モグラの繰言 2011.09    我楽多苑 別亭へ (真面目な愚痴!)

斑鳩宮始末記 [0930]
『斑鳩宮始末記 黒岩 重吾著 文藝春秋 2000年1月第1刷 \1,524+税』 (購入\105税込み)
聖徳太子」の名が見えたので、思わず買って来ました。
でも、“小説−古代の捕物帳”といった感じで、面白くはありましたが、登場人物の名前が馴染みがないので、どうにも覚え難いのと、主人公の調首 子麻呂(つぎのおびと ねまろ)が剣法や格闘に強過ぎるのが気になりました。(ま、小説だから当然か!)
ただ、登場人物の多くは、渡来人の子孫や渡来人らしけど、一体どんな言葉を話していたのだろう?と疑問が湧きますね。
飛鳥時代には、既にしっかりした日本語会話が出来たのか?渡来人の言葉(朝鮮語?支那語?)を混ぜ込んでも、お互いに意思疎通が図れたのか?など、そんな方に気を散らしながら読んでました。

悪魔の予言 [0928]
『悪魔の予言 日下 公人著 講談社 1997年7月第1刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
著者がこの本で言いたかったことは、「表紙カバーの見返し」に、要領良く纏められていて、同感なので、ほぼそれを引用させて頂きます。
日本人の八割以上が自分を中流だと思っているが、今後は下流が多量発生。
中流精神は、上に卑屈にならず、納得できなければ意見を言うが、下流は社会に対して無責任で、何でも寄こせ寄こせと騒ぐ。(福祉、福祉という自称「弱者」の精神は下流。弱者は他人のフトコロを当てにするばかりで、社会を取り崩す)
下流の特徴はその日暮らしで、悪いことはみんな他人のせいで、自分が矢面に立つのことはさける。昔はボロは着ても心は錦だったが、今は逆。日本人全体が下層民化する。
このままだと、自ら手を汚して働く人がいなくなる。やがては心だけでなく、着物もボロになる』

「あとがき」には、“思う存分悪口を言ってみたが、本当にそうなるかどうかは分からない”と書かれていますが、現実を見ると、この見方は、実によく当っていると思いますね!
今般の東北大震災での色々な事例でも、それが顕著に見られます。
マスコミ報道などでは、被災者達の声として“国からのお金が下りないと、何も進まない!”とか、“被害者の心を、逆撫でするな!”とか、無責任下流の“泣き言もどき”ばかりが流されてますね。
逆に、中流と思われる人達、『立ち上がれ!ど真ん中・おおつち(ささやかながら、私も支援させて頂いた。あまり、“魚大好き”ではないのだけど、その意気に感じて)のように、懸命に自助努力をされている方達も居られるので、その違いが良く分かる!
(因みに、私も往々にしてそちらに流されそうになりますが、やはり下流精神は嫌いです)

始祖鳥記 [0926]
『始祖鳥記 飯嶋 和一著 小学館 2000年2月第1刷 \1,700+税』 (購入\105税込み)
日本人で初めて空を飛ぼうとした人『(備前屋)幸吉』さんの話。
その名だけは聞いてしていたのですが、どんな人だったのか、どのような事をしたのかは、殆ど知らなかったのですが、この本で朧気ながら知ることが出来ました。
しかし、話の大半は『飛ぶ』話ではなくて、幕藩政治の悪政と飢饉などで苦しむ庶民や既得権組織に対抗する弱小・新興商人達の話だったので、多少拍子抜け。
でもまぁ、小説としては面白かった!

日本の未来 [0924]
『よく考えてみると、日本未来はこうなります 日下 公人著 ワック(株) 2006年10月第1刷 \1,400+税』 (購入\105税込み)
これまで読んだ本の中で、初めてかな?と思えるような「仕分け」を拝見しました。それは、「女性的社会」と「男性的社会」と。
この著者は、「一概には否定し難い女性的思考の日本」から「毅然としてモノを言う男性的な日本」への変身を期待されているようです。私達も、真剣にそれを考えるべきだと思いますね。
でも、現実は逆で、“全体”の“女性化”が静かに進んでいるらしい。精神的に、物質的にも。
例えば、先だっての東北震災で、松本龍元復興大臣が、厳しい口調で激励しただけで、“被災者の心を傷付けた”と非難されましたが、あんなことが増えてます。
“穏やかで、優しい女性的な口調”でないと、直ぐ傷付くらしい。だから、外国人の“恫喝まがいの攻撃”などだと、心身が麻痺しちゃう。そして、相手の善意(?)を頼って、“お布施”を出すばかり。
まぁ、そうした“相手思いの大盤振舞い”の結果、借金が溜まりに溜まって、日本国の恐怖の累積赤字公債残高の累増)になって来ているのだと思いますがねぇ。(泣笑)

生命の暗号 [0922]
『Something Great 生命の暗号 村上 和雄著 サンマーク出版 1997年7月第1刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
この著者は、バイオテクノロジーの研究者で、遺伝子解析の分野で、華々しい成果も上げて来られたそうです。
この本では、その遺伝子の緻密さと、内蔵情報量の多さ(千頁の本で千冊分)、細胞の役割分担の多様さを示して、生物の“その出来栄えの見事さ”から、どうしても“サムシング・グレート≒神のような存在?”を考えざるを得ないと書かれています。
でも、それ、ちょっと飛躍があり過ぎるように、思いますね。
「生命設計図の不思議さ」(自然の造形の見事さや複雑さ)を以って、何か“偉大な意思”が存在するかのように思うのは、(私達の自然の気持ちかもしれないけど、)行き過ぎでしょう。(もしかして、人間の自惚れ?)
それは、自然はまだ分からない事だらけだし、まだまだ私達の知識が不足しているのではないかと。
だから、“未知の溝”を飛び越えた向こう側に“サムシング・グレート”などを想定するのは愉しいけれど、他方“宗教家”と同じで、危うい気もします。
それより、“求めよ、さらば与えられん!”という話がありますが、もし「強く求めた時」どれだけの遺伝子が影響を受け、それらがそのように変化するか、定性的/定量的に分かれば、もっと面白いかも。

世界の“素顔” [0920]
『外務省の知らない世界の“素顔” 笹川 陽平著 産經新聞社 平成10年4月第1刷 \1,048+税』 (購入\105税込み)
この本は、著者が、(以前から、笹川良一氏の伝記を探しているのですが、未だ見つける事が出来ていない)その笹川氏の三男だそうなので、興味があって買いました。
良くは知りませんが、世界の人達、特に著名人との付き合いは、やはり基本は「誠意」だそうで、またちゃんと「義理人情」が通じる“繋がり”もあるようですね。
この中で、笹川良一氏の葬儀に、カーター元大統領も参列されたそうで、著者はそれを“男の友情”と書かれていますが、恐らくそうだったのでしょう。そう在れる人達は、羨ましいと思いますね。
(以前は美徳であった一般の「友情」も、今ではかなり変質して来ているのでは?と思うことがあります...例えば、今の中学生や高校生に「今、友達は何人居る?」って尋ねてみると、奇妙な答えが返って来ますから)

G.ドーマン博士 [0918]
『赤ちゃんに読み方をどう教えるか グレン ドーマン著,食野 雅子訳 丸善メイツ 1997年7月第1刷 \1,800+税』 (購入\105税込み)
G.ドーマン博士の著書は、以前にも拝見したのですが、今回は表紙の写真に惹かれたのと、また“自己リフレッシュ”したくなって買って来ました。
私達にも、ちょうど2歳を過ぎた孫娘が居るのですが、博士の提言通りに色々実践してみたくても、なかなか手出しが出来ませぬ。
孫娘と接する時にはどうすべきか、色々案が浮かびます。(が、それは、その時の状況次第で、臨機応変にやらねばなりません)

人生は論語−続き [0916]
[『人生は論語に窮(きわ)まる』 承前]
最近、よく思うことに、昔流行した“道徳教育(の喪失)”があります。
家庭でも学校でも、何もきちんと教えない。でも、それほど無茶苦茶に崩れているわけでもなさそう。
孔子さまが、いみじくも、“正直者”と“正義”とについてちゃんと(分析し、)教示されていますね。
“身内の者の罪は隠すのが人の道だ。それを暴くのを正義と呼ぶかもしれないが、人の在るべき様ではない”のだそうです。
これには、多少抵抗があったのですが、でも「自分教」を考えて直してみたら、やはり自分に近い者ほど大事にしたい気持ちは強いから、優先順位を付けて物事を考えれば、当然、孔子さまの見方が正しい!と悟りました。

人生は論語 [0914]
『人生は論語に窮(きわ)まる 谷沢 永一渡部 昇一 共著 PHP研究所 1997年3月第1刷 \1,500税込み』 (購入\105税込み)
“今頃?論語!”なのですが、今まではほんの断片だけしか見聞きしていなかったし、これもその一つなんですが、孔子さまも色々面白い事、意義深い事を沢山仰っていたようですね。
なるほどと思う事は多いのですが、あれ?この項目は、今では通用しないが ・・・ と思ったり。
例えば、「子供は親を養えるほどに、出世(経済的に豊かになるの意か?)しなければいけない」のだそうですが、今の日本では、もう逆転現象が起きているようですよ。
これは、経済成長の時代から反転して、減退・下降時代に入ったからでしょうし、こうなると当然“子が親を養えない”状況が増えて来ます。(気持ちはあるにしても、実情は難しくなる?)
如何に孔子さまの見解だろうと、前提になる世の中の状況が違って来ていると、“無理なものは、無理!”となるのではないかと。となると、もう一度、孔子さまに、お出まし頂かないと!

土壇場の.. [0912]
『土壇場の経済学 青木 雄二宮崎 学共著 南風社 1998年2月第10刷 \1,500+税』 (購入\105税込み)
この本は、10刷まで刷ったようで、随分人気のある本/ベストセラーだったようですね。
普段は、なかなか聞き難い本音が、書かれているからでしょうが、やはり、“土壇場では、真剣に居直れ!”と言う事でしょうか。
個人の借金なんか、借りてやっているんだ、と思え!時には踏み倒すくらいの気力で、返せるまで引き延ばしを図れ!とか。
よく読むと、基本は「自分自身が一番大事なんだよ!借金なんかで、自分を見失ってはダメだよ!」と言われているようだし、表面的には“アウトロー的手法”のように見えるけど、基本は、“金本位ではなく人本位な考え方”だと思いました。

繁栄の発想 [0910]
『繁栄の発想 日下 公人ソフト化経済センター グループ001著 徳間書店 2000年3月第1刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
日下氏の書物では、珍しく、一部だけしか面白くなかった。
序章を読み始めて、ズバズバと分析・提言をされているのに、思わず笑ったり、膝を叩いたりしていたのですが、第1章に入った途端、面白くなくなってしまいました。
“長々した説明口調”に、とても違和感を覚えて、どんどん読み飛ばしてしまった。どうやら、著者(達)が違ったらしい。
序章だけが、日下氏の筆のようですが、第1章以降は筆力が違う。
「各項の見出し」は、テーマとしては面白そうなのですが、中の解説が散漫(あれもこれも)で、何が“芯”なのか良く判らない。
序章分(59頁/全269頁)だけで満足するか、不満とするか、甚だ中途半端な気分でした。
ところで、近頃では日本人の大半が「中流階級」になっているそうですが、この序章でも、それが指摘されています。
私も中流なのでしょうけど、“中流らしさって、何?”をよく考えてみないといけないような気がして来ました。

逆説の日本史−4 続 [0906]
『逆説の日本史 4 中世鳴動編 井沢 元彦著 小学館』 
一冊一テーマでは足りなかった!この本には、もう一つ気になるテーマがありました。それは「平和
私達の望んでいるのは、“他人が用意してくれるはずの平和”であって、“自分達の手を汚してでも維持しなければならない平和”ではないのだろう、と指摘されています。
つまり、自分(達)は何もしないでも、平和よ来い♪と唱えるだけで、平和が来ると思い込んでいるらしい。
それに、自らの防衛手段として(良識派が用意した)“自衛隊”も、その行動を、縛りに縛って、殆ど使い物にならないようにしてしまっています。戦前・戦中の軍隊は、国民自らが制御すべき「道具」だったのに、逆にそれに操られてしまった“失敗の反動”ってわけですね。(“すべき義務”を、もう面倒だからと放棄してしまった人達が増えた)
そりゃ、“平和だ!戦争放棄だ!軍隊廃止だ!”って空に向かって云ってるだけだったら、楽チンでいいですよ。(北方四島竹島尖閣諸島普天間基地移転問題などの厄介事は、考えたくもない
自分達で持つ軍隊なんて、お金は掛かるし、コントロールも大変だし、基地移設・増設なども簡単には行かないし、ホントはやりたくない“面倒臭い仕事”ですから、“日本人向き”ではないのは確かですが。

逆説の日本史−4 [0906]
『逆説の日本史 4 中世鳴動編 井沢 元彦著 小学館 1996年8月第3刷 \1,550+税』 (購入\105税込み)
この著者の本は、どれを拝見しても納得が行き面白いのですが、第一章の“『古今和歌集』と六歌仙編”は、今=現代に繋がらないので、ピンとこなかった。
第二章の“良房と天皇家編”で指摘されている、日本人の“危機管理能力の欠如”は、現代日本人が平安時代から引き継いで来ている資質そのものらしいので、大変興味深かった!
ドナルド・キーン氏が“紀貫之の歌”から読み取られた、として紹介されている内容=西洋では、神→(霊感)→詩人 のように、一方通行で天下るものでしかないのに、日本では、神←(コトダマ)←歌人 のようにマジナイを唱えることで超自然を動かす事が出来ると信じている話”は、確かにそうですね!
考えてみると、今の普通の日本人にも、多分にその気(け)があって、“危機は、それで救える”と信じているらしい。(例の“安全神話”が、それでしょうね。安全だ!と言って貰えさえすれば、備えをせずとも、安心して眠れる)
逆に、“忌むべき事を言葉にして口に出しては、周りや世の中が穢(けが)れる”のだそうです...それは決して言葉にしてはならぬ!..しぬ、ちほう、ぼける、きちがい、めくら、こじき、ふぐ、かたわなどなど。

円が日本を [0904]
キャピタル・フライト 円が日本を見棄てる 木村 剛著 実業之日本社 2001年11月第1刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
この著者は、小泉元首相時代に、金融サービスのコンサルティング会社を経営していた“経済の専門家”らしい。
当時の「不良債権問題」や「日銀の量的緩和策」などについて、厳しい見方で書かれています。
これを拝見すると、何時の時代にも、国の出先機関である官公庁の施策ミスを、政府・政治が尻拭いする図式(そして、結果は国民の負担!)は、変わらないことが良く分かります。
しかし、それにしても、“経済の専門家達”が盛んに警告している“日本国の将来・末路”って、なかなか来ませんねぇ。。。予想では、もう日本は円に見棄てられて“壊れている”はずなのに。(何でももたもた、もたつく日本だから、まだまだ先か?苦笑)

この国のかたち−五 [0902]
『この国のかたち−五 司馬 遼太郎著 文藝春秋 1996年3月第3刷 \1,200税込み』 (購入\105税込み)
この巻では、「神道(しんとう)」についての話が多く採り上げられています。
各章の書き出しには、「神道には教祖も教義もない」、「神道の起源は、この島々にほのかながら社会ができはじめてからだろう」、「古神道というのは、真水のようにすっきりとして平明である」とある。
伊勢神宮について、「げんに、内宮・外宮の社殿建築をみても、大陸からの影響はない。宇宙のしんを感じさせるほどに質朴簡素である」と。
確かに、昨今では神社も、参拝者が多くて日中は騒々しいが、朝早くに訪れると森閑としていて、清冽さを感じさせられますね。
日本人の物静かな魂のルーツは、この辺りにある/あったのかも。

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