導育甘言集 2015.04   表紙頁]へ   我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ

アブダラと空飛ぶ絨毯 [0430]
『アブダラと空飛ぶ絨毯 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ著 西村 醇子訳 徳間書店 2004年12月 34刷 \1,600+税』 (購入\108税込み)
表紙の絵が面白く、また「ハウルの動く城2」という副表題にも興味が湧いて、買って来て読んでみたのだが、久し振りに、(年甲斐も無く?)ワクワクしながら、途中の中断もそこそこに、最後まで読み切った。
以前、ハウルの動く城」を読んだ時も、そんな感じだったが。
何処がそんなに面白いのかと問われても、ちゃんとは答えられないが、多分、私の感性が、この著者や訳者達の感性と共振したのではないかと思っている。(^^;?

中身は、アラビアン・ナイト風仕立てのおとぎ話で、魔法や魔王なども出て来るのだが、根っからの悪党は出て来ないのが一番かな?(笑)
前編の「ハウルの動く城」の登場人物、ハウルカルシファーサリマン、それにソフィーらも出て来るのだが、違った形だし、“へぇ!...”と思ってしまった。
子供達にも読ませたいが、年齢的にどの辺りが適当なのか良く分からない。...でも、まだ、色々な世界や社会や人の生活の営みが分かっていない孫達には、無理だろうな。

バカが国家を  [0424]
『バカが国家をやっている 勝谷 誠彦著 扶桑社 2008年10月 1刷 \1,400+税』 (購入\108税込み)
この著者は、“エンタメ向き”なのかな?
この本は、世の中の出来事の内120項目についての“ぼやき”を並べたもので、面白いものもあれば、なんだがなぁ...といったのもあって、全体は、しっちゃかめっちゃか!
この人は、一体私達の日本国をどうしたいのか?日本人がどうあればよいのか?といった“方向性”が良く分からない。
ただ、目に付いた事柄に噛み付いていればいいだけ!って感じ。
気になったのは、日本政府が私達全員が選挙で選んだ「日本国の仕事人」だとは思って居なくて、只、闇雲にけちを付けているのが目立つ。
まぁ、それが世の中では、“向こう受けする ”のかも知れないが、広分野的で、長期的で、かつ具体的な提言もないし、第一、“政治は、政治家達が勝手にやっているもんだ”という考え方のようだが...そんなのは、あまり歓迎出来ない!
こんな人(達)がマスコミ経由で騒ぎ立てるもんだから、私達は、何時まで経っても、“(平凡で無能な)三流政治家”連中しか選べないのだと思う。
私は、自分の貴重な「只の一票(国政は二票!)」は、生かして使えば、もう少し“能力のある(二流?)政治家”が選べるのではないかと思っている。
(この本では貶されている安倍首相だが、私は一流半だと思う。外国の首脳達の間に立っても、“しなびた胡瓜”みたいにはなっていないもんな♪)
やはりこの著者は、“エンタメ向き”のようだ!

深夜の赤信号は [0424]
『深夜の信号は渡ってもいいか? いま使える哲学スキル 富増 章成著 さくら舎 2012年3月 1刷 \1,400+税』 (購入\200税込み)
まず、この著者名(?筆名)にユーモアを感じた。“発音”だと、「トマス・アキナス」という中世のスコラ哲学者の名前と同じだから。
内容については、古代からの哲学者、思想家達の考え方の紹介が主だから、その中で、自分がどの考え方に賛同して、どのように自分で使用・運用(!)するかの参考資料に出来そうだ。
最近人気のあるマイケル・サンデル教授の話も取り上げられていて、割合、現代風にアレンジされているので、若い人達も読み易いのではないか。
まぁ、こんな七面倒臭い本を読むより、気侭にスマホを弄くって遊んでいる方が、気楽でいい...かもしれない。...人の行いは、常に易きに流れるからなぁ。(苦笑)

この本を読んでいて「哲学の本質」は、結局、“イチかゼロかの結論を求める学問”ではないかと思った。
そこでは、「中庸=中間状態=中腰」は、何と無く嫌われるようだ。
で、「神」のような絶対者が必要だったり、「吾」だけしか存在しなかったりするわけだし、弁証法のように「正」と「反」が出会って新たな「合」(アウフヘーベン)にしないと話が続かなくなる。中腰で留めておくってなことはやらないわけだ。

私は、“深夜の信号”は、性別や素早さ次第、体力次第、状況次第の問題であって、自分が若く、あるいは敏捷で、元気のある時や交通量が少なければ、“(疑問無しに)渡ってもいい!”と思っている。だが、(か弱い)女子供、老人には薦められないし、増してや、女子供が保護者無しに深夜にウロツクなんぞ、持っての外だ!という話だ。(笑)

近つ飛鳥博物館(入館) [0421]
大阪府下への遠距離ドライブの途中、時々、この河南市近くを通るので「近つ飛鳥博物館」の存在は知っていたのだが、先日、初めて入館してみた。(\300税無し?)
ここで見た古代の甲冑の中で、その巨大さに驚いたのが2体あった!(図1)

その一つは、胸幅や高さから考えると、その身長が2m近くあるのではないかと思うような大きさなのだ。(図2<クリック>
果たして、どんな人物が着けていたのだろう?
...だが、説明は無い。もし、有ったとしても、恐らくそれは小説の世界だろうけど。

やはり、指導者クラスの人物だろうな。
先頭に立って、集団を引っ張って行かねばならないから、体格の大きさは指導者として重要な要件だったに違いない。
後の世代になると、精神力の強さも重要になって来るだろうと思うが。

これらを見ながら、こうした古代遺物に、面白い物語でも付けてPRすれば、人気が出るだろうと思いつつ....大阪府の教育委員会の監修だと無理だろうなと首を振る。

ここは、交通の便があまり良くないようで、車でしか来られないのではないかと思う。
しかし、博物館の中は圧巻だ!
思い切り広く空間を取ってあるが、古代遺跡から出土した沢山の展示物で埋められている。(図4<クリック>
この建物は、(彼の有名な)安藤忠雄氏の設計だそうで、なるほど!こんな建築物を作られるのかと感心した。(図3)
だが、私達が入館した日は閑散としていて、貸切に近く、大変勿体無い感じ!
監視員(?説明員)も手持ち無沙汰で、じっと座って待機しているだけだった。
(上記の甲冑について尋ねてみたが、“分からない...”とのことで、やはり監視だけか。苦笑)

この博物館は、大阪府の担当だろうが、近隣地域(市や府・県)が協力し合って(いずれは大阪都?)が、もっとソフト面の充実・展開に注力して、子供達の古代史教育に役立ててはどうか?
箱物を作っただけで終わり!にしてしまうのではなくて、もっとソフト的に新しさを注ぎ足しながら、活用を図ってはどうだろうか?と思った。
(実は、フナッシーがあれほどの人気を得たのは、作られた表面的な“ゆるきゃら”そのものよりも、中身のダイナミックさに皆が驚いたせいだろうと思う。あれも“一種のソフト志向”と言えるだろう)

天武天皇 隠された正体 [0418]
『天武天皇 隠された正体 関 裕二著 KKベストセラーズ 2002年11月 3刷 \562+税』 (購入\108税込み)
この著者に依ると、(前著では)聖徳太子蘇我入鹿”であり、(この著では)天武天皇は、聖徳太子蘇我入鹿の子”で、(九州王朝に対立した)“出雲王朝の流れを汲む大王”だそうだ。
種々の資料の丁寧な検証から、そう導き出されたことは分かるのだが、過去の文書群を付きあわせて、最後は(ご自分で)意訳している感じだから、素人の私には、素直に理解・納得し難い部分が多い。
かといって、私にも、その仮説が間違っているなどとは言えない弱み(=無知)もあるが。
やはり、この本よりも、例えば黒岩重吾氏の小説のようにぐいぐいと引き込んで感情移入させるような文章の方が、分かり易く“説得力”があるように思う。
歴史書というのは、諸説を付き合わせながら、ほぼこれが正しい事実だろうと仮説を立て、色々な証拠で裏付けして行くのが“正当”なのだろうが、(ウソであろうが無かろうが)アピール力のある小説の内容の方が、一般には“歴史事実”として信じられ易いと思う。
だから、歴史家は、“研究者”と“小説家”との二面性を持っていた方が、良いのでは?と思った。

古雑誌 [0415]
『古雑誌 エレキジャック CQ出版社 2008年11月、2010年1月、2012年5月 ?刷 \1,470税込み、\1,470税込み、\1,890税込み』 (購入各\100税込み)
あるパーツ店の店頭で、この放出本を見掛けたので、最近の新しい“パーツ”や“機能素子”には何があるのかな?それの応用話でもあるかなと買ってみた。(古雑誌買いの前例
残念ながら、どれも現存するパーツばかりで、目新しいものは殆ど無し!...そして、記事の方もあまり面白い話題は無かった。
まぁ、「自作」が主眼のようなので、あまり珍気なものは記事として載せ難い事情があるのだろうが、無難過ぎて物足りない感じだ。
第一に、実現しようとする|実現したいものに、夢が無い?レベルが低い?からではないか?
現存するものより、もっと便利なもの|もっと性能の高いもの|今までに無かった機能を持つもの...など、狙うことは、何でもあるはずなのだが、それが見られない。
“初心者向けの工作入門の紹介記事”で、それも中途半端でマイルドな内容ばかりだと、折角の(教育的な)「技術入門誌」として毒にも薬にもならず、勿体無いと思う。
編集者達は“もっと、技術的にも目的的にも尖がって、記事を集め、それで雑誌を造るべきではないか?!”と思ったが、それは贅沢と言うものか?(苦笑)

地図帳 [0412]
世界で一番気になる 地図帳 おもしろ地理学会編 青春出版社 2006年6月 1刷 \476+税』 (購入\108税込み)
こういった“物知り本”(?)は子供の頃、よく読んだものだったが、近頃はとんとご無沙汰だったのだが、先日、偶々、BOOK-OFFで、別の本の横にあったので、これを手に取って見たら面白そうだったので買ってみた。

世間(=世界)には、自分の知らないことが一杯なのは承知の助なのだが、中にはへぇ!っと驚くような話がある。
例えば、イスラエルとヨルダン国境にある「死海」は、人間の身体が沈まないほど塩分濃度が高いことは知っていたが、この水面の海抜は、実にマイナス約400mだとは知らなかった!(><;?
そして、周りから流れ込む水はあっても、全部、湖面から空中に蒸発してしまうから、この「死海」から外へ流れ出す川は無いのだそうだ。なるほど!...当然、塩分濃度も高くなるわけだ!(昔の天日塩田と同じだな!)
その他、「オランダ」という呼び方は、日本だけかと思っていたら、イタリアやスペインでもそう呼ぶらしいのにも驚いた。
各国の呼び名は、それぞれ由来があるそうだ。
この本には書いていないが、各国の呼び名は、他国からは思い々々の理由で自国語に訳して使っているようだが、シナ・中国は、世界からはChina(=シナ)と呼ばれているのに、日本に向かっては、“「中国」と呼べ!”と命令調だったそうなのが可笑しい。
(この本には、細々と色々な情報が載せられているが、やはり、途中から飽きて来る。まぁ、覚えても仕方が無い事項ばかりなので仕方が無いか...)

書をダメにした七人 [0409]
戦後日本の 書をダメにした七人 大溪 洗耳著 日貿出版社 1988年3月 13刷 \880』 (購入\108税込み)
誰それの「」は本物で、骨董品として高値が付いたという話は、よく見聞きするのだが、一体「書」の評価基準なんて何処にあるのだろう?と興味が湧いて、この本を買って来た。
(刷数を見ると、どうやらベストセラー本だったらしい)
中身は、大変厳しくて、個人名を挙げてボロクソに評している。(笑)
ただ、“これはヘタクソ!”と評されている書を見ると、何となく(庶民感覚で)“こんなのも、ありかなぁ”とは思うが...
だが、この著者の(評価)基準は、意外としっかりしていて納得出来るし、その基準で見ると、確かに“ヘタクソ”にも見える。(苦笑)
その基準とは、(何でもアリ...ではなくて、)
+次元が高くなくてはいけない。
+専門家のみが解る巧拙を拠りどころにすべきだ。
+元の文や詩を大事にしなければだめ。
+「書」は日本独自のもので、欧米人には理解できないと知るべし。
+欧米人が解るものは、単なる欧米式絵画の方だ。
+単に、奇を衒った絵画風や造形などは、「書」ではない。
などと、「書」の純粋性・高潔性・孤高性を挙げられている。
そして、「書家」の方から大衆に迎合すべきではなく、大衆の中で解る人達だけが「書」に近付くべきだという。
確かに、私もそう思う!才能が有って、努力する人(達)だけが「書家」であるべきで、(私達大衆は)そうでない者とを意識して峻別しておくべきで、味噌も糞も一緒にしてはいけないものだと思う。

ここでの「書家」は、謂わば、日本の仏教界で、“大衆救済仏教”を広めようとした最澄師ではなくて、“自己の悟りを重視する密教”を追求した空海師に近いと思う。
また、現代風に言えば、大衆受けを狙ったMS Windowsに対する、天才的設計者が追求したApple MACのようなものかな?
この“大衆化傾向=クソ・ミソごちゃ混ぜ傾向=公私混同傾向 )”は、嘆かわしいことに、今の日本の社会でも、どんどん増殖して来ていて、もう留めようがなさそうなんだが...

ゲノムを支配するものは誰か [0406]
『ゲノムを支配するものは誰か クレイグ・ベンダーとヒトゲノム解読競争 ケヴィン・デイヴィーズ著 中村 桂子監修 中村 友子訳 日本経済新聞社 2001年7月 1刷 \2,000+税』 (購入\108税込み)
残念ながら、この本はちっとも面白くもないし、参考にもならなかった。
当初はゲノムの解読の進展の様子が分かるかな?と思ったのだが、あまりにも“微に入り細に渉る世間話”が多過ぎて、こちらの頭の整理が付かないまま、話が広がり進んで行くので、途中で科学的な対象である「ゲノム」への集中力や興味が削がれてしまった。
例えば、中のこんな記述などは、単なるゴシップに過ぎないと思うのだが、こんな文章が、延々と続く。
『五月一一日月曜日、ベンダー、ハンカピラー、ヴァームス、エネルギー省の生物環境研究局局長アリ・パトリノスが、ワシントンで異例の記者会見を開き、セレーラとその公のヒトゲノムプロジェクトに対する影響について話し合った。NIHのリーダーたちは礼儀正しく支援の態度を取り、ヴァームスはセレーラが、「物事をより早く進めている」ことを認めた。』
まぁ、中には、ゲノムそのものに対する科学的な知見や意見、異見も見られるが、全体が“味噌も糞も一緒くた状態”なので、半分くらいまで眼を通すのがやっと!...後は、嫌になって読むのを止めた。
もっと、面白くて参考になる本は、他にもあるだろうと思うので、こんなのは捨てても|返納(BOOK-OFFへ)しても惜しくは無い。

韓国民に告ぐ! [0403]
『韓国民に告ぐ! 在日韓国系中国人兄弟による痛哭の祖国批判 金 文学、金 明学共著 蜂須賀 光彦訳 祥伝社 平成11年12月 1刷 \1,300+税』 (購入\200税込み)
この本を読まずとも、日々のニュースなどから韓国民の品性については、ある程度分かるのだが、この本で更にその詳細がよく分かった。
こうした種類の人間は、何処の国にも多少は居るだろうと思うが、それが比率的に多ければ、“その民族・人種の特徴=国民性”として定義出来るだろうな。
現在、北朝鮮は(米国から)“ならずもの国家”と定義付けされているが、韓国も殆ど同じではないか!と思う。
韓国国内の瑕疵・手抜きだらけの事故や事件、国外での顰蹙を買うアンフェアな態度や姿勢、執拗な日本への反省要求などを見ると、私達一般日本人だけでなく、世界中の人達がそう見ているのでは?(一部の、金や票で動かされる欧米人は別だが)
一応は、民主主義・自由主義陣営に属している(らしい?)から、誰もあからさまに指摘しないし、米国も腫れ物に触る調子だ。

この本に依ると、『北朝鮮からの脱北者・亡命者は、韓国に失望して、亡命を後悔する人が多い』という。
『彼らの韓国に対する印象は、「この社会は基本的に温かくはない」ということ』だそうだ。
その“低温度な品性”は、どうも唐辛子食品(韓国産キムチ など) に起因するのではないかと...私の想像だが。
あれは刺激が強いだけで深い味わいなどが殆ど無い物の代表だから、口周りだけは熱くなっても、身体の芯から暖める力は無いのでは?(ちと強引かな?笑)
伊藤博文公らは、“朝鮮人の品性改善は、教育にあり!?”と思って居られたようだが、実は、“韓国人の食生活の改善”の方が効果的ではなかったのだろうか?と、私は思う。
つまり、「キムチWikipediaを食べない食文化国家」に変らねば、真の民主主義国家、文化国家の仲間入りは難しいのではないかな?(笑)
産経新聞元支局長に対する(司法)裁判など、およそ民主主義国家の大統領職や司法制度の在り方とはかけ離れていて、将に“ならず者国家”に等しい風体だ!
でも、その唐辛子Wikipedia)も、江戸時代に朝鮮通信使が日本から持ち帰った物らしいから、日本から何かを提供するにしても、よくよく注意せねば!いや、むしろ、(善意では、)何も提供しない方がお互いの為だろうな。
この本を読みながら、そんな事を思った。

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