導育甘言集 2013.03    我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ      表紙頁]へ

法治国家 [0331]
先日来、YouTubeにあったビデオ「大秦帝国」を見て思ったこと。
主君と宰相とで、“変法”によって「秦国」を法治国家として整え富国強兵をしようとしたわけですが、その完成まで辛苦の二十数年を要したらしいのに、その後の「秦帝国」(紀元前221年−紀元前207年)が二十年も保たなかったのは何故でしょう?...大変、勿体無い話だなぁと思ってしまいました。
しかも、(このビデオには入っていないけど、)一応統一国家として成立したはずなのに、秦王・が亡くなった途端に統一国家が瓦解してしまったのも、良く分かりませぬ。
やはり、どんなに良い法治・統治方法でも、壊れる理由(主に、“人の欲・不満”)があって壊れるのでしょうけど。

他方、戦後の日本では、民主主義一辺倒で平和を謳歌して来ていますが、現実の世界には、独裁制国家の方が安定していた例が、幾つかある|あったはずです。
それを欧米諸国(特に米国)が、意図的に壊して来たために、その国がバラバラになってしまい、多くの民が新たな苦しを背負うようになった例もあるから、今のような自由平等主義・資本主義だけが万能で、“最高品質の世の中”を作り出せるのかどうか?何とも分からないですね。
人の欲・満足感・幸福感”に関しても、衣食住が満たされればそれでよいのか?それとも、飽衣・飽食・飽住が必要なのか?何処まで埋まれば満足出来るのか?...そして、欲が停まらなければ、常に欲求不満が堆積して行き、何時かは爆発するはずだけど...
(まぁ、そんな事は誰も考えないし、考えても無駄だろうと思ってしまいますが)

バカはなおせる [0329]
『バカはなおせる 脳を鍛える習慣、悪くする習慣 久保田 競著 アスキー 2006年5月 2刷 \1,200+税』 (購入\200税込み)
この本は、著者が口述したものを編集者が文章化したものだそうですが、大変分かり易かった!
この方も、「単純計算・操作を繰り返すこと」(例えば公文式のようなトレ)は、「脳を良くする」とは言い切れない、実は科学的根拠が薄いと指摘されています。(他の著者の指摘例↓
また、養老 猛司氏の見解には科学的な裏づけが少ないから、「事実」としてでなく、単なる「(人生観の)読み物」として読むべきだと指摘されています。(私も読後にそう感じました
この本で仰っていることは、兎に角「脳」は常に“刺激”を、それも長期間同じものでなく、違う種類を混ぜて与えると、脳は活性化され、衰えるのを防げるから、努めて怠るな!...また、Go!と同様にNoGo!もちゃんと訓練すべきだ!って。
それは大人だけでなく、子供を育てる時にでも重要で、例えば、“(大人からみて当たり前の出来事でも、)子供が初めて出来たことは、大袈裟に褒めてやり励ましてやることがGo!で、逆に、してはいけないことは、そこで強くNoGo!(ストップ!)で停めてやる訓練も重要だ”と仰っているように読めました。
そのことから考えてみると、今日本中に蔓延している“何時までも改善せずに、ずるずる物事を引き摺る習慣”も、結局はNoGo!が出来ず、放置して来た結果だろうと思いますね。
先日、司法府(裁判所)が痺れを切らして、“一票の格差は、違憲であり衆議院選は無効”の判決を出しましたが、あれなどは、立法府(国会)や行政府(内閣)の怠慢・放置に対するNoGo!警告ですが、今の立法や行政には、自己制御機能Go!NoGo!機能)が殆ど無くなっていてテキパキ決裁・決済が出来ず、“バカ状態”になっているって証しでしょう。
これも、私達皆が、ちゃんとGo!NoGo!を訓練して来なかった報いですね。 ・・・ やはり、こんなのは直さ|治さなくっちゃ!

曹操残夢 [0327]
『曹操残夢 陳 舜臣著 中央公論新社 2005年7月 1刷 \1,700+税』 (購入\105税込み)
“残夢”というから、曹操の子供達、特に曹丕曹植の人物を丁寧に描いた小説かと思ったのですが、そうでもなくて、周りや近傍の歴史をさらっと描いたものでした。
ただ、教訓的なのは、曹丕・曹植兄弟の仲は、決して悪くはなかったのに、「皇位継承争い」に伴う取り巻き連の勢力争いのために、互いが反目状態に置かれてしまう悲劇。
権力者だった親の曹操自身が、そうした事態を予想をしながら、“成り行き”にしか出来なかったのは、如何に“周りのパワー”が大きかったかということでしょうね。

今のシナ(政府)も、そんな情況ではないでしょうか。
仮に、習近平氏が、(寡黙で平和的で)有能な指導者であったとしても、周り(軍部や地方政府)のパワーを抑えかねて、それに強く影響され|振り回されている可能性があります。
毛沢東氏の遺考・意向を継いで軍備を拡張し続けて来た報いで、今では「軍部」が党への干渉を強め、周りの国々との間に、敢えて(領土拡張など)戦争状態を作り出すような政策を採り続けさせているように見えますね。
つまり、文官武官との抗争で、武官の方が強くなり過ぎているわけだから、こんなのは、日本など周辺国からも、干渉し抑えて行かねば!
だとしたら、武官の方を実戦で叩きのめすか、あるいは、非好戦的|平和的な文官の方を(あからさまに)支援する方策を考えて、実行しないといけないでしょうね。(それには、未来のアジアの姿や、全世界の姿を、上手く描いて見せる事が大切だろうと思います)

大空のサムライ[続] [0325]
『大空のサムライ[続] 坂井 三郎著 光人社 昭和54年10月 56刷 \1,200』 (購入\105税込み)
[続]とあるから、これの前の版を読んでからの方がよいかな?と思ったけど、取り敢えず覗いて見たら、これ、なかなか面白い!...というか、結構専門的・技術的な内容も多いけど、説明はくどくなくて、すーっと腑に落ちるんです。
なるほど!56刷も行ったほどの大ベストセラーになったのも、分かる気がしました。
特に、共感したのは、戦闘機が好きで、それを操って敵機と闘うために、常に研究を怠らない姿勢で居られたこと、それに一戦闘気乗りとして、精進して腕を上げることに専念されたこと。
著者は兵隊から戦闘機乗りになったので、軍隊内では(兵学校出身者は将官になれるのに、)“少佐どまり”だったそうですが、そうしたことを“差別”や“不満”として考えるのではなくて、在るがままの自分でベストを尽された点は、やはり「人として優れている」のではないかと思いました。
男なら、こんな活き方に憧れますね。(でも、今時は、ゲームパッドやキーボードを叩いて、怪物や敵をやっつける位のことしか出来ないし、あるいは今の戦闘機は1機百億円ほどもするし殆どコンピュータ制御なので、飛ばし方を工夫する面白みも無いでしょうけど。苦笑)
蛇足:敵に尻に喰い付かれた時、戦闘機にも後ろに機銃があれば、随分勝率が違って来たのではないかと、ふと思ったり。

絶対学力 [0322]
『絶対学力 糸山 泰造著 文春ネスコ 2003年3月 1刷 \1,400+税』 (購入\105税込み)
これまで、私は「乳幼児学習・教育」にばかり眼を向けていましたが、この本で改めて小学校教育で問題になる“9歳の壁”の存在に気付かされ、(静かに?)反省しました。
乳幼児教育では、“吸収能力が最大”であることに注目して、兎に角、“正しい知識を、出来るだけ多く学ばせる|(言い方は悪いが)詰め込む”のが良いと考えていました。
その後で“それらの知識を結合する練習(つまり考える力を着ける)”をさせれば済むと考えていたのですが、この本で、そんな曖昧な時期設定や考え方では、ダメだ!と厳しく指摘された思いがしました。
先日読んだ『日本史集中講義』では、“点と点を線で繋ぐことによって、物事が分かるようになる”と書かれていましたが、やはり、単に“正しい知識を沢山学ばせる”だけでは不十分|不適で、平行してそれらを“連結させながら吸収させる”必要がありそうです。
つまり、考える能力が出来始めた時期(4歳〜6歳辺り?)から、積極的に「自分で考える訓練」をさせるべきだし、そこで安直に便法などを教えてしまっては、「考える能力」が身に付かないと指摘されています。
(はっきりとは書かれていませんが、)公文式のように「反射式プリント」を使う=「単純繰り返し作業のトレーニング」は、思考力を抑制するので、“ある時期以降は、子供に害がある”と読めました。(確かに、その恐れはあります!)
例えば、「九九」などの“反射式”は一生を通じて有用ですが、「国文法や英文法」や「複雑な公式」などは単なる“便法”であって実用面では役に立たないから覚える必要は無いし、学習時間の無駄!現に、sin(サイン)、cos(コサイン)の方程式などを覚えても、普通人は実生活では殆ど使いません。仕事や趣味にする場合・人のみ、詳細に学習・記憶すれば済むのです。かといって、全然知らないと、他人と会話で不便ですから、それが存在することだけは知っておく必要があるでしょうね。
著者の教育哲学として『教育とは人生を楽しむことが出来る力を育てること』をあげて居られますが、個人の立場からすれば“その通り!”
でも、義務教育(国家)の立場からは、『国を支えられる個人を育てること』ではないかと思います。
この本では、そうした教育技術論だけでなく、ちゃっかりと(?)、受験対策についても説明があります。(笑)

理屈はいつも死 [0320]
『理屈はいつも死んでいる 高原 慶一朗著 サンマーク出版 2006年10月 1刷 \1,500+税』 (購入\105税込み)
この著者は、ユニチャーム(旧大成化工)を創業された方で、成功企業家のお一人のようですが、この本はその成功のベースになった考え方、実践の仕方を纏められたもの。
これを拝見して、“なるほど!”や、“そうだ!そうだ!”と納得や同意をする箇所ばかり。
注目箇所に手製シオリを挟んで行ったら、十数箇所。(左写真クリック)
通常なら2〜3箇所なのですが、こんなに多いということは、出来過ぎ?っていうことか!(笑)
今までに、他の多くの人達が挙げられている個別の「やるべきこと」を、この方は全て洩れなく実践されているのだろうと思いました。
つまり、“この一つだけを心掛けていれば、必ず事業は成功する”というものではないよ!と仰っているように読めました。
そりゃそうですね!それぞれに個性を持った多くの客の(潜在、顕在)要望に応えられる事業にするには、そんなに単純な考え方、やり方だけでは済まないでしょうからね。『二元論でなく、多面性を大切にする』ということ!
私が気に入ったひとつは、『「できそう」は「できる」、迷ったら前へ出る ・・・ 拙速でもいいから、先ずやってみて、小さな失敗は修正しながら進めばいい』という箇所です!(これは男の子でないと難しいかな?でも、それが出来る女性も増えて来たから、油断は出来ませぬが)

晏子 [0318]
『晏子[上,中,下] 宮城谷 昌光著 新潮社 1994年12月,,1995年3月 4刷,,8刷 各\1,700税込み』 (購入全\315税込み)
若年(中学?高校だっけ?)の頃に、中国古代史の話の中で「晏子」という名を読んだか、聞いたかの微かな記憶があります。けど、その名前だけで、その他はキレイさっぱり何も残らず!(苦笑)
今回は、偶々BOOK-OFFでこの3冊が揃っているのを見掛け、買って来て読んでみました。
この著者のは、どれを読んでも面白いのですが、所々で大変参考になる記述もあります。
例えば、下巻で見掛けた次のようなくだりは、“自分の幅”を考える良い切っ掛けでした。
「なにごとも幅です」と、晏嬰は子尾にいった。
だがその発言はそうとうに深い哲理から発しているといえよう。なぜなら人がおのれの幅を的確にとらえられるかといえばそうではない。その幅は境遇がかわり身分がかわれば伸縮するものであろう。が、人に絶対の幅というものがあれば、それは天によって定められた幅であり、その長さを寸分ちがわずにみきわめることのできる者は、億人に一人といってよいであろう。
晏嬰はその一人であったといってさしつかえあるまい。・・・ かれほどきびしく自分を律していった者をほかにみない

凡人は凡人なりに自分の身の丈(幅!)を知り、更にちょびっとずつ背伸びをする気分で居れば、毎日が結構充実した感じになります。
でも、ヘンに自分を枠の中に押し込める必要も無い。結局、常に融通無碍であれ!ってことになるかな?

日本史集中講義 [0316]
『日本史集中講義 井沢 元彦著 祥伝社 平成18年10月 9刷 \1,400+税』 (購入\105税込み)
この本は、学校の副読本にして欲しいですね。勿論、一般の読み物としても有用だと思います。歴史上の“事件の背景や真実”が、よく分かるし、歴史問題で将来を誤らずに済むから!
先日、ローマ教会の教皇の選挙が終って世界中の信者達が安堵したようですが、あのキリスト教を、なぜ徳川幕府は「禁教」としたのかという理由も、この本で明らかにされています。
それは、今とは違って当時の宗教団体(社寺など)が、強い利権団体でありかつ戦闘的で“政権の敵”だったことを、室町・安土・桃山時代以来、徳川幕府も身に沁みて知っていたからでしょう。
信長公が、社寺に対して、強い対抗策を採ったのも、当時の社寺は武装をして利権を守ろう|拡張しようとしていたからです。
また、日本に来た(外国宗教団体の)ルイス・フロイスなどの宣教師達が本国に送った報告書には、日本などを征服する案が書かれてあった|あるそうで、徳川幕府にも、もし彼らに布教を許すと、何をされるか分かったものではないという危機意識があったのでしょう。
スペイン人兵士のピサロがインカ帝国を滅ぼした時、アタワルパ王にキリスト教への改宗を強要したことや、金銀財宝を取り上げた上に、王を平然と殺害してしまった話は、今では有名ですね。
当時、そうした事を徳川幕府が、知っていたかどうかは分かりませんが、“平和的な政権”にとって武力を備えた宗教団体は、大変危険な存在になるわけですから、事前に(積極的に)排除していったのは大変意味ある政策だったと思います。
そんな風に歴史を知ると、今起きていることや、これが将来どうなって行くか?について、自分なりの推察が出来るような気がしますね。
(尤も、私の今の興味は、日本やシナの古代史の方にあるんですが)

黒船の世紀 [0314]
『黒船の世紀 猪瀬 直樹著 小学館 1993年6月 1刷 \2,000税込み』 (購入\105税込み)
先ず何よりも、巻末の「参考文献」と「人名索引」に驚嘆しました!...丸で、学術書?いや、それ以上かも!
ところが、通常の学術書のように、無味乾燥な事実・史実の羅列ではなくて、著者がスポットライトを当て、その人物を追えば、自然に本人の考えや周りの状況、更にはその時代の世界の情況が浮かび上がって来ます。だから、じっくり読み進めると、それぞれに興味深い。
そう簡単に結論を出す|出せるものでもないけれど、無理に纏めると、『結局、「戦争」とは、結果は大変悲惨だけれども、ある面“男のロマン”だとも言えて、女性なら嫌悪し発想もしないだろう“交渉?喧嘩?の手段”だった』と読めました。(著者は、“わしゃ、そんなことは言ってない!”って仰るかな?)
では、未来の戦争は?と考えてみると、“女性が主導権を握ってするような戦争”になりそうな予感がしますね。(具体的には良く分かりませぬが、少なくとも“雄々しく闘うこと”は少なくなる!?)
だから、シナ|中国や北朝鮮の「従来型硬派の軍備拡張」は、もう“時代遅れ”ではないかと思ったり...ただ、他方で、彼・彼女らが注力している「情報盗取・攪乱戦、宣伝戦」などは、その「未来型」かもしれませんね。

始皇帝 [0312]
中華帝国の開祖 始皇帝 安能 務著 文藝春秋 1995年9月 1刷 \1,900税込み』 (購入\105税込み)
やはり、昔の歴史や人物に関しては、違う筆者の著作で、違った観点を、読んで確認すべきだと(今回も)思いました。
『秦の始皇帝』について、私の認識では、「焚書坑儒」や「兵馬俑」や「暴君」などのイメージしか無かったのですが、実は“身を賭して統一社会”を創り上げた偉君らしいという事を知りました。
専制君主と言えども、周りの人間の多くは違う意見や欲望を持っているから、全てを専制することは出来ないし、無理矢理言う事を聞かせようとすると、当然ながら強い反発を受けるし、恨まれるのは必定でしょうね。そうした抵抗勢力側の人間から見れば、「始皇帝」は悪逆非道な人物として映ったようです。逆に、一般庶民の側から見れば、結構良い帝王だったかも。
(この著者は、割合正しく好意的に描いて居られます)
でも、中間の官僚達の腐敗・搾取が酷かったそうだから、一般庶民にとって“差し引き”では、どうだったのでしょう?
尚、この本は、臣下との日常会話風のやり取りもあって、読み易かったので、気に入りました。
通常の史実の羅列だけの歴史書は、あまり面白くないのですが、これは違った!
「始皇帝」に関しては、別の著者の小説を見掛けたので、それも読んでみたくなりました。

孟嘗君 [0309]
『孟嘗君(1,2,3,4,5) 宮城谷 昌光著 講談社文庫 2004年2月,,,,2002年1月 13,,,,10刷 各\571+税』 (購入各\105税込み)
古代シナ|中国の戦国時代の名宰相−孟嘗君・田文の半生を描いたもので、(その生い立ちは小説のように?!数奇で、またこの人物は、『史記』の著者-司馬遷からは良くは描かれなかったそうですが、)大変に面白く痛快でした!
これまで、幾つか古代シナ|中国の英傑達の話を読んで来ましたが、いずれも背が高く大柄な風貌の人物が多かったのですが、この孟嘗君は、(珍しく)背が低かったそうですね。
それを誹(そし)られた時に、その村人全員を殺したそうですが、そんなことからも司馬遷に嫌われたのではないか?と想像しました。(殺したのが史実かどうかは不明らしいが)
この本では、孟嘗君を育てた養父-風洪(後の白圭)の優れた人物振りが描かれていて、先にその人物の方に惹かれてしまいますが、これで感じたのは、やはり、『人は氏より育ち』だろうな!ということ。これは、現代社会でも同じだろうと思いますね。
優れた子供達を育てようとすれば、先ず「家庭環境」でしょうが、それが今は不十分になって来ているので、私は、やはり「公的な機関(保育園や幼稚園など)」で、“新しい見識や技術を持った保育士達”に育てさせる方が効果的ではないかと思うようになりました。

旅券は俳句 [0307]
『旅券は俳句 江國 滋著 新潮社 1990年6月 1刷 \1,100税込み』 (購入\105税込み)
この著者は、俳句だけでなくスケッチもお出来になり、この本の表紙や中の挿絵なども、それらをお使いになっているようで、かなり羨ましい。
(私も、学生の頃には、水彩画なども好きで描いていたのですが、セッカチが禍(わざわい)して、じっくり腰を落ち着けて描く習慣が身に付かず、結局一芸にもなりませんでした。苦笑)
スケッチでは、描くのに時間が必要なことですが、この著者のように、短時間でサッサと仕上げられるようになれば、また違ってくるかも。
写真と違い、スケッチは、自分の望むような線や色だけを拾い出せて、不要な事物は省略してしまえるのがいいですね!(俳句と似ているかな)
ところで、俳句の方も、既に世界に広がっているようですが...外国人が作ると、気持ちは分かるけど、やはり“似て非なるもの”になりますね...ま、それはそれでいいのでしょう。
でも、私は日本語で作る五-七-五(-七-七)のリズムが好きなのですが、それを外して作った外国語の俳句や短歌は、やはり“似非(えせ)”で、“別扱い”にした方が良いように思いますが。(まぁ、“来るものは拒まず”なのですが...)

運のつき [0304]
『運のつき 養老 猛司著 マガジンハウス 2004年5月 5刷 \1,000+税』 (購入\105税込み)
以前に、この著者の「バカの壁」は読んだものの、もうひとつ、ピンと来るものが無く、納得もしていなかったのですが、これも第6章に読み進むまで自分の頭では整理が付きませんでした。
「第6章 学問とは方法である」に来て、やっと、この著者の“視方/観方”が分かるような気がしました。(つまり、波長が合った!ってこと)
確かに、“何のために学ぶか?”というと、その知識や技術を、(時にはプロセスも)“利用するため!”であって、“学ぶ”こと自体が「目的」ではないのです。
謂わば、それは、自分の人生を作って行くための「方法」なんだってこと。
それが分かったら、「第9章 努力・辛抱・根性」で仰りたいことが良く分かりました。
学校、大学で“学んだから、それでオワリ!”ではないってこと!...何時までも、死ぬまでも考え続け、学び続けること自体が人生であって、むしろそれを愉しまなくっちゃ!と読めました。
(しかし、この著者の文章は、読み易いけど、私には意味が取り難い。“だからぁ、何を仰りたいんですかぁ?”と幾度も問い直さないといけませんでした。この本がベストセラーでなかったら、早々に放り出したかった。笑)

既成権力者の [0301]
『日本既成権力者の崩壊 日下 公人著 李白社 2012年2月 1刷 \1,500+税』 (購入\200税込み)
この本はまだ新しく、2012年2月の発行で、最近の話題に触れてあり、種々の「指摘・提言」が盛り込まれています。
その中で、原発関係で、特に記憶に残しておきたいと思ったこと、二、三点。

『人口流出が続く被災地を迷惑施設で活性化』=被災地とは、先般の東北大震災+原発事故で被害を被った地域を指していますが、これには北海道の無人地域なども含めて考え、そこに迷惑施設(産廃処理場、ゴミ焼却場、精神病院、刑務所、軍基地、ロケット打上基地、原子力発電所など)を誘致して有効活用することを提案されています。
その際に有用なのが「25キロ四角の無人地域」(因みに、米国では30哩が定番だとか)で、適当に命名して指定をすれば、売買や利用がし易いのでは、という話。
(そんな事こそ、国主導でどんどんやればいいのに!と思うが。ま、知恵が無い分、震災復興にお金=私達の血税を、ドバドバ使おうとしていますね。“鈍すれば貧する?”)

『原発技術が進歩しているのに聞く耳を持たない反原発派』=“反原発”だとか“脱原発”だとかを云うのは、もう一種の“信仰”であって、科学や経済性を考えず、私達の生活を少しでも豊かにする皆の知恵を捨てようというわけだ!と、厳しく、やんわり批判・非難されています。
(今、世界各国で静かに開発が続けられている新しいタイプの原発、例えば「トリウム溶融塩炉」などがあるそうですが、それらが注目を集め始めると、途端に“なぜ、日本は開発が遅れたのだ!”とか叫び出しますからね。要は、“xx反対運動”って、物事を広い範囲・時間で考えない、その場限りの“単純反応”が多いのでは?)

『人類は放射線欠乏症に陥っているという考え方もある』=放射能被曝(汚染?)を過剰に恐れるのは、それ自体が逆に危うい!のだそうで、福島原発事故で放射能被曝による死人は一人も出なかったし、過去の「長崎の被爆地」で生き延びた人達(100ミリシーベルト以下の被爆者)が白血病になった割合や発癌率は他の地域とまったく変わらないという調査結果が出ているのに、なぜそれがきちんと採り上げられず、危険ばかりが強調されるのかな?って。(民主党政府やマスコミ連は「危険」を煽った方が、人気も上がるし儲けにもなるので、“煽るのは止められない”!?)
この本では、「人間は、ある程度の放射能被曝を受けた方が、健康には良い」という学説などや、チェルノブイリ原発事故の後、ずっと地道に被爆者支援や調査を継続されている「日本財団」(笹川良一創設)のことも紹介されています。
(こうした学説や支援も、真実・事実ではあっても、一般常識になるまでには、まだまだ時間が掛かる?いや、皆が学ぼうとしないから、永久に常識にはならないかな?悲)

尚、上記の「100mシーベルト」に関して、武田邦彦先生は、異見を持って居られるようですが、私は、「1mシーベルト」以下に抑えるのは、国の(税金による)対策効率が悪くて無駄な気がします。それに、“被害者側に立った親切心”も程々にすべきだと思うからです。

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