[表紙頁]へ  副目次へ 我楽多苑 別亭]へ
物事集 令和五年六月版


『人類の起源について』 (修正・追記)  「令和五年六月七日 (2023/06/07)」

生命の意味論  多田 富雄 新潮社 三刷 1997年4月 ¥1,500+税』(購入¥200税込み) 

[LGBT法の愚かさ
最近、日本の国会で、何やら(意味不明な)「LGBT法」とかを立法化する動きがあったそうだが、何を慌てて他国・別人種の真似をしたいのだろうか。
日本人種が住む日本という国は、それを真似するのに一番相応しくない国なのに!

[日本人は固有種]
何故なら、第一に「日本人種」は、日本という土地に独自に発生し、そこに存在し続けた固有種だからだ。
アフリカで発生した人間種の子孫などではない。(今の通説は、そうらしいが)
つまり、根っからの“ガラパゴス的人種”であって、他の場所からこの地へ移り住んで来た種などではないということ。
(尤も、後からの多くの入り混じりはあっただろうが)
その固有種を永続的に存続させる為に、暗黙の情報(未解明!)が遺伝子に埋め込まれているのだ。
それは、ひ弱で特異な「Y染色体」が生成する遺伝子にだ。...その話を続ける前に、種の特異性について。

[種の起源への異説]
人種や動物の起源は、アフリカに限らず、地球上の何処にでも有ったと考えるべきだ。
その地域で発生はしたが、順調に生き延びられたか?代々命を繋いで行けたか?また、その数/人口が増えたかどうか?を、問うだけで良いのだ。
ある地域で発生した少数の原人が増えて行くにつれて生存地域を広げて行った、あるいは少数が存亡を賭けて、遠い地の果てまで移動をした、というのは、話としては面白いが、何の必然性も無い。
そうした状況の下で、日本人種は、太平洋というミネラルが豊かに循環する大海の浜辺で生まれ育った種族であり、何の過不足も無い独自の文化圏を形成することが出来る数少ない種族の一つなのだ。

多田 富雄氏の『生命の意味論』(図1)には、ハンス・シュペーマンの論文に関して、こうある。
「この実験がなぜそれほどに重大かというと、それ自身では何者でもない授精卵から、イモリの個体という存在が発生してゆくとき、その形を作り出す中心となるオルガナイザーと名付けられる特殊な部分がまずできるということ。それが周りの何物でもない細胞に働きかけて、何ものかを作り出して行くということが判ったからである。」
つまり、先ず、単純な細胞が出来、それに加えて、細胞群が意味ある形に形成される為の司令塔“オルガナイザー”が出来て、細胞群が“有意の形”になって行くわけで、ある場所で“細胞群”と“オルガナイザー”さえ出来れば、何処ででも“有意体”が出来るということだ。(現代のIPS細胞論に繋がる)

[オルガナイザー]
その“オルガナイザー”は、別に“天神”や“宇宙人”から与えられなくても、この地球上で幾百万年も掛けて、各地域で自然発生的に生成されて来たであろうことは想像に難くない。
そして、もしかしたら、手や足が四本ずつや頭が二つあった人形(ひとかた)を形作る“オーガナイザー”が出て来た可能性もある。しかし、それらはきっと生き延びる力が足りず、長寿命ではなかったろう。
そうした短命な“オルガナイザー”は、数知れず発生し、消えて行ったに違いない。
そして、「環境適者生存」の(物理・化学)法則に従って生き延びられた種類だけが、今にあるわけだ。

[日本で神々と呼ばれたもの]
日本の神話『古事記』や『日本書紀』には、こうある。(本居宣長:『古事記伝』の孫々引き)
「天地の初めの時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神、この三柱の神は、皆独神成りまして、身をかくしたまひき。次に国稚く浮き油のごとくして、くらげなすただよへる時に、葦牙のごと萌騰る物に因りて成りませる神の名は宇摩志阿斯訶備比古遅神、次に天之常立神。この二柱の神も亦並独神成りまして身を隠したまいき。上の件五柱の神は別天神。」

つまり、神話では、現れた有意の人形を“神”としたが、それらは直ぐに(とは言っても、数百年単位か?)消えたと記されたのである。
この“独神”というのは、“単性生物”を意味しているのではないかと思うが、当然、それらは繁殖力が無く/弱くて永続出来なかった人間種の“神”だろう。
また、この神話は、“葦牙のごと萌騰る物に因りて成りませる”モノたちとして、他にも様々な動物や植物があったことが、言外に読み取れる。

因みに、そうした“オーガナイザー”の持つ情報を読み取る、あるいはその呟きを聞くことが出来たのは、“神”に仕える巫女達ではなかったか。日本の神話は、そうした巫女達に依って紡ぎ出されて来たものではないか。

[両性化人類の発生]
研究によれば、人体が発生して行く途中で、順調なら人体はすべて女になってしまうが、偶々、(貧弱な?)Y染色体が一つの遺伝子を働かせて、(無理矢理?)男という身体を作り出した/出すそうだ。(多分、“オーガナイザー”の働きに、あるいはミトコンドリアに寄生に因ったのだろう)
このY染色体を持つ男は、“不安定さ”の代わりに、“好奇心”や“想像力、予見力”や“活発さ”と言った、環境への積極的な適合能力を持つようになった。
そのことが、その人種を群れとして存続・永続させる力/要因になったわけだ。

昔、日本には「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と「伊邪那美命(いざなみのみこと)という二つの性を持つ個体が出来た。
微笑ましいことに、この二つの個体は、他の生物から“交尾”を教わって、命を継承させる術を教わったという話もある。それは、初期には、それぞれが単独で発生していたということになる。
交わる際に、女の方が主導すると“蛭子”(自力では生存できない種)が生まれたので、改めて男の方が主導すべきだという記憶が(“オーガナイザー”に)刻み込まれて、それによって、永続的な人間種の継承が可能になったわけだ。
そして、“神”とみられたものが、実は、“オーガナイザー”なのである。
(“蛭子”は、女自らが作った/産んだクローン体ではないかと思うが、詳細は不明)

つまり、“男性・女性の存在・並立”は、人間種存続の上で必須であり、単性や一方の性(つまり“独神”)だけでは、種の永続は望めないということであり、それが日本人種の「Y遺伝子/Y染色体」に刻み込まれ、そして「日本の神話」として残されて、ずっと維持されるように仕組まれたわけだ。

[日本の神々と西洋の神]
日本には、“八百万の神”と言う、数多くの神々(オーガナイザー群)が存在する。
つまり、日本人は、万物にそうした“神”が存在することを(細胞感覚で)理解していて、願いごとなどは祈りはするけれど、自分自身の努力が大元だと思っているから、“神様”から(直接に)それを与えられるなどとは、全く期待していない。
例えば、神社の絵馬に“合格祈願”とあり、合格した折には“合格感謝!”と揚げてあるが、自身が持っている“神”(オーガナイザー)に願掛けをし、そして成就すれば、その“神”に感謝するわけだ。
謂わば、食事時に(誰に向けてでもなく)"頂きます!...ごちそうさま!”と唱える心も同じだ。
だから、日本人の神道は、それを簡素化・象徴化したものだけれども、宗教などではなく、所謂“信仰”ではないのである。

一方、西洋の神は、天高くに居わすそうだ。
それは絶対者であって、万物の創造主であるという。
“神”は人に原罪を与え、“神”に帰依しなければ人は救われないとも。
...“神”は、本当は“身内の存在”であることに、未だ気付いていないのだろう。
そして、モーゼがシナイ山で神から与えられた十戒は、実は、“オーガナイザー”からの啓示であったと解することは、至難かもしれない。

[万世一系]
日本人種が、永遠に命を繋いで行く上で大切なことは、男は「伊邪那岐命」であり、望ましくは女は「伊邪那美命」であるべきだというのが、原初の“神”=“オーガナイザー”の指示であったに違いない。
しかし、その方式では、近親婚が避けられず、重複コピーによる生物学的な危険が避けられなくなり、“オーガナイザー”の指示は、後世にまで伝わらなくなる。
だから、長子相続による男系継承など、「Y染色体」(の保持者)だけを温存・継承して行く方式を採った。
...だが、現代の日本では、「皇室」にしかその形態を残すことが出来なくなっている。
しかも、その「皇室」さえも(男系継承が)危うくなるような外敵からの外圧が見られる。

[人類の行く末]
その外敵の一つとして、(地球上の多くの生物の)メス化がある。(図2[クリック]
人間種も然り!その女性優位・上位の傾向は、もう、避けられそうにない。
これは、環境の安定化・安全化が、一番の原因だろうと思うが、そうした安定した環境では、“女”だけ、あるいはその“クローン体”でも、ある程度の長期間生存が可能らしい。
そうすると、もう「一系のY染色体」などの必要性が無くなって来たということらしいが。
しかし、こうした変化は、此処数十年の話で、生物種が生まれ出て来た長い年月/歴史から比べると、ほんの一瞬の間でしかない。
この先どうなろうと、今の私達人間種は知る術は無いし、その必要性も無いかもしれない。
だが、古い日本神話の真実が解き明かされて来れば、そして、“オーガナイザー”の本来の意味を知れば、人類は、また違った歴史を紡ぎ出せるかもしれない。

[オーガナイザー(心神)と気の連携]
実は、今の私達が考えたいのは、自分自身の中にあるはずの“オーガナイザー(“心神”は適訳か)”との連絡・連携の話だ。
“病は、気から”とか、“気力を奮い立たせる”とか、“気分が良い”などに含まれる「」のこと。
これは、もしかしたら、“オーガナイザー(心神!)”との密やかな“通信・連絡”なのかもしれない。
癌などの病気でも、“気力”で克服し、快復することが出来た人も居るそうだし、それは、やれば誰でも出来ることなのではないか。

私達日本人種は、物質文化への注力とその享受には長けているらしいが、更に、こうした(生物化学面を考えた)“精神文化の掘り起こしと深化”にも長けているはずだと思うが、どうだろう?


[表紙頁]へ  副目次へ