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物事集 二〇一八年三月版



『旅好きオヤジの 自転車巡礼記』  「三月二十九日」

旅好きオヤジの自転車巡礼記 小林 建一著 エイ文庫 2008年12月 1刷 ¥780+税』 (購入¥108税込み)
先日、“自転車での世界旅行記”を2冊読んで、結構、他の人達の旅行記でも愉しいことが分かって来て、またこんな本を買って来た。
昔は、運動や旅行などは、「自分自らがやるものであって、他人がやった話など...」と思っていたのだが、最近は歳の所為か、そうでもなくなって、面白く読ませて貰うようになった。

この著者は、国内・四国札所巡りをした他に、スペイン巡礼もしたそうだ。
羨ましかったのは、英語の他に、ポルトガル語の会話も出来るとのことで、スペインでの道中は、それ程困らなかったらしい。
著者は、大学ではポルトガル語を専攻したそうだが、兄弟語のスペイン語も会話なら出来るとのことで、ほぅ便利だなぁと思った。

尤も、海外で会話が出来なくても、“意思あれば通じる”という話を良く聞くから、格好を付けなければ、何とでもなるようだし、私にも昔、仕事上でそうした経験がある。
一方、世間では、皆が善意の人達ばかりではなかろうし、会話上のちょっとした不注意で、相手に不快感を与えたり、軽蔑されたりすることもあるのではないか。
それに、欧米では、未だに、私達東洋人/黄色人種を、(心底では)侮蔑の目で見る人達も居るらしいので、旅行者といえども油断は禁物かも。

まぁ、昨今では、何彼に付け日本・日本人を知ってもらう機会は増えてはいるようだし、私達日本人に対する認知度は高くなっているだろうとは思うが、彼の地では、中国人、日本人、韓国人は、区別が付け難い時が多いのではないか。
この著者は、単に風采だけからの判断らしいが、二度ほど「君はメキシコ人?」と聞かれたそうだし、また、韓国人から韓国語で声を掛けられたそうだが、なんともはや!



『李陵』  「三月十九日」

『李陵・山月記 中島 敦著 角川文庫 平成6年6月 47版 ¥470+税』 (購入¥108税込み)
北方版『史記』を読んで、その登場人物の内、特に惹かれたのは、「蘇武」という人物の極寒の地で生き抜いた“凄さ”だ。
それと並んで、「蘇武」の友人だった「李陵」の生き方にも興味があった。

ネット上で見掛けた、北方 謙三氏へのインタビュー記事から、氏の『史記・武帝紀』は、中島 敦氏の『李陵』に触発・啓発されたということを知って、その本も読んでみたいと思った。
ネットで探したら、Kindle版、Kobo版共に、無料で読める本があるらしい。
そこで、手持ちの(魔流さんから頂いた)Koboにダウンロードして、読んでみた。(図1左側)

その流れるような文章を読んで、あぁ、これこそが“書き言葉”だ!“中身を取りこぼさずに、素直に読める小説”だ!と、実感。
(私の、かな釘流の文と貧弱な語彙では、どうにも上手く表せないのだが、兎に角、気に入った!)

後日、「BOOK-OFF」で文庫本の棚を見ていて、文庫本『李陵・山月記』と眼が合ってしまった。これは買うしかない!一も二もなく買って来た。(図1右側)
他の短編も、じっくり/するすると読ませて貰おう!



『行かずに死ねるか!』、『やった。』  「三月十七日」

『行かずに死ねるか! 石田 ゆうすけ著 実業之日本社 2006年11月 6刷 ¥1,500+税』 (購入¥200税込み)
『やった。 坂本 達著 (株)サイプラス 2002年5月 5刷 ¥1,700+税』 (購入¥200税込み)

どちらも、自転車で世界旅行を愉しんで(!)来た話だ。
単独での自転車旅は、厳しさや苦しさも多かったろうが、やはり、周りや旅先での支援や好意・援助に助けられて、旅を楽しんで来たようだ。
読ませて貰ったこちらの方も、十分に愉しませて貰った。

一方、(第三者の読者でありながら、)無私の厚意・親切を受けた当人(達)が、その恩にどのように報いるのか?どうすれば報いられるのだろうか?と気になった。

無私の慈善」に対して、必ずしも、“恩に報いる”ことが、必要なこと・適切なことではないかもしれないが、普通は、“貰いっ放し”では、何時までも気持ちが落ち着かないものだが。
やはり、自分を納得させる何かの理屈・考え方が欲しいものだ。
でなければ、“絶対に、他人の世話にはならない”という覚悟でなければ、単独旅行などは、すべきではないような気もするが。

とはいうものの、現実には、他人や(周りの)社会の手助け無しには生きて行けないのが(生物としての)人間だから、結局は、それを当てにしながら、生きて行かねばならない。
でも、昨今の日本では、(ふざけた事に、厚かましくも)個人が社会・国に向かって、平然と慈善(施し)を要求する時代になって来ているようだ。
...“人権なんちゃら”というやつを武器(?)に、“恩返し”も無しに、要求だけはエスカレートさせて、税金を食い潰して行く!



『イギリスはおいしい』、『イギリスは愉快だ』  「三月十一日」

『イギリスはおいしい 林 望著 平凡社 1992年6月 15刷 ¥1,800税込み』 (購入¥200税込み)
『イギリスは愉快だ 林 望著 平凡社 1992年10月 10刷 ¥1,800税込み』 (購入¥200税込み)

イギリスはおいしい』の方は、食べ物には興味が薄い私だが、面白く読ませて貰った♪
噂では、イギリスの食事、家庭料理はあまり美味しくない、否、むしろ不味いという評判らしいのだが、それをこの著者は、最初は肯定しながらも、最後には否定する話に纏めてある。
そりゃあ、(フランスのように)金に飽かして(?)美食を追求するような国や、(昨今の)暇に飽かして(!)味を追求するような時代では、お腹を満たすだけの食事では、物足りないだろうことは分かるが、この著者の指摘するように、その地で生活し、同じような食事を続けていれば、やがては、“忘れられない味”になって来る/居るものだと思う。

米食や穀類中心の“日本食”だって、似たようなものだ。
日本食も、工夫して、品数を多くしたり彩りで飾り立てたりしているが、本来は自然素材のシンプル/粗末なものだし、味も淡白なもののはず。
幸い、醤油という優れた調味料のあるお蔭で、味覚を巧く騙せてはいるんだが。
昨今、その日本食が(世界から“ダイエット食”として)注目されているらしいが、好まれる第一位は何と!(油ギトギトの)ラーメン/中華ソバだそうな。(へ?あれって、日本食なの?)

イギリスは愉快だ』の方は、少し期待外れだった。
やはり、『おいしい』では、“食、食事”に強い関心をお持ちの著者ならではの思い入れのある、かつユーモラスな見方が感じられたが、こちらの方は、守備範囲外・分野外のテーマについて書かざるを得なかったせいなのか、かなり突込みが浅いように思えた。
ま、息抜用として読むには、いいかもしれないが。



クラシックCD  「三月七日」

ある時、ショパンのピアノ曲集を聴いていて、突然気に入ってしまった♪
“癒される”というより、何か“穏やかな高揚感”を覚えるので、“癒し専門?”のモーツァルト曲感とはまったく違う。(図1)

同じ盤をリピートで幾度も聴くことはしないので、次のに差し替えようとして沢山買ったクラシックCD群の中を探したら、僅かに2枚しかなかった?!(図2<クリック>

ブラームスベートーベンモーツァルトなどは沢山あるのに、なぜ、ショパンだけが少ないのか?...まぁ、買ったのが“ランダムな組み合わせのジャンク・セット”だから、偶々そうなったのかもしれないが、それにしても、分析してみたら意外に面白かったりして?
モーツァルトが主に女性向きだとしたら、ショパンは男性向きなのでは?
だとしたら、温厚化・女性化して来ている今の日本人の数や人気に関係するってことか?(まさか!)

それはさておき、追っ掛けて、(ヤフオク!で)“クラシックCD まとめ買い”をしようとしたら、もう、前のような割安の出物は見付からず。
割高になるだろうけど、狙い撃ちで買ってでも、ショパンの盤数を増やそうと思う。

それにしても、自分のこうした突然のBGM発作買い(!)は、どうしたことか?(苦笑)
無駄遣いが多くなっているので、も少し丁寧に遣おうと思っている小遣いなのに!



『孤児たちの軍隊2』  「三月五日」

『孤児たちの軍隊2 ロバート・ブートナー著 月岡 小穂訳 早川書房 2014年6月 1刷 ¥940+税』 (購入¥108税込み)

先日(久し振りに)読んだSF『火星の人』が、なかなか面白かったので、これに味をしめて、またSF文庫本を幾冊か買ってみた。(図1)
ところが、柳の下に二、三匹目の“どぜう”は居なかった!
僅かに、まともに最後まで読めたのは、『孤児たちの軍隊1、2』のみで、それも、面白かったのは、「」の方だけ。

他の5冊は、何かだらだら書いてあるだけで、喩え“空想話”にしても、もちっと必然性だとか、説得性のあるような内容とかが盛り込んであるならいいんだが、それが無いから、好奇心も湧かないし、納得もし難いし、ちーとも面白くない。
大方は、作家・著者の単なる思い込みや独り善がりだけで、書いてあるような感じ。

まぁ、そういった感想を持つのも、私だけの独り善がり/悪がりなのだろうと思う。
しかし、(他人の為でなく)読んで愉しみたいのは自分自身なので、それを満足させてくれなくっちゃ、ダメだわさ!
ひょっとしたら、(ワクワクさせられる冒険活劇だけを期待するような鈍感さに陥って、)自分自身の感性が鈍ったのかな?と思ってみたが、「紀行文」でも結構愉しんで読めたから、それ程感性が鈍ってしまったわけでもなさそうだしなぁ。



ホテルにて  「三月三日」

一昨日、一泊二日の車旅行で、鈴鹿、伊勢まで行って、“梅見”と“温泉”と“海鮮料理”を愉しんで来た。
丁度、この日は、週間予報では大雨・大風だということで、“マスメディア”などは大騒ぎだったようだが、私達は、運よく天候が良い地域ばかりを(予約して)走ることになり、2日共晴天を享受した♪ 確かに、風はきつかったが、然程困るほどのことも無し!
朝、ホテルからの海岸の眺めも、穏やかで、あと一日の好天を約束してくれるかのようだった。(図1)

そのホテルでの話だが、部屋に入ると、(古い人間だと)何だか箍(たが)が緩んでしまいそうな“メッセージ・ボード”があった。(図2<クリック>
家人は、昔から、旅館、ホテルを問わず、朝は必ず布団は押入れに仕舞い、浴衣類もきちんと畳んで、置いておく習性があるのだが、私は無頓着な方で、“そんな作業は、旅館やホテル側に任せる”主義だから、毎回揉めている。
しかし、今回のこのボードで決まり!ではなかろうか?(笑)

昨今は従業員達も、外国人化と高齢化が進んでいるようで、“客室の案内役”、“食堂での給仕係”は、東南アジアの女性達、“布団敷き係り”は日本人の高齢男性達だった。
そうした従業員達の仕事(布団の上げ下ろしなど)を、客が勝手に横取りしてしまっては、ホテル(の管理者)側としても迷惑になるのだろう。
これが人手不足に悩む個人経営の旅館だとか、民宿などだと、むしろ喜ばれる行為・作業になるだろうけど。
今は昔の話で、もうそろそろ通用しなくなることなのかも。(苦笑)


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