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物事集 二〇一八年八月版



『50cc 世界一周2万5千キロ』  「八月二十八日」

『50cc 世界一周2万5千キロ 賀曾利 隆著 日本交通公社 1998年5月 3刷 ¥1,456+税』 (¥200税込み)

これまでに、“自転車での旅行記”や“列車などでの旅行記”などは幾冊か読んで来たが、それらには、何処となく“初々しさ”や“ワクワク感”などがあって、なかなか愉しかった。

でも、この本には、それが無い。
(世界旅行の)ベテランだ!って調子なので、読む側もあまり不安感は湧いてこないし、(後付けの?)解説もまとも過ぎるのが、その理由なのかも。
それに、“なぜ、50ccで?”という疑問にも、答えが見出せなかった。

まぁ、日本の一角で“日常”を過ごしている私達にとって、“世界各地の日常”は、“一種の非日常”ではあるが、それらをバイクで拾って廻るだけでは、何だか勿体無いような、下らないような。
それに、50ccバイクだから...というのが、何かあるのだろうと期待していたのだが、最後まで、2サイクルや小排気量のマイナスの話だけ。(欲を言えば、旅費を目標のこれだけに抑えられた!...とか?苦笑)
とか言いつつ、物足りなさはあったが、最後まで読んでしまった。...で、この本にはそれなりの良さはあったのだろう。



『空海秘伝』  「八月十八日」

『空海秘伝 寺林 峻著 学陽書房 2000年11月 1刷 ¥700+税』 (¥200税込み)

私は、宗教としての仏教は、“邪道”ではないかと思っている。

元々、「釈迦」が啓いた“悟り”は、あくまで“個人の認識”であって、各個人が「釈迦」と同じように、難行苦行を経て、自らが取得すべきこと、“認識=悟り”であって、簡単に共有や伝授が出来るものではないはず。
だから、「密教」こそが、(本来の)釈迦が教えたかったことだろうと思う。
謂わば、“(論理性などは敢えて考えない)一種の哲学”ではないかと。
それは、私が思う、“人生、常にポジティブで、アクティブに生きるべきである”という考え方と、よくマッチする。

この本では、『空海師』の苦行三昧の若年時代が詳しく描かれていて、なぜ、渡唐して早々に、灌頂を受け伝法の資格を与えられたかが、納得出来る。
そして、『空海師』が唱えた、「“即身成仏”は、仏とはわが身自身で成る(べき)姿であり、極楽はこの世に現出させるもの」という考え方は、大変良く分かる教え・話だ。

仏教としての密教が受け入れられたのは、カリスマ性を持つ師の存在が大きいと思う。
“仏教の教え”そのものよりも、むしろ『空海師』持つ“人物・人柄の魅力”が大きかったから、(日本で)「密教」が受け入れられたのだろう。
だから、『空海師』が居なければ、「密教」も無く、高野山も無かったはず。
教化手段として「易行道」というのを案出したそうだが、これは、私には、“庶民向けの便法”のようにしか思えない。(ちょっと、言い過ぎかな?)
まぁ、(無努力な)庶民を救うにはその方法しかないのかもしれないが、本当にそれで救ったことになるのかな?と疑問も残る。
でも、特性に幅のある人間共を救う為に、そうした方法を工夫された、授ける側の『空海師』は、確かに偉いと思う。



『息を吐くように嘘を』  「八月十二日」

『中国と韓国は息を吐くように嘘をつく 高山 正之著 徳間書店 2017年5月 1刷 ¥1,300+税』 (¥200税込み)

この本は、痛快だ!面白い!歯切れがよくて、しかも、奥深くまで、その事件や事象を掘り起こしてある。
私達が表面的にしか知らない、あるいは見ていないことでも、その奥行きや底辺での広がり具合を、見せてくれている。
しかし、話の素材になっている、こんな隣人達が居るのが、悩ましい。。。
こんな連中を、何時までも、傍に置いておかねばならないって?
尤も、性質(たち)が良くないのは、何も中国(シナ)や韓国だけでなくて、米国や欧州だってそうらしいからなぁ。
個々の人達、個人的には、然程性悪(しょうわる)ではなくても、国としてその特性が現れて来ると、“残酷・残忍な政策”や“裏工作・暗躍”となるようだ。

今、日本にとって危険なのは、中国(シナ)やロシアも然ることながら、(奴隷制度のあった時代・よき白人達の時代へ)“先祖がえり”をしているらしい米国もだろう。

安倍首相が、巧く立ち回ってくれている間は、日本国への害は少ないかもしれないが、日本国内の政情が、(そんな世界状況も知らない・考えないオバカな)野党連中やカス新聞紙の大騒ぎで揺らいでいては、それも危うい。
ヘタをすると、日本全体が危うくなるかもしれないから、私達もしっかり注視しておかねば!

近々、自民党の総裁選があるそうだが、世界情勢を知り、それへの果敢な対処が出来るリーダーでなければ、日本国を任せられないから、自民党員達は、心すべし!今の日本国には、何が大事で、何が必要かを良く考えなさいよ!と言いたい。
やれ、“順番待ちだから”とか、“続投は害がある”とかいう野次に、惑わされないようにしなさい!
この本を読んでいると、(国民全体を考えない屑みたいな)今の野党連中や、(真剣チャンバラにも似た)外交交渉を知らない政治屋は、もう日本国の国会議員(達)にはなって欲しくない!と、強く思う

特に、昨今、“平等主義”を標榜しながら反日的な活動や言動をする人間共(特に、中国・シナ系、朝鮮・韓国系)は、私達日本国民全体の利益を損なうばかりだから、“公的な場”からは離れさせるべきだ。特に、私達日本人の安全を守る為の“日本国憲法の改正”に反対する連中は、だ!
何を勘違いしているのか、そうした(私達日本人の首を真綿で絞めている)“反日連中”にでも、拍手を贈る、馬鹿げた/愚かな日本人達も居るようだが、“もう少し、事実を知れ!”と怒鳴りたい。



『ポプラに臥す(5、6)』  「八月六日」

『ひとたびはポプラに臥す(5、6) 宮本 輝著 講談社 1999年6月/2000年4月 1/1刷 各¥1,400+税』 (各¥200税込み)

やっと、この「長編紀行エッセイ」の完結編まで読み終えた。
この著者達の、鳩摩羅什(くまらじゅう)の足跡を探す、一見ドタバタ旅行、いや、真面目な艱難辛苦の旅(?)も、やっと終わったらしい。(笑)
中国・西域編では、食べ物の話とお腹を壊す話が多かったのは、やはり、噂の“食の中国”らしいな!と思った。
頻繁に注文される“大盆鶏(ターパンツィー)”が、実は中国人ガイド王付明(愛称:フーミンチャン)の好みによるのではないかと疑ったが、その疑惑は晴れぬままで終わったらしいが。

6巻目まで読んで来て、ふと、“西域の写真(群)”に味があるものが多くなったことに気が付いた。
これは、被写体の選び方にも関係するのだろうが、更に、本の“紙質”に拠るところが大きいのではないか?!
良く使われる光沢の有る写真(群)よりも、こちらの方が“荒涼さ”、あるいは“地味さ”や“詩情”を現すのに適しているような気がする。“印刷技術面での難しさ”はどうなんだろう?
その絵画性の故か、写真の中の少女達の風情が、何となくフェルメールの絵「青いターバンの少女」を思い出させてくれた。(例えば、図2<クリック>

ちょっと残念だったのは、文中で、ふと、ここに写真が添えられていればなぁ...と思ったことが幾度かあった。
まぁ、それは読む側の、勝手な望みであって、筆者や撮影担当者には、無駄・無理な注文でしかないだろうし、もしそれをやる/やり過ぎると別の作品になってしまうのだろうな。



『半島を出でよ』  「八月二日」

『半島を出でよ(上、下) 村上 龍著 幻冬舎 2005年5月 4/3刷 ¥1,800+税/¥1,900+税』 (2冊購入¥216税込み)

実は、この本は、買って来たばかりで、未だ読んでいない。
なのに、此処に挙げたのは、今回の“出会い”が思い掛けなかったからだ。
この本のタイトルは、以前から、あちこちの「BOOK-OFF」店で、幾度と無く見掛けていたのだが、“...どうせ朝鮮半島の若者の話だろう。面白く無さそう...”と手に取らずに、見過ごしていた。

今回、偶々寄った「BOOK-OFF」店のワゴンセールの中に、この2冊が鎮座していた。
2冊が並んでいたのと、比較的綺麗だったのと、両方ともきちんと「帯」が掛かっていたので、ふと手に取って、「帯」を読んでみた。
そこに、“北朝鮮の「反乱軍」”という文字が見えたのだ。
最近の“雪解けムード”を演出している北朝鮮の実態とは、様子が違うので、これは面白そうだ、興味深いと感じた。
それで、読んでみようと決めた。

今の日本は、立場上米国側に付いていなければ、中国やロシアに対抗出来ない弱小国なのだが、北朝鮮は、周りから非難されながらも、アジア人としての“独自性を維持しよう”と力んでいる姿は、決して馬鹿にしたものでもないと思う。
むしろ、米国の“腰巾着”にしかなれていない私達日本(人)の方こそ、自分達の今の立場や今後のあり方などを、しっかり考えてみなければならないような気がしている。


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