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物事追及集 二〇一六年九月版



貧者を喰らう国 (続)  「九月二十九日」
『貧者を喰らう国 中国格差社会からの警告 阿古 智子著 新潮社』 (承前

シナ・中国に領土化されたチベット地域・ウィグル地域、モンゴル地域や、今されつつある南シナ海の占拠・領土化の現実を思い浮かべながら、この本を読んでいる。
中にこんな記述がある。
...さらに、実際の運用面でも大きな問題が生じている。請負権は、すべて農民に平等に分配されるはずの権利であるにもかかわらず、実際には土地が足りず、新生児や別の村から結婚相手の家に入った人には分配していない地域が多いのだ。そもそも集体所有制度が有効に機能するためには、耕作に適した土地が豊富で全農民に平等に分配されており、すべての人が地域の協力体制に参加し、しかも農業で十分に生計を立てられるという前提条件が必要である。しかし、そのような理想は、すでに人民公社の実験において崩れ去っており、現行の土地制度は、根本的に欠陥を抱えていると言わざるをえない。...

結局、その土地を離れられない農民達は、「貧者」となるしか他に道が無いのが、今のシナ・中国の実情らしい。
尤も、その中でも、世渡りが巧いか、強引にでも我利・我欲を通せる連中は、「貧困」からは多少遠ざかれるそうだが、其処には「平等さ」も「公平さ」も無いという。
また都市生活者は、一種のエリート層であり、ある程度裕福だったり、自由も得られるようだ。

ということは、シナ・中国は、もう(耕作出来る)土地が無い/足りない?
...だから、外界へ押し出して、領土を拡張せざるを得ない?
...そして、そうした悪業を平然とやってのけられる連中が沢山居る!

周りが、幾ら「国際法の遵守」を求めても、その判決文を“紙クズだ!”と云い捨てるだけの悪辣な連中なのだ。

私達周辺国民も、下手をしてうまうまと占領され、そうした連中の餌食にされてしまい、農民同様に落ちぶれてしまわないよう、(例えば、シナ・台湾やシナ・香港のように)相当頑強に抵抗しなければいけないだろう。
想像するに、米国人に占領された後の今と、もしシナ・中国人に占領されたとした将来とでは、日本国民の品格は損なわれ、生じる貧富の差は今からでは考えられないほど酷いものになってしまうに違いない。

この本の至る所に出て来る「不正」や「(おもね)」や「誤魔化し」が蔓延(はびこ)り、弱者は止め処なく貧困へと突き落とされるし、現在では当たり前の「思想や言論の自由」なども密告と処罰・弾圧の対象となろう。また、彼の国の現在までの反日教育は、“日本人種差別・虐待”をも確実に助長するだろう。
もし、シナ・中国の気風に染まれば、日本国も嫌な世の中になる事は、間違いない。
...この本で、シナ・中国の実態を読みながら、そう強く思った。



小学校の運動会  「九月二十七日」
小さい方の孫娘も、今年から小学生。
その小学校で運動会があったので、見に行った。

子供達の演技や競技は、言っちゃあ悪いが子供っぽ過ぎて、あまり面白くない。(まぁ、当然と言えば当然なんだが)
...低年齢だとしても、どれも、まだまだ練り込みが不十分な気がする。
教師・学校側や親達は、子供達は此処まで出来るようになったんだから、褒めてやって下さい!と言いたいのだろうけど。(そうはいかんぜよ!)
...個人芸での個人的成長かな?団体芸での社会性醸成かな?
でもまぁ、リレー競争だけは、なかなか迫力があって面白かった♪(図1)

それにしても、今年は、(驚嘆すべき)俊足の子供が少ないようで、“あれよあれよのごぼう抜き”が見られなかったのは残念。(そんな瞬間には、皆の歓声♪が一際高くなるんだが)
なのに、バトンタッチが拙くて、ころころと順位が入れ替わるのは、見ていてもどかしい。
まぁ、クラス全員が走るらしいし、練習訓練も少なくて、形だけのリレーをやるんだから、「スキルの向上」もへったくれも無いのではないか...と昔人は、つい思ってしまうのだが、これが現代社会の縮図なんだろうな。
仕事が出来なくても、きつくは叱れないし、ノルマを要求したら、セクハラだパワハラだって反発したり、直ぐに辞めてしまう若者が多いと聞く。
こんな運動会ででも、子供達の向上心忍耐力、克己心を養う取っ掛かりにして欲しいと思うのは、私だけか?



Gメールの使い方がわかる本  「九月二十五日」
『Gメールの使い方がわかる本 ポケット図解 完全活用ガイド 三浦 健著 秀和システム 2006年12月 1刷 ¥800+税』 (購入¥200税込み)

以前は、メールは「POP3」が簡単で使い易いから、別に変えなくてもいいや!と思い込んでいたのだが、「IMAP」がセキュリティ機能が強化されていることなどが分かって、やっと本格的に「Gメール」を使うようになった。(周回遅れ!苦笑)
だが、あまり詳しく知りもしないまま使っているので、もう少し知っておこうと、この本を買って来た。

Gメール」はメールソフトとはいえ、派生的に随分色々なことが出来るらしいのだが、どうせ、私にはそれほど使いこなせないのは分かっているので、主に「迷惑メールの排除」について見た。

「POP系」では、「Spam Mail Killer」というソフトを、便利に使わせて貰っていたのだが、これは「IMAP系」では使えないらしい。
で、「Gメール」では、自分で“フィルタ設定”をしなければいけないみたいだが...。

まだ良く分からないのが、“xyz.1234-56_789@yahoo.co.jp”などで来る「迷惑メール」の排除の仕方。
こいつなどは、一箇所文字や記号を変えただけの“別アドレス”で一杯送って来やがる!(怒)から、とても「Gメール」のフィルタでは除け切れないのではないか?
でも、それらは、従来の「POP3系」で来たものだったのだが、「Gメール」の方では、未だあまり見掛けない。
もしかしたら、サーバー側で自動的に排除してくれているのかも!?
もう少し、「Gメール」での“迷惑メール”の後々の入り具合を見て行こう。



貧者を喰らう国  「九月二十三日」
『貧者を喰らう国 中国格差社会からの警告 阿古 智子著 新潮社 2009年9月 ?刷 ¥1、400+税』 (購入¥108税込み)

この本を読み始めて、そして(中を飛ばして)『おわりに』を読んでみて、なぜ日本が、(今では豊かになっているはずの)シナ・中国に、未だに「ODA援助」や「NGO派遣」を続けているのか、それにどんな意味があるのかが分かるような気がした。

私は、今までは、シナ・中国に対するそうした援助は無駄だ!と感じて来たが、実は、それらがシナ・中国の“低開発地域”や“下層農民”への支援に多少なりとも使われているとすれば、止むを得ないのかもしれない、とも思う。

シナ・中国には、“日本へ爆買いに来る人達”や、“反日で気勢を上げる連中”とは違った層や地域の人達(特に貧困農民達)が多く居るってことだ。
しかも、(官僚化した)地方政府の腐敗が酷く、中央政府の思惑や指導にも面従腹背らしく、彼らが重視するのは「政績」(政治上の業績)であり、問題の実態を覆い隠し表面的に取り繕うことに終始する為に、貧困地域の「貧困の度合い」や「貧富格差」は、益々助長されているという。(そうした話は、時折新聞種として、私達も眼にしているが)

ただ、そうしたシナ・中国の状況に対して、日本側の小さな支援システム(NGO)などが、どれほどの相手方に良い効果をもたらせるか、また日本側にどれ程の利益があるかを考えたら、やはり“天井から目薬”程度か?と思えて来る。
逆に、そうした“貧者の一灯(キリスト者の文言の転用−苦笑)”ですら、廻り回って人民解放軍が使う爆弾や戦闘機に化けてもいるわけだが。

「日本の(シナ・中国に対する)無償援助」などは、もっと基本的・根本的な貧困対策案(思想)に基づいて行わねば、単なる“ちっちゃな慈善事業”に過ぎず、謂わば、“日本国外務省の気休め事業”に過ぎないのでは?(参考:外務省ODA事業
貧困対策”なら、先に日本国内でやれ!って言いたい所だが、シナ・中国でも?...まぁ、勝手にやってれば...って処か。(苦笑)
先方からの情報が少ない昨今だから、間接的にでも実情を知る上で、こんな著者のような活動は、あってもいいのかもしれないけど。



Googleの脳みそ(続)  「九月二十一日」
『Googleの脳みそ 変革者達の思考回路 三宅 伸吾著 日本経済新聞出版社』 (承前

残念ながら、Google関連は第1章だけだった。

その後は、あまり「創造性」とは関係が無い...というか、単なる「変革」を色々な角度から見て、纏めているに過ぎない感じがした。
第3章の日本国内の「一人一票」の問題などは、単に今までの慣習が憲法違反になるから、それを是正したいという“反骨運動”を紹介しているだけで、特に“創造的な話”でもない。
といっても、別にこの本が悪いわけではなくて、私が望んでいる「テーマ」ではない、あるいは選び間違ったか、単に余分な内容が入っていたに過ぎないということだろう。

通常、本を選ぶ時は、「表題」や「著者」を見て決めるのだが、随筆などのような、テーマがてんでんバラバラな“オムニバス・スタイル”では、その「著者」の選択が重要だと思っている。その著者の持つ哲学やポリシーを考えながら、納得したり反論出来るからだ。
つまり、(ノンポリ型の)誰でも良いわけではない。
一方、「表題」で選ぶ時には、“未知の、ポリシーを持った「著者」”の方が良い。
今まで、自分が持てなかった知識(の整理の仕方)や考え方を得ることが出来るからだ。

だが、この本は、そのどちらにも入らない中途半端なもので、単なる“纏められた調査資料”ではないか?!と思ってしまった。
(なので、後は読まずに廃棄!)



Googleの脳みそ  「九月十九日」
『Googleの脳みそ 変革者達の思考回路 三宅 伸吾著 日本経済新聞出版社 2011年9月 2刷 ¥1、900+税』 (購入¥108税込み)

まだ、1/3ほどしか読めていないが、この本は、大変参考になりそうだ。
私達日本人と、欧米、いや世界の改革者達との「思考・行動」の違いが良く分かるからだ。
例えば、日本人は常にルールや法律遵守の姿勢が強いが、欧米人達(の中の変革者達)は「自分達の通った跡に道(ルールや法律)が出来る」と考えている雰囲気がある。

Googleでは、世界中からの情報・データを蓄積し、それらをユーザの閲覧・検索の用に提供しているが、今はそれが当たり前のようになっている。
また、「ストリートビュー」などという、使ってみると便利だが、個人情報など“丸見せ”の(酷い)ツールを一般に提供している。
あれに対して、訴えられたら謝るか修正はするそうだが、そうした「新規のグレーの領域」では、始めから“法律の内側:遵法”などは考えていないという。

他方、日本国内で以前、ファイル共有ソフト「Winny」を開発した元東大助手の金子勇氏が、著作権侵害で起訴された事件があった。
一部の人達を除いて、(私も含めて)多くの人達は、あれは違法だと思い込んでいたはずだ。
最終的には、控訴審で逆転無罪となったそうだが、あの事件以来、日本のソフト開発が、一遍に萎縮してしまったわけだが。

読みながら、私達日本人がやるべき/やれることは、こうした先駆者・変革者達の「成果」や「考え方」をどれだけ素早く利用・活用出来るかって処に、“生延びる知恵を働かせるか”だろうなと思った。
他方、世界には“やってしまえば勝ち!”という考え方もあるんだって事を肝に銘じておかないと、尖閣諸島海域も、やがてシナ・中国に乗っ取られてしまうだろうなと危惧している。



千年、働いてきました  「九月十七日」
『千年、働いてきました −老舗企業大国ニッポン 野村 進著 角川oneテーマ21 2006年11月 1刷 ¥705+税』 (購入¥108税込み)

表題に千年とあるから、どんな老舗なのかな?と見たら、建築業「金剛組」が挙げられていた。この会社は、以前に聞いたことがあるが、昔の社寺仏閣など改修・改築を手掛けていたはずだが...(後で分かったのだが、この会社も、一度“倒産もどき”の事件があったそうだ)
その他、北陸の旅館、京都の和菓子屋、仏具店などがあるというが、採録はされていなかった。実は、そうした老舗をもっと知りたかったのだが。(残念)

この本は、もっと新しい老舗の再興者達の成功譚が主だった。
勿論、それらはそれらで、興味深く読めた。

その中で、なるほど!と思ったのは、「カイガラムシの活用の話」で、害虫だった「カイガラムシ」も使い方次第で益虫になるということ。
その“虫”は、「モチノキ」を食べて「雪ロウ」を出し、その(天然)ロウが、家庭用品や工業製品に利用されるという意味で、益虫になるわけだ。

実は、気に入ったのは、「死すべきモノ」も考え方/使い方次第で「生かすべきモノ」に変えられるという『考え方』だ。
この著者は、「一種のパラダイムシフトだ」と書かれているが、「老舗」が生延びて来たのも、その原理を働かせたからだろうと思う。
何でも、伝統あるものは変えてはダメだ!ではなくて、ひっくり返して考えてみよう!古い枠組みは大切だが、中味を入替えてみたら?!という発想が、日本の老舗を長持ちさせて来たわけだ。

それに倣えば、日本国憲法は、『憲法も 枠を活かして 中味替え』だな。
安倍首相は、何だかやる気が失せたようにも見えるが、大丈夫か?
・・・天皇陛下の「生前退位」の深耕については、少し前進気味になって来たようだが。



3分で右脳が...  「九月十五日」
『3分で右脳が目覚めた。 中谷 彰宏著 三笠書房 2003年2月 1刷 ¥1、200+税』 (購入¥200税込み)

この本の始めの方に、こんな節がある。
『右脳人は、やりたいことに2番がない。左脳人は、1番2番で行ったり来たりする。』
これを見て、例の民進党の蓮舫女史の云った「2番じゃ、だめなんですか?!」を思い出す。
また、こんな節もある。
『「ほめる」のは右脳、「けなす」のは左脳。』
これも、先般民進党の代表選で「男なら泣くな!」って叫んでた例の蓮舫女史の顔が浮かぶ。

結局、こういうことだと分かる。
『左脳人は実行より、調査が好き。』
「実行」はせずに、ナンタラカンタラ...と引き伸ばし、検討や議論ばかりしていて、一向に何も決められず...ってのが、昨今の左脳人達の風潮らしい。

旧民主党時代に、外国人二千円サポータが代表選で選挙権を持つのは「違法」だといわれながら、未だに放置状態だし、例の二重国籍を放っておいた蓮舫女史でも、日本国の政党代表に立候補するんだからなぁ。(嘲笑)

しかし、こんな状態だと、私達日本国・国家としては危険過ぎるのでは?と危惧している。

喩えば、シナ・中国や北朝鮮国は、(領土拡張や兵器の充実を)やろう!と決めたら、しゃにむに実行する(右脳活用型の)口だが、他方、私達の日本国は、(憲法の改善ですら、)何時までもだらだらと、有識者や国民の意見・見解を聞く振りをしながら論議・検討を続けている(左脳依存型の)口だ。

日本人種全体で見れば、どちらのタイプが多いってことでもないと思うが、実情は、活動すべき「右脳活用タイプ」の人達が、“平等・民主化”とか“ハラスメント問題”とかいった(糞理屈の)泥沼に足を取られて、“弱体化”、“貧弱化”して来ている所為(せい)ではないか?
もっと、右脳人を増やすのは無理としても、「右脳人少数精鋭主義」で釈迦力に対処して貰わねば、国全体が保てない/持たないのではないかと思う。

現実に、私達が出来ることは、“若い世代に、右脳を鍛えさせ、磨かせること”ではないか。
私も、小さい孫達には、「学問」は後付でもよいから、先ず「根性」だけは鍛えさせたいと思っているのだが。



テレポーテーション (続)  「九月十三日」
『テレポーテーション 瞬間移動の夢 デヴィッド・ダーリング著 林 大訳 光文社』  (承前

この本では、人間スケールでのモノの瞬間移動は、ずっと先の夢らしいが、「情報の瞬間移動」は“量子の領域”(不確定性原理が適用される領域)では、かなり可能性が見えて来ているという。
この本の発行が約10年前だから、きっと今(2016年)では、相当研究や技術が進んでいるのだろうと思うが。
だが、「量子コンピュータ」の話は良く聞くのだが、"本当に実用化出来るのかな?”と個人的には懐疑的だ。

というのは、2つの点からなのだが、
ひとつは、不確定性原理が適用されるようなミクロ→ナノ→ピコ→プランク定数...といった極微小の領域での「操作」や「処理」を、どうやって人間サイズの「機器」や「物事」に結び付けるのか?実際に上手く結びつけられるか?ってこと。(まぁ、為さねば出来ぬ、何事も!だけんど)
もし、結び付けられたとしても、酷く効率が悪い結果にしかならないのでは?
他のひとつは、一時期、研究者や技術者達の興味を集めたテーマでも、必ずしも結実するかどうか?は疑わしいこと。
例えば、「天候制御」や「核融合」、「核燃料再利用」などのように、一時は騒がれたが、未だに良い結果が出ていないテーマもあるし。

私は、「テレポーテーション」を「物流」の改善手段だと歓迎したいのだが、まだまだそんな風景は見えていないらしい。
より現実味の有る「情報の瞬間移動」の方は、盗聴を困難にするそうだから、面白いテーマでもあるんだがなぁ。(苦笑)

...唐突な話だが、この本に出て来る「もつれ」で思い付いたことで、“世界の研究者達に要望したいテーマ”として、「使用済み核燃料の(瞬間)無害化」がある。
一方の「放射能の放出」が“エントロピーの増大現象”なら、他方で何か“エントロピーの減少現象”が有っても良さそうに思うからだ。
(それは、神の領域だ!なんて言わずにさぁ!)

...更に唐突だが、“日本原子力研究開発機構”の高速増殖炉「もんじゅ」の(日本での)研究開発はもう止めた方が良いのでは?!
理由は、日本人技術者(達)には、「(後追いの)フォロー力」はあっても、「(先駆的な)ブレイクスルー力」が無いからだ。
世界中の研究者・技術者達が寄って集(たか)って研究するテーマでなければ、そうした「ブレイクスルー」なんて起きっこないし。
だから、出来れば儲けものの「使用済み核燃料の無害化」なんてテーマにでも、切り換えさせるべきだと思うがなぁ。



テレポーテーション  「九月十一日」
『テレポーテーション 瞬間移動の夢 デヴィッド・ダーリング著 林 大訳 光文社 2006年8月 1刷 ¥1、800+税』 (購入¥200税込み)

この本は、SF小説や映画の話から始まって、物理学の量子論の歴史の復習をしながら、「粒子と波動の両立性」などを解説してあり、最後は「情報だけの転送」って話のようで、途中「量子コンピュータ」なども出て来て、なかなか興味深い。
物理学を学んだ人間には、復習と整理と将来予測なのだが、非理系の読者には、チンプンカンプンかもしれない。

でも、誰もが持つ夢、「宇宙大作戦」のカーク船長が、宇宙船から瞬時にして地表へトランスポートされたり、ドラえもんの「どこでもドア」でのびたくんが地の果てまで送られたりすれば、「テレポーテーション」(の実現)も夢ではないのでは?と思ってしまうだろう。私も、実はそれを願っている口だが。(笑)

だが、生憎、瞬時にしてそれは難しいはずだ!と見破った...つもり。(笑)
というのは、「原子力」というものを忘れてはいませんか?ってこと。
通常の世界では「原子」をほんの僅かでも質量を減らせば、それは一瞬であっても“莫大なエネルギー”として変換されるのを逃れる術はない!(はずだが?)
その僅かな一部のエネルギーを使ったのが、現代の「原発」であり、「核爆弾」なのだからなぁ。
となると、「テレポーテーション」に、物質(原子・分子など)を一時的にでも消滅させる案は、現実的(?)ではないってことになる。

だが、この本の後半で出て来る話では、量子力学的には一度関係を持ったものは、宇宙の両端に離しても、片方の特性は他方にも及ぶんだそうな。(驚)
もしかしたら、それが「テレポート」に繋がるのかも。
まだまだ、私達の知らない事があるようなので、将来は分からない。愉しみにして居よう!(笑)



天然まんが家  「九月九日」
『天然まんが家 本宮 ひろ志著 集英社 2001年10月 1刷 ¥1、200+税』 (購入¥108税込み)

この本は、ある売れっ子になったまんが/漫画家の生い立ちと絶頂期、そしてその後を描いた自叙伝的&漫画的なもので、好奇心半分で読んでみたのだが、なかなか面白かった。
苦しくても、前向きに、ひたすら我武者羅に進んで行く様は、まさに漫画の主人公そのものを感じさせる。
留まってめそめそしている人間や、チヤホヤされて悦に入っている人間を克明に描いたマンガも、そりゃぁ読者は居るだろうけど、そんなのに「浸透力」はあっても、これのような「爆発力」は無かっただろうと思う。
(尤も、私自身「少年ジャンプ」や「少年マガジン」は見ることが無いので、まんがの内容は知らないのだが)

「爆発力」で思い出したが、故岡本太郎氏が言われた「芸術は、爆発だ!」が正しいとすれば、このまんが家の描いた「まんが」もひとつの芸術かも知れない。(笑)
でも、実際の表紙絵を見たら、主人公は結構イケメン(?)だし、全体的なスケールを想像してみたら、何だか“ちっこい感じ”がしたのは、私の思い過ごしかな?
私自身が、島国人で了見が狭いのに慣れてしまっているという知識から、そう勘ぐってしまうのだろうか?

男一匹ガキ大将』の続編で、石油の買い付けにアラブまで行く話が、結果は破綻したストーリーになったという。
私は先頃読んだ『海賊と呼ばれた男』を思ったのだが、あれには爆発は無くてもスケールの大きさを感じさせられたが、やはり“話の規模(の大きさ)”と“現実との乖離度(の小ささ)”は、丁寧に読み込む日本の読者なら問題になる/するのだろうなと思う。



発明マニア (終) 「九月七日」
『発明マニア 米原 万里著 毎日新聞社』 (承前

残念ながら、『国家機密の隠し方』まで来て、この著者の“視野と発想の限界”を見てしまった。
専門分野(同時通訳やその分野から見た政治家や政治)から離れて、一市民として世の中を見る眼は、一般のご婦人方とあまり変わりないらしいのが、段々鼻に付くようになって来た。

“他力本願”(他人依存)になるのは仕方が無いにしても、その視点から、政府があれをしたのは間違い!だとか、こうすべきだった!と主張されているのは、甚だ興醒め!

イラクでの人質事件で、(内々で身代金を払って?)人質を取り戻した時の話で、著者は、例えばこう書いている。
...つまり、人質にされた原因は、日本政府にあり、解放された原因は、人質たち自身にあること、イラク人に自衛隊は歓迎されておらず、イラクには武装せずに行った方が安全なことを満天下にさらされてしまったのだ。...
この著者は、“何時でも誰でも、日本人が非武装だったら、イラク人も危害を加えなかっただろう”と云いたいらしいが、因果関係で、そんなあんちょこな結び付け方をすべきではない!という発想が出来ないことが、問題!

まだ、“憲法九条”の話は出て来ないが、この著者はきっと、“日本国には、憲法九条があるから、日本の平和が保たれ、これが世界平和にも貢献する”などという(因果関係が無茶苦茶な)珍愚説に賛同しているのではないか?と思われ。

やはり、この著者は、ご専門の「(同時)通訳の世界」から、離れるべきではなかった!と思う。もう、この本は面白くないし、不要だ!



平和の毒、日本よ (続) 「九月五日」
『平和の毒、日本よ 石原 慎太郎著 産経新聞出版』 (承前

読み進むと、『新しい移民法を』という節があった。[平成二十年三月記とある]

この著者は、そこで「大幅に移民を迎え入れる体制を法律的にも整備すべきだ」という主張をされている。
理由は、単一民族による人口の減少は国運を衰微させるし、EUは労働力確保の為に移民を受け入れる試みで成功の道を辿っているからだと仰る。
だが、昨今の様子を見たら、ご意見が変わるだろうと思う。

...今や、異民族の受け入れで進んで来た、一見寛容で平穏だった世界(EUや米国)でも、実は、異民族受入れに対して、其処此処で不満が重積していて、時にはそれが爆発する様相を呈し始めている。
独国での移民(異民族)受け容れ派・メルケル首相への強い反発や英国でのEU離脱派の台頭、米国でのトランプ氏への圧倒的な支持増大などを診ると、決して、人々の日常生活の中では、“人間皆平等”などという綺麗ごとだけでは済まなくなって来ている実態が良く分かる。
だから、著者も、今では“移民の受け容れ”については、謙虚に現実を見て考え直された方がいいと思う。

ただ、「法律を整備する事」に関しては、私もこの著者と同意見だ。
兎に角、日本の官公庁は鈍感というか、新しいことには、我関せずなのだ。(そりゃまぁ、当然だろうけど)
問題は政治家の方、特に国会議員達で、自発的にテーマ・政策を挙げて、その問題に真剣に取り組める人達がどれほど居るのかって?疑わしいのが現状だ。野党議員など、哀れなほど無為・無能らしい。

こうした「移民法」なんてのを、議論出来る国会議員が何人居るかってことだ。
むしろ、“不法入国者も保護しよう”なんてワイワイ騒いでいる連中などの方が、声が大きい/力が強いなんて、ホント世の中ままならないものだ。



その冥がりに、華の咲く  「九月三日」
『その冥(くら)がりに、華の咲く [陰陽師・安倍清明] 結城 光流著 角川書店 2013年2月 1刷 ¥1、300+税』 (購入¥200税込み)

安倍清明」とあるので、買ってみた。
「清明本」に関しては、夢枕 獏氏のものが、味があって面白いので、幾冊も読んだのだが、別作家のものは、これが二種目だったかと思う。

しかし、この本は頂けない!というか、私には合わない。
作られた情景・世界が、“しっちゃかめっちゃかなおとぎ話のそれ”だからだ。
例えば、清明を助ける十二神将(の一人)が少女であったり、その言葉が現代風であったりと、夢枕風に、妖怪が蠢く妖しさも無ければ、式神が静かに舞う詩情も無い。

人智の及ばぬ所も多いこの世だから、ある程度想像力を働かせれば、そんな(夢想)世界も有り得るかな?という程度に描いてあれば、我慢も出来るのだが。
残念ながら、こんな凸凹継ぎ接ぎの空想世界を愉しめるほど、私の小説趣味は広くなかったことが分かった。
(五百円ほど、損をした気分だ!苦笑)



平和の毒、日本よ  「九月一日」
『平和の毒、日本よ 石原 慎太郎著 産経新聞出版 平成24年9月 5刷 ¥1、600+税』 (購入¥200税込み)

この本の中に、『叱らないで下さい』という節がある。
ある学校の校長の言葉を、この著者は、又聞きで聞いたそうな。
その話から、著者は、スポーツ選手に対する監督の態度を例に上げて、「叱らずして、どうして(肉体的に)向上させられようか」という見解を述べておられる。
私も、そう思うし、特に最近の若い人達の多くは、叱られることに慣れていないし、軟弱になり過ぎているのではないか?と思っている口なんだが。

しかし、先日のリオ・オリンピックで、史上最高の勝ちメダル数だったそうだから、必ずしも日本人全員が軟弱に成り果てているわけでもないらしい。

ということは、日本人皆が「平均化」や「平準化」に進んではいるものの、他方では、優れた人質はそれなりに「差別化」、「優秀化」の道を歩んでいるのではないか?と思う。
これは、「スポーツ界」では安心感になるのだが、一方、私達の生活に直接関係する「政界や政治家達」の方はどうなんだろう?

民主主義国家では、制度的に、当然ピラミッド構造でなければ、上手く運営出来ないはずなのに、そうした構造にはあまり重きを置かず、何でも彼でも“有識者会議”や“第三者委員会”などというものを設けて、誰が責任を負い、誰が決断するのかを曖昧にしようと悪癖が多く見られる。
これが、所謂「民主化」、「大衆化」であり、「平準化」なわけだ。

では、「差別化」の方は、どうなのかな?
まぁ、スポーツ選手が競技で負けたら、おいおい泣くか、皆様に謝れば済むが、政治家(達)は、それでは許して貰えないから、余程、失敗の無い/見えない「差別化」を図らないとダメなのかも。



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