、他方で、“自己啓発”など望まない|関心が無い人達には、まったく役には立たないだろうなと思いました。(左写真)
つまり、この本を読む人は、多分自力で何とかしようとしている人だから、放っておいてもいい!
でも、読まない人達に“人間の器”を大きくして行って欲しいと思ったらどうするかなぁ?と。
実は、私は、子供達にも「器の大きな人間」になって欲しいと思っているのですが、“この本を読め!”と言っても、まぁ読みたがらないだろうし、読んでも理解出来るわけがない。(左写真クリック)
では、どうするか?...それが、毎日の悩みの種なのですが、やはり、私自身の器を大きくしながら、身を持って示してやらねばダメだろうな!と思うようになってます。
“器”は生まれながらに備わっているものではない! ・・・ それは、乳幼児時代の保育の仕方によって、随分違ってくるみたい。
自分の幼少期を思い返してみて、当時の周りの指導や情愛が、結構効いているように思いますね。
しかし、本を読んで、今更“器を大きくしよう”などと思うこと自体、無理があります。成人してから無理に広げようとしても、そう大きく出来るものではなさそう。だから、大人の私(達)は、横目で見ておくだけしかない。(残念ですね!笑)
ま、実際にやれることと言えば、兎に角、自分の毎日の生活を、丁寧に、無理にでも楽しいと考え、無理にでも朗らかに振る舞い、ドタバタと(決して、スマートにやってはいけない!)片付けて行く事でしょうか。 ・・・ ま、そうしていれば“器”なんて、気にしなくていいし!
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