導育甘言集 2013.09    我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ      表紙頁]へ

三国志 十二の巻 [0930]
『三国志 十二の巻 北方 謙三著 角川春樹事務所 1998年8月 1刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
十一、十二巻の内容は、既に、三国時代の英傑達(曹操、劉備、関羽、張飛達)が死んで居なくなった時期で、残ったのは、諸葛孔明、趙雲、馬超、その他の人物達なので、“激しい面白さ”は少なくなった感がある。
でも、孔明にスポットが当たり始めると、これがなかなか面白い!
別の本では、蜀の国を背負って獅子奮迅の活躍も終わりの頃には青息吐息だった孔明が描かれていたのを読んだ事があるが、この巻では、まだ活躍が始まった時代のようで、色々な工夫や実行の様子が愉しめる。
十一巻で、「連弩」という武器を、劉備孔明に、作って南方攻略に使え!と指示しているが、これだと劉備のアイデア|発案になってしまうが...
今まで、私の中では、孔明は“発明の才”で、戦乱を切り抜けていったというイメージが強いのだが、ちょっと感じが違って来た。・・・ でも、まぁ、そんな“思い込み”に囚われずに、孔明の活躍を愉しもうと思う。

三国志 十の巻 [0928]
『三国志 十の巻 北方 謙三著 角川春樹事務所 1998年4月 1刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
この本には、曹操の“死の直前”の描写があって、それが妙に印象に残った。
通常は、“死の直前の話”などと言うと、縁起でもない!とか、そんな話はやめれ!となるのだが、でも、これはほぼ『安楽死』に近い状態を意味しているのではないかと思えるので、敢えて残しておきたい。
『・・・ 死も、こんなふうに心地よいものではないのか。最後に心地よい死があるからこそ、苦しくても人は生きられるのではないか。もう一度、あの夢を見たいと思った。畠を作っている夢。詩を吟じながら、作物を見ている夢。しかし、眠ってはいないのだ。』
最後の瞬間に、爰京(えんきょう)が、「致死の鍼」を打つところで、終わる。
これは、著者−北方 謙三氏の“詩”だろうが、私達の実感であっても良いだろうと思う。
ところで、今の日本では、「安楽死」は合法化されていたっけ?...早く、社会常識として整えられるべきだ!と思っている。

三国志 九の巻 [0926]
『三国志 九の巻 北方 謙三著 角川春樹事務所 1998年2月 1刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
この巻の最後で、遂に、関羽が同盟国−呉に裏切られ、攻められて、あっけなく戦死してしまう。...負ける時って、そんなものなのかもしれないが、まだ、やらねばならない仕事が残っているはずなのに!...(というのが、傍観者の云う事。苦笑)

でも、問題だったのは、関羽の傍には、良い人材が居なかったか?来なかったのか?育てられなかったのか?それとも、育てて傍に置く気が無かったのか?いずれにしても、良い補佐役(達)に欠けていたのが、敗因のように見える。

その点、曹操にしろ劉備にしろ、陽に陰に「人材獲得」に腐心していたから、覇業を進められたのだと思う。 ・・・ やはり、協力し合うか、助けて貰う事を、常に考えていないと、大きな事業は完成出来ない|し難いのはないか。
(とは言いながら、自分の身の回りを見渡して、果たしてそうした人材が居るか?となると、大変疑わしい。まぁ、大事業者になる器でもないから、それでいいのかも!苦)

三国志 七の巻 [0924]
『三国志 七の巻 北方 謙三著 角川春樹事務所 1997年10月 1刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
(今、このシリーズに、ずーっとはまり込んでいる!苦笑)
この巻では、例の“赤壁の戦い”が描かれているが、曹操の攻めに対する呉軍と蜀軍の反攻は、先般の映画“レッドクリフ(赤壁)”では、主に諸葛孔明の作戦となっていたが、この巻では、呉の将軍・周瑜の戦術だったとのこと。
軍師・孔明は、それを事前に読んで、自軍なりの対処をしたと書かれているのだが...こちらの描写の方が、実際の場面に近いだろうと思う。

ところで、この巻で、曹操が、鍼で頭痛を治してくれていた名医の華陀(かた)を、気に食わないからと投獄して、殺してしまったわけを、後で、曹操自身が、治療の腕を上げて来た弟子爰京(えんきょう)に語っている場面がある。
『「ひとつ言っておく。華陀に欠けている、と思っていたものだ。 人に対する、やさしさ。 病や怪我を癒す者には、それが欠けてはならぬ、と思っている」』
華陀を投獄して殺してしまった曹操を、“極悪非道”だと責める見方もあるようだが、今の私は、それを“世の中を良くしたいと思っている者の果断な行為”として許せる、と思う。(尤も、私自身は、それほど果敢なことはとても出来ないけれど)

BOOK-OFFの棚 [0922]
私は、(このコーナを設けてから、)ずっと、BOOK-OFFのお世話になっているので、足を向けて寝られないのだが、利用する店舗が(遠い近いはあるものの)四方八方にあるので、何処かに足を向けないわけには...(笑)
先日、日本橋散策の帰りに、ナンバ心斎橋筋に統合・新設された店舗を覗いたら、従来式の“単行本の棚”が随分様変わりしていた。(左写真)
以前は、“新し目の単行本”にはそれぞれに値段が付されていたのだが、それらの多くがこの[150円〜200円]の棚に入って来ていた。(そのせいで、「105円本」が探し難くなったような、なってないような。苦笑)
これは、「105円本」愛好者にとっては“値上げ”のようにも感じられるが、よく考えると、「200円本」が増えたってことは、全体としては“値下げ”になるわけだから、私達利用者にとっては歓迎すべきことか♪
でも、地方の各店舗ではこのスタイルとは違っている所が多く、別途「半額セール」というのもある。
先日も、「105円本」を4冊買って\420を出したら、“210円です”と言われて絶句。
“105円なら好価!”と思っている者に、更に半額でいいと言われると、逆に恐縮してしまう。z(><;?
(当地元には、利用出来るまともな図書館が無いので、BOOK-OFFは貴重! どうやってでも、是非、生延びて欲しい)

三国志 五の巻 [0920]
『三国志 五の巻 北方 謙三著 角川春樹事務所 1998年10月 5刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
この本の中で、妙に気を惹かれる記述があった。
それは、張燕(または飛燕将軍)という黒山賊の頭目の言葉。
・・・ 「夢は、人の心の悲しさから生まれてくる。野望は違う」 ・・・

これを見て、ふと、先日、長編は止めると宣言されたアニメ監督の宮崎 駿氏が、これまで熱心に|必死に描き続けた“”のことを思い浮かべた。
やはり、あれも“心の悲しさ”を表現しようとしていたのかもしれない。
そういえば、宮崎監督が、変える事を反対されているという“日本国憲法”も、私は、その“夢”の一種だろうと思っている。
憲法前文などは、自分達では実現出来そうに無い“世界の平和、平穏”を、誰か実現してくれないかなぁ...という悲しい想いを綴ったもの。
しかし、現実は厳しい!...隣国などは“野望”を持って領土拡張や宇宙開発を進めているし、中東やアフリカでは未だ喧騒が納まらず。

ウィルスは伝染る [0918]
『ウィルスは伝染るんです 中村 正三郎著 廣済堂 2001年6月 1刷 \1,500+税』 (購入\105税込み)
これは約10年前の著作だが、ここで指摘されているモノ(ウィルス)の類似品や増殖品、新規品は、今でも沢山、ネット上で蠢(うごめ)いているだろうと思う。
これらは、人間の悪意や悪戯心が憑依(ひょうい)したものだから、多分、この世の中から無くなる事はないし、油断していると、何時取り付いて来るか分からない。
しかし、幸いな事に、今では「ネット人口」が膨大になって来ているので、一個人が狙われて被害に遭う確率は減って来ているのではないか。しかし、逆に、広がると被害は甚大になる。

私が、今心配しているのは、自分が「PC用ドライバ」などを探しに行って、下手をして“ウィルス内蔵品”を取って来てしまうことだが...今の処、不明。(苦笑)
万全な防備状態とはいい難いが、完全防備?の防衛ソフトを入れると、その分、厄介さが増すので、煩わしくて嫌なのだが。
近頃は、「McAfee Security Scan」というウィルス対策用のソフトに、毎回、<危険> このパソコンは危険な状態です。{今すぐ修正}と脅かされるているが、これもなんだかなぁ。。。(体裁はいいが一種の脅迫だ!苦笑)

三国志[1,,,4] [0916]
『三国志[1,,,,5] 北方 謙三著 角川春樹事務所 1996年11月/1996年12月/1997年2月/1998年10月 1/1/1/5刷 \1,600税込み/\1,600税込み/\1,600+税/\1,600+税』 (購入各\105税込み)
こうした小説は、著者の腕|筆力にも拠るのだろうけど、グイッと引き込まれてしまい、どんどん読み進んでしまう。
13巻纏めて買って来たのはいいのだが、始めは読み切れるかどうか不安だったけど、読み始めたら止まらない。もう5巻目。(笑)
本の中身は、古代漢王朝後期、群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の状況で、頭目達が覇(は)を争って戦いに明け暮れる殺伐(さつばつ)とした話なのだが、こっちは身体も頭も使わないので気楽。

そうした中で、頻繁に戦いに駆り出されて、戦闘で死んで行く幾十万人!の兵卒達は、一体“なんだろう(物か?人か?)”と思ったりもする。
しかし、各人は、それなりに“一個の人間”として、苦しみながらでも、満足して生きたのかもしれない。
現代人の多くは、生きる方途の選択肢が多過ぎて、“まともに生きていないという不満感”や、他方では、“少しの幸せでも満足感”を、それぞれに感じながら死んで行くわけだから、そう大して、古代の兵卒達と生き方が違っているというものでもなさそう。
満足する程度や質が違う?っても、そんなのは私達の単なる思い込みであって、例えば、“ご馳走を食べるだけの人生”だとしたら、満足出来る時は果たして来るのか?と問い詰められたら、返事が出来ないだろうに。(笑)

世代の交代 [0912]
『時代の交代 世代の交代 大前 研一著 PHP研究所 1997年11月 3刷 \1,500税込み』 (購入\105税込み)
この本は、今の若い人達(といっても、既に15年前になるが)に向けて書かれたもので、幾つもの視点や評価の仕方を示されていて、大変参考になる。
でも...最後は、若い人達自身の「智力」や「気力」に期待しなければならないところが辛い。
著者自身も、ご自分の身体を張って?東京都知事選に出られ、政治の改革、地方分権化を主張されたそうだが、時の人気者−青島氏の方が票を多く集めたそうだ。
まぁ、“狭い範囲の事”にしか意識や興味が無い人達に向かって、“広い範囲の色々な事”が関連しているから、それらを整理した上で対処方法を考えないと駄目だよ!と叫んでも、なかなか通じなかったんだろうと思う。

では、どのような相手だったら通じるかと考えると、もう(長けてしまった)若者達は無理で、(改革意識や意欲を持ち続けている)ホンの一握りの人達だけではないか。
それ以上に、出来るだけ多くを!...と考えると、まだ固まっていなくて通じ易い相手は「乳幼児」や「学童」しか居ない!
しかし、その層に効果的に訴える手段が無い!...若い母親経由が一番いいのだが、実は、一番通じ難い経路だろう!
(彼女らは、自分自身の社会進出の方が優先で、そちらに忙しくて、こうした書籍など、読む気も暇も無いもんなぁ。苦笑)
私が辿り着いたのは、『幼児教育・保育に携わる人達を組織的に訓練・教化して、保育園児や幼稚園児の段階で「智力」や「気力」を育ませて、彼らの成長を待つ方法』で、現実的で、実行可能な方策はこれしか無いだろうという結論。
でも、自分ではやれないので、この本は、そうした若い人達に、読んで学習しておいて欲しいなぁ!と思っているのだが...(無理か?!苦笑)
所謂教育専門家達の書いた“児童心理学”や“イジメを無くすには...”といったノウハウ本より、ずっと有意義なんだがなぁ。

略奪される日本経済 [0910]
『略奪される日本経済 堀川 直人著 PHP研究所 2012年5月 1刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
この本は、(言っちゃって悪いが、)“一杯飲み屋での政治・経済談議”のような感じで、“只の云いっ放し”みたい。
確かに、ご専門家らしく、細かく丁寧に分析されていて、“なるほど!その通りだ!”と同意は出来るのだが、では、最後一般人である“私(達)は一体何をすればいいの?何が出来るの?”と問うても、これといった「答え」が無い。結局、“政治家達は賢くなるべきだし、優れた人材の育成も必要だよね”ってことで、あっさり片付けられてしまっている。
つまり、それらを翻訳して、私(達)自身の“具体的な行動”にしたいと思っても、実は、何も無い!...それだと、私(達)に、単に“要求”や“反対”を声高に叫ぶだけの人間になれっていう提案・扇動にしか過ぎなくなる。

“自分は云うだけ、するのは他人”という話は、まぁ面白い事は面白いけど、底が浅い感じがして、むしろ貶(けな)したくなる。
著者の“知識のひけらかし”だけの「本」は、つい「中抜き」で読んでしまうようになった。
「本」は、きちんと全部読まないと勿体無い!なんて考えなくなったのは、“百五円効果”か?(笑)

日本的中国的 [0908]
『日本的中国的 陳 舜臣著 徳間文庫 1983年3月 1刷 \320税込み』 (購入\105税込み)
この著者の本は、先日の↓と違って、至るところで、“刺激”や“示唆”を与えてくれる。
それと、博識なところもまた好もしい!
この中で、「旗と城」の話が出て来るが、日本人は元々「」というものは、あまり好きではなかったそうだ。必要に迫られた時に、嫌々(でもなかろうが、主に動的に)使ったらしい。
そういわれると、そんな気もする。今では、祝祭日に日本国旗を上げる家庭が少なくなったし、もう“平時は不要、無関心”という事だろう。必要なのは、国際試合かオリンピック位?
私達日本人には、「旗」なんて、単なる象徴的な意味しか無いので、国旗を他国人に破られようが焼かれようが、それほどいきり立つ事も無い。頭の片隅で、“あぁ、焼かれてるなぁ...”といった程度。(でも、それの意味するところは、全然知らないし、感じてもいないってこと)

逆に、シナ|中国人達(に限らず他国人)は、自分達の(戦闘)行動の結果として、「」は、勝ち取った|占領した場所を明示するためのものだったから、それを倒されたり破られたりする事は、“やった事を台無しにされる”のと同じ意味を持つのだろう。
だから、我々日本人の無関心さ、鈍感さとは裏腹に、“重大さ”が違うという事を肝に銘じておかないといけない!と思った。

なぜ 起こるのか [0906]
『日本人の本能 喰代 栄一著 サンマーク出版 1996年7月 2刷 \1,800税込み』 (購入\105税込み)
表題を見て面白そうだと思ったのだが、残念だが、結論にはあまり説得力が無かった。
“過去に起こった事は、いつか再び起こる”という“シェルドレイク仮説”(「形の場」は「形の共鳴」によって伝わり、遠隔地でも、同時的に「同じ形」を形成するという)を検討・解説しているのだが、読後感は、“なーんだ!単なる都市伝説の類だな!”であった。
偶々、msn産経ニュース 9/5版」に出ていた、“ジブリの法則”と似たようなもので、多数回起きて、多くの人達がそれと認めそうな(キワドイ!)事象を、“法則だ!有意の自然法則だ!”というのに似ている。
そんな法則があるとしても、それから、“新たに、何かを生み出せるのか?”と問うても、多分、答えは何も無いのではないか?つまり、単に“楽しむだけの、不毛の理屈”なのでは?
本の購入費として、百五円なら許せるが、これに千八百円も出していたら、大損をした気になっただろうと思う。(笑)

日本人の本能 [0904]
『日本人の本能 渡部 昇一著 PHP研究所 1996年7月 4刷 \1,500税込み』 (購入\200税込み)
こうした本を読む度に、“なぜ、日本人は、もっと現実の自分を大事にして、しっかり見詰めながら、少しでも向上させようとしないのだろう?”と思う。(これ、愚痴!)
私達日本人って、外国人から見れば、好いとこだらけなのに、自分達自身にはあまり見えていないらしい。(まぁ、お人好し過ぎるのが、難点・欠点と言えるのだが、それすら、他人から指摘されないと気が付かないし)

この本では、日本人は自虐的になり過ぎるために、歴史的に損をし続けていると指摘されているのだが、それは、私が思うに、日本人は潔癖症であり過ぎるからではないかと。
“今の自分は理想的な姿ではない、少しの欠点でも恥ずかしい”と思い込んでいるために、欠点と思える事は隠したがるし、他人のは攻撃したくなる。(要するに、“パーフェクト・パーソン”を演じ続けたい)

それで、一番問題なのは、自分のほどほどの能力や実力をきちんと読めずに、過小評価したり、過大評価し過ぎたりするクセがある。
つまり、極端になってしまって、中間値を認めたがらないってわけ!(だから、少しの失敗も許さないし、それを事前に織り込む事も許さない)
(清濁合わせて飲めるのは、他の限られた人だけ!と思い込んでるけど、あんたも出来るはず!と指摘されると“冗談!??”って。笑)

良い悪例は、“自分の一票なんて、政治を変えられるモノでもないし、わざわざ投票に行くなんてばかばかしい!”という発想。
(...ん?あんた、もしかして英雄か化け物を演じたいわけ?...と言いたくなるがな!)
そうじゃあなくて、自分がやれる仕事と、自分が出せる成果はどの程度か(例えば、一票は一票なのだから)を、ちゃんと読んだ|量った上で、出来るだけベターな行動をすべきだわさ。
本当は、そうした練習を小さい頃からしないといけないのだが。(今は、単純なYes/Noしか教えてないし)

終戦のローレライ [0902]
『終戦のローレライ[上,下] 福井 晴敏著 講談社 2002年12月 2刷 \1,700+税|\1,900+税』 (購入各\105税込み)
久々に、良い読み物が読めた!
人間一人々々の人生の目標、その時点での目的の定め方や瞬間々々の生き方について、色々あるだろうけど、やはり“自助自立行動”が一番正しい生き方だなと、改めて思わせられた。
先般話題になった「はだしのゲン」、あの中身は良く知らないが、報道で見た分では、あれに出て来るという、“他人を呪ったり、恨んだりする様(さま)”は、どうせ、“他人依存のメソメソ人間”のする事だろうし、その男(の子?)は決して日本を救うことなどは出来ないだろうから、詳しく知ったからって大した意味は無かろうと思った。
この本で出て来るローレライ役の少女が、自分の限界は何処か?今自分が出来る事は何か?に気が付いて、健気にも、自分の限界を破ってでも、精一杯やろう!と努力する“素晴しさ”が、敗戦前夜の“日本の惨めさ”を救う結果になる。結末が喩え悲劇でも、復活への期待が滲んでいて救われる。良い小説だ!

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