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導育甘言集 二千十六年一月版



アホは神の望み  「一月三十一日」
『アホは神の望み 村上 和雄著 サンマーク出版 2008年11月 3刷 \1,600+税』 (購入\108税込み)

いやぁ、これは何かの“福音書”みたいになっちまっているぜ!
“科学者”だった人が、丸で“伝教師”になってしまっているようで、表題だけでなく中身まで、「遺伝子」の福音か何かのようだ。(苦笑)

多くの人達にとっては、こんな方が良いのかもしれないが、残念ながら私には、新しい「科学的知見」も、固定化した概念になってしまったら、もう魅力的には感じられない。(もっと先の、“有効な概念”に飢えているから)

私達人間が、今分かっていること、知っていることは、極めて限られた範囲でしかない。
その枠が「科学的知見」によって、段々拡げられて行くことは、大変ワクワクすることだが、その枠が、これからも固定化してしまうことはないと思うからだ。

「福音書」などは、枠を固定しないと書けないはずだ。
例えば、人間と言う生物はこうあるべきだという“絶対的な理想像”を描いて見せなければいけないからだ。
多分、神(かキリスト)を「遺伝子」に置き換えて説明すれば、具合良く説明出来るのかもしれない。
だが、私達は、これまでに、分子が原子で出来ていて、その原子は陽子、中性子、電子から成るが、更に掘り起こしてみると、素粒子群に分けられるという、何処までも限りなく細分化して行けることを知って来た。
だから、その「遺伝子」を突き詰めて行くと、更に別の姿が見えて来るかもしれないし、人間の存在や行動を、それで更に巧く解釈することが出来るようになるかもしれない。
だから、探索を止めてしまってはいけないと思うのだ。

勿論、「伝教師」が存在していけない理由は無いし、それは貴重な存在かもしれない。
だが、折角、自然を探求する「科学者」だった人が、それに変わってしまうのは何だか勿体ない気がして仕方が無い。



外務省に告ぐ  「一月二十九日」
『外務省に告ぐ 佐藤 優著 新潮社 2011年10月 1刷 \1,600+税』 (購入\200税込み)

この著者の実名暴露記事は、大変参考になる。
しかし、この本の内容から考えて、日本の色々な意味でのインテリジェンスは、まだまだ幼なく拙(つたな)いなぁ!と溜め息が出る。
これは、多分、日本人の物事を、あまり深く・広く考えない“人の好さ”(?)のせいだろうと思うが、それによって日本国として随分損をして来ていると思う。

この著者は(勇敢にも、)日本外務省の持つ“劣悪な体質”を、あからさまに示して、「改善」を強く促がして居られる。
そうした「体質改善」は、私達一般人が関心を持って見詰めずに黙って放置しているだけだと、とても進まないだろうと思う。

先般の「日韓合意」でも、そのお膳立てをした外務省は、まったく従来路線しか踏襲出来ない無気力さ知恵の無さの所為なのだが、それを誰も責めていないことだ。

安倍首相の意向を知りながら、外務省は何もせず|何も出来ず、昔の交渉結果と同じものしか取らなかった|取れなかったわけだから、私達一般国民から「外務省は無能だ!」と誹られても、返せる言葉が無いと思うが。
そうした声を発したマスコミや知識人が、何処にも居なかったのは、お寒い限りだ。

外務官僚や公務員達を、適切に評価する制度が、何も無いか、有っても形骸化してしまっているのが問題だと思う。
私達一般人からすれば、「公務員給与&外務官僚分の増額」をアメにして、「公務員&外務官僚の評価制度」というムチを用意して欲しい|すべきだと思っている。



気になる科学  「一月二十七日」
『気になる科学 元村 有希子著 毎日新聞社 2013年3月 4刷 \1,500+税』 (購入\200税込み)

この本を買ったわけは、「毎日新聞科学環境部」という文字を見たからだ。
というのは、毎日新聞の社会部や政治部の色々な記事を見ていて“何と下らない!古臭い用語や様式に拘る記者・編集者連中だろう?!”と思っていた中で、ここの「科学部門」だけは、真面目な疑問について、現実的で、丁寧な調査と分析記事を載せていたからなんだが。

まぁ、失敗しても多寡が二百円だ!と買って来たのだが、これが拾い物だった♪ なかなか、面白い(:)♪
科学的な好奇心や探求心で、色々なことを真面目に取材して来られたのだろう、ポイントを押さえた随筆風のユーモアのある筆遣いに、時々クスリ!と笑わせられる。

中には、原発問題など、私(男性的)とは反対の意見(女性的)で、要は「リスクが大き過ぎるからやめた方が良い」というご意見らしい。
でも、自動車のように年間の死者が数千人、戦後累積での死者が数十万人(参考記事 → 警察白書)のような「自動車事故のリスク」などよりも、原発の方が危険だと考えられているのは、片手落ちだと思う。(自動車は身近にあって便利だから安全?<>原発はよく分からないから危険?)
それに、「ダブル・スタンダード」という話でも、“スタンダード”というものを、(常に、自分の価値判断で変動させ得る「基準」などではなくて、)何か・何処かにしっかり固定しなければ不安で仕方が無いのも、女性の特性ではなかろうか。
つまり、物事を固定したスポットでしか考えられない点で、至って女性的なのだと思う。

ま、そうした見解の違いが所々あっても、読むのを止めて廃棄する気にならないのは、“取り上げる内容と文章の質の良さ”だろうと思う。



天風の海  「一月二十五日」
『天風の海 会津海将 出羽重遠の生涯 星 亮一著 光人社 1999年10月 ?刷 \2,000+税』 (購入\200税込み)

この時代の偉人として、政治家では伊藤博文卿、山形有朋卿や、軍人では東郷平八郎元帥、児玉源太郎元帥など有名な人達は、本で読んで知ってはいるが、この出羽重遠大将という人物は、寡聞にして存じ上げなかった。

この本のテーマは、(国内)戦に負けてその悲しさや辛さを痛切に味わった会津藩の人達の中のお一人だそうだ。
そうした経験から、日本国が「他国との争い」に負けては悲惨なことになる!何としてでも戦い抜いて国を守り、二度と国民にあのような悲しみに味わせてはいけない!という静かな強い気持ちを持ち続けた人物のようだ。

戦いにあっては殺す・倒すべき敵であっても、個の人間同士としては、思い遣りを持って接するという人間味・人情味のある人物だったという。
今の世の中、日本一般人にも、そうした人間味はまだまだ残っているとは思うが、「役割」や「任務」に応じた「厳しい仕事の仕方」と「人間味」とをちゃんと意識して使い分けられる人達がどれだけ居るのか?ってことになると、甚だ疑わしい。

主人公、出羽重遠(のち大将)は、戦いで薩摩に負けて家族を失った恨みを持っているはずなのに、仕事上では一切恨みを出さなかったという。
私達凡人が思うに、「仕事」と「人情」とを不可分にしてしまうと、仕事は出来なくなるわ人情も中途半端になるわで、何一つ良いことは無いだろうという気がする。

その悪例のひとつが、最近流行になっている「セクハラ」や「パワハラ」だ。
上司にしても社員にしても、行政にしても親達にしても、自分達の「仕事」や「役割」と「人情」とを、きっぱりと分ける事が出来ないようだし、その能力も無いらしい、挙句に裁判だ!というお粗末な状態・状況だ。
更に、裁判・司法判断にしても、随分、“甘ちゃん側”に軍配を上げているようだ。

その境目を「人情涙目」でみると、ちゃんと分けることは難しいだろう。
だが、厳しい眼で見ると、それがどんどん緩く甘い方にずれて行っているのが、よく分かる。
今では、「そんなことぐらいで?」という事例でも、裁判では“原告側勝訴”にしてしまっている。
ま、裁判所も自分の払うお金ではないからと、どうしても甘くなってしまうのだろうが、今の世の中ぐずぐずべちゃべちゃってな感じ!

いっそのこと日本を、この出羽重遠大将の居た、物事にけじめのあった時代にまで巻き戻した方が、良いのではないかと思う、今日この頃だ!



新たな反日包囲網を撃破する日本  「一月二十三日」
『新たな反日包囲網を撃破する日本 渡部 昇一著 徳間書店 2014年4月 2刷 \1,600+税』 (購入\200税込み)

“新たな”とあるから、私達の知らない新しい「反日運動」が出て来たのかな?と思ったら、実は、古くて新しい話だった。

各章で取り上げられている項目の多くは、それらが、従来からの「反日・日本弱体化(運動)」の話だが、私達が、それらの「真の意味」に、今気が付いたという点で“新しい”と言えるわけだ。

主な項目は、以下のごとく。
 *アメリカの劣化と日米同盟の意味
 *シナ・中国の歴史はブツ切れ状態
 *日本のエネルギー資源の実態と無知蔓延、日本弱体化運動
 *日本人の「胆力」の再認識と復活
など、私達日本人が、米国や中国、韓国が一枚岩で出来ているように思い込み勝ちだが、それは大いなる勘違い!
現実はそうではない!ってことらしい。
ばらばらの石ころが組み合わさって出来ているだけだ!という認識を持たねばいけないってことを、指摘されている。

例えば、シナ・中国の歴史を見ると、支配民族・人種は、時代毎に代わっていて、とても一民族が継続して運営・経営した来た「国」などではない、それそれが別の国だったのだ。
今の中国共産党は漢民族?かどうか私は知らないが、直前までの「清王朝」は満州族で、それ以前の「元王朝」はモンゴル族、「唐王朝」は鮮卑族の国だったから、その時代々々で別の国だったわけだ。
だとしたら、尖閣諸島などは、今のシナ・中国共産党政府には、“「清王朝」が認識していた云々”なんてことは、まったく他国の話であって、廉恥心があれば恥ずかしくて持ち出しも出来ないはずだ。

日本のエネルギー資源については、もっと「原発の安全性」や「放射能の効果・影響」に関して、世界中の沢山の科学技術の知見を、正しく紹介する事が必要だそうだ。
現状は、私達無知蒙昧な人間が、“見えない恐怖”に恐れ戦いて、バカげた原発反対運動などに熱を上げているが、それも一種の「反日運動、日本弱体化運動」だと言える。
つまり、エネルギー資源を、他人の手に握られてしまっては、日本国の死活問題になるからだ。
今の日本人が、自分達の手に握れるのは、「原子力」しかない。
だから、放射能や原子力について、その「安全制御」についての正しく深い知識を、私達日本人の間で共有する必要がある。
有識者の絶え間ない報告やPR活動を望みたい!

昨今の日本人の「胆力」は、衰える一方ではないかと思う。
周りの愚者達が、声を揃え、数の力で、そうしたものを押し潰してしまうからだ。そして、周りの愚者達は皆、“肝のちっちゃな連中”ばかり。
胆力」は、例えば個人主義の強い欧米人との交渉・折衝時などに、大きく影響する。外国人一人に日本人多数で団体交渉など出来はしないからだ。
出来るのは一対一で、最後は「胆力負け」して、すごすごと引き下がるだけだ。
政治家達も、そうした「胆力」を持つ人物は、粗末にせず大事にしたいものだ。



男の子がやる気になる子育て  「一月二十一日」
『男の子がやる気になる子育て 川合 正著 かんき出版 2009年12月 1刷 \1,300+税』 (購入\200税込み)

やはり、この本も「(教育)ノウハウ本」の域を出ていない感じだが、今まで私が漁って来た“幼児・低学年対象”ではなく、比較的高学年(中学・高校生)の反抗期辺りの子供達を持つ親に対するノウハウのようなので、参考になるかなと買ってみた。

こうした「ノウハウ本」の欠点は、書かれているアドバイスが簡単、素直に出来てしまう親には、良いヒントになるのだが、そうでない一般の親達には、あまり効果的ではないということだ。
つまり、親が子供に向かって「勉強しなさい!何時までも、サボっていてはいけませんよ!」というのに等しい。
この本の中の紹介されている生徒歌壇ーその一にある嘆きのようなもんだ。
 ●本を読め勉強をしろ母が言う、ああうるさいなこの夏休み(中学一年)
ただ、母親の場合は、(著者に向かって)そうした反抗的な態度も取れず、出来なくてオロオロするばかりだろうし、そんな難しい話など読みたくもないわ!となるだけだろうな。

まぁ、この本は、そんな無益な話ばかりではなくて、中々“良い項目”もある。
例えば、
 +直接ほめるよりも、「陰ぼめ」を!
 +ケンカこそ、成長の第一歩
 +お父さん、第二の母親になってませんか?
陰ぼめ」は、(私もやってみたことがあるが、)良い方法だと思う。
第三者(≒社会)を通して「子供に対する評価」を示してやることだから、親としてもあまり無責任なことは言えないし、また、子供本人も「社会による評価」として受け取るから“「ほめ」の値打ちが増す”という点で、大変意義がある。
(まぁ、下手をすると、“親バカ”だと誹られる危険性はあるが。笑)

子供の「ケンカ」は、「社会性」や「和の精神」を養う上で、必要・重要な事だ。
渋々でも譲らねば仕方が無い境目は何処なのか?あるいは、何処までなら相手を押し戻せるか?などは、子供自身に体得させないといけない事柄だからだ。
そうした相手や敵対者との「境目感覚」が身に付いていないと、例えば、“護身用の武器”でさえ、“人殺し用だ!”としか見えない|思えない“愚かな大人”に成り果てる。

昨今の“イクメン”とかいうのは、単なる"サボりマン”だと思っていて、私は極めて否定的だ。
あれは、“女性・母親の負担”を肩代わりするだけのことだ。・・・ そんなことの為に、あんちょこに「父性」を放棄するな!って強く言いたい。
子供は、そんな父親に“母性”を感じたとしても、男性特有の“ひた向きさ”や“厳しさ”などは決して感じないだろうからだ。



生存者ゼロ  「一月十九日」
『生存者ゼロ 安生 正著 宝島社 2013年1月 1刷 \1,400+税』 (購入\200税込み)

生存者ゼロ”というから、当初は日本全土か?と思っていたが、その危険の予兆はあったものの、北海道だけで終わったのは何よりだった!・・・(?)

というのも、登場する政府・内閣が、前民主党連中の振る舞いにそっくりで、例の福島原発事故当時の、前民主党政府の無様な対応を髣髴とさせる。
住民や国民全体の事はそっちのけで、自分達の保身ばかりを気に掛ける連中が、“ベタな対応”に終始していたからだ。決断もしない|出来ない上に、責任は、他人に押し付けるばかり。

勿論、この話の内容はそれ並行して、未知の危険に対して数人の優秀(?頑張り屋)な人物達や、(組織がしっかりした)防衛省・自衛隊の働きで、被害が日本全土に広がるのを抑え込むというストーリーで、最後はメデタシ、メデタシとなる!

話としては大変面白いが、数人の英雄達の活躍で、大事件が解決出来るっていうのは、如何にもハリウッド映画的な感じがする。
それとは違って、何か“組織的に動く日本的な事件解決のやり方”で、こんな小説は出来ないものか?と思いながら読んでいた。

大体、私達日本人は、大事故の後の「忍耐強さ」や「復興力の凄さ」は世界中も認める処だが、「先見の明の無さ」や「事前リスクの評価力の無さ」は、世界でも稀な国の中に入るのではと思えるほどで、下手をすると、それで私達自身を絞め殺してしまわないか?と心配だ。



韓国人が見た日本  「一月十七日」
『韓国人が見た日本 朝鮮日報編 サイマル出版会 1984年9月 ?刷 \1,300』 (購入\200税込み)

この本は、千九百八十四年に纏められたそうだから、今からかれこれ三十年以上前の話になる。
韓国人への啓蒙の意味で発行されたようだが、やはり、対象は韓国知識層が主で、左程一般向けにはならなかったのでは?

取り上げられている項目は、広い範囲に亙っていて、既に、今の私達日本人が失い始めている徳性(廉恥心や自己犠牲の精神や協調による事業経営、企業への愛着心や婦女子の謙譲心)なども、丁寧に解説されている。
ただ、以前の日本の統治時代のことを、韓国が抑圧された時代だとか、日本に無理に押し付けられた制度だとしか見ていない点は、了見の狭い見方だと言えよう。

私達日本人なら、自分達が知らないことや出来ていないことは、喜々として受け入れて、自分達の向上のために、身の丈に合うように作り替えて使っただろうが、韓国人の多くはまったく違った考え方をするらしい。
何にでも、(ちゃんとやれずに居るのに)“同じことなら、自分達でも出来たはずよ!フン、そんなことくらい...”という態度になるそうだ。
そうした気持ちの裏返しが“日本憎し”、“日本人憎し”になるらしい。

しかも、“捏造話”でもちゃっかり自分達の武器にして、日本弱しと見るや居丈高に、要求を突き付けて来る。
韓国人も含め「戦地売春婦」なんてのは、当時は“戦地の花”でもあったそうだが、今時は、朝日新聞などの捏造話に乗って、恥ずかしげもなく声高に日本国に謝罪要求をする“ばばあ”(や“女衒連中”)になり果ててしまっているわけだ。
連中には、並の人間が持つ「廉恥心」や「徳性」もへったくれも無いようだ。

まぁ、一部の知日・親日韓国人達は、そうした連中を厭わしく思ってはいるのだろうが、それを抑える力はからきし無さそう。

私達並の日本人とすれば、そんな鬱陶しい韓国人連中は無視して放っておきたい処だが、“そうはさせじ!”と、色々、騒々しくちょっかいを掛けて来るわけだ。
そうした悪癖・悪行は、ビシリと叩き返さない限り、止めることは無いだろうと思うのだが。



知識ゼロからの金儲け  「一月十五日」
『知識ゼロからの金儲け 株・不動産 国家破綻時代の暮らしの経済学 島田 紳助著 幻冬舎 2000年6月 1刷 \1,200+税』 (購入\200税込み)

ちょうど今、私もその“金儲け”とやらを、「株式配当」で始めようかと思っている矢先に、この本を見掛けたので、買ってみた。
(まぁ、私の方は、“金儲け”というより、“利息の賃上げ”とでもいうほどの細やかな望みなのだが。笑)

この本で囁かれているのは、兎に角、成功も失敗も自己責任だってことと、自分自身で学習や努力をしなければ、絶対に儲からないってことだ。(私も、その通りだと思う)
この本には、著者が他の人達(芸能関係者?)に“買え!”と勧めた株や馬券などで、必ずと言っていいほど損をさせている話が掲げられていて、(苦)笑を誘われる。
「勢いで、買ったら下がる、株価かな!」というジンクスを、皆が仲良く持っているからでもあろう。(笑)

この著者自身は、芸能の仕事に精を出して来て、結構蓄財はしていたようだし、“下手な金儲け”などをしなくても、資産を増やすことには巧みだったのではないか?と、私などやっかみ半分で見ていたが。

昨今、ぱったりと表舞台に姿を見せなくなったが、この御仁、今はどうされているのだろう?
多分、きっぱりと芸能世界!から足を洗って、悠々自適の生活を楽しんで居られるのだろうと思うが、鳩山由紀夫氏や菅直人氏のように、何時までも政界?マスコミ世界?で“悪あがき”をしながら生きているより、余程、潔い生き方だと思うがな。(立派!)



陰陽師 鳳凰ノ巻  「一月十三日」
『陰陽師 鳳凰ノ巻 夢枕 獏著 文藝春秋 2001年12月 9刷 \1,286+税』 (購入\200税込み)

やはり、面白い!
このシリーズを、まとめて四冊ほど買い込んだが、読み始めたらもう三冊を一気に読んでしまった。
中身は、おどろおどろしい話が多いが、実は至極淡白で、さらりとした話だ。
自然の風趣を好む日本人男性向けで、恐らく、多くの日本人女性には(退屈で)受けないだろうと思う。

読んで分かったのだが、一般向けのビデオなどでは、蘆屋道満は悪人風に描かれていたようだが、この著者はそんな描き方はしていない。
ライバル(好敵手)ではあっても、安倍清明源博雅らと酒を酌み交わす仲で、はあっても左程は無い人物だ。
そうした人物を、いかにもどぎつい悪人らしくしないと一般受けしないのが、今の日本の風潮なのだろうかと思う。

以前、山口二郎とかいう大学職員が、安倍首相を名指しでアホだとかバカだとか大声で叫んでいたというが、そんなのも同じ風潮の毒だな。
つまりは、ギトギトの油が浮いた「ラーメン」が、「寿司」や「天婦羅」を抜いて、「一番の日本食だ」という時代になってしまったのと同じか。(泣)



男の子を育てる 二冊  「一月十一日」
『しっかりした男の子を育てる本 鈴木 秀子著 新紀元社 2006年3月 4刷 \1,300+税』 (購入\200税込み)
『ゲンコツおやじ教育論 近藤 啓太郎著 青春出版社 昭和52年12月 1刷 \890』 (購入\105税込み)

結論から言えば、どちらも、私の参考にはならなかった。
「しっかりした・・・」の方は、子供行動の分析も母親の対処についても綺麗ごと"過ぎて、(如何にも理想論的で)現実的な話ではない。
「ゲンコツ・・・」の方は、逆に泥臭過ぎて、この親父さんと同じように振る舞える人は少ないのではないかな?(例えば、革バンドで子供をひっぱたくなどは「虐待扱い」となって、もう今では使えない手法だし)
私にも、この人と同じような手法は使えない。

別県に住んでいて、月一回程度の訪問しかしない私(達)が、幼い孫(達)に何をどれだけしてやれるか?を考え続けているのだが、なかなか効率的・効果的な手法を見い出せないのが現状だ。
それに、私(達)が意図してやらせたことに、効き目(教育効果)があるのか無いのか?の評価も難しい。
一番の問題は、親達と細かい処で考え方が違うことだ。
例えば、「子供達の社会性と自己主張」について、私は、周りとの間合いをきめ細かく計りながら、出来るだけ強く自己主張をさせるべきだと思っているのだが、親達はむしろ逆の方針だ。控えめに控えめに!と抑えさせようとする傾向がある。
それは、昔からの「日本人の美徳」だし、出来るだけ大切にしたい「徳性」ではあるが、そうした「徳性」も行き過ぎると、むしろ本体(本人)が潰されてしまって元も子も無くなる恐れがある。(子供間のイジメや、自殺などはその典型例だ)

例の憲法九条もその口だ。自分達日本人が控えめに「戦争を放棄します!」って云ったからって、それで敵が「では、日本は攻めないでおきましょう!」と控えてくれるわけではない。(なのに、そうした迷信を信じている連中も多いようだが、「美徳」が、やがては自分達を潰すことに気付かない!)

まぁ、あまり、孫達に多くを期待するのはムリだけど、最低限、「元気でしぶとく、自力で生き延びられる体力・気力」は身に付けさせたいものだ。



3歳までの子育ての教科書  「一月九日」
3歳までの子育ての教科書 アスコム編 アスコム 2012年12月 1刷 \1,100+税』 (購入\200税込み)

流石、教科書と名付けるだけあって、(殆どの親が出来そうにない)良いことが一杯書いてある。(苦笑)
それは、この本が悪いという意味ではないのだが、つまりは、世の中に一杯ある所謂「単なるノウハウ本」だということだ。
成人として出来上がってしまっている(主に)母親達に、あれをしなさい!これをしなさい!ったって、出来る人は出来るだろうし、出来ない人は端(はな)から出来ないからだ。
母親になる前の幼少時に、必要な訓練スキルの習得)を受けていないと出来ないことばかりだからだ。
それを誰から教わるかと言えば、やはり母親だった人からなので、結局は「ニワトリかタマゴか」って話になる。
そうした訓練など受けなくてもいいという「世の中の雰囲気」を作り出して来たのは、やはり戦後(間違って)導入した米国式の自由主義のお蔭・賜物(?)なんだろうと思うが。
昔の家族制度が崩壊して来たのも、そんな訓練の厳しさを逃れて自由・気侭に生活を楽しみたい(遊びたい)という気分・気持ちを優先させて来たからで、それを今更、訓練の必要な「スキル磨き」を優先することなど出来るわけがないと思うが。(苦笑)

というわけで、今やるべきは、(物事の道理が理解が出来て、自らが自発的に努力・尽力が出来る)男性達や男児の教育・教化に力を入れ、環境造りをすることだと思っているのだが。
元々、「男性遺伝子(Y染色体)」は、(劣化して行くクローン人間的)女性達を救う(奉仕する)為に作り出されたものだからだ。(「アダムの呪い」など)



日本のもの造り哲学  「一月七日」
『日本のもの造り哲学 藤本 隆宏著 日本経済新聞社 2004年10月 5刷 \1,600+税』 (購入\200税込み)

この著者は、生産現場や経営形態などをしっかり見た上で、何処に日本式経営のミソがあるかを掴んで居られるようで、その論理は素人の私にも良く分かるものだ。
日本のもの造りは、「長期雇用・長期取引」の良さを生かした「統合型もの造りシステム」であるべきだ、と分析・説明されている。

こんな説明がある。

・・・ 単なる「長期雇用・長期取引」なら、ひとつ間違えば馴れ合い、もたれ合いの温床になりかねません。実際に日本には。ぬるま湯的な「系列」や「年功序列」も存在しましたが、それらはもはや歴史的な役割を終えたといわれています。
しかし、この種の議論で気になるのは、性急に「長期主義=ぬるま湯」という図式に持ち込む傾向があることです。私は、これは「長期能力主義」と「長期関係主義」を混同した議論だと思います。・・・
しかし、長期で付き合いながら、相手の働きぶりを見極め、その能力を多面的に評価し、その評価に基づき長期にわたって互いに能力を切磋琢磨してもらう、というタイプの、いわば「長期能力主義」は、まったく話が別です。・・・ 

一時流行の兆しがあった、例の何でも彼でも(「短期決戦・効率オンリー」の)欧米式!にする必要はなかったということでもある。
この本の中で、特に興味深かったのは、「強い現場(工場側)」を持っているのに「本社(戦略・販売側)」が弱いために、真に「強い企業」になれない企業が多いらしいことだ。
これって、結構日本的ではないかと思う。良い商品を丁寧に作っているのに、製品設計、宣伝や流通を含めた経営戦略が下手糞だってのも、日本的特徴ではないのかな?
やはり、もの(商品)を造る限りは、売ってなんぼ!だから、客が来るのを待っているだけではいけないんだなと思う。

この本には、その他沢山の(日常生活にでも)ヒントになる話がある。
例えば、「進化能力」とは、実は「泥臭い能力」であるとか、「進化能力」のカギは「事後対応能力」にあるとか、偶然に生じた失敗や成功もそれを素早く有利に生かすことが、その能力なのだそうだ。
何事でも、狙った通り、計画した通りに、スマートに改善されるわけではなく、泥臭く解決して行く力が重要なのだということ。
それは、私自身の生活の中でも生かせることだと思う。



これでいいのかジャーナリズム  「一月五日」
『これでいいのかジャーナリズム 貧困なる精神 第23集 本多 勝一著 すずさわ書店 1993年5月 1刷 \1,236税込み』 (購入\200税込み)

この著者の本は、買って読んだのは初めてだが、流し読みしながら、つい、GIGOGarbage in, garbage out.=ギゴ)というのを思い出してしまった。(苦笑)
著者本人は、現実の事実ばかりを丹念に拾いまくって、記事にしているのだから、出て来る思想は素晴らしいものばかり(のはず)だと、自惚れてらっしゃるようだ。
確かに、美しい自然そのものを取材し、それを素直にアウトプットする限りは、GIGOといえども、「綺麗なもの」が雑然と沢山出て来るだろう。
だが、文明社会・人間社会のどろどろした様々な現象を、部分々々で幾ら細かく取材しそれらを混ぜ込んでも、全体像は「あらぬ想像」や「珍気な小説」にしかならないものだ。
それは、絞り出した絵の具を、単純に全部混ぜ込んだのと同じで、それがどんなもの(色)になるかは、子供でも分かるはず!
この著者は、そうしたことを教わってこなかったのか忘れてしまったのかは、よく分からないが、兎に角、この本で出て来ているものはゴミにしか見えない!
厳しい云い方かもしれないが、ゴミを山のように積み上げてもゴミはゴミで、綺麗な物、有用な物にはならない。
本人には、「宝箱」なのかもしれないが、この“貧困なる精神集”は、単なる「ゴミ箱」ではないのか?
やはりこの著者がやるべき仕事は、「自然界相手の取材」に限った方がよいのではないか。



略奪大国  「一月三日」
『略奪大国 あなたの貯金が盗まれている! ジェームス・スキナー著 フォレスト出版 2012年1月 2刷 \1,400+税』 (購入\200税込み)

私達日本国の政府のことを、虚心坦懐・正確無比に批評・批判してくれているとはいえ、やはり外国人に言われると、あまりよい気はしないものだなぁと思った。

書かれている内容は、まったくその通りだと思うが、本来、攻められる、責められるべきは、政府だけではなくて、官僚達や政治家達、引いてはそうした国会議員を選んだ私達国民皆なんだろうと思うからだ。
この本では、私達が知らなかったり、あまり関心の無い事柄について、かなりどぎつい表現で指摘してくれている。
私達日本国民の多くは、ただ、“ふーん”だけで見過ごしてしまうような多くのことなんだが。

日本の国債について、実は「日本の国債は、税金で払っていない。新たな国債を発行して、それで払っている」という。ええー?っと思うが、国家予算の名目をずらして見れば、確かにそうだ。
そして、これは(大掛かりな)「ネズミ講」だそうな。個人がやると即日逮捕の犯罪だが、国・政府がやると合法になってしまうというわけだ。

こうした現実の不具合・不整をどうすれば改善出来るかについて、この著者はいくつかの提案をされている。
だが、残念ながら、誰が何を実行・実施するのかについては、あまり具体的ではない。
そうしたメカニズムの研究は、学者や官僚達に任せて、私達国民は、選挙で「(税金をむしり取り続ける)おバカな国会議員連中」を沢山作らないことが、一つの改善策ではないかと思っている。



わが子を「ヤワな大人」にしない子育て  「一月一日」
『わが子を「ヤワな大人」にしない子育て 高濱 正伸著 廣済堂出版 2012年10月 2刷 \1,300+税』 (購入\200税込み)

この本は、今の家庭教育のやり方・在り方を正す上で、重要な内容を沢山含んでいる!と思う。
日本社会での流行語(?標準語)になってしまった「イジメ 」、「引き籠り 」、「親族殺し 」などは、その原因となる幼児期、少年期の“子供達の育て方”に、問題がある|有り過ぎるからだ。
この本は、子供達をどう見て、どう指導してやればよいかを具体的に示している点で、役に立つと思う。
内容は、母親向けというより、むしろ父親向けのものだろうな、と感じた。

例えば、「メシが食える大人」を育てること、と書かれているが、この言葉を(本当に)理解出来るのは、父親の方だけだろうな。母親は、“私が、何としてでも食べさせてあげるわ”ってのたまう方だからだ。
また、「強い子に育てる」ためにも、父親が自分の胸や腹を貸してやらないと、難しいからだ。
これには、こんな話も紹介されている。

...いじめが原因でひきこもり寸前になっていた小学生の男の子を指導していたことがありました。あるとき、その子を呼んで、「いじめられたときは、一発殴り返せば、絶対大丈夫だから」とパンチの練習を教えたことがありました。「『やめろ!』とでっかい声を出しながら、こうするんだよ」と、私のお腹にストレートパンチを入れる練習をさせたのです。...そんなトレーニングを何日か続けると、だんだん自信に満ちた表情になってくるのです。一週間ほどすると、お母さんから「最近、元気に学校へ行くようになったのですが、うちの子にどんな指導をしてくれたのでしょうか?」と電話がかかってきました。...

母親には詳しく説明しなかったようだが、しても意味が無かっただろうことは良く分かる。
多くの場合、母親や女性は「(起きた)結果」にしか関心が無いし、自らが子供に率先して何かを示してやれないのが普通だからだ。

で、そうした役割を、本来は父親がやるべきなのだが、最近の日本社会の風潮を考えると、期待薄だな。
父親達が、子供に向かって、それはするな!これもするな!と抑え込んでばかりいるらしいからだ。
それに、いじめに遭ったら、兎に角、学校へねじ込む親(連中)も居るそうだし、もう「親の教育責任」って何処にあるんだか...。
おまけに、必要な残業も(仕事も)せずに「イクメン」だとかいって母親の肩代わりをするだけの父親が、「子供達の成長」にとってどれだけの値打ちがあるかってことだ。(フン!)
「子は、親の背中を見て育つ」ってのは、今でも“有意義な諺”なのに!


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