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物事追及集 二〇一六年十二月版


生命の意味論 (続)  「十二月二十日」
『生命の意味論 多田 富雄著 新潮社 1997年4月 3刷 ¥1、500+税』(承前

今まで、さらっと読み飛ばして来た箇所を、また少しずつ読み返しているのだが、やはり、“なるほど!”と思う内容が多々ある。

人間や動物は、毎日自分の身体組織とは異なる食物や水を取り込み、それで自分の身体全体を入れ替えて来ているのに、なぜ全体が別物になってしまわないのだろうか?と、疑問に思うのだが、この本では、それは「遺伝子」の“自己を継続させる機能”に依るものだと説明されている。
だが、その仕組みは、胸腺内に提示(?)されているMHC分子が、「(自己を見せる)標本」となって、新たに作り出されるT細胞の生死を決めることにあるらしい。
その「標本」と強く反応するものは、即座にアポトーシス(細胞の自殺)を起こして死んでしまう。(同じモノは敵/害だから、死を授ける!ってことか)
逆に、「標本」にまったく反応しない細胞は、刺激を得られずに死んで行くだけ。
「(自己を示す)標本」に弱く反応し、MHC分子の基本的な枠組みだけを認識する細胞は、生存の為の刺激が与えられて生き残れるのだそうな。
本のこの箇所だけで、全体がちゃんと理解出来たわけではないが、何と無く、「自己保存」や「自己再生」の原理が分かった様な気になった。

・・・この話は、人間関係でも言えそうだ。
自分と“同種の者”は、“置き換わり者”とか“乗っ取り者”となるわけだから、強く排除しなければ「(現在の)自己の保全」が出来なくなるわけだ。(例えば、権力闘争か?)
また、自分に関わりを持たない者は、「自己の生存」には無関係だから、居なくて結構!となる。
ただ、緩く関係を持ってくれる者は、共存を許すわけだ。



青い光に魅せられて  「十二月十二日」
『青い光に魅せられて 赤崎 勇著 日本経済新聞出版社 2013年3月 1刷 ¥1、700+税』 (購入¥200税込み)

(技術者くずれの私から見て、)この方は、確かにノーベル賞級の“凄い実力”をお持ちだと思った。
それは、一般の通念からはまず不可能と思われていた、GaN(窒化ガリューム)系のPN接合(ダイオード)や、電流注入による発光素子を、しっかりした見通しを持って研究・開発して来られ、成功された点だ。
周りの俗物から、“そんな研究は、無駄だからやめとけ!”とも云われていたそうだが。

先ず何よりも、“綺麗な結晶”を作ることで、(欠陥だらけの為に)N型半導体にしかならなかったGaNでも、実用的なP型層が作れることを実証された点は素晴らしい!と思う。
それに、そうした結晶や層を作る上で必要な機材を、ご自分(達)で設計・製作されたことも、“実力”だろう。
私達凡人は、よく“xxが無いから出来ない/やらなかった”という愚痴を零すのだが、“必要と思い、世の中に無いなら、自分で作れ!”と言えるのは、やはり“実力の差”だろうと思う。

それと、この本では、この部分を考えたのは誰某、実作業をしたのは誰某、と明記されていることで、全部自分がやった、全部自分の成果だ!とは言われていないことだ。
青色発光ダイオードの売上金の一部を、(後出しジャンケンのように、)オレの発明だ、オレに寄こせ!と裁判をして、幾億円かを独り占めした、何処やらの技術者とは大違いだ。(あれなど、会社から莫大な投資をして貰って開発が成功したから“売り上げ”が出せたのに、もし開発が不成功だったら、経費などの損金を自前で払ったのか?それとも頬かむりか?と詰問したいようなズルイ話だもんな)

この著者=赤崎氏も、本の中で、その技術者の名前を所々で出されていはいるが、あまり同業研究者としての評価はされていないような感じを受けた。(私も、彼は研究者ではなく、単なる技術者だと思う)



自律訓練法の実際  「十二月八日」
『自律訓練法の実際 佐々木 雄二著 創元社 2001年1月 34刷 ¥1、300+税』 (購入¥200税込み)

この本は、大変有意義な内容を示唆している思う。
「自律神経系」は、本来、「意識系」からは制御不可能な縁遠い系のように思うのだが、それを「意識系」から干渉して、“安定化の方向へ誘導する”ことが可能だ、ということらしい。

その標準練習というのは、リラックスした状態で、以下のように“自分自身に言い聞かせ/念じ”ながら行う。
「安静練習」・・・「気持がとても落ち着いている」
「重感練習」・・・「両腕両脚が重たい」
「温感練習」・・・「両腕両脚が温かい」
「心臓調整」・・・「心臓が静かに規則正しく打っている」
「呼吸調整」・・・「らくに呼吸している」
「腹部温感」・・・「お腹が温かい」
「涼感練習」・・・「額がこころよく涼しい」
で、これを毎日静かに短時間行い、やがて実際に生理的変化が起きるまで、長期間に練習し続けるわけだ。
考えると、「座禅」とよく似ている。
「座禅」の場合は、“無念・無想”が主旨だが、実は、“無意識界への没入”を意図しているわけで、決して無欲なわけではないと思う。

私も、こうした実践の意味は良く分かるし、毎日やってみたい...と思う。
でも、いざ実践するとなると、やはり多くの(失敗した)試みと同様、“三日坊主”になってしまうわけだ。
“知ること”と“実践すること”とは、常に別物だ!ってこと。そして三日坊主でなかったコトは、“成功したコト”だ。(苦笑)
今は、兎に角、適時、思い出したらやってみるつもり。



中国の大減速の末路  「十二月二日」
『中国の大減速の末路 長谷川 慶太郎著 東洋経済新報社 2015年7月 1刷 ¥1、500+税』 (承前

この本では、“民主化”によって、やがてシナ・中国共産党独裁政権は崩壊するという。
色々な識者や著名人の意見でも、共産主義国家はいずれ崩壊し、“民主化”に進むというシナリオを描いてくれるが、本当にそうなんだろうか?独裁的な政治体制は無くなり、独裁政治家は居なくなるのだろうか?...
近頃の世界の国々の様子を見ていると、それが疑問に思えて来る。
先ず、“民主化”されたらしいロシアでも、プーチン氏は、ほぼ独裁者として振舞っているように見える。
尤も、内部抗争は激しいらしいが。
米国でも、トランプ氏は“米国の独善性”を強調する言動で人気を勝ち取ったようだが、大方(民主的勢力)の予想を裏切った形になったわけだ。
フィリピンのドゥテルテ氏も、(暗殺者達に狙われる)一種の独裁的な指導者に見える。
また、キューバの指導者達は、いずれも独裁的な政治で国を引っ張って来たわけだから、民主化国家とは言えないだろう。
逆に、独裁者のなり損ねた韓国の大統領は、民衆の(無意味な)弾劾によって、免職(辞任)を余儀なくされそうだし、国自身は崩れて行くままに成り果てている。
それに引き換え、独裁体制を維持している北朝鮮は、米国にまで楯突こうと核兵器や長距離ミサイルまで開発してしまった。
他方、私達の日本国は、“民主化”が進み過ぎて(?)、誰もが自分勝手な意見を持ち、誰もが何事も決められなくなってしまっている。
独裁者などは勿論育たず、国内に課題があっても、皆ワイワイ騒ぐだけで、その内に成り行きで納まれば、それで良し!としてしまう。
ただ、斑模様の世界の中に在っては、“民主化”というのは、国の弱体化の“ひとつの傾向”かもしれないと思うようになった。

だから、私達の日本国にはもうこれ以上の“民主化”は不要だが、シナ・中国にはせっせと“民主化”を押し付けて、“弱体化”を狙うべし!と思う。(逆に、シナ・中国や北朝鮮の指導者達は、それに必死で抵抗しているわけだが)


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