導育甘言集 2015.03   表紙頁]へ   我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ

日本の新聞は [0331]
『「本当のこと」を伝えない日本の新聞 ニューヨーク・タイムズ東京支局長 マーティン・ファクラー著 双葉新書 2012年10月 8刷 \800+税』 (\108税込み)
この本は...というか、この著者は、“欧米式ジャーナリストとしての視点”から、“日本式自称ジャーナリスト”達の報道の仕方を、厳しく批判している。

私も、この見解・批判の多くは、納得し同意はする。
...だが、この著者が、この本では触れていない(日本・東京支局から)ニューヨーク・タイムズ紙に送った捏造情報の記事(韓国人売春婦問題)はどういう目的があったのかな?...あれは、「本当のこと」だったとでも思っていたのか?...朝日新聞が記事取り下げを云う前に、事実関係が怪しいと分かっていたはずだが?...それを、なぜ、わざわざ米国へ送ってまで“日本叩きの材料”に使ったのかな?

韓国人売春婦たちが、韓国人の親兄弟に売り飛ばされ、あるいは詐欺師や商売人達に誘拐されて売春婦になったという、より大きな事実・重大な真実の方を、なぜ隠したままでいるのだ?そして、無理やり“ありもしない日本軍の強制連行”にしてしまったのは誰だったのだ?事実・真実のすり替えをやったのはなぜだ?...そうしたことを同時に記事にしなかったニューヨーク・タイムズ紙の記者に、果たして「本当のこと 」など書けるのか?)

実は、その件についても知りたかったのだが...この本には書いていないぞ!...その代わりに、ジェイソン・ブレア記者が多量の盗用・捏造記事を乱発していたことだけは、“この一件の傷”と書いてあるがな。
この著者は、日本を自分なりに理解して来たつもりだ、と書いているが、理解したのは“朝日新聞の世界”だけではないか!?

[重ねて書くが]
確かに、今の日本全般の報道連中の姿勢には、私達一般人も様々な疑問を感じるし、この本に書いてある色々な事件や事例での日本各紙の報道の仕方には、不満を感じる。
特に、昨今の社説や論説には、“世間(=現実世界)を知らない幼稚さ”が目立つ。
つまり、記者達は自分達自らの眼や耳や頭で拾って来たニュースを自己主張の形で、記名報道するというタイプのジャーナリストではないということだ。 ...尤も、欧米式の「自己主張の強さ」には、先日のフランスの風刺画の事件のように、時には辟易させられるがな。

また、韓国のマスコミのようにやたら、国粋主義的な暴言を書き散らすのも、欧米風と言えば欧米風なのかも。
そう言えば、日本の新聞記者達は、一言居士風の論者からは脱皮してしまったようで、特に朝日新聞などはだらしが無い上、勇敢でもないようだ。
だが、この著者は、朝日新聞のように、近頃の日本にあふれ始めた“行過ぎた人権擁護”や“権力への(見せ掛けだけの)反抗”とやらに溺れ、“過剰に弱者に寄り添う姿勢”が、その“臆病さ”を生み出して来ているのに、気が付いていないようだ。
だから、まだまだ、この著者は、本人が云うほど日本が理解出来ているとは言い難い!

この著者に警告したいのは、私達真面目な一般の日本人が、この人物(東京支局長)が朝日新聞の論調にそっくりのコピペ記事「従軍慰安婦問題」、実は『韓国人売春婦の話』を、ニューヨーク・タイムズ紙に書き送ったらしいが、それが、どれだけ私達日本人を虚仮(こけ)にした話か!ということだ。
韓国人ならずとも、腹が立つ話だ!
それは、事実や真実なら、私達一般庶民・市民も納得・理解もしようが、事実とは違って、単なる“捏造記事の受け売り”だから、余計に、この著者の不実さ・不潔さを感じるのだ!
それの釈明もせずに、近頃は朝日新聞の元記者に味方して、居直ってさえいるそうだが、“捏造・コピペ”であっても、“ウソの真実が実在する”ようになれば、“報道の自由”ということにして、「本当のこと」にしてしまうのかな?(嘲笑)

日本型リーダーは [0328]
『日本型リーダーは、なぜ失敗するのか 半藤 一利著 文藝春秋 2012年11月 3刷 \780+税』 (\108税込み)
昔は、こうした本を読んで、リーダーとはどんな振る舞いをする人物なのか?自分がリーダーになった時、どう振舞うべきか?などの参考にしたいと思って読んでいたのだが、昨今では、その内容が、単に“面白いか?否か?”だけで見るようになった。
その意味で、この本は隠された秘話・逸話があったりして、結構面白いし、参考になる。
だが、今の私の命題=「日本の組織において、どうやって優れた資質を持ったリーダーを選び出すか?」については、あまり参考になるアイデアは得られなかった。

というのは、その多くは、多くの事例・逸話から、“良いリーダーとは...悪いリーダーとは...”と分類してあるだけだし、そうしたリーダーが出て来る背景や環境の分析だけだからだ。

今の日本では、“資質・スキルが無くても、賛同者・支援者の票(!)が多いだけでリーダーになれる”という愚かな風潮が蔓延しているから、今更「リーダー論」なんて役に立たないかもしれない。
しかし、大きな組織を効率良く動かして行こうとすれば優れたリーダーの存在は不可欠だから、凡人の群れの中からでも、何とかして上手く選び出す手法を、皆で会得しなければいけない。
やはり、それには幼少時からの教育や訓練が必要ではないか、そこからやれば何とかなるのではと思う。

利休にたずねよ [0325]
『利休にたずねよ 山本 兼一著 PHP研究所 2009年3月 6刷 \1,800+税』 (\200税込み)
私は、この本を全部は読み切れなかった。(途中で放り出してしまった)
テーマが、“個性のぶつかり合い”であると同時に、力の有る無しで“いたぶり”か、“イジメ”の話になっているからだ。
千利休が茶の湯において、「美の追求」という面で秀でた才能を持っていたが、時の権力者−秀吉が、それを自分にも望んだがゆえに、利休の“いたぶり”に遭い、仕返しの為に利休に“イジメ”を与えたわけだ。
どちらも“自分の力”を誇示したい誘惑に勝てなかったようだが、私達凡人から言わせれば、どちらにも“中庸を選べなかった哀れさ、愚かさ”を感じてしまう。
勿論、私達凡人には“力の極致”は魅力的なものだし、それを追い求める人達を尊敬はしたい。
...しかし、それだけ!のものだ。
私達の毎日の生活では、“理想”は、勿論望ましいものだ。
だが、現実に自分が出せる力量を勘案すれば、やはり望むべきは「中庸」だと思う。

それを、自らが認識出来ないで、“徒に、理想ばかりを言い募る哀れさ、愚かさ”を、今の“日本国憲法護持派”や今の“民主党・共産党議員たち”に見ることが出来る。
先般からの民主党・共産党議員たちの予算委員会での愚質問などもそうだが、彼らは、自分(達)がしたい事と、自分(達)が出来る事との間に、大きな乖離があることには、まったく気が付いていないことだ。
私達凡人から見て、それに腹が立つというより、むしろ“滑稽さ”や“哀れさ”を感じてしまう。
この本は、それと対比的な悲劇を、秀吉利休に擬(なぞら)えて、克明に描いているようなので、敢えてそれを最後まで読む気がしなかったわけだ。

捏造された日本史 (続) [0322]
『捏造された日本史 黄 文雄著 日本文芸社 平成9年9月 1刷 \1,200+税』 (承前
この本の表題を見直してみて、本の中身が“捏造歴史の話”ではなくて、実はこちらが『真実の歴史』だってこと。
うすうすでも、“現状の内外の悪意・捏造の話”を知っていないと、この表題は誤解を招きかねない...かも?
でもまぁ、手にとって目次を見るだけでも、それが「史実」だと分かるだろうと思う。
その幾つかを拾ってみると、
 +清国宰相としてスカウトされかかった伊藤博文
 +義和団事件後、北京庶民の守護神となった柴五郎
 +満州国の「王道楽土」の夢にかけた石原莞爾の無念
 +中国に近代社会のつくり方を教えた日本人(達)
 +台湾に東洋一のダムを建設した八田与一の執念
 +戦後に人民解放軍の台湾侵攻をくいとめた根本博中将の機略
各々の人物を後から見れば、その姿・姿勢はよく分かるものだ。
そして、その人達が、日本やその国で何を為して来たかを知れば、その国の時代背景や推移(=歴史)が良く分かる。
と同時に、いずれの人物も“その国々に良かれ!”と思って、懸命に努力している様子がよく見えて、やはり“日本人は、(根っからの)お人好しだなぁ!”と思うことしきり。(“損な性分”だけど、何時まで経ってもこの調子は変わらないようだ)

新鬼殺し戦法 [0319]
『新鬼殺し戦法 米長 邦雄著 山海堂 昭和51年7月 10刷 \650』 (購入\108税込み)
「コンピュータ将棋」の「初級」相手に、毎日勝負を挑んでいるが、「棒銀戦法」で三つに二つは勝てるようになって来た。
それは当然で、相手の繰り出す手が、幾つかのパターンに限られていて、それぞれへの対処方法を間違えなければ、勝てるわけだ。
まぁ、うっかりして途中で間違えることがあれば、負けてしまうが。(苦笑)

そろそろ別の手を試してみようと、この本を参考にし始めた。
ところが、やはり、この本のような“古い手”は研究され尽くしているのか、「コンピュータ初級」にでも、簡単に破られてしまう。(とほほ!)
まだ、読んでいない反撃手を返されて、慌てて本を捲ってみるのだが、正解手が見付からな〜い!(笑)
“温故知新”とはいうものの、古いものは、そのままでは使えないということだ!
安倍首相は戦後70年の節目で、談話を出す予定だそうだが、何時までも“古惚けた反省の歴史”などを引き摺っていては、これからの厳しい勝負・競争には勝てないぞ!と思う。

捏造された日本史 [0316]
日清戦争〜太平洋戦争まで 捏造された日本史 黄 文雄著 日本文芸社 平成9年9月 1刷 \1,200+税』 (購入\108税込み)
この本を読むと、日本および、朝鮮半島、シナ・中国大陸などの『近現代史』が、実に良く分かる。内容が良く整理されていて大変、読み易い!
単なる学術書のように、色々な事件や事実を、だらだらと、軽重に関係なく|とりとめも無く、書き連ねていないところが良い。

この本からも窺えることだが、日本人から見れば、随分、朝鮮やシナ・中国に、良かれと思って世話をしてやったことでも、相手はちっともそれを恩義だとは感じていないし、今では逆恨み(?)のネタにしているのが、残念だし悔しい!
まぁ、それが“彼らの品性・劣性”だと割り切ってしまえばいいのだろうが、今も続く“彼らの攻撃性”は、黙って見過ごしていると、世界中に嘘|捏造した歴史観をばら撒かれてしまうから、私達日本人もうかうかしては居れないのだが...

私達日本人は、常に“日本は世界からどのように見られているか?”ということを気にする性質(・民族・人種)なのだが、本当は、逆に“日本をこのように見くれ!”と積極的に訴える訓練を、幼少時からしなければいけないのではないか?と思う。
(しかし、今の日本では、セクハラ、パワハラ、モラハラなる“弱虫・女の泣き言”ばかりが聴こえる!...国内ではそれで済むかもしれないが、外国からイジメられたら、ケンカ一つ出来ない弱虫に成り下がるだけ)

他人をほめる人、 [0313]
『他人をほめる人、けなす人 フランチェスコ・アルベローニ著 大久保 昭男訳 草思社 1998年1月 21刷 \1,600+税』 (購入\108税込み)
こんな本も、若い頃だったら、懸命に最後まで読んだかも知れないが、今は数ページと、小見出しをざっと眺めて終わりだ!
何が面白くないかって言うと、色々な事例を添えて、人間を“類型化”し“分類”してしまおうとしているからだ。
そんな分類にどんな意味があるのだろう?と思ってしまう。
“常識的な人間”とかに分類してあったとしても、これから先、何を仕出かすか分からないのが常だ。
事件を起こした人間を指して、「普段は大人しい人なのに、なぜ?あんな事件を起こしたのか分からない!」とかいう話をよく耳にするが、結局は“常識的な分類化”の間違いだったということだ。
分類に関して、私は人間皆、“性悪説”で動いていて、法規制など社会的な制約が無いとダメだと思う口だが、日本人一般はどうも“性善説”を採る人が多いようだ。それは、“お人好し”にも繋がる。
最近、“右翼”だとか、“国粋主義”だとかいった、「昔の分類用語」を持ち出してくる連中も居るようだが、もう今ではそうした「分類枠」をはみ出しているものが殆どだ。
例えば、日本共産党は、まだ共産主義革命を目指している連中か?といえば、それはないだろう!(笑)
とまぁ、“人間の分類”といっても、この位大分類する程度で済ませておくのが良いし、この本のように細々と分類してみた処で、何かの役に立つわけでもなかろうと思う。
これは、買ってみたけどつまらない本だった。orz

ケンカ対談 [0310]
『原発事故、放射能、ケンカ対談 武田 邦彦、副島 隆彦共著 幻冬社 2011年6月 1刷 \1,500+税』 (購入\108税込み)
この本は、お互いが異論を持っている武田氏、副島氏の言い合い集で、副島氏が要請して、武田氏が受けた対談だそうな。
副島氏も、、武田氏も、どちらも、同じ放射線計測数値をベースにしながら、どう判断し、どう公表するか、またどのように事後対処するかで、意見が大きく異なっていたように見える。
副島氏は、極力日本は安全だ!という立場を取りたい、世界に向かってそう宣言したい側で、武田氏は、科学的な評価のコンセンサスから、取り敢えずは厳しい側、危険度の高い側で評価するべきだとの見解らしい。
ただ、武田氏が、アナログ的で、「物事の変化」に対応して、閾値は変えて行くべきだと仰っているのに、副島氏の方は、兎に角イチゼロ式に、白黒をはっきりさせたいタイプのようだ。
今の(軟弱な)世の中、“物事は全てイチゼロ(白黒)”が分かり易くていいし、大方はそれを望むのだが、現実はそうなるわけでもないし、むしろ「灰色状態での揺れ動きの世の中」に対処するには、アナログ的な考え方で、“自分に合った中間値”を選ぶ方がベターなのだが。
まぁ、“放射線と不安”の問題に関して言えば、「自分の年齢」や「放射線の種類・半減期」や「被害の確率」などを総合的に勘案すべきで、単純に(感情的な)「不安」や「安心」だけで、決め付けるのは得策ではないと思う。

白州次郎 占領を背負った男 [0307]
『白州次郎 占領を背負った男 北 康利著 講談社 2006年5月 17刷 \1,800+税』 (購入\108税込み)
この本を読んで、眼から鱗が剥がれ落ちた感じ!
私は、白州次郎氏という人物を、まったく誤解していて、終戦前後に英語が出来るから通訳として活動していた人...くらいにしか思って居なかったのだが、とんでもない大物だったことを知った。
また、日本国憲法が、マッカーサー氏やGHQの押し付け内容だったことを噂でしか知らなかったのだが、この本でその実情が良く分かった!

今から思えば、強引にでも、日本独自の憲法を採用すべきだった!などと軽々しく云えようが、当時のGHQ側の強権(公職追放権?)などで、結局は“押し付け憲法”を受け入れざるを得なかったようだ。
(連合国であった)ソ連や中国の日本分割案! などの横槍や、日本の赤化=共産主義化の危険性! などもあったため、急いだのも事実らしい。
興味深いのは、日本の再軍備を、日本共産党が要求し、それを吉田 茂氏(達)が拒否したのは、当時の連合国間の事情や日本側の意向(日本非分割や経済復興優先など)が分かると、頷ける話だ。

ただ、押し付けた側のマッカーサー氏やGHQ側も、日本独立後は、当然、日本の独自の憲法に作り変えるだろうと考えていたという。
...ところが、講和条約締結後も、内容を変えず、(能力が無いのか)そのまま現在に至っているわけだ。
(傑作なのは、日本の赤化革命を目論んでいた日本共産党や社会党が、手のひらを返したように、“憲法改正に反対”の立場に立ってしまったことで、それが不思議というか奇妙というか。笑)

この本では、そうした経緯が克明に記されていて、大変参考になるので、何とか若い人達にも読んで欲しい本だと思った。
また、白州次郎氏の“純粋さや無欲さ”に感動し、もっとこの人物を知りたくなった。
...と同時に、今の政・財界人達やマスコミ連中の“我欲の強さ ”に溜息が出てしまう。なぜ、そんな“自分達のみみっちいことばかり ”に拘って、日本国全体のことなど、“大きなこと”が考えられないのだろうか?って!

辛坊訓 [0304]
『辛坊訓 辛坊 次郎著 光文社 2012年11月 6刷 \1,000+税』 (購入\200税込み)
ご当人は、ニュースキャスタであるから、不偏不党でありたい|あるべきだと書いて居られるが、昨今の日本社会では、実はそうはなっていないから、あまり気にしないで書かれればいいと思う。
実際、今、世の中で行われている「偏向偏党」には酷いものがある、政党自身が、何かの“利益要求団体”に支援されているからだ。

それは兎も角、この本では色々なテーマに関して、結構多くて突っ込んだ情報が付されていて、参考になるし面白い。
それに、単なる解説だけでなくて、ご自身の解決策(あまりベスト、ベターとは言い難いが 笑)が示されているのは、良いと思う。
通常の某キャスターのように、その系列の(軽薄な)思考方法をそのまま垂れ流していない点では、優れているのではないか。
ただ、最後は言質を取られないようにする為か、するりと逃げている処は、やや物足り無さを感じるけれど。

男の品格 [0301]
『男の品格 川北 義則著 PHP研究所 2006年7月 6刷 \1,300+税』 (購入\200税込み)
この著者は、品格というものは、「ゆとり心」、「遊び心」から出て来るものだと書いておられる。
...しかし、私には、もうひとつその意味が良く分からない。
もしかしたら、女性がよく言う「お菓子|デザートは別腹」というやつかな?あれは、“同じ胃袋”のことらしいが。(笑)
まぁ、この本の中には、なかなか好い事、同意出来る事が、色々書いてあったので、読んで“損”は無かった。
例えば、『趣味は、論じるより実践して味わうものだ』とか、『常に自分の好奇心に忠実であれ』とか、『男は「幸せ」なんか求めなくていい』などは、その通りだと思う。
なぜなら、常に“好奇心”を満たしたいと、飢えているのが本来の姿|常態だから、満たされて「幸せ」を感じてしまったら、もうお仕舞いだってことだな!
ただ、『年間100万円の遊び資金を捻出せよ』ってのは、ちょっと無理かな?(笑)
私の支出帖を見ると、趣味(無線&パソコン)その他で、8年間で約270万円ほどだから、とてもそれには及ばないわけだが、これでも結構、充実した遊び(?)だと思っている。
単なる“消費的な遊び”だったら、こうは行かないだろうが、“工夫的?&節約的な遊び”だから、十分だったのかもしれない。
でも、それで、私に“男の品格”が出て来た|保てたのかどうかは定かではない。(苦笑)

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