[気まぐれ観察帖] 鉢植え−第3節
復活? [071227]
一時は、もうダメかと危ぶんでいた「タカラグサニシキ:宝草錦」だが、最近少し持ち直して来た感じ。
実は、ちょっと考え方を改めて、今まではケチっていた水遣りを、毎日噴霧器で、全体にたっぷり吹き掛けるようにしたのだ。
この植物は元々砂漠地帯に育つらしいから、水は少なくても生き延びるはずなのだが、どうやら“少ない方が、良い”と云うわけではなさそう。
“与えられるなら、十分に与えてみよう。されば、生き様も違って来よう”と思ってやってみたら、やっぱり!生き返って来た。
うーむ、これは自分の哲学/処世訓と相反するぞ!「消費は、切り詰められるだけ、切り詰めるのが美徳」(勿論、地球にも優しい...あ?もう死語?)と考えているからだ。
(しかし、理想と現実のギャップは、やはり大きい!)
萎びた! [071127]
何時の間にやら、「白紫檀」の赤い実が萎びて来た。
次第に気温が下がって来たのを気遣って、水遣りを控え過ぎたのが良くなかったのだろうか?それに、葉の色艶もあまり芳しくないので、余計気になる。
本当は、水不足よりも日照不足の方が問題なのかも知れない。しかし、この条件でもまだ生き延びている他の鉢植えもあるのだから、それは我慢してもらわないと...
“えっ?何?この機械/(奇怪)部屋の空気が堪えられないってか?それなら、「酷くひ弱」って事ではないか!”
こちらが癒されたい時に、逆に癒してやらないといけない鉢植えなんて、糞の役にも立たんぞ!
(やはり、“綺麗”や“面白”と、“元気”とは両立しないのか?)
新顔 [071114]
先日、DIY店へ家人の植木棚を買いに行ったついでに、並んでいた小鉢植えサボテンの傍に、妙な説明札があった鉢植えを買って来た。(\298税込み)
名は、「マングローブ」だそうな。(へぇ、こんなものでも鉢植えに出来るのか!?)
説明書きには、光合成(炭素同化)作用が活発なので、“地球にやさしい”(?)とある。(本当は、酸素だって毒性が強いのだけど、動物には不可欠だから、“良し”としているだけなんだが)
マングローブと云うと、熱帯・亜熱帯でしか育たないような気がしていたのだが、別段注意書きも無かったので、多分温帯でも育つのだろう。
寒くなりそうな今の時期、まだ葉っぱが青々しているのが良い。
冬支度 [071103]
いよいよ「玉牡丹」の葉が丸まって落ち始めた。多分、以前のような葉の無い木に戻るのだろう。
それにしても、近頃の下生えの苔の状態が面白い。ぎゅっと身を縮めているのだろう水をやっても殆どを弾いてしまって、吸い込まないのだ。何かを無駄に放散しない知恵?
まぁ、寒くなるから、その態度、分からないでもないが、それでは“親方の木”の方へ、水をやりたくてもやれないではないか!それとも、“親方”も冬篭りに入るからいいってか?
...それにしても、「楓」(左写真クリック)の方は、一向に紅くなりそうにないなぁ。黄色くなって枯れる葉が増えて来た。何時になったら、以前のような紅い木の戻るんだろ?
それとも、(赤い水は与えなかったので)ずっと青いまま?
白紫檀 [071021]
多肉植物が、殆ど駄目になってから、手狭だった棚に少し余裕が出来たから?
という訳でもないのだが、家人の買い物に付き合って近郊の「道の駅」へ行った時、偶々、これ、「白紫檀」を見掛け、面白そうなので買って来た。(\400税込み)
普通、“名は体を現す ”と云うのに、これは全部色違い。
白で紫のはずなのに、葉は緑、実は赤だ!...ま、いいか!
今、棚に並んでいるのが殆ど緑の葉っぱだけで、「楓」も未だ紅葉していないので、色気が無くて淋しいから、赤い実があるのは、大歓迎!
この実は、先っぽが開きそうな構造になっているので、時期が来たら柘榴のように弾けるのか、それともパッと花が開くのか?楽しみに待っていよう。
お前もか! [071003]
どうも、多肉植物「宝草錦」の様子が良くない。
先月の暑さが盛りの頃から、次第に葉(果肉?)の色が赤茶けて来たのだが、それがかなり進行して来た。
同時に萎びても来たので、これはもう元気な風采ではなさそう。そろそろ、寿命?なのかも知れない。
まぁ、暫くは、その面白い姿を愉しませてくれたので、先に枯れてしまった多肉植物「紅葉祭り」や「銀箭」などと同様、感謝せずばなるまいが、それにしても弱い。
美人薄命とは云うが、当人いや当草は、まさか美人を自負していたわけでもなかろう。
思うに、加工して特長を出し過ぎた植物は、どうしても弱くなるのではないか。姿形は汚いとしても、長年月掛けて安定性を獲得した草木の方がずっと強いのだろう。(で、鑑賞用にはどちらを採る?)
放置 [070920]
(もう1ヶ月も記事にしていないが)現在、五鉢が元気に生き残っている。
勿論、水遣りは毎朝欠かさずにやっているが、天気が良いと夕方には土や苔がカラカラ。他方、葉々は緑々している!
人間様には暑さは辛いが、やはり植物には照り付ける太陽の光は、何よりのご馳走らしい。
「水蓮木」などは、一杯陽光を浴びるせいが元気が出過ぎて、どんどん枝葉が伸びている。
あまり摘んでも可哀相かと、先の枝を折れる寸前まで曲げておいたら、曲がったままで更に伸びる。
しかし、形よく曲がってくれないので、次第に全体が不細工になって来た。(現今の放任主義?のように、ちゃんと当て木などもせず適当にやっているから、拙くなって行くのは自業自得ではあるんだが...)
絶望 [070820]
多肉植物の「紅葉祭り」の方も、やはりダメだった。
切ったのは片方だけだったから、残りの方は生き残るかと期待していたのだが、一樹同根のようで、全体が枯れて来てしまった。
もうこうなったら、捨てるしかない。元々鑑賞が目的だから、見苦しくなったら、置いておけないのが世の習い。
とは云うものの、手入れに失敗したのは、こちらだから心苦しいのだが、これ以上、手の施し様は無い。
多肉植物は、一目見た時は面白いと思っても、変化が少ないから、段々物足りなくなる。それに一つや二つでは、目の肥やしにもならない。(置くなら、もっと沢山でないと効果が無さそうだが、そうすると置き場所が...)
それにしても、鉢植えは、なかなか選択が難しい。あまり育ち過ぎもぜず、然りとて無変化でも困るし、雑な手入れでも生き延びてくれる、面白い樹でないと。
これからは、もう少し慎重に選ぶようにしよう。
終息 [070812]
「銀箭」の葉から、遂に緑が消えた。哀れな事だが、枯れるのは速かったし、もう回復する事もないだろう。
これから、多肉植物は(絶対と言えるほど)触ってはいけないものだと、分かった。じっと耐えるのは得意でも、攻撃に対する防御力・反発力は極めて弱いからだ。
他方、弱っていた「白丁花」は、家人に任せて庭植えにして貰った。僅かに残った枝葉には、まだ辛うじて緑が見える。
こちらの方は、何とか生き延びて欲しいものだが。
これらに引きかえ、「玉牡丹」や「水蓮木」などは甚だ元気がいい。ちょっと朝日に当てておくだけで、葉々も活き活きしている。
人間同様、その生き様の違いも面白いが、やはり、活き活きと生きる方が、自分も周りも愉しいだろう。
望み [070806]
枝を詰み過ぎた多肉植物「銀箭」、少し緑が残っている枝に望みを託して、他の枯れた枝は根元から切ってみた。
左側の「紅葉祭り」の方も、切り詰めた半分がおかしいが、これはこのまま触らずに置いておこう。
しかし、これらは可哀相な事をした。ゆっくり慎重にやっていれば枯れさせずに調整出来たかも知れないのだが、一気に事をやり過ぎてしまったようだ。(急いては、ことを、仕損じる?)
やはり、植物/生物を育てるには「根気と年期」が必要らしい。
他方、(左端の)「宝草錦」の方は、目下元気一杯で青々(緑々?)している(<クリック>で、その様子)
これも、安心は禁物だろう。平和で安定した状態は“好ましい”ものだが、一旦崩れだすと“ひとたまりも無い”ようだから。
やり過ぎた! [070731]
先日、多肉植物「銀箭」も先が伸びていたので、「紅葉祭り」を詰むついでにカットしたのだが、一気に多くの枝をカットし過ぎたようで、大失敗!その後、どっと枯れ始めた。
「モミジ/カエデ」や「玉牡丹」などは、詰んでも詰んでも伸びて来るので、その調子で多肉植物を詰んだのだが、それがいけなかったらしい。貧弱な枝豆が枯れたみたいに無様!
(一方、多肉植物「紅葉祭り」の方は、詰んだのが枝一本だけだったせいか、何とかまだ保っているように見えるのだが)
でも、この様子を見ると、人工的に弄られた(?)植物は、刈り込まれたりする“急激な変化”/ショックには弱いのかも。
他方、貧弱になっていた「白丁花」だが、こちらは枝を一本に絞ったら、やや活気を取り戻したようだ。(写真の<クリック>で)
はじめての散髪 [070722]
多肉植物「紅葉祭り」の先がかなり伸びて、代りに根っ子に近い方の葉が萎びて来ている様子なのが気になった。
これは、“下を捨てて、上を伸ばす”、言わば成長の営みのひとつなんだろうけど。
しかし、ここではひょろひょろ伸びて貰っても迷惑なので、ザッキリと頭を詰んだ。(左写真と、その<クリック>で)
それと併せて、根に近い所の枯れ掛けた葉も摘んだのだが、捻り過ぎたら隣の元気な枝まで一緒に千切ってしまった。
よく見ると、枝だと思っていた部分もそれほど頑丈ではなかった。(あぶない、あぶない!)
他方、元気が無さそうなのが気になっている「白丁花」、更に貧弱になって来た。(もう、だめかなぁ?)
一体が不調 [070702]
先月の初旬はまだ元気だった「白丁花」、近頃どうも元気が無い。
片側の枝は枯れて行っても、他方の枝で新生・成長するか、と見ていたのだが、何故か枯れる部分が増える一方だ。
“直射日光は避けるように”との説明があるので、他の鉢植えに比べてやや日陰になる場所に置いているのだが、実はその扱いが気に食わなかったりして?
葉が少なくなって来ると貧弱で可哀相だから、水遣りなども気を付けているのだが、木が自分でへたって来ると、こちらにはどうにもしようが無い。(何とか、自助努力してくれっ!)
その一方で、「チクリン」の方は、まったく“変わり映えがしない”と言うか、“安定している”と言うか。白髭に埋もれて、実に泰然自若としている(ように見える)。殆ど声を掛けてやっていないので、もしかしたら“すねている”?
皆元気 [070618]
観察帖の方は、もう2週間も放ったらかしなんだが、当人?/当木達は水さえやっていれば、そんな事お構い無しでどんどん伸びて来ている。
尤も、葉が繁る「玉牡丹」や「水蓮木」などは、気が付いたらせっせと枝を摘んで、余り伸びないようにはしている。
他方、「多肉植物」の方も少しずつ伸び出す気配があるんだが、これは摘んで広がりを抑えるには不向きな構造なので、少々迷っている。
(でも、伸び過ぎたら、やはり途中からでも切り落とさざるを得ないだろうなぁ)
手入れ [070604]
そろそろ、近郊では田植えが始まる季節になった。あちこちで、田に水が張られていて、土手を補修している人達の姿も見られた。
ところで、こちらの鉢植えの方はいずれも元気だが、「玉牡丹」、「モミジ」「水蓮木」は特に激しい。
暫く水遣りだけして放っておいたら、滅多矢鱈?に葉が生茂って来て、どうにも不恰好。
“茂り方”を上手に愛でる感性も無いので、適当にバサバサ摘んでみたが、何だか余計に不恰好になったようだ。
子供の養育と同じで、“枯れなければ、いいや!”と雑に考えているが、もしかしたら“邪道”?
(まぁ、雑にやって、反撃を食らうなんて心配が無いだけマシかも知れない)
一輪また一輪 [070527]
先日、一輪咲いていた「白丁花」の花、何時の間にかポロって落ちてしまっていたのだが、昨日また一輪咲いていたのに気が付いた。毎日、水遣りをしているくせに、咲きそうな気配を全然感じなかった!(のは不覚!)・・・ と、思っていたら、また今日更に一輪咲いていた。(ガクッ! 何処にそんな蕾があったんだろ? 左写真、<クリック>で、それらの花々)
気が付かなかったのは、他事に追われて、それほどこれらを繁々と眺めていないからだろうが、何だかあっと云う間に咲いたり散ったりしているような気がする。
そう言えば、“暇な時には、時間の経つのが遅い”らしいが、こんなに速いって事はきっと“自分は忙しい”に違いない。
確かに、幾ら時間があっても足りない気がして、余っているなら他人の時間も欲しい位だから、まぁ、忙しいんだろう。(そんなに死に急ぐ?いや生き急ぐ事もないのに!と笑われそうだが)
あっという間 [070524]
先日、大きくなった下の葉々の枝を大分刈り取った「玉牡丹」だが、もう上の方に葉が繁りだした。
直ぐに、生茂った葉々で以前の面影が無くなりそうなので、慌てて写真を撮ったのだが、この調子だと、また直ぐ上も刈り取らないといけないだろうな。
この樹に限らずだが、元々は放っておくとどんどん大きくなるのだろうと思う。それを無理矢理に(形良く)押さえ込もうとするのは楽ではない。
“形が良い”で想ったのだが、風景写真を撮る際、自然にある普通の風景の中で“形/景色になりそうな範囲を切り取る”つもりで撮影しているので、自分好みに無理矢理形を作る方は、まったく不得意。(今は自分への挑戦!と思っているが、その内諦めるかも)
葉々と新芽 [070519]
「玉牡丹」が、益々元気!
先日、数枚の葉を広げていたのが、もう、わさわさっと葉を付けて来た。
しかし、この葉々の広げ方はちょっとだらしが無い感じ。弱々しくてヘナヘナなのに、広げないと損とばかりに葉を広げているものだから、余計にその感じが強い。
妙な連想だが、この様子から“現代人”を思った。程々にすべきものを、周りを構わず自分の領域を広げようと虚勢?を張る姿が何と無く似ている。共に生きる大切さ」を忘れ、ひたすら自分だけ強者になって弱者を搾取しようとしているかの如く。それも自然の摂理かと思うが、ゆるすまじ!と枝中央からバッサリ落としてやった。
先日思い切り摘んでしまったのを心配していた枝から、新芽が出て来た。今まで密かに貯めて来た力を、そろそろ噴出させるかのようだ。(写真<クリック>で、その様子)
花一輪 [070519]
3日ほど目を掛けていなかったら、その間に一輪、「白丁花」が花を咲かせていた。
気のせいか、今回の花は形がよく整っているなぁ・・・と思ったけど、前回などは無くてこれが初めての開花ではないか?2度目の開花だった!
そう云えば、この小樹、そこここ随分葉が枯れ落ちてしまって、もうだめかな?と思っていた時期もあったのだが、今僅かに残って葉を保っている一本の枝の先から(必死で?)花を咲かせたようだ。
それにしても、5,6本しかない/もある?枝群でも、生き残る枝、枯れてしまう枝、様々だ。
そうだ!もう枯れた枝は思い切って、摘んでやろう。もし、活力があれば、その根元からでも自力で伸びて花を咲かせるだろう。どうせだめもとだ!
バージョンアップ植物 [070513]
形もそうだが、背後の説明書きが愉快だったので、置き場所も無いのに、また一鉢買ってしまった。(\298税込) 左写真<クリック>で、その説明書き。(製作者は、岐阜・サボテン村、岐考園)
「話し掛けられると、喜ぶ」ってのは(当方も同じだが?)、果たしてどう喜ぶのか興味津々。話半分でも、夢があっていい!
そう言えば、以前裏庭にあった小型のみかんの木、実がなるようになってから、毎年“小さいのに、いい実が沢山成る”と木の前で褒めていたら、次第に小さな木に溢れんばかりに成らせていた。(でも、最後には力尽きて枯れてしまったが)
しかし、今回のこれも、近くに置くのでちょっと気になる事がある。それは、時々上げる自分の大きな独り言や罵声だ。(・・・あまり聞かせたくはないんだが)
え?若葉 [070512]
先日小さな葉っぱだったのが、一週間でやたら大きくなった。
別に、栄養剤をやったわけでもないのに...(いや、もしかしたら時々面倒を見てくれている家人が、気を利かせてドリンク剤?でもやってくれたかな?)
それとも...広がっていた枝を、窓の開け閉めの時に引っ掛かって邪魔だからと、かなり刈り込んだので、その反動で出易い所へにじり出たのかもしれない。
“刈り込んだ”と云えば、この鉢は元々枝振りが面白くて買ったもので、それをバッサリ切ってしまったら、買った意味が無くなってしまうと思うのだが。
でも、元の意味に拘るのもいいが、その時々で気に入るように造り替えるのも、また一興かな。
老?若葉 [070505]
数日前から、何やら小さな螳螂(カマキリ)がとり付いたような感じの葉っぱが出ていたのだが、忙しさ(遊び?)に紛れて放っておいたら、どんどん大きくなって来た。
タイミングを失してもいけないと思い撮影してみたのだが、どうもこの葉っぱの感じは面白くない・・・と云うか少し気味が悪い。余程摘んでしまおうかと思ったが、折角の新葉なのでそんなに無下ない事も出来ない。
思うに、枯れたような枝からいきなり淡緑の葉がにょろりと出て来ると、何だか“皺くちゃ老婆が真っ赤な口紅を付けたような感じ”(失礼!)になるので、不気味なのかも。
先回のように蕾が増えてから花が咲いたように、も少し手順を踏んで葉が着いてくれると有り難いのだが。
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