モグラの繰言 2011.03 我楽多苑 別亭へ (真面目な愚痴!)
諸葛孔明 [0330]
『「諸葛孔明」 陳舜臣著 中央公論社 1991年8月19版 各\1,500税込み』
『諸葛孔明伝』は、他にも色々あるらしいのですが、偶々これが眼に留まったので、買ってみました。(左写真 各\105税込み)
なかなか面白くて、ばたばたしている中で、上巻(孔明の生い立ちから“赤壁の戦い”前後まで)を読み終えました。
先般、放映された「レッドクリフ 前・後編」を思い出しながら、孫権の勇猛な妹君が、実は劉備の怖い後妻?になるくだりを読んで、“へぇー!”と驚いたり♪
孔明の妻の綬が、彼と同じぐらい背が高く、珍しく「工夫や工作大好き」だったそうで、“孔明も感化されたか!”と納得したり♪
女性は、ちょい役なのに、結構面白い話題を提供して呉れていました。
(女性は大切だが、やはり“怖い山の神”でした♪...と描かれている?)
原発 [0328]
『「デフレは大好機」 長谷川慶太郎著 東洋経済新報社 2010年2月発行 \1,500+税』
東京電力の原発は、今、放射能汚染を抑える大問題を抱えていますね。
この本の中でも、電力需要対応と炭酸ガス抑制には原発しかないように書かれていますが、これから日本がどのような取り組みをするか/出来るかによって、世界の原発情勢も変わるのではないかと思います。
有害な使用済み核燃料や今回の汚染水/塩水の後始末など、相当に知恵を絞らないといけないはずです。(無視し続けるのは、得策ではない!)
楽な仕事ではないと思いますが、その処理方法次第で、今後の原発の行き方や技術輸出に、大きな影響・効果があるでしょうね。
今こそ、日本人技術者らしい知恵を出して欲しいものです。
魚の性転換(続) [0326]
『「性転換する魚たち」 桑村哲生著』(承前)
読み進めて行く内に、幾つもの興味深い話に出逢いました。
その中で、「縄張り争いが、相手を殺す処までエスカレートしないのはなぜか?」という疑問に対して、それは「集団全体の利益のため」ではないとのことですが、これには至極納得が行きました。
深追い攻撃は、“自らが怪我をすると拙い”ので、しないのだそうです。
それは、種や相手のためなどではなくて、「自分自身のため」だそうで、並みの“博愛主義者”が聞いたら、顔を顰(しか)めるか、拒絶するかも。
これが、私達人間の場合、“自分のため”と言えば、単純に「我利我利亡者(がりがりもうじゃ)/行過ぎた個人主義」を想像するかもしれないけど、それは浅薄・狭量な考え方!ですね。
本当は、他人を思い遣る前に、“先ず自分の足場を確保してから、周りで助力が必要だったら、それに対処するのが、一番確実で、自然なのだ!”と教えてくれているのだということです。
(自分を考えない「無理な利他主義」は、昔の商人の諺『元も子も無くす』ってことだろうと思いますね)
魚の性転換 [0324]
『「性転換する魚たち」 桑村哲生著 岩波新書 2004年9月初刷 \780+税』(購入 \105税込み)
子供(達)を育てるのには、母性が最も大事だと思っているのですが、最近の大人(親)達の(女性・男性の)「性の個性(・・・性らしさ)」が変化して来ているようにも見えるし、こんな表題を見掛けたので、つい買ってしまいました。
まだ読んでいないので、内容全体は分かりませんが、人間も生物の一種ですから、何かの参考になるかな?と思って。
考えてみると、なぜ自然は、「単性増殖」も可能なはずなのに「性」を分けてしまったのだろうと、思う事があります。
きっと、それが望ましい/望ましかった理由があるのでしょう。
それぞれの「性」が存在すべき理由が分かれば、人間の場合の理解にも使えるか?...いや、無理か?
(ホンソメワケベラは、「社会的地位」に応じて性転換するらしいという、大変興味深い話もあります)
負の遺産 [0321]
『「原子力は今でも百万馬力か」 内田正明著 東京図書出版会 2004年4月初刷 \1,600+税』(購入 \105税込み)
先日から、津波による被害が原因で、東電福島発電所で冷却系停止事故が発生していますが、まだ、それ程大きな被害にはなっていないらしいのは、僥倖(ぎょうこう)か?
安全だとして、現在日本には沢山の原子力発電所が出来ていて、原子力はコスト・パフォーマンスは良いと宣伝され/考えられていますが、この本を読んで、残留廃棄物の存在が気になりました。
核反応の後の残る放射性物質は、そのまま放置するわけには行かないので、「地下に埋める方法」が一番安上がりだと云われているそうですが。
でも、現実には、場所の選定が難しいし、安全性だって(お天気の確率と同じで)何の保証も無いらしい。(まぁ、それはどんな問題でもそうでしょうけど)
一番、気になるのは、こうした残留物が、後世代への負の遺産として、どんどん残って行くらしいのです。つまり、今の「赤字国債」と似ていますね。
私達自身のエネルギー消費のために、子供や孫達に「負の遺産」を残して行くなんて、かなり心苦しいですね。石油やその他のエネルギーでは、ダメなんでしょうか?
国益 [0319]
『「国益原論」 渡部昇一著 徳間書房 1996年1月初刷 \1,000』
この本を読んでいて、「国益」について、気が付いた事があります。
それは、他でもない、日本人が今現在やっている事、これからやろうとしている事を、大っぴらに世界に(自慢気に/上手に)宣伝し、世界中の人に良く知って貰うことが「日本の国益」になるに違いないってこと!
他国の人達から、先に誉めて貰うのではなくて、日本人自身が(自信を持って)他国にアピールすることですね。
恐らく、それが「国益になる」ことだろうと思います。
勿論、日本人の特性として、“何事も控えめ”で謙虚、むしろ“引っ込み思案”で劣等意識が強過ぎるためか?何をしても、世界からは、表立って重く評価されず、「国益」という面からも、物凄く損をしていますね。
でも、それを少しでも跳ね返せれば、“損を取り返せる”のではないかと思います。
(今、皮肉な事に、世界の投機筋からは「日本円」が高く評価されて、「奇妙な円高状態」になっていますね。それで苦しんでいる分野もあるようですが、介入してまで、「円安」にすべきものでしょうか?素直に、これが日本の真の実力だと思うべきでは!)
阻害要因 [0317]
『「幼稚園では遅すぎる」 井深大著 サンマーク出版 2003年11月第6刷 \1,700+税』 (この本は、1971年に「ごま書房」から出版されたそうです)
やはり、この方もそうですが、子供の育成に関心を持つ人達は、一様に幼児保育=教育の重要さに言及して居られますね。(左写真&クリック)
「人格は3歳までに形成される」というのは既に真理だろうと思うのですが、なぜ、今の教育制度が、もっと低年齢/学年にシフトしない/させられないのか?が、不思議でなりません。
それにしても、母親達が、重要な育児期間を1年限りで諦めて、外へ働き出る現状は、むしろ改善しないといけない事ではないかと思っています。
最近、私自身関心が出て来たのは、『なぜ、こうした「事実」の啓蒙や衆知、実行が進まないのか?その阻害要因は、一体何なのか?』を、もっと知りたいと思っているのですが。
失敗学 [0315]
『「失敗学のすすめ」 畑村洋太郎著 講談社 2001年第7刷 \1,600+税』
この学問については、以前から見聞きしていましたが、書籍として手に取ったのは初めて。(\105税込み)
まぁ、日頃から、物事に関して「失敗の無い行動は無い!」と思っているので、当苑では(恥ずかしげも無く!)成功例も失敗例も、記事にしています。
実際には、何かすれば失敗の方が多いのですが、何もしなければ、成功も無いから、結局“活動しない死人”と同じでしょうね。(苦笑)
この本でも指摘されていますが、『子供達には、許せる範囲で失敗をさせて、経験から、より良い手法・方式を学ばせる事が大切!』だろうと思います。
こうした事は、本当は学問だけでなくて、日常の常識にしたいですね!
偶々でしょうが、この本には三陸海岸の津波被害の後に立てられた昔の石碑に、「ここより下には、家を建てるな」と書かれているのに、その直ぐ下に家が建っている写真が載せられています。これなどは、失敗の教訓が伝わらず、風化してしまう例ですね。
今日(3/15)、東北・福島原子力発電所で、遂に原子炉の核燃料溶融が始まったようで、最悪の事態らしいのですが、ここまでに至る経過や途中の失敗は、後々のために、出来るだけ沢山の「対策と効果のデータ群」として残して欲しいものです。
依存症 [0313]
『「日本人の依存」を精神分析する」 小田晋著 大和書房 2000年第1版 \1,600+税』
この本の“まえがき”を読んで、強く同感して、良い本を買った!と喜んだのですが、段々読み進めるに従って、ちょっと物足りない感じを受けてしまいました。残念!
折角、適確な項目指摘と分析=『幼児期の親・母親への良性依存性が、早くから阻害され、それを引き摺ったまま成人し、逆に悪性依存症となって残ってしまっている現状』などがちゃんとなされているのに、なぜか全体的に説得力が弱いのです。
どうも、学者によく見られるような「経緯・現状分析力」(?)はあるけど、その後に続けるべき「具体的な対策・実行策」が少ない/淡いからではないかと思いましたが、違うかな?
読んでみて、長谷川慶太郎氏の「分析」のような「爽快さ」が無いのが、辛いですね。でも、指摘されている各項目や内容は、頷ける事ばかりでした。
コメ問題 [0311]
『「環太平洋 コメ戦争」 宮崎隆典著 集英社 1994年第1版 \1,700』
近頃、「白米ご飯」が美味しく感じられて、「塩こぶ」か「味付け海苔」だけで“茶碗一膳”は楽に食べ切れそうです。r(^^;
先般から、TPPの話が出て来ていますが、17年近く前にも『コメ問題』で大騒ぎでしたね。(左写真 \105税込み)
(米国の農業政策には、昔から外へ向かう圧倒的な意志があり、常に受身の日本国には、毎度脅威らしい。当然、菅首相みたいなヘナチョコでは、あっさり寄り切られてしまうでしょうね。でも、米国が上手なのは、日本の見掛けの成果も、巧みに褒め上げていい気にさせるとか?)
お米は日本人の主食ではあるけど、品種を選んで、根気良く育てれば、世界中の何処ででも作れるらしいので、何もコメ農家を日本国内に限る必要は無い!と、この本を読んで思いました。
でも、丁寧に作られたお米は、やはり美味しい!ですから、「土地に合った米造り家」は、日本国内に沢山生き残る可能性はありますね。
まぁ、別途「農地・里山の保全」の話もありますが、土地・不動産に価値があるのは、(観光も含んで)経済活動が活発な場所だけでしょう。人が生産・経済活動やその努力をしない土地は、何の価値も無い。
でも、努力すれば、それなりの実りもあるようですね。よく分かる例として、斜陽だった筈の「地方の動物園経営」で、北海道・旭山動物園の経営努力などは、その好例かも。
(つまり、先に価値を見つけた者勝ち!でしょうね。北海道の林野なんて、その類かな?巧く押えるには、民間の知恵が要る!)
傍線 [0310]
中身を見ずに「表題」だけで買ってしまった中古本、店頭でちょっと開けて見ればよかったのですが、各頁のそこら中に傍線が引かれていて酷かった!残念!(\105税込み 左写真<クリック>)
先日、拝見した長谷川慶太郎氏の本「情報頭脳の新時代」では、著者ご自身が強調したい箇所が太字になっていて、何を言いたいのか、何がポイントなのかがストレートに分かったのですが。
この本の“付加傍線”は、単に読んだ人がメモした箇所であって、こちらが拾いたい箇所ではないので、勝手ながら大変迷惑!
お蔭で、殆ど読み飛ばしてしまったのですが、勿体無いなぁ!
(いやいや、前の読者の作業をとやかく言う前に、自分の迂闊(うかつ)さの方を、呪うべきですね。幾ら面白そうな本でも、「外の見栄え」や「中の状態」が悪いと興味が削がれるので、「本の綺麗さ」は大切!)
苦労人 [0308]
『「ゾマホンのほん」 ゾマホン・ルフィン著 河出書房新社 \1,000 1999年10月 7刷』
“常に正論を吐くヘンな外人”のイメージがあったので、ちょっと興味を惹かれて、立ち読みでさらさらと見たら、これは買って帰らざるを得なくなりました。(\105税込み)
この方は、大変な“苦労人”ですね。(まだ読んだ事は無いけど、)『おしん』の話と同じかな?
実直で、頑張り屋のようだし、考え方は、将に「旧き/古き良き人」ですね。(日本にも、ずっと残したい人格なのですが)
お国ベナンの“教育の充実”を考えて居られますが、それは大切な事だと思います。(でも、中途半端に賢くなるのも、欲も増えるし、更に苦労も増える事になるかもしれませんね)
ハウツー [0306]
『「子どもの知能は限りなく」 グレン・ドーマン著』 (承前)
やはり、この本にも、幼児の導育の仕方について、「具体的な実施方法(ハウツー)」が書かれていました。
その方法は、実に手間隙(てまひま)が掛かりそう!
やはり、“飽きっぽい親”や“インテリ親”だと、多分始める前から、うんざりするのではないかと思いました。
(そんな面倒な事をしたって効果は分からないし、効果が無くっても、責任は取ってくれないんでしょ?だったら、普通に育てる方が楽でいいわ!)
(実は、ドーマン博士もそれを心配されているようで、至る処で“大丈夫!貴方でも出来ますよ!毎回、少しずつですよ!そして、負担にならない量で留め、後は次に廻しなさい!”と布石は打って居られますがね)
“教材の準備は、親がする”と書かれていますが、普通の親なら、先ずそこで躓(つまず)きそうですね。
その教材には、重要な意味があって、『事実を、簡潔に、筋を通して、他の要素は含めないで、完結』が必須だそうです。
確かに!沢山の資料類は、きちんと分類・整理して、棚に納めるべし!ですよね。後で入れ替えたいと思った時でも、楽ですから。
まぁ、良い教材が準備出来れば、進められそうな感じもしますが、どうやら買うものではないらしい。
結局は、親(達)自身が自分の工夫と執念でやり通せなければ、成功するはずの事でも失敗するでしょうし、最後は“この方法は、始めからダメだったんだ!”になってしまうだろうなと思いました。
そして、“説”が真理であっても、“成功例”が沢山出て来ないと『真説』にはならないってわけでして。
(ふと、禁煙・禁酒に成功した人達、しない人達の、色々な苦労話を思い出しました。どちらにも、もっともな理屈がある♪)
困難 [0304]
『「子どもの知能は限りなく」 グレン・ドーマン著』 (承前)
この本を読んでいて、現在の日本の「家族の意識」や「幼児の保育」の情況では、普通に優れた子供達/人材群を生み出すのは、やはり相当な困難があるだろうなぁと思いました。
つまり、子供達の『天賦(てんぷ)の才』や『器(うつわ)の大きさ』というものが、実は、0歳から6歳までの間の両親や家族の『意識的な努力』以外の何物でもないってことなのに、“いや、それは天?から与えられたものだ!”と、多くの人達が思い込んでしまっているらしいからです。
それは、よく考えると、実は、私達大人の逃げなんでしょうね。
“優れた子育てなんて、忙しくってやってる暇が無いし、普通の子育てで何が悪いの!”
“うちの子は、天才になんかならなくったっていいわ♪どうせ、後で、幼稚園や学校で“並み丼教育”はしてくれるんだし♪”
そう考える親達が多い、もしかして、殆どがそうか?
他方で、普通に優れた子供(達)を育てようと努力をする親(達)を、妬(ねた)んだり、邪魔したりもあるし。
例えば、折角良い所まで成長させたけど、止む無く小・中学校に入れて頭打ちになると、“ほれみろ!”と嘲ったりするし、育て上げるのに成功した親(達)は単なる“偉人”として祭り上げるだけでオシマイ。真似ようとはしないしねぇ♪..ぁ、言い過ぎました♪orz
(実は、ドーマン博士は、「マイナス面は、絶対言うな!するな!」と仰っているようなのですが、つい。。。)
親ばかで良し! [0302]
『「子どもの知能は限りなく」 グレン・ドーマン著 サイマル出版』の中の「天才」の話を拝見していて、つい表題のような台詞(せりふ)が出て来ました。
日本では、親が自分の子供の事を誉めて吹聴すると、「親ばか」と云われますね。でも、それが本当の親の在り方でしょ?
子供は「誉めれば/られれば、良く育つ」って事は、誰もがよく知ってます。もう、今では定説ですからね。
親が、注意深く見て居て、子供の良く出来た処を上手く誉めてやる事が一番♪それも、具体的に、はっきりと♪と言われてる。
しかし、外で吹聴すると、当たっている程、黙って深く嫉妬(しっと)されますから、注意が肝要!それに、今では、年長の子供達は、既に“嫉妬”や“謙遜”(けんそん)を学習してしまっているので、素直に嬉しがらないのも、戸惑う事なのですが。それに、学習意欲が衰え成長が停滞すると、“傲慢”(ごうまん)さが出て来ることにも留意して、出て来たら思い切り尻を引っぱたく?/誉めちぎる!
ま、外に向かって大っぴらに吹聴するのを、ちょっとだけ控えれば、「子誉め型親ばか」は大いに結構!だと思いますよ。それも、内心だけではなくて、口に出して言うのが、絶対効果的!
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