導育甘言集 2013.12    我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ      表紙頁]へ

「はやぶさ」式思考法 [1229]
『「はやぶさ」式思考法 川口 淳一郎著 飛鳥新社 2011年2月 1刷 \1,300+税』 (購入\200税込み)
素敵な、素晴らしい本を見付けた♪ ... まず、出だし(「はじめに」)から、納得!というか、賛同したい話が一杯書いてある!(左写真クリック)
「本は1ページでも役に立てば、それでよい」とか、「教科書には過去しか書いてない」とか。

この著者は、「はやぶさ」によって稀有な成果を挙げられたのだが、私は、その成果が凄くて偉いのではなくて、毎日地道に、こうした考え方で仕事を進められて来た方を、高く評価すべきだと思った。
そして、私達一般人も、同じような“考え方”や“やり方”で日常をこなせば|歩めば、日本も随分、元気で暮らし易い良い社会になるのになぁ!と思ったり。

また、“こうした考え方”は、「人物固有の個性や特性」ではなくて、「誰でもが真似をしたり、練習したりすれば身に付くこと」だと思う。
例えば、この本で挙げられている加点法では、100点が取れればそれで良しとするのではなくて、新しいことを付け加えられれば、+50点とか、さらに難しいことを付加すれば+150点とかにするのだ。決して、100点が上限ではない!と肝に銘じることかな。
こうした考え方をお手本として、子供達に、やらせてみるのも善いと思う。
ただ、現実の子供達には、大人側が、ある程度実地に即した形に翻訳して、実行し易い形で示してやらないと難しいかもしれない。
(またの引用だが、)「這えば立て、立てば歩めの親心」...そして、後は打ち上げて、幸運を祈るわけだ!d(^^;

北から来た黒船 [1227]
『北から来た黒船 ニコライ・ザドルノフ著 西本 昭治訳 朝日新聞社 昭和52年3月 1刷 \1,600』 (購入\200税込み)
この本は、大作だ!...大変、興味深く感じているのだが、なかなか進まず。(まだ、1割程度)
でも、江戸末期(黒船来航の時代)のロシア使節団と日本の役人や通詞達との交渉など、結構可笑しいやり取りがあったりして、楽しめる。
例えば、「 .....ただ、でございますな・・・ペリー閣下は少々かっぱらいをなされた」、「なんだってえ?」、「さよう、日本の美しいくさぐさの品をでございますな。・・・」 .....「のらりくらりとかわされ、結局なにもかもことわられたってとこだねえ」と、艦長とならんで立ったポシェートは、旗印に飾られた去ってゆく役人たちの船をながめながら、言ったなどは、今読むと、“日本役人達よ、よくやった!”と褒めたい気もする。(笑)
しかし、他方で米国のペリーには力負けして、随分譲歩してしまったのは、“お粗末”ではあったが。

また、これを読みながら、昔、一生懸命読んだ「静かなドン」を思い出したのだが、あれには、その時代の生の感触・リアリティがあったように思う。
が、この本では、誰彼なく“当時の考え方”の中に、“現代風の考え方”が混じり込んでいるのではないか?と思わせられる雰囲気がある...でも、それはそれで、構わない!いずれにせよ、筆者の思想が入らない小説なんて無いのだから。
興味深いのは、昔の露西亜人の多くは、(英米人に比べて、)日本人に対して、真面目、誠実で、思い遣りもあったらしいこと。 ...ロシア人は“熊”だという風評は、もしかしたら“ヨーロッパかぶれ”をした人達の“西洋の受け売り話”なのかも...ふむ!もう少し、他の今昔(こんじゃく)のロシア関係の本も拾ってみたい気がする。

たったひとりの子 [1225]
『世界でたったひとりの子 アレックス・シアラー著 金原 瑞人訳 竹書房 2005年12月 1刷 各\1,300+税』 (購入\105税込み)
未来世界の子供の話か?と思って読み始めたが、これは私のような真面目な?普通人の読む本ではなかった!
謂わば、“少女売春の少年版(SEX抜きの)”といった感じで、お金で時間貸しされる少年の話。
きれいに砂糖をまぶしてはあるが、とても半分も読み進められないほど、悪趣味な話だ!
大人が超長寿になった上に、子供が生める人達が極少数になって、成長を止める非合法な薬で精神年齢が数十歳の子供は存在するものの、(純粋の)少年が貴重品になってしまった未来で、(薄汚い)保護者ディートに養われている少年タリンの日常を描いた空想小説。
こういう小説も有り得るということを勉強したいと思う人間なら、読むのは結構だが、敢えて“面白いから...”と他人に勧めるものではない!
(帯に書かれた“あさのあつこ氏”がどんな人物かは知らないが、余程ゲテモノ趣味の人だろうな!と思った。それとも、編集者に名前を利用されただけなのかな?)

旋風に告げよ(上、下) [1223]
『旋風に告げよ(上、下) 陳 舜臣著 講談社文庫 1995年6月 14刷 各\600税込み』 (購入両\210税込み)
この本は、鄭成功の話。実は、以前から、期待して探していたのだが、やっと揃いで見付けたもの。
一応、下巻の半分まで読んだが、もう一つしっくりと落ち着かないというか、主人公−鄭成功の生き方に納得出来なかった。
若くして、集団を率いていた親の後を継いだせいかもしれないが、“只の海賊、強盗団の首領”の感じしか持てなかった。
やはり、何か“その人物らしい夢”のようなものを持っていて、“それを実現しようとして努力する姿”が、見えなかったからかもしれない。
只管、集団を纏めようとしているだけの頭目では、“目的が無く|希薄で、手段ばかりに拘っている”今の私達日本人によく似ているなぁ...あ、やはり日本人か!と思った。(苦笑)

秘本三国志(五) [1221]
秘本三国志(五) 陳 舜臣著 文春文庫 1988年5月 8刷 \380』 (購入\105税込み)
この著者は、一貫して、曹操を“智情意”の面で優れた魅力的な人物として描いている。
他方、その曹操に付かず離れず状態の、「五斗米道」の教母少容も、大変魅力的で“情報通”の女性思想家として、描かれている。
“情報通”なのは、各地域の信者達との接触によって得られる情報が多かったことなどによるらしいが、やはり、的確な取捨選択が出来たことも彼女の優れた資質・特質に拠るものではなかったかと思う。
その「五斗米道」は起源が“道教”だそうだが、「浮屠(仏教)」とは違い、“宗教”ではなくて、れっきとした“思想”だったようだ。
尤も、仏教も、元は“ブッダの思想”であったはずだが、後世になるほど、弟子達が布教のために“宗教”に変化・変質させてしまったものだ、と思う。
“思想”と“宗教”の違いは、前者が“自助自立・自己救済”なのに対して、後者は“他力本願・他力救済”だろう。
“宗教”って一種の“自滅≒自己を滅する思想”ではないかと。(笑...ごとではないだろうけど、私には可笑しく感じる
私は、以前、“自分教”を発明した(!笑)のだが、その基本は(ささやかな)“思想”であって、“宗教”などではないが、少なくとも、只(無料)で自分で自分を救えるメリットは大きい♪

ニッポン人 (追) [1219]
日本人だけがしらない ニッポン人 竹村 健一著』 承前
この本のある章で、この著者=竹村氏は、リチャード・バック氏を変わった人物だと評しているが、私は面白い人物だと感じた。
昔、確かベストセラーだったと思うが、この人は、あの「カモメのジョナサン」の著者だそうな。
あの頃は、「カモメのジョナサン」って何だかヘンな題名だと思ったし、そんな小説に関心を持つほど暇ではなかったから、読んだことはなかったが、この本の紹介で、俄然興味が湧いて来た。BOOK-OFFへ行ったら、気を付けて探してみようと思う。
しかし、こうして、色々な本を読んでいると、芋蔓式に読みたい本、知りたい本が現れて来て、愉しみが増え、ほんと幸せなことだ♪

...これから、芋蔓式に思い浮かべたのは、“愛する”という話。
私達日本人は、至極淡白だから、“愛する”というと居直ってしまい、直ぐ“恋愛”などを思い浮かべるが、もっと日本式に素直に“関心を持つ”だけでもいいと思うが...実は、“愛情”があるから、“関心を持つ”のではなくて、その逆!...“意思と努力”で、関心を持ち“愛情”を作り出すのだと思う。
例えば、「子供への愛情」ってのは、常にその子供を、“関心を持って眺め、対応してやること”だ!
でも、自分の事だけにしか関心が向かない親は、どんなに子供に優しくても、“愛情が有る”とは言えない。
また、そうした“関心を持つ事”は、小さい頃から教えてやれば、ちゃんと身に付くはずだ。

ニッポン人 [1217]
日本人だけがしらない ニッポン人) 竹村 健一著 太陽規格出版 2002年10月 1刷 \1,500+税』 (購入\200税込み)
今でも変わり続けていると思うが、外から|外国人から、日本人を見ると、もう“昔の善き日本人”のイメージとは随分掛け離れて来ているのではないかと思う。つまり、良い面の多くが廃れ、悪い面ばかりが増長して来たような感じがするのだろうが。
でも、ちょっと待てよ?...昔の方が、何かにつけ良い面が多かったのかもしれないが、“今”がそんなに悪いのかな?と思ってしまった。
好きなものを好きなだけ食べ、気に入ったものを好きなように買い、好きな場所へ遊びに行け、好き放題に意見が言えるなんて、これほど“良い場所、良い時期”は、今までの日本には無かったのではないか?
...それの何処が悪い!?...
でもねぇ、昔の外国の歴史を省みると、“努力しないで消費ばかりで繁栄している国”は、やがては没落の途を辿るそうだから、やはり日本もそうした途半ば、かもしれない。それが、現実の生活の面にも滲み出て来ていて、(日本を愛する)外国人を嘆かせる状態|要因になっているのだと思う。
つまり、努力して改善したり、苦労して次の世代へ繋いで行こうという(次世代維持の)テーマを、私達庶民一人々々が持っていないのではないかと。
みんなが、“毎日、その日暮らしを愉しんで消費していれば、それが幸せなのだ!それで十分なのだ!”と思い込んではいないか?
(そして、外国人に褒めて貰えば安心出来る。外人の辛口批評は、ま、聞き置くだけで、自分の反省と行動の糧にはしないってことか)

秘本三国志(四) 追加 [1215]
秘本三国志(四) 陳 舜臣著』 承前
“人物(人気者や政治家達)は、姿や形で選ばれる”というのは、現代病の一種なのかと思っていたが、やはり何時の時代でも(古代シナでも)そうだったらしい。
三国志の時代、王粲(おうさん)という人物は、すぐれた文才の持ち主であったが、小男で、顔はくしゃくしゃだったそうだ。
そのため、外見を重んじる劉表(りゅうひょう)は、この王粲を重用しなかったそうだ。
この人物が書いた降伏文書を、曹操や次男の曹植が読んで感動したそうだが、もし曹操の部下だったとしたら、その才能は、早くから上手く活かされただろうと思う。
ひとつには、曹操が、使える才能人(タレント?)を欲しがっていたし、実際に重く用いたためだが、本質は、“そうした才能を使って良い仕事をしたい!”という「前向きさ」がそうさせていたのだろう。
他方、(採用する方が)「後ろ向き」なら、“あれが悪い!これが気に食わない!”という(逃げの)理由付けに利用出来るからでもある。
最近良く思うのは、我々日本庶民・市民は、“物事の良し悪し”を“外見の(格好)良さ”だけに絞り過ぎていないか?ってこと。
形が整っていれば、中身はどうでもいい?あるいは、形が整っていないと、中身が良くても、採らない!?

例えば、ファストフード店で、店員がそっぽを向きながら、大きな声で“らっしゃいませ♪”って叫んでるが、あれは形だけあればそれでいいらしく、“客の顔を見た挨拶は、どうでもいい”ってわけだ。尤も、昔の店員のように、揉み手をしながら、“はい、いらっしゃい!”と擦り寄って来られるのも、願い下げにしたい方だから、別にそっぽを向いて叫んでくれても、気は楽なんだが。でも、既に座っている耳元で喧しく叫ばれるのは、カナワン!(笑)

秘本三国志(四) [1213]
秘本三国志(四) 陳 舜臣著 文春文庫 1989年2月 8刷 \380』 (購入\105税込み)
昔は、“負けるが勝ち”という言葉を良く聞いたが、今はあまり聞かない。
もう死語に近いのではないか?と思うが、それとはまた違った意味での“負け”の話。
この巻で、曹操は幾つかの意図した負け戦、つまり“負けたように見せ掛けられて、実は大きな損害を受けないような戦い”をしたという話が出て来る。これは、多分、“皮を切らせて、肉を切る”と同義だと思うが。
これは、世間や相手に、“曹操は弱くなった。今ならやっつけられるだろう!”と思わせるのが目的で、相手を戦いに誘い込んでは殲滅し、それで居て、他の連中からは侮られるような負けっぷり(実は、勝ち戦)をするわけだ。
今時、こんな高度なテクニックを使える人間は、あまり居ないような気がするが、どうだろう?
大方は、思考がプレーン|単純になり過ぎて、そんな戦術が通じなかったり(つまり、無関心で乗って来ない)とか、また意図的に使おうとする人間も減っているのでは?...ま、物事を常に近視眼的にしか見られないクセが付き過ぎているからだろうと思うが。
近視眼”といえば、先日の猪瀬 直樹知事の借金の話で、都議会(やマスコミ連)はよっぽど暇なのか、何度も同じ疑問、質問を繰り返して、知事を責めているらしいが、要は、“知事は、聖人君主じゃなきゃヤダ!”って、だだを捏ねてるだけの感じ。百年の大計なんて、これっぽっちも考えられないのだろうな。忙しくて、そんな暇無い!か?(苦笑)

魔法使いハウル [1211]
『魔法使いハウルと火の魔法 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ著 西村 醇子訳』 承前
宮崎監督のアニメ映画を見たせいで、ハウル自身の屋外生活(?)が気になっていたのだが、アニメ映画にあったような“戦争への挑戦”は読み進めても、全然気配無し!
あの活劇は、やはり“男性の発想”だなぁ!と思う。
でも、“反戦の意図”が込められているのなら、ちょっと不十分で、効果が薄かったように思うが。(老若男女向けには、無難でいいのかも)
こちら原作の方は、“平凡で女性的な非日常生活”だけだった。...ま、それでも、なかなか面白かったが。
以前は、「ハードSF」が好きで、随分沢山読んだのだが、「ファンタジーSF」の方は、敬遠勝ちだった。...この本を読んでみて、自分のその傾向が変わって来たのかな?と、今、自問自答している。
それならそれで、読める本の範囲が広がるから結構な事だ!

魔法使いハウル [1209]
『魔法使いハウルと火の魔法 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ著 西村 醇子訳 徳間書店 2004年12月 39刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
大体、私は、本で読んだものを映画では見たくないし、映画で見たものは本で読みたくない性分で、謂わば、(自分にとって)常に未知のことや新鮮なモノを期待するので、この本も一瞬、気を惹かれたが、買うかどうか、少々迷った。
でも、百五円という値段は、“試しても、損にはならない!”という気にさせてくれたし、始めの方のページを少し立読みしてから、買う事に決めた!

そして、今読み始めたところだが、面白い!...女性の書き物特有の“(私が嫌いな)だらだら書き”なのだが、不快さを感じさせないで、「奥行きのある風景画の巻物」を見ている感じ。
きっと、原作も良いのだろうが、翻訳も上手なのだと思う。
宮崎 駿監督のアニメ映画は違う!やはり全部を描けないだろうから、万人向けに宮崎流で表現されていたのだろうと思った)

昔からのお伽噺にあるような、“後添いの継母に三人の娘”とくれば、“イジメられる長女”と相場が決まっているはずが、これは違うんだなぁ!
それに、長女のソフィーは、口に出さず不満を抱えながら日常生活に埋もれて行く...のかと思えば、これが意外に平然と、かつ、ぶつくさ言いながら非日常に挑戦して行く(根性を持っている!)...といった面白さがある。
ふと、異色タレント(珍獣ハンター)イモトアヤコ 嬢が少し重なって見えた。“雌の中に雄を見る|弱の中に強を見る”ってやつかな?
(ところで、彼女の登山番組に、登山業界は(迷惑で?)戦々恐々だそうだが、他方、そろそろ真面目な登山家たちも、“山を汚す行為と真面目で命懸けの行為と”を、考え直す時期なのではないかと思うが、どうだろう?)

秘本三国志(三) [1207]
秘本三国志(三) 陳 舜臣著 文春文庫 1988年6月 8刷 \380』 (購入\105税込み)
浮屠」と「五斗米道」の違いが、この巻では、「五斗米道」の教母−少容の持論として、はっきりと書いてあった。
「浮屠」のおしえは、たましいのみに重点が置かれている。個人のこころ−むろん、それは無限のひろがりをもつものには相違ないが、「浮屠」では世俗との隔絶を説きすぎる。
 それにくらべると、「五斗米道」は、より実際的であった。人が人を食べないためには、より多くの食糧をつくることを説く。天下が分裂して、人びとが戦乱で苦しんでいるが、それを救うために、天下の統一をはかる。−具体的には天下を統一しうる人物を鑑定してえらび、その人物をできるだけ援助することだ。世俗とのかかわりが深い...

実は、こうした古代の思想・宗教各派をみると、それらの(存続の)失敗と成功の要因が、分かるような気がする。
「五斗米道」は実社会で役に立つだろうが、権力者選びに失敗した時には共倒れになる危険性が、常にある。
他方、抽象世界に逃げ込んだ「浮屠」の教えは、あまり実社会には拘わらないはず(実際には、日本ではそうでもなかったが)だから、長く生き延びて来られたのだろう。
今の仏教もそうだろうと思うが、あまり、“現実社会に寄与しよう!”などとは考えない|言わない方が、賢明なのかもしれない。
だけど、“(生きた)魂を救う作業”は、医者や相談員などよりも上手くないと、毎日“野辺送り(葬式)”でお経を上げているだけでは、立場が無いのではないかと思うが、どうだろう。(苦笑)
しかし、今の世は、プロ(職業的達人)は居なくなって、似非職人ばかりになって来ているようだから、期待する方が無茶か?!

秘本三国志(二) [1205]
秘本三国志(二) 陳 舜臣著 文春文庫 1988年6月 8刷 \380』 (購入\105税込み)
この巻で、古代シナ|中国で興り、滅して行った思想?宗教?である「太平道」、「五斗米道」、「浮屠(仏)」のそれぞれの“在り方”や“特性”が、分かったような気がした。

現世、現実的である思想や宗教ほど、現実の圧政や搾取による庶民の苦しみを跳ね除けようとして、“力”で反発し、やがて潰されてしまう。「太平道」は、そのタイプだったようだ。
五斗米道」は、世の趨勢を見ながら、時の権力者の庇護下で生延びようと工夫していたようで、結構現実的な感覚があったらしい。他方、今で言う“公証人的”な信用もあったそうだが、かなり広く、世の中に受け入れられていたようだ。
この時代、「仏教」は浮屠(ふと)と呼ばれ、洛陽の「白馬寺」はその最初の基地(?)だったらしいが、これは後漢の明帝が、招聘・導入したそうな。

元々、「仏教」は、「太平道」や「五斗米道」と違い、非現実的世界へ、抽象的な方への逃避(?)傾向が強いから、当初から権力者に好まれ、自らがそれに帰依したり、政治の道具として使える“特性”(一種の鎮痛剤、麻薬性)を持っていたように思える。
魏の曹操が、「仏教」に興味を持ったのも、そうした理由があったのだろうと思う。
曹操と言えば、この人物なかなかの教養人で、自らが「孫子」の注釈を書いたというから、常時“(「三国史演義」などにあるような)覇権争い”ばかりやっていたわけでもないようだ。
ただ、後世、その注釈書の真贋が、取り沙汰されたそうだが、近代の出土品などから、“真実”だと判明したと、この著者は、書いている。
人物を、他人が貸してくれた“色付きメガネ”で見ていると、真偽が分からなくなるという話。

秘本三国志(一) [1203]
秘本三国志(一) 陳 舜臣著 文春文庫 1988年5月 9刷 \380』 (購入\105税込み)
「三国志」は、他にも幾つか読んだり、YouTubeの動画を見たりして、大筋は知った(つもりだ)が、この著者のは、多少見方が違うかもしれないと思って、6巻揃えて買ってみた。
確かに、描き方が違う!...この巻では、陳潜(ちんせん)という「五斗米道」の補佐幹部役(?)の眼を通して、当時の世の中の動きを見ているので、色々な事柄が興味深く思える。
例えば、漢王朝末期に「太平道」信者達が起こした「黄巾の乱」は、単なる王朝転覆、あるいは叛乱だったのか、それとも革命だったのか?
また、並存していた「五斗米道」の方は、その乱には参加せずにいたらしいが、後々弾圧を受けたはずなので、それまでの間、どのようにして難を逃れていたのか?
また、前全盛期の仏教の寺「白馬寺」の存続、興隆はどうか?など、疑問と興味が尽きない。
英雄達が主人公の派手な戦いの話は、それなりに面白いけれど、そればかりでなく、当時の一般大衆がどうやって生延びて来たのかも、知りたい処だ。(私達の今の暮らしに、参考に出来るかも、あるいは出来ないかも)

燃える氷 [1201]
『燃える氷 Methane hydrate 高任 和夫著 祥伝社 平成15年5月 1刷 \1,800+税』 (購入\105税込み)
この本は、帯にも書かれているように、「日本沈没」を髣髴とさせる内容だ。
しかし、出だしが良くない。...(三文小説のような)男女の日常風景が、だらだら続きそうだったので、早々に放り出してしまいそうになった。...暫く置いていたのだが、何気なく開いて見た箇所が良かったので、改めて始めの方(面白くない箇所は飛ばして)から読み出した。
まぁ、これは“早とちり”の一種だろうが、狙ったらあっさり諦めないのが、良策か?!(笑)

で、この本で指摘されている危機=日本のエネルギー問題を解決してくれそうな「メタン・ハイドレート」の採掘が、果たして自然・地球=ガイアの営み、例えば“自然災害”などを早めることになる=かどうか?
実は、この本は、別の方面の危機(災害・冒険)話に変わって行くという意外性があった。(ゲッ!メタン・ハイドレートの話の方は、どうなったん?)

けど、思ったのは、いずれにしても、そうした自然災害なんてのは来てから考えればいい!あらかじめ時刻が分かている自然災害なんて、皆無だもんな。...それが起きた時、どれだけ各人が上手に動けて、各人が自分(達)の悲劇を減らせるかが、“勝負”なのだと思う。
それに、(この本の中でも、白髪の老人が中年女性をたしなめているように、)地方行政や国に「被災の責任」や「回避の義務」を擦り付けるのは良くない!...むしろ、国や行政に期待すべきは、皆への的確で素早い情報提供だ!
・・・ その情報を、上手くキャッチして、皆が自分用としてどれだけ有効に使うかは、各人の意識次第だと思う。

昨日、日本海側で、有望そうな「メタン・ハイドレート」が確認されたとの発表があったようだ。(msn産経ニュース 2013年11月30日版
以前、ある著名人(確か、青山繁晴氏だったか?)が「メタン・ハイドレート」は太平洋側より、日本海側の方が有望だから、そちらの方に力を入れるべきだ!”と主張されていたと思うが、“当たり!”のようだ。
兎に角、この話、税金で精査・開発を進めるとしても、早く「国策民間企業」に引き継いで、早く商業ベースに乗せて欲しいものだ。
その儲けで、「原発核廃棄物の無害化研究」も、強力に推進させて欲しいと思う!(つまり、税金の“リサイクル的有効活用”ってこと!)
(しかし、外国勢に狙われない事が、肝要だ!またぞろ、領土を勝手に拡張する“不逞の輩”が出て来ないとも限らないから)

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