物事集 令和五年九月版
『暴走する地方自治』考 「令和五年九月二十四日 (2023/09/24)」
『暴走する地方自治 田村 秀著 ちくま新書 2012年5月 1刷 ¥780+税』 (購入¥110税込み)
[地方自治は暴走するか?]
この本(図1、図2[クリック])は、もう少し「大阪維新の会」の潜在能力などが知れるか/判るかな?と買ってみたものだが、流石に、この著者には、10年後の「日本維新の会」への展開と躍進を予想することは出来なかったようで、残念ながら、その点では参考にならず。(暴走だと云うばかり)
逆に、地方政治の限界や国政からの干渉・不干渉、そして国政への干渉の必要性などが、多少読めたのは、参考になった。
[国政−岸田政治]
昨今の日本国の政治を、“一庶民の眼”から見ていると、(私達国民を無視した)行き当たりばったりな振る舞いにしか見えない。
(尤も、ある勢力に対しては、適切に(?)阿っているのかもしれないが)
これは、岸田現首相の(糸の切れた凧のような)姿勢・信条の所為だろう。
或いは、担当を任された各大臣の力量が、充分ではないのかもしれないが、やはり欠けているのは首相の示す適切な“指示”ではないか。(LGBT法強行などは、愚の骨頂だ)
(しかし、そうした首相を裏で操っていたのは、K元官房副長官だったという話らしいが、だとしたら、彼の思想・信条がどうなのかが、大変気になる処)
[安倍政治]
思い返すと、(日本人の、による、の為の)“日本 を取り戻す”、“アベノミクス”、“安倍外交(世界全方位外交)”などを掲げられていた故安倍元首相は、本当に日本に必要かつ貴重なリーダーだった。
加えて、当時内政を預かっていた菅元官房長官の働きも大きかったように思う。(ただ、総理の器ではなかったかもしれない)
それに就けても、私達日本国の貴重な政治家を失わせた山上徹也殺人犯は、同じ“死”で、その償いをさせるべきだ!
[悪い方へ迷走]
そうしたリーダーを失った途端に、日本の政治は、またもや迷走し始めているわけだ。
今、大変危険なのは、“グローバリズム”(世界の均質化(一括収奪の容易化)、資本の集中化(巨大資本による寡占化)、階層の2極化(奴隷化する下層))の大波だ。
今の日本国も、無抵抗で居ると、今の緩やかな平等(実は不平等)社会が、極端な2極化、2階層化によって壊れされてしまう恐れがある。
それに、子供達への(見え難い)魔手が伸びて行くことだ。それは、私達の日本では、絶対に阻止しないといけない!
[賢明なリーダーを望む!]
ならば、直ぐにでも(賢くて強い)リーダーが欲しい処だが、“俺にやらせろ!”という(力のある)奇特な/優れた政治家は居そうもないようだし、B国のトランプ氏(Youtube動画例)のような(自薦の)政治家は、日本では(満場/全員一致が必須だし、足の引っ張り合いも大好きだから)頭を出すのは難しかろうな。
...まぁ、他薦は有効だから、党を造るのが良だろうな。
[次善の策]
言うだけで、殆ど何も出来ない今の(良識派?感性派?)自民党員らよりも、もっと“素早い知識吸収力”と|または“深い考察・洞察力”と|または“有言実行出来る気力・体力”を持った党員達が集まった国政政党を、育てること/応援することではないか。
最近のネット/SNS社会の拡大・進化で、(過去には泡沫的だった)国政政党が、国会議員を一人二人と生み出し始めたのは、大変興味深い。
だが、“政治は、数がすべてだ”そうだ(うぅ、おぞましい!)から、やはり(SNS上の)“カウント数”だけでは、現実の政策を変えることも、新たに生み出すことも、無理だろう。
その“カウント数”は、自らが政治に参加して、行おうというより、支援・応援するだけの“人数”に過ぎないと思われるからだ。
[日本維新の会?!](私は単なる無党派層のひとりだが)
やはり、望みがあるのは、「日本維新の会」のように、(既存の利権団体の後ろ盾は無いが)“やる気のある人材の登用”を旗印に、地道に党員数を積み上げて行く政党、ではないかと思う。
第一野党になるまでは、相当に苦しい努力=良い人材の発掘が、必要になるだろうけれども、(人気だけが取り柄の)与野党議員の集合よりは、遥かに“質の良い国会議員団”が出来るはず。
...ま、彼らの政策の良し悪しを言うのは、もっと先だ!...(が、議員の副業・兼業は、可とすべし!また、議場での内職や居眠りも許すべし!)
『台湾有事?』考 「令和五年九月十九日 (2023/09/19)」
『産経新聞 朝刊第1面 2023年9月18日(月)』
この記事(図1)は、「産経新聞」が取材を申し込んで、先方が応じた時の話だから、B国からの“意図的・積極的な提示”ではないようなので、只の“参考”扱いだが、眼を打つ。
[B国からの耳打ち・後押し]
実は、先般から気になっていることがある。
それは、B国から陰に陽に(私達の)日本国に対して、“C国への対抗/挑発姿勢を、あから様に示せ!”とせっつかれているような、甚だ気味が悪い話が増えていることだ。
先般は、麻生副総裁が、台湾で“台湾有事の回避が重要だが、抑止力として、“戦う覚悟”が求められている”と宣わったらしいが。
我が国の自衛隊は、実力的には、単に“B国の支援部隊・傭兵”程度でしかないから、あまり威勢の良い話はして欲しくないのに。
その他、C国への機密情報のリーク話や日本人ジャーナリストへの台湾危機近しの耳打ち話など、香ばしい話が多くなって来ているように思える。
直近では、(LGBT法を日本政府に強要した)B国駐日大使が、C国向けだった「ホタテ」を、わざわざB国向けに振り向ける斡旋をしてくれるといった、気味の悪いパフォーマンスを見せ付けられたし。
[C国間パイプの排除]
また、NSN上などでは、(私達日本人の)ほんの一部だろうが、C国と何らかのパイプを持つ、我が国の政治家達を悪し様に皮肉ったり非難したりして、(数少ない、か細い)「外交パイプ」さえも、あからさまに、排除しようとしているらしい。
尤も、パイプとは言っても、殆ど役に立たないものなのかも?
(実は、“ウクライナ戦争”開始後は、B国はロシアとの“外交官ルート”を細いルートまですべて断ち切ったと聞いているが、何かその話に似ていないか?因みに、我が日本国の鈴木宗男議員の場合は、ロシアとの、細いけれど有効なパイプらしかったが、それも非難の大合唱で不本意ながら閉ざさざるを得なかったらしいが)
また、C国経済の状態悪化などについて容赦の無い非難めいた言論や動画などが、SNS上で散見されたりする。
(その経済状態が日本に及ぼす好悪の影響という面から分析するのは有用だろうが、それと違って、ザマーミロ!というような“嘲り”なら、“善良日本人らしい振る舞い”ではなかろう。まぁ、“他人の不幸は蜜の味”と言うから、その気持は判らんでもないが)
[現実の状況]
現実には、尖閣諸島海域へのC国公船の“領海侵犯”が続いていることは、迷惑なことではある。
が、今は未だ、あそこは睨み合い程度で、それほど激戦化が進んでいるわけではない。
また、C国観光客の“マナーの悪さ”で、各観光地が辟易しているという話も聞く。
が、それも、“戦闘・戦争”にまで発展するほどのものでもない。
日本の各所で、C国に土地を買い占められているようで、一般日本人として、気が気ではない。
が、そうした問題は「国土交通省」の管轄だろうが、単に立法化が出来ない/下手なだけでは?
C国で、日本人が理由不明のまま、拘束・逮捕される事件が起きていて、最近は在C国大使館から警告が出ているそうだ。それに、反スパイ法も怖い!
が、それに対して、日本政府は、未だ“遠吠え”の程度。
[弱犬の遠吠え?]
私達日本人は、(B国に唆(そそのか)され、)C国の影に怯えて、声を荒げているだけのように見えるが、違うか?
自国製の兵器でもなく、“核の傘/核共有”すらも虚構だし、戦略・戦術すら、独自のものがあるわけでもないのに!
C国批判、非難の声は、私達日本人に対する(B国の)密かな・巧みな扇動によって、“炊き付けられている”のではないか?との疑念がある。
(しかし、もしB国外交が、昔のモンロー主義風に変わったら、どんなシナリオになるのだろう)
もし、本当の戦火が日本にまで及べば、“日本国のB軍基地や主要都市が、火の海”にされてしまうことは、避けられない。
(現実家らしい)沖縄・玉城知事は、その“劫火”を避けたいが為に、必死で動いて/足掻いているようにも見える。
[不本意な戦争]
更に、今、C国で起きているらしい政治的内紛や軍幹部の更迭などが、今どのような状態にあり/どのように変化して行くのかの情報もそれらに対する戦略も、皆無(/不明)?!
...もし、某国の裏工作(?)が実って、(私達日本人がしたくもない)“B国製武器消費戦争(?)”が起きたりして、其処に無理に引きずり込まれるなんてのは、御免蒙りたい!
...タラレバだが、故安倍元首相なら、そうした大惨事が起きないように、あるいは、起きても極小で済むように、色々な手を打ってくれていたのではないかと、今更ながら思う。
...今はもうそれも無いから、山上殺人犯が、もっと許せなくなる時が、いずれ来るだろう。
...日本が出来ることは、耐え難いことだが、台湾を見殺しにすることかもなぁ...
そして、“憲法違反”だから、台湾への「自衛隊の出兵は、出来ない!」と断るかな?
でも、与那国島まで侵されたら、自衛のために戦わざるを得なくなるが。
いずれにせよ、私達男には“覚悟”が必要だろうな!
維新と官僚、『官僚の責任』考 「令和五年九月十六日 (2023/09/16)」
『官僚の責任 古賀 茂明著 PHP新書 2011年8月 4刷 ¥720+税』 (購入¥110税込み)
報道によれば、先日岸田首相は内閣改造を行った(そうだ)。
しかし、多少の顔触れは変わっても、(B国や巨大資本の)外圧による“戦費もどき”への過大支出は止められそうにないし、その為の“増税路線”は変わりそうもない。
[野党多党化]
一方で、野党が多くなって、旧態依然とした日本の自民党政治を、(少しでも)変えようとする動きも活発になって来ている。(好ましいことだ!)
[野党 3形]
旧式野党に加えて、新しい野党群には、二つの形がある。
+「日本維新の会」のように、党としての組織をきっちりと固めながら党員数を増やし、国会議員数を増やして、第一野党を目指そうという党。
+弁の立つリーダーが政策/テーマを絞って訴え、ネットを介して支持者を集めて、少しずつ国会議員を国会に送り込もうとする党群。(N国党、れいわ新選組、参政党など)
+従来型の旧組織をバックにした古い野党群。(立民、国民、共産、社民)
...そうした、“新しい野党”が、国会で多少の発言力を持ったとしても、(本来は)政府の実行部隊である“官僚組織”にどのように影響を及ぼせるか?あるいは、操縦して行けるか?の方が、問題であろう。
...野党も、まず、そこに目を向けておくべきではないか?!と、指摘したい。
[五権分立?!]
以前の“悪夢の民主党政治”では、彼らが“官僚組織”を舐めて掛った為に、私達国民皆が“悪夢”を見させられることになったわけだが、民主主義の柱である三権(“立法、行政、司法”)の他に、(私見だが)“報道”、“官僚”という(異種)二権が存在していて、今の日本は“五権分立”状態だと思う。(もしかしたら、金を使える“財界”も一権をもっているかな?)
(多分、他国でも同じか、或いは“行政府”の代わりに“軍部”が強権を持つ国もあるそうだが)
[デジタル政治]
幸い(?)、ネット普及のお陰で、“報道”の権力が随分弱められて来たので、今までは“泡沫”扱いだった少数政党でも、国民の耳目を集めるようになって来た。
将来は、私達の日本でも、台湾のデジタル担当大臣オードリー・タン氏が主張されているような“デジタル民主主義”への移行が進むかもしれない。
(ただ、我が日本では、私のようにバカではないがミーハー/ミーツー族も多いようだから、果たしてどのように進むのやら)
[官僚組織]
この本『官僚の責任』(図1、図2[クリック])では、(巨大化した)“官僚組織”が、(「ピーチ前川」の云うような、行政府に対する“面従腹背”の姿勢)が常態であることが暴露されている。
これは、“官僚”が隠れた権力を持っているということに他ならない。
他の野党も、そうした“権力”を疎かに考えていてはいけないのではないか?
[日本維新の会]
国政は、地方政治を固めてから...というのが基本方針だと聞く。(ボトムアップ型で、今後必要になる“防衛的・外交的なリーダー”は?)
しかも、市民・国民の為に、代議員自ら「身を切る改革」を、実行するという。
(つまり、彼らの私利・私欲を満たす為ではなく、民への奉仕・日本人の心/徳性を目指してくれるわけだら、多少の施策の不具合などは大目に見ようと思う)
上述の“官僚達”は、自らの「身を肥やす姿勢」とは、全く相反するわけだから、いずれ何処かで正面衝突するだろうが、それをどうやって打破|解消して行くか?が、「日本維新の会」の今後の課題であろう。
[泡沫党](失礼!)
ネット普及のお陰で、(昔は)“泡沫党”であっても、比例代表の得票率によって国会議員を送り出せるようになった。
そうした国会議員の方達は、大きな政策に対する(直接の)影響力は、弱い/少ないかもしれない。
だが、(私は良くは知らないが)議員特権によって、種々の「委員会」や「専門部会」などに加わって、影響力を及ぼし得るのではないか?
今、重要なのは、私達日本国民皆に影響が極めて大きい、医療/薬事、教育、経済、農業などでの是正干渉であろう。
それも、(巨大国際資本に搾取されて続けて貧乏なままの)日本国民・市民・庶民の側に立った、(収益・利益・株主優先ではない)実効施策になるような働き掛けを期待したいものだ。
『アメリカの保守本流』考 「令和五年九月十日 (2023/09/10)」
『アメリカの保守本流 広瀬 隆著 集英社新書 2003年9月 1刷 ¥700+税』 (購入¥110税込み)
この本の第二章では、B国の資本家達、政治家達、ジャーナリズムなどの(悪?!)業を、1850年代の大陸横断鉄道の利権拡大の辺りから説き起こされ、彼らの目論見やその儲け方、それと引き換えられた一般市民・住民達の被害・損害の色々な事例について、紹介されている。
B国内だけでなく、内紛状態にある海外も標的にして、わざとそこで戦争を起こして、軍隊や武器を送り込んで、その利益を掠め取るなどの話などにも触れられている。
(今は昔のこの時代では、“イラク戦争”だったが、後世の現在では“ウクライナ戦争”というわけだ)
そして、所々に、日本政府やマスゴミの“愚かな随従”についても書かれてある。
B国資本家(経営者、投資家)達の“強欲さ”の例として、経営破綻寸前の企業に、(政治家を動かして)政府から国の財源で補填を行わせ、それでも経営が上手く行かず、結局は破綻して/させてしまう場合でも、資本家側は巨額の報酬を、前もって受け取っていて、決して損はせず、(大損害を受けているにも拘らず)知らぬは国民ばかり也、という話もあるそうだ。(ジャーナリズムも同類か、あるいは知らん顔らしい)
日本国内では、そうした害を蒙っているのかどうかは、報道が無いので、良く分からないが、恐らくは、有っても隠されているだろうから、本・書籍やネットから拾うしかない。
...それにしても、B国の“ネオコン”は、自己の利益増のみを企み、自国内のみならず、世界中で“悪さ”ばかりしているので、彼らにお灸を据えることの出来る神か人が、世に出て来ないものかと、思案、溜息、投げ首をしている人は多いかも。
...って、愚痴っていても、何にも起きないだろうけど、「奢れるもの、久しからず」と言うから自滅かもなぁ。
『日本人の誇り』考 「令和五年九月五日 (2023/09/05)」
『日本人の誇り 藤原 正彦著 文藝春秋 2011年5月 3刷 ¥780+税』 (購入¥110税込み)
この本のカバー裏にこんな言葉がある。(図2[クリック])
『個より公、金より徳、競争より和』
...私達日本人は、欧米(特にB国)の真似をして、民主主義・自由競争主義の後追いをして来た。
しかし、昨今のB国のニュース(2次、3次情報)などを見ていると、金権主義・金主主義思想が強権を奮い、これまで“民主主義”が崩壊に向かっていることが判って来て、日本・日本人がこのままの状態を続けて行って良いものかどうか、大変疑がわしく思うようになった。
日本・日本人が、果たして、その強力なB国の頸木とその元凶の“拝金主義”から、どうやれば抜け出せるのか?について考えてみた。
今では、もう(“力”を蓄え、)“力”で跳ね返すことは、不可能に近い。
となると、私達日本人が生来持っている“精神性”で、彼らを凌ぐ以外に良策は無いだろう。
上に揚げた、「金より徳」はその一つかもしれない。
『徳』と言えば、直ぐに、修行を積んだ僧侶:“高僧”を思い浮かべるが、別に、そんな難しい類のものではないと思う。
“物事を善処する知恵”と“他人への思い遣りの心”さえあれば、それが“徳”と言えるのではないか。
日本人なら、無意識に行っていることで、“あぁ、そんなことなら難しくない!”と納得出来るだろう。
例えば、日本のODAなどで行っている、(お金や機械類だけを与えるのではなく、)その土地の人々が、後々まで自主・自発的に保全・保守が出来るような構築手段や手法を支援・指導といったことも、“徳”のひとつの形と言えよう。
アフガンで亡くなられた『中村 哲医師』の足跡は、私達の記憶に未だ新しい。
「個」については、昨今の日本では、バカバカしいほどに強調されていて、「公」というものが蔑ろにされる傾向がある。
しかも、“公”を引っ張り上げることが出来る“優れた個”の方ではなくて、低位の方の“劣った個”の方が優先されるという、何とも不釣り合いな傾向にある。
...まぁ、これは、『公』の組み立て方にも依ると思うので、実は、今後の代議員の選び方に期待したい処である。
『和』とは、日本人の遺伝子に刻み込まれた本性的な傾向であり、数学的には“極小点”、山野の地形で喩えれば“谷”である。
欧米人らの持つ傾向は、“力と力”が角突き合わせている“極大点”であり“山”であると言えよう。
“力”の均衡が崩れれば、斜面を転げ落ちて、大きな被害が出ることは必定だ。
...今の“ウクライナ戦争”も、民間人や軍人達を「挽臼」で挽潰すかの如くで、粒が無くなるまで(自律的には)戦いを止められないのかもしれない。(愚かなことだ!)
(日本人として、どちらか一方に肩入れするのではなく、双方やB国に対して“和平”を勧めるべきだったろうな。もう、無理だけど...)
“グローバリスト”達が画策しているらしい“(サボテンだけが屹立・生息する砂漠のような)画一的な世界”(?)ではなく、それぞれの国が(貧困から脱して、)個性豊かで、かつ、お互いが協調的に生存出来るような(多次元)世界を目指すことが『和』の精神だろうと思う。
そうしたことを、私達日本人自らが、頑なに実践して見せて、彼らに気付かせる以外に、良い方策は無いのでは?!