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物事集 二〇一八年七月版



『ひとたびはポプラに臥す』  「七月二十七日」

『ひとたびはポプラに臥す(1) 宮本 輝著 講談社文庫 2002年3月 1刷 ¥629+税』 (購入¥288送料込み)

これらの本群は、始めに「BOOK-OFF」で第2巻を見付けて、面白そうだなと、ネットで探して第1巻を買い、その後、第3巻から第6巻までを「BOOK-OFF」で見付け纏め買いした経緯がある。今ようよう第4巻を読み終えたところだが、前半部の“中国域”が終わったところなので、まとめておきたい。

今年の夏は、猛暑日が続くので、日本列島は大変だが、中国の西域・奥地・辺境(?)は、(旅行者にとっては)年から年中大変なようだ。
日本人旅行者が現地の水を飲むと必ず下痢をするそうだし、便所に駆け込みたくても、そこを見ただけで、慌てて引き返して来るという。
この本の出版時期から、もう16年以上も経っているが、今でも、それ程変わってはいないのではないか?
まぁ、そんな話が主だった前半だったが、実は、著者が、「鳩摩羅什(くまらじゅう)/クマーラジーヴァ」という“仏経典を漢語訳し、仏教の普及に貢献した(最初の?)僧”の足跡を探す旅紀行という話だ。
でも、実情は、“仏教、求道”といったような抽象的・高踏な話ではなく、至って中華的、下世話で生臭い話ばかり。
まぁ、反って、それが面白かったりして。

...このクソ暑い/熱い日本の夏の夕べに、扇風機に当たりながら読む読み物としては、大変結構なものではないか!と思いながら、次の第5巻へ!



『青い光に魅せられて』  「七月十九日」

『青い光に魅せられて 赤ア 勇著 日本経済新聞出版社 2013年3月 1刷 ¥1,700+税』 (購入¥200税込み)

この著者は、先般(2014年)「ノーベル物理学賞」を受賞されたが、この本はそれ以前の研究活動・内容が著されているので、ノーベル賞の話は一切無し。
しかし、共同受賞した天野 浩氏の話は、よく出て来る。
何でも、皆との共同作業であることをちゃんと紹介していて、全部自分だけがやったような話は、所々にしか出て来ないってことだ。
著者の赤ア氏は、先輩から強引に引っ張られて移籍することも幾度かあったそうだが、やはりその才能や気質を見込まれてのことだろうと思う。

で、ご本人は、指導に当たった学生・研究生達が出した“好い成果”を囲い込むことなく、先に論文発表を優先させるなどしたため、後で「特許申請」をしても、既発表済みとして拒絶通知を受けたものが多かったそうな。
(他方、同じ受賞者の中村 修二氏の方は、仕事に関しては“我が!我が!”で押し通していたようだし、社内若手達のアイデアや尽力は、すべて、自分の成果・業績にして、論文や特許を出し捲くっていたそうな。それに、会社を相手取って訴訟を起こして、結局「発光ダイオード」の売り上げ・利益(?)を数億円、横取りしたと聞いた。彼がやったのは、赤ア氏達がアイデアを持ち、まずトライした材料とは異なるだけの、別の材料を使ったことだし、それを商品化にまで持って行ったのが早かったことぐらいではないか?そんな行為・行動が果たして、「ノーベル物理学賞」に値するのかねぇ?と思う)

この著者(赤ア氏)の真骨頂は、皆が一度は興味を持ち、そして諦めて捨て去った、高バンド・ギャップ材料で、半導体化処理が大変難しいGaN(窒化ガリウム)を、執念深く追い続けたことだ。
必ず綺麗な結晶は作れる/出来る!そして、それを半導体化(P型とN型の両方が)出来るはずだ!という信念を持って、何処までも追求し続けた点は、凄い!と思う。

他方、読んでいて、他人事ながら腹が立ったのは、著者達がp型GaNを開発した数年後に、外国の雑誌に「赤アたちのp型GaNの発見はセレンディピティ(もともと探していなかった何かを発見すること:偶然の好産物)だ」と紹介されたという話。
...その記事を書いた人物は、赤ア氏達の狙いや努力・苦労を、一応は調べたのだろうけど、よくもそんなふざけたことが書けたもんだと、腹が立った。
多分、そう書いた人物(研究者?)は、自分達が棄てて来たGaNなんて材料に、そんな“旨み”があったなんて、到底信じられなかったからか?
ふん!...そんなはずは無い!きっと、彼等は、単に運が良かっただけなんだろう”という一種の侮り・驕りの気持ちが、そう書かせたに違いない。

そんな話は別として、サファイヤ基板の上に、純度の高いGaNの単結晶を成長させる為に、「(制御された厚さの)薄いバッファ層を挟む」ってアイデアは、“コロンブスの卵”的な発想だろうけど、感心させられた。
とんでもない飛躍だろうけど、これで湯川博士の“中間子理論”を思い出した。
“何か、いい仲介役が存在すれば、話は上手く行く”って事かも。(笑)



OpenCVとUSBカメラ看視系  「七月一五日」

先日から、やっと、(念願だった)6〜8台のUSBカメラの(室内・屋外風景の)映像を、1台のPC画面上に、同時/並走表示させることが出来るようになった♪
カメラ群のシーケンシャル走査/スキャンによる(素朴な)“時分割並走方式”だ。
(動画1<クリック>は、「LogicoolWebcam C210」8台での室内風景の例)
(完成とはいえ、まだ課題も残っているので、更に続くが...)

この取り組みの発端は、手持ちのUSBカメラが屋外用にならないか?という疑問からだったが、何時の間にか、同時並走するカメラ映像の数を増やすことに執念を燃やし出した。
ところが、その為の“複数映像を、一画面上に同時に映し出す(無料の)プログラム/ソフト”が、世の中に無い!?
止む無く、(無謀にも)自分で作ってみることにしたわけ。

結局、(無料の)「Visual C++ 2008 Express」をベースに、USB/Webカメラの映像の取扱・処理が出来る「OpenCV 2.0」を使った。
ただ、OpenCVの参考書は、(今回は、珍しく)1冊も買わず。(図1)
高過ぎて手を出し難くかったこともあるが、殆どが、主に、高度な画像処理・映像処理関係の方だし、また、出来ないこと(実は、私が欲しいことなんだが)については、書かれていないようだから。(苦笑)

ネット上の参考情報も玉石混交で、自分で(試行錯誤しながら)合わせ込んだり、改造しないと使えない例が多かった。
だけど、今振り返ると、これらソフト・ツールの組み合わせが、今回の狙いには、適当だったようだ。
(まぁ、出来ることは出来るし、出来ないことは出来ないもんな!

結局、“多数台並走のミソ”は、カメラ群の選び方だった!
USB/Webカメラの同時並走表示は、通常では、2台までが限度のようだが、以下の点に注意すれば、6台、あるいは8台も可能だった。
 +カメラの特性や機能(伝送方式、画素数など)が揃っていること
 +転送モードは、デフォルトで「RGB24」(非圧縮)タイプが良かった
 +カメラの横画素の総数は、表示PC画面の横画素数に近いか、あるいはそれ以下が望ましい
  (例えば、PCのXGA画面(1024x768)上では、VGA(640x480)のカメラは2台まで。台数が多い場合の為に、カメラ側で、320x240や176x144、あるいは160x120にまで落とせること)
 +USB延長ケーブル(USB2.0用)は、極力、短く切り詰める
 +USB-HUBは、セルフ・パワータイプでも良いが、何となく性能差があるような気がするので、相性の良さそうなのを選ぶ
要は、カメラの映像信号を、そのまま(圧縮、変換再生無しに)PC画面上に流し込むことが出来れば、最良ではないかと思う。

これ以外のカメラ選択時の留意事項として、
 +望遠レンズを付けて遠くを見るには、画素数の少ないカメラの方が、周辺ケラレが少なくて有利
 +近くを“視野広く”見るには、画素数の多いカメラの方が有利
  (ただし、映像信号を(YUY2などで)間引きして送ってくるため、「RGB24」との相性が問題になるが)
転送モードや画素数は、デフォルト値が重要で、後で変更設定をしても、ちゃんと変更出来ていないカメラも多いので、カメラの選択が難しい。

・・・結局は、試行錯誤だらけだったが、まぁ、少しずつ前進して来たので、やっていて面白かった♪



『遺伝子組換え作物』  「七月一日」

『遺伝子組換え作物 大塚 善樹著 明石書店 2001年10月 1刷 ¥2,000+税』 (購入¥200税込み)

この本は、まだまだ安全性などの検証が足りない状態なのに、消費者が選択の余地が無い状態のまま、“遺伝子組換え作物”が深く静かに広がろうとしている現状に、警鐘を鳴らす意図で書いたと言う。
その時点から、今は、既に17年が経過しているが、現状はどうなっているのか、私達一般人の耳には、殆ど聞こえて来ない。
ただ、僅かに、食品の包装に、「非遺伝子組換え」と書かれてあるのを目にするだけだが。

この本で指摘されている、例えばビールなどに使われている遺伝子組み換え品の“コーンスターチ”などについては、既に現在では“解禁”(?)だそうで、もう、なし崩し的な拡散・浸透の状態にあるようだ。(Google検索例

私見では、“遺伝子組み換え作物”は、どうせ、自分の身体にとっては“一種の異物”だし、それは“薬(品)”も同じだろう!
まぁ、“食品”となると摂取量が格段に多くなるから、影響も相当大きいかもしれない。
とはいえ、その影響・効果は、長期間観察していないと分からないほど/短期では感知出来ないほどゆっくりした変化ではないか?!
そして、その具体的効果は、多分“(欧米型)肥満体の増加”だろうと思う。(苦笑)

実は、そうした“人体への悪影響”は、「食品」そのものよりも、その「味付け」≒“既存メディア”などによる視覚的説得力の方がずっと大きい。
例えば、昨今、“肥満体芸人”をよく見掛けるようになったが、あれなどは、“もう、美味しいものは食べ放題だし、別にスリムでなくても、ぽっちゃり系でも人気は取れるし...”という人たちへの応援歌みたいなものだ。あんなので、(日本人の)皆がブクブク太るってわけ。

各人の生活面での“惰性的な飽食”と“緊張感の欠如”が肥満体を作るわけだから、“xxx作物”だけが悪者でもないってことだ!
だた、こうした“遺伝子組み換え”が、単純な商業主義・利益優先主義から発しているようだから、(私は)気に食わない!
(単なる言い訳だろうけど、)もし、世界の食糧危機に対処・寄与させる気があるなら、「“遺伝子組み換え”に、特許は無し!」にすべきだと思う。


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