モグラの繰言 2011.08    我楽多苑 別亭へ (真面目な愚痴!)

古事記 [0831]
『古事記 梅原 猛著 学研 昭和57年7月第3版 \980』 (購入\105税込み)
“古事記”の部分々々は、子供の頃から、“日本の神話”とか“お伽噺”とかで読んだり聞いたりしたことがありますが、纏めて読んだのは、これが始めてのような気がします。読んだ感想としては、“これは分類が難しい!”
神話・伝説なのか、歴史書なのか、小説なのか?
個々の話は、丸で“判じ物”の感じですが、適当に解釈して、最初の“創世の神々”で、こんな想像をしてみました。
別天(ことあま)つ神五柱は、“日本のこの地!(多分、九州か奈良か)”に初めて足を踏み入れて一生を過ごした“勇敢な独身男性/女性達”であり、その後は、ずっと“夫婦連れ”が続いたのでしょう。(そうした話は、彼らが出立した地域の伝承として残っていたのではないかと)
国生み/国作りは、子供達を、その地方に移り住まわせる事を指しているのだろうと思いました。
しかし、この本の中には、(王族間の?)権力争いや残酷な仕打ち、男女間の恋愛や子孫増殖などが赤裸々に綴られていますが、支離滅裂な処も多いですね。
作り話としては面白くはあっても、どう解釈するかは難しい。
でも、これが日本最古の歴史書だとなれば、貴重品でしょうし、慎重に読まねばなりませんが。

飛行の真髄 [0829]
『飛行の真髄 加藤 寛一郎著 講談社 1993年9月第1刷 \1,800税込み』 (購入\200税込み)
この本を読んで、2つ“異な感じ”を受けました。
表紙に、ジェット機の写真があり、飛行機と云うからには、きっと通常の「滑空型航空機の話」だろうと思っていたら、殆どが“ヘリコプタの話”でした。
何だか、“看板詐欺”にあったような気分。(元々の筆者の考えられていた表題「垂直離着陸」の方がよかったのでは?でも、そうすると、表題で引っ掛けられる読者が少なくなる?)
他の一つは、“ヘリコプタって、やはり、もの凄く操縦が難しいんだ!”という感触。ふわりと浮いているものではなくて、必死に落ちないようにしながら空気を掻き分けて浮かんでるもの?
「安全だよ!」と云われているけど、実際の操縦では、“神業的な技能”を要求されているのが良く分かりました。特にその中で、驚嘆したのは、荒海での船上への着艦は、最後迄飛び続けながら、ロープを船側から強引に引いて貰って着艦するそうですね!とても“フワリと舞い降りる”どころの話ではないらしい。

逆説の日本史 [0827]
『逆説の日本史[1] 井沢 元彦著 小学館 2000年11月第21刷 \1,550+税』 (購入\105税込み)
沢山の歴史テーマを、丁寧に分析され、興味深い仮説を幾つも立てて居られます。その中で、「和」には「輪」の意味があったという話は、なるほど!と納得しました。
聖徳太子が示された「十七条憲法」にある“以和為貴”の“和”は、この著者は/も、「協調の精神」だと解釈されています。
しかし、その解釈では抽象的過ぎて、何だか足りない感じがします。
と言うのは、第二条には「」、第三条には「天皇」といった“具体的な対象人格”が示されているのに、第一条だけが「抽象的な精神」をターゲットにしていると見るのは、ちょっと安直過ぎませんかねぇ。
もっと、明快なターゲット/対象人格があっても良さそうに思いますが。
それでふっと思ったのですが、もしかしたら、これは“我”か“吾”から来ていて、具体的対象は「我=汝=個人」ではないかと。
つまり、“我ら=汝=独り一人が、最も貴い/尊いのだよ!”と謳われていると解釈すれば、大変面白いですよ!
太子が、十人の人達の問い掛けを、全部聞き分けて、それぞれに適確な返事を返した話を考えると、やはり“独り一人を、大切にしようとした”のだという気がして来ました。
「我思うゆえに、我あり」よりもずっと昔に、聖徳太子は「」に気が付いていた!?

「5つの約束」で [0825]
『「5つの約束」で子供は変わる 濤川 栄太著 海竜社 2000年2月発行 \1,333+税』 (購入\105税込み)
この本は、沢山良い事が書かれているようですが、残念ながら、表題から期待したような内容は、殆ど入っていませんでした。orz
期待したのは、「変わる」と書かれているので、“どのように変化して行くのか?”ということだったのですが。
つまり、ある状態の子供(達)が居て、色々な外的条件や状況下で、子供(達)がそれぞれに変化して行く様子の話だったら、随分参考になるだろうと思ったわけ。
“物事を、ダイナミックに見る/観る/診る”のに興味があったのですが、単に“沢山の紹介事例”を知るだけでは、知識の溜め込みに終ってしまい、次の発想も出て来なくて、ちっとも面白くないからです。(「相互作用と影響/変化」を、期待し過ぎたのかな?でも、教育って、そんな「働きをする」ものではなかったっけ?)

日本人の行動文法(続) [0823]
「承前  ↓」
平和(安全)というテーマについて、私達が(事件がある度に思い出すけど)普段は無視していることについても、鋭く指摘されています。
戦争は嫌だ!平和で有りたい!と願うあまり、「自衛のための反撃」をも抑制してしまう傾向=「戦争拒否症候群」がある...けど、それでいいのかな?って。
指摘はそこ迄ですが、確かに、日本人は直ぐ“暴力はいけない!”と、矢鱈、抑える事には熱心ですね。
でも、私は、反撃される恐れが無い時に振う/振るわれる暴力=“いじめ”などに対抗して、特に子供達に、反撃することを教えない/訓練しないのは、大人(達)のズルさ・怠慢・罪ではないかと思っています。
実際に、物理的・腕力で反抗する・しないは、状況次第だとしても、“和を保つ”だけが全てではなく、“反抗しながら、和を保つ知恵/工夫”をさせる方が、ずっと有益でしょう。(それには、訓練しかない!)

日本人の行動文法 [0821]
「日本らしさ」の解体新書 日本人の行動文法(ソシオグラマー) 竹内 靖雄著 東洋経済新報社 1995年10月発行 \1,800税込み』 (購入\105税込み)
この方の解釈・説は、どれも視点がユニークで、知的に面白い!そして、常に“同感!”と相槌を打ってしまいます。
日本人(全般)の宗教観について。(これは、それ程昔からあった考え方ではないらしいのですが)
日本人にとって、宗教は基本的に現世的なご利益をもたらすサービスにほかならない。ご利益とは、かならずしも金銭的な利益、出世、商売繁盛などの世俗的成功だけでなく、むしろ、安心、満足、不安の解消などの精神的利益を指すものと考えられている。
と断じて居られますが、これも同感ですね。私は、“宗教は、趣味の一種だ”と思っているのですが。
そう言うと、多分、真面目な宗教人なら、鼻で笑うか、或いは無視するか、でしょうけど。(笑)

この国のかたち 四 [0819]
『この国のかたち 四 司馬 遼太郎著 文藝春秋 1994年7月第1刷 \1,200税込み』 (購入\105税込み)
この巻では、例の「坂の上の雲」に触れられています。
その中で、あの時は国家の内部事情(“日本は、もう露国と戦争を継続する余力は無かったのに...”)が開示されずしまいだった。そのために、“戦争はやれば勝てる、勝てば賠償金が取れる”といった、安直なナショナリズムが強くなり過ぎて、それ以降、国家が曲がった方向に来てしまった、と分析して居られます。
確かに、国家間で対立がある時には、自国の手の内は、やたら曝したくは無いですね。かと言って、内情を覆い隠した場合、表面事情だけで、国民が理解出来るわけがない...というのが、常識的な見方でしょうが。
でも、あの時期なら、内情がよく分かったとしても、騒ぐだけは騒いだだろうなという感じはします。
空腹/餓え”と“激情(ナショナリズムも?)”の間には、何等かの相関があるのではないでしょうか?
最近の日本人は、食欲が十分満たされているためか、(食べて太り過ぎたブタのように?)もう、そんな“激情”に走る人達は少なくなった?(時折、ヘンなのが出て来て、新聞種にはなるようですが)

未来史閲覧 [0817]
『未来史閲覧 産経新聞社 取材班著 産経新聞ニュースサービス 1996年9月第1刷 \1,500税込み』 (購入\105税込み)
約15年前の“未来予測”は、どの程度当っているかに興味があって、買ってみました。
この本は、色々なテーマを現場取材して、新聞に掲載して来た記事群を纏めたもののようです。
各テーマの現実は、少しずつ進んで来ているのもありますが、殆どは“道半ば”か?或いは、“太陽光発電による余剰電力を、電力会社に売る話”などは、現在もまだ進行中で、完成形までには“道遠し”でしょうね。
よく考えてみると、こんなのは進んでいるのではなくて、“単に、拡散して行くだけの話”のような感じがしているのですが...
今話題の「原発」を、「自然/再生可能エネルギー」に全部置き換える、などという戯言(たわごと)は、自然の摂理(エントロピー増大則)を知らない/考えないで云う、空想話/御伽噺ではないかと。
(例えば、「太陽電池板でチマチマと発電するエネルギー」は、「太陽電池板を作るのに要する膨大なエネルギー」に比べると、ホンの僅かだから、トータルでは引き合わないのです。“キレイに多量発電、キレイに多量消費”したいのですが、結局は、“細々発電、チョビチョビ消費”が、精一杯の現実では?)
ホントは、「地下の集中エネルギー源」を探して来て、多量に安く利用させて貰うのが、我々に出来る現実的でベターな方策でしょう。

追いつけない理由 [0815]
『韓国が死んでも日本に追いつけない18の理由 百瀬 格著、金 重明訳 文藝春秋 1998年5月第7刷 \1,524+税』 (購入\105税込み)
著者は、韓国トーメン社長で、長期在韓歴(当時28年間)だったそうですが、この本は韓国で出版されたもので、大評判(好評)を呼んだので、日本でも翻訳されて出版されたとの事。
この本が(韓国で)ベストセラーになったのは、韓国人、日本人の本質的と思える処を、ずばりずばりと指摘されている点が受けたのだろうと思います。
(前半は、日本人の私が知っている事実が少ない割に、話が硬く、文意が詰り過ぎているせいか、かなり読み難かった。でも、後半の具体的な仕事・作業の話は面白く読ませて頂いた)
全体の主旨は、(自分達自身も含め)両者/両国人の実態・実情をもっとよく知りましょう!知れば、もっと自国は良くなりますよ!ということですね。
それに、商人・総合商社マンの視点からの分析は、やはり実利的で、陰に陽に自国の利益(国益)を考える点で、経済学者政治学者などの評論より、値打があるようです。
(その後、韓国企業は、日本を追い掛けずに、上を飛び越して“世界”を目指して、努力しているそうですが)

この国のかたち 三 [0813]
『この国のかたち 三 司馬 遼太郎著 文藝春秋 1992年5月第2刷 \971+税』
この著者の本はどれを読んでも、納得や発見が多くて、何時もをした気分になりますが、この巻では、70甲冑(上)が面白かった!氏、曰く・・・
『初期の武士は命懸けの“”から出発していた。...なにがちがうかといえば潔さがちがっていた。...甲冑でもっておのれの優美さを表現しようとしたのである。猛(たけ)くはあるがこれほどにわしは美しいぞ、ということの自己表現であった。』
今の男女が、化粧や衣装で自分を美しく装うのと同じような心境なのでしょうか?でも、昔の武士は、それも「命懸け」だったそうですから、きっと映えたでしょうね。
(私も、最後は“見事に!”は到底無理にしても、“静かに、散りたいものだ”と思っています)

捨てて、知った [0811]
『日本を捨てて、日本を知った 林 秀彦著 草思社 1999年7月第2刷 \1,800+税』 (購入\105税込み)
出版社名を見て、“えっ?”。。。今、問題視されている、氏の資金疑惑問題に係わっているあの“草志社”?...ではなかった!(ホッ!)
この著者は、以前日本で売れっ子シナリオライターだったのに、オーストラリアに国外脱出されたそうです。
カバー紙裏の短解説が、大変巧く書かれていると思ったので、その一部を、そのまま転写してみたくなりました♪
「...強烈な自己主張と嫉妬がうずまくアングロ・サクソン文明の中で生活するうちに、筆者の胸中には、日本的な志向・美意識こそ、これからの文明の礎になるべきだという確信が生じる。オーストラリアの山中に閑居すること十年、グローバル・スタンダードの美名に惑わされて、みずからの美点を無自覚に捨てかけている日本の姿を見るに見かねた筆者が、ラディカルに且つ軽妙な文体で綴る、鋭い洞察に満ちた日本論である」
中を読ませて頂いて、私の考え方も半回転しました!...どうも、自国を、貶(けな)す/くさすだけが“正論”ってわけでもないですね。

無防備列島(続) [0809]
[承前  ↓]
この本を読んでいて、やはり随分考えさせられる事が多いです。
例えば、「憲法が内蔵している矛盾」にしても、それが現実の状態や出来事と無茶苦茶、乖離(かいり)しているのに、一向に整理されない。(子供達は、それで混乱矛盾を感じているそうです)
「危機管理対応」の責任者/トップは、日本国首相のはずですが、その人物が福島原発事故では、まったく危機管理能力が無いって証明されたのに、まだ居座っている事が、それの傍証ですか?
もし、突然隣国のゲリラが、我が日本国の領土に入り込んで来た時/=「(常識に無い)有事!」に、適確で素早い「指令」なんて出せそうにない“独善首相”に“国を任せている”というのが、今の現実ですね!
(著者のご意見は、トップには「管理者(マネジャ)」は不要で、「指導者(リーダ)」が必要だそうですが、同感!)
居座りを許している国会議員達や、更には私達庶民・市民にも、責任がありますね。(さあ、どうすべぇか?)
(これは、やはり温帯島国の国民性=明日(あした)は明日(あした)の風が吹く、って奴なのかなぁ?)

無防備列島 [0807]
『無防備列島 志方 俊之著 海竜社 2006年6月第1刷 \1,800+税』 (購入\105税込み)
確かめずに読み始めて、随分新しい内容が入っているな!と思ったら、確かに最近の発行(2006年)でした!
(実は、まだ全部を読み切れてなくて、これから先、知らない、あるいは気が付かなかった項目が出て来るかどうか?それを楽しみに読み進めたいと思っています)
内容は、色々な事実を周りの情勢を勘案しながら解説されていますが、提案されている項目はどれも納得が行きます。
それにしても、日本ほど「心身共に、無防備な国」は無いですね。
これは、諸外国の植民地になり下がって、徹底的に搾取された経験が皆無だったせいなのでしょうか。
唯一、服従させられたのは(ソフトで、保護者然とした)米国だけだったけど、それが幸せだったのか、不幸だったのか?(今でも、日本は、米国の対等なパートナーだと勘違いしている人達が多いのも困りますけどね)

日本の寿命 [0805]
『日本の寿命 日下 公人著 PHP研究所 1990年8月第2刷 \1,400税込み』 (購入\105税込み)
昔?“10年一昔”という言葉がありましたが、この本は発行されてからもう20年も経ちますねぇ。
でも、指摘されていることに、殆ど古さを感じない処が、不思議!
今読んでも、“なるほど!”と納得させられます。
その中の一節、『一票一揆でサラリーマンの存在を示せ!』は、今一番面白いテーマだ♪と思いますね。
・・・ これからは、サラリーマンはまず投票所に行くことであって、書くべき候補者の名前が見当たらなければ、自分達の要求に合致した意見を言う学者でも評論家でも作家でもいいから、象徴的な人の名を書けばいい。 ・・・ だそうです。
確かに、そうした意見に気が付いた立候補達が当選すれば、一票は、活きて来るはずですね!
ただ、マスコミは結構怠慢で「無効票や無党派層の分析」などは(大変面白いテーマなのに、面倒がって)殆どしないから、逆に、立候補者の側からの意識的なアプローチが重要になるでしょうね。
それと別の一節、『(古い)定義にこだわるな!』は、今の農業漁業の在り方への痛烈な皮肉ですね。
・・・ 現在の農民は「米つくりは自分達にしか出来ない」とか、「日本の農民だけが日本人のための米を作れる」だから、「農民をいじめるとひどい目にあうぞ」と叫んでいる。 ・・・ は、全く虚しい!
“萎びたシャッター商店街”も“活気ある郊外の大店舗群”も、時代の流れだし、競争し合って、面白くて愉しい世の中を創って行くべきなのに、何時までも“古い定義”の中で安息を望むのは、ミイラと同じですね!

福沢諭吉 [0803]
福沢諭吉−青春篇、朱夏篇 岳 真也著 作品社 2004年8月第1刷 \1,600+税』 (購入各\105税込み)
やはり、福沢諭吉という人は、不足のある時代に不足分を、それを何とか満たそうと努力された人物ですね。(あまり適当な言葉ではないのですが、「ハングリーな時代のハングリー精神に溢れた人」と言うべきか)
今みたいに、色々な物に満たされて、不感症になり意欲も減退してしまっている我々とは、随分違っていた事が良く分かります。
そういえば、先日のサッカーの「なでしこジャパン」も、あるいは、恵まれた環境下で生活や練習が出来ていたら、あんなに強くはならなかったかもしれませんね。
いずれにせよ、欲しい!必要だ!と思うものを求めて、懸命に自助努力する姿は、素敵なものです。
ところで、今の一万円札に、あんな年寄り臭い肖像でなくて、なぜ若い時代の“活き活きした姿”を使わないのでしょう?(機会があったら、一度大蔵省/財務省印刷局に、一言言ってみたいですね)

ありえない [0801]
『国家破綻はありえない 増田 悦佐著 PHP研究所 2006年2月第3刷 \1,400+税』 (購入\105税込み)
この本、出だしの辺りでは、ちょっと引っ掛かったけど、読み進むと、なかなか興味深い!
確かに、視点を変えると、別の考え方が出来ますね。
その中で、この著者も“少子高齢化は怖くない”と書かれていますが、現在の世の中の風潮/宣伝=子供を増やして、ひとり一人に負わせる負担を減らそう♪って考え方は、確かに、ヘンですよね!(他の書籍例
(尤も、戦争でもしたい時には、人口が多い方が有利かもね)
また、アメリカ型経営では、日本人従業員の良さを生かせないし、「皆で知恵を寄せ合って工夫・改善する日本式」が、世界中で一番生産効率が良くて、競争にも強いらしい。
(...なるほど!それで、日本製品が良くて、それに連れて円高も、まだまだ進むわけだ!...“円高”は「日本経済の強さの結果」であって、弄りたくても弄れるものではない!弄ろうとするのは、馬鹿だ!ってことですね)
で、本題の“国家破綻”の方ですが、やっぱり、じっくりとでも良いから“今のやり方”を改善して行かないと、今のままだと破綻は免れないようです。
でも、“増税法”では国民・国益を損なうだけだから、もっと良い方法を使いなさい!と提案されています。

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