導育甘言集 2013.11 [我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ [表紙頁]へ
聖徳太子の正体 [1129]
『聖徳太子の正体 小林 恵子著 文藝春秋 1992年10月 8刷 \1,300税込み』 (購入\105税込み)
以前に、“聖徳太子は渡来人だったという話”を見た事があるが、この著者の説を引用していたのを微かに覚えている...やっと、その本家本元に巡り合ったという感じ。(笑)
で、この著者の説では、「随書」上から突然姿を消した突厥人の達頭(タルドウ)が日本へ渡って来て、聖徳太子となったそうな。
でも、経済基盤も無く、地盤勢力も乏しい(はずの)王が、なぜ「十七条憲法」などを打ち出せたのか?つまり、中央で権力を持ちえたのか?との疑問がある。
・・・ それに対しては、達頭が、多数の配下を従え、「鉄(武器)」と「馬」の武力で東征して来て、勝ち上がって来て、権力を握ったからという話もありそうだが。
いや、あるいは、当時権力を持っていた推古天皇に招かれての「入り婿」のようにも書かれているから、その時にはもう、(武人・突厥人としての)牙を抜いてしまっていたのだろうか?...そして、推古帝が望んだのは、大陸や半島に対する“達頭としての外交力”だったのかな?
そういえば、聖徳太子が、隋の煬帝に送った信書(「日出ずる処の天子...」)は、大陸での七か国の王=突厥可汗だった達頭の感覚からすれば、無知でも、大袈裟でも、虚勢でもなかったのだろうと思える。(...ナルホド!大陸人感性か!)
そうした感覚や業績は、他の(後世の)日本人にとっては、理解し難かったろうし、また面白くなかったろうから、ヘンな形にしか解釈されなかったのかも。(それは、現代でもそうで、シナ|中国政府要人の日本に対する罵声が、異様に下品に聞こえるのと同じ!彼らの品性からすれば、普通のことなのだろうけど)
この“聖徳太子=突厥人説”は、話としては面白いが、やはりまだ少し物足りない!(私の知識不足で)まだ疑問が湧いて来そうだ。
のぼうの城 [1127]
『のぼうの城 和田 竜著 小学館 2008年7月 10刷 \1,500+税』 (購入\200税込み)
この本は、沢山の歴史的参考文献を下地にして書かれた、“意外性”を主題にした読み物だろうと思う。 ・・・ 面白かったが、何と無く不安感も残った。
それは、のぼう殿−成田長親城代の人物像やその挙動が、(歴史的な)事実だったのか、それとも著者の単なる作り話なのか、良く分からない点だ。
まぁ、どちらでもいいのだが、しかし、本当に、普段は“のほほん”としている人物が、いざという時に、ちゃんとしたリーダ・シップが取れるのか?と疑問・不安だ。
この話では、結果がまぁまぁだったから、それに先立つリーダーの決断は正しかった事に出来る(!?)のだが、現実は、大いに違うかもしれない。
「徹底抗戦」を決めたのだが、もし、状況が悪くなって、城内に立てこもった百姓達までが、全員討ち死・全滅していたら、目も当てられない結果になったろう。
例えば、少し前の日本の政治で、民主党が政権を取った時に起きた震災と原発事故のことだが、あれだけ期待された政党だったのに、殆ど何も出来なかった、いや!しなかった結果しか残らなかったからだ。(原発事故の方は、未だに尾を引いているし)
私達一般人は、しばしば“甘い夢を見過ぎる(≒安直な期待をし過ぎる)傾向”がありはしないか?...少々ぼんくら宰相でも、重要な仕事はきちんと対処してくれるはずだ!などという思い込み...私は、むしろそちらの方が怖い!
霍去病〈下〉 [1125]
『霍去病〈下〉 塚本 青史著 河出書房新社』 承前
この本、最初は、随分読み難いと思った...というのは、1行の間ですら、話の内容が飛ぶからだが。
勿論、その間(ギャップ)は読む側が、自分の知識や常識で埋めながら読み進めるのだが、著者が分かっていても、私には分からない事情ってのもあるし、つい、そのギャップに落ち込んで考え込んでしまう。
ま、そんな不具合(ミスマッチ)はあるが、なかなか厳しい(著者の)指摘も挟まれている。
武人衛青(えいせい)が、自分の出自に対するコンプレックスを持っている気配や、霍去病(かくきょへい)は、優れた武人だが、まだ生活面では小児性を残していたりする様子が、巧みに描かれていて、なかなか手厳しい!
北方史記では、英雄は英雄らしい面がより強調されて描かれていたが、この本では、むしろ、“英雄って、何ぼのもんだ?”と感じさせられた。
でも、読み終わって、“うん!なかなか面白かった!”と言わせるだけの内容と筆力を、この著者は持ちのようだ。
追加投資 [1123]
また、2口追加投資をした♪(ミュージック・セキュリティーズ−鵜の助4人の漁師ファンドへ)
時折、街頭で“募金のお願い”をされるのだけれど、あんな“他人の(意味のわからない)慈善心”に委託しての寄付など、全然面白くもない!というのが、近頃の気分だから。
“行き先の怪しげな寄付”だって無いとも限らないし、そうした“無思慮な、無防備な優しさ≒慈善心”が、世の中を良くする時代は、もう、過ぎた!
(韓国人“斡旋売春婦問題”の話もそうだが、“強請り”や“タカリ”で、“慈善”を要求されるなんてのも、論外だし)
また、日本も、国家財政の大赤字に苦しみながら、それでもなお、慈善事業的生活保護政策や医療保険制度を、全然改善出来ないなんて、賢明な大人(達)のやる事ではないと思う。
これからは、“優しさ”は下地にするにしても、まず“やる気や前向きの力”を前面に立てないとダメだろうな。何でも、ノルマを持って取り組まなければ、良い結果は得られない。
私は、そうした活動に投資する方が、(現世の利益・配当は少なくても、)ずっと、世の中を良くするのに役立つはずだ、と思っている。
...と、まぁこんな気分で...また、このファンド、なかなか100%にならないもどかしさもあって、(大海の一滴だけれど、)、追い投資をした。
霍去病〈上〉 [1119]
『霍去病〈上〉] 塚本 青史著 河出書房新社 1996年11月 4刷 \1,456+税』 (購入\200税込み)
“病”の文字が入っているので、以前見掛けた時から妙な名前だなぁと思っていたのだが、“去病(きょへい)”だから、意味的には悪くはなさそうだ。
この霍去病(かくきょへい)は、衛青の甥に当たる人物で、あっという間に、「漢」の西方に居た匈奴達を追い出して、その領土を大きく広げた後、若くして急逝してしまった英傑だったらしい。
しかし、この本の始めから、義縦という名や、張次公の名ばかりが出て来るので、てっきり、その内の誰かが霍去病の幼少時代の姿なのかな?と思いながら読んでいたが、結局長〜い前振りであって、本物の霍去病は、中盤からいきなり登場するのだ。
その“奇妙な名前”は、平陽候(劉徹の姉の夫)が名付けたものらしいが、考えてみると霍去病自身は病気?で若死にしたわけだから、これは「本人が“名前負け”した」好例?悪例?なのかも。(苦笑)
小説マルコ・ポーロ (追々) [1119]
『小説マルコ・ポーロ』 陳舜臣中国ライブラリー18 陳 舜臣著 承前
この本を、まだ読んでいるのだが、なかなかどうして、興味深い話が次々に出て来る。
蒙古人の「元朝」は、自分達の長所・弱点を良く知っていて、自分に出来ない事は、その道の専門家に任せていたって話だそうで、腹が据わっていたというか、仕事のやり方が巧いというか。(下記の、監視員↓とは大違い!)
それに関連して、「景徳鎮」という磁器商品の開発に、今で言う大蔵・財務大臣級の人物がアイデアを出して、実現したというから面白い!
更に、この大臣、人格や品性の点では問題が多かったそうだから、尚更、皮肉っぽい話だ。今の日本では、国家財政を見事に健全化出来るとしても、とてもこんな大臣は受け入れられないだろうなと思う。目的よりも、手段が重視されるからだが。
私は、「景徳鎮」など、骨董品や陶磁器を“自分で持つ”興味は無いが、「開運!なんでも鑑定団」は、結構面白いという話だ。
骨董品の値打ちは、結局は“他人(達)の欲しがり度”だから、“へぇ、こんなものが!こんな値段?”と思っても、別に間違っているわけではないのだろう。でも、私なら、使えるもの、動かせるものの方を選ぶな。
無能監視員 [1118]
人間的にはどうだか知らないが、監視員として不適格な女性に、そうした勤務をさせているのはどうかと思う。(滋賀・琵琶湖博物館)
先回に引き続いて、その(同じだと思うが、)“余計なお世話係”のヒステリー的叫びにムカついて、思わずご指導申し上げた|言い返したのが、今回で2度目!
男の子はどうしても冒険をしたがるものだが、小さい孫息子(1歳半)が、建物内で遊んでいて、偶々階段横の壁の上の細長いテラス状平面を見付けて、そこをほいほい歩き出した。
どうするかな?と、私は興味津々で視て(監視して)いたら、先の方へ行くに連れてやはり“高さと恐怖”を感じたのか、引き返そうとした。
だが、面倒臭いと思ったのか、こちらへ手を伸ばして、“抱き取れ!”の仕草だ。
そこで、私は“ダメダメ!其処まで自分で行ったのだから、自分で引き返しなさい!”と指示して、様子をみていた。(周りには、人影も無く、特に拙い影響も無さそうだったし)
そこへ、女性監視員?の金切り声だ。“降ろしてあげて下さい!何をしてるんです!早く降ろしてあげて!”(誰に云ってるんだか)
あまりに喧しいので、“これは、私が、トレーニングをさせているのだがら、ガチャガチャ言わずに黙って見ていて下さい!”とたしなめたら、プイっとふくれっ面をして、去って行った。孫息子の方は、その後自力で、階段上まで引返していたのだが。
その女性監視員?は、無責任にも、結果も確かめずに行ってしまったわけだが、一体何のために監視役だ?
仕事の意味が、全く理解出来ていないようだ!(最後まで安全を確認するのが役目ではないの?単に金切り声を上げれば、それで済む役目なのかね?)
それに、(子供の行動を理解し、こちらに協力して、)子供に危険回避の方法などを経験・体得させようとする気配すら無かったもんな...指導員としても不合格!
小説マルコ・ポーロ (追) [1115]
『小説マルコ・ポーロ 陳舜臣中国ライブラリー18 陳 舜臣著』 承前
この小説は、結構大作だったようで、なかなか読み切れず、四苦八苦中。
フビライの治世に、彼に仕えたマルコ・ポーロが、具体的にどんな仕事、任務をこなしたかは正規の記録は無いそうだ。
この小説は、其の隙間を埋めるように、著者の想像|仮定で組み立てられた話のようだが、至る所でちゃんと辻褄があっているみたい。
それにしても、マルコ・ポーロが「1270年代の元寇」(元が日本に攻めて来た)に間接的に拘わった話は、素人頭には疑わしくも思えるのだが、(私自身に十分な知識が無いので、)著者の推測は案外正しいのかも。
あの「元寇」がいずれも失敗に終わった理由は、偶然(神風?)も含まれていたかもしれないが、それよりも元王朝に潰された、旧宋王朝の生き残り達の形を違えたサボタージュや反抗勢力のお蔭で、元軍が自滅し日本が助かったらしいと読んで、ナルホド!と思った。
日本の歴史家の多くは、なぜ日本が三度も元軍に勝てた|負けなかったのか、時になぜ一夜にして元軍が居なくなったのかの説明が付けられないままに放り出して居るが、この小説は、それに一石を投じる“仮説”ではないかと思う。(違ったかな?)
それで思い出したのだが、「万葉集を古代朝鮮語で解釈すると、良く意味が通る」という話も、結局、物事は多面的に、あるいは相手側の立場に立って見ないと、その実像を知る事は出来ない!ってことのようだ。
では、多面的に見るためには、どうするか?それは、若い時に、沢山の知識を溜め込む訓練をしておく事!そして、それを、適宜、上手く引き出す訓練も併せてしておく事!...(それを嫌がる自分が居たら、妥協しながらでも|騙し々々ながらでもやるべきかな♪)
小説マルコ・ポーロ [1113]
『チンギス・ハーンの一族(後) 陳舜臣中国ライブラリー18 陳 舜臣著 集英社 2000年11月 1刷 \3,300+税』 (購入\200税込み)
この本は、集め切れなかった「文庫本 チンギス・ハーンの一族(2)」の補いのつもりだったのだが、そちらの方は別途、ネットで手に入れる予定。(左写真クリック)
それよりも、これに入っていた『小説マルコ・ポーロ』(左写真)が気に入ったし、“儲けた!”と思った。
私の“儲けた!”という感覚は、“本来は高価で出来の良いものを、形はどうあれ、安価で手に入れられて、読んで|使って満足感、達成感が得られた!”というものである。
私は、根が貧乏性だから、「高価な値打ち品」は欲しくても買えないので、中古品やジャンク品の中から、そうした値打ちモノを拾い出す技法|手法を練習して来たのだが、それは大変“好もしい手”だ!って、最近良く思う。“腐っても鯛”という諺があるが、良いものは古くても、その“真の値打ち”は落ちないからだ♪
逆に、「新品の安物」は、余程運が良くないと“儲けた!感”は得られないから、あまり期待をせず、試に買ってみるだけにしている。
(でも、時には、新品を“思い込み”で買って、よく失敗はするが。 中華製 粗悪玩具鉄砲など)
幼児化する日本社会 [1111]
『幼児化する日本社会 拝金主義と反知性主義 榊原 英資著 東洋経済新報社 2007年8月 3刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
私は、この10年間で色々な本を読み、あれこれ考えながら世の中を観察して来たら、随分色々な事が分かって来たような気がする。だから、この著者の言いたい事が良く分かるし、多々同感する箇所もあって、其処に挟むシオリも半端でない。(苦笑 左写真<クリック>)
でも、私も大人だから、講評するだけでなくて、最後は、自分に何が出来るか?を、自分に問い掛けてみる。
為になる知識でも、自分が実践出来なければ、“只のエンタメ”になってしまうからだ。
この著者は、「サマースクール」などをご自分の実践事項とされているようだが、果たして私には何が出来るのだろう?...と考えても、非日常的な、派手なパフォーマンスなどは出来っこないから、日常的にやれることだろうな。
この著者も書いて居られるように、(白か黒か|成功か失敗か|安全か危険か|善人か悪人か...など)『二分割的発想』は、確かに“思想の退化、人間の幼児化”だと思うから、私は、常に『中腰的対応』でやろうと思っている。
つまり、色々な中間段階を知っておいて、何処で線引きをするかは、その時の状況で(中間値で)決める、(出来れば即断する)わけだ。
それと、“「面倒臭い!」は云わない!”と決めている。日常の大抵の事は、工夫や努力をすれば、何とか出来るからだ。
これらは、孫達への“実物教育見本”として、常に使おうと思っている。
豊臣秀長 [下] [1109]
『豊臣秀長 ある補佐役の生涯 [下] 堺屋 太一著 PHP研究所 1987年11月 37刷 \1,200』 (購入\105税込み)
この本の上巻はそれほどでもなかったが、下巻では、織田軍団が全国を制覇するために、絶え間なく戦を仕掛けたり、攻められたりして息つく暇さえ無かったらしいので、読んでいるこちらまで疲れてしまった。(苦笑)
しかし、そうした中で、羽柴秀吉公の「補佐役」として、支え続けた秀長公(後に長秀と改名)の蔭での仕事は、きっと大変だったろうと想像出来る。
指示された戦いにも出なければならないし、羽柴家の経済も考えねばならない。
また、敵味方の調略や、(殆ど手持ちが無かった)家臣団の育成なども仕事に入っていたらしいから、頭を幾つも持っていないと勤まらない役回りではなかったか?!
ところが、出自は貧しい農村の男だったのに、そうした仕事(!)を続けながら、しかも、歳を重ねるに従い、文武算にもそこそこの力を持たれたそうだから、相当な努力家でもあったようだ。
やはり、“氏より育ち”が正しいのだ!そして、それにも増して、“努力する力”も注目すべき点ではないか?と思う。
豊臣秀長 [上] [1107]
『豊臣秀長 ある補佐役の生涯 [上] 堺屋 太一著 PHP研究所 1987年2月 31刷 \1,200』 (購入\105税込み)
この題名を見て、(“プリンセス・トヨトミ”などを思い出して)何だか胡散臭い(失礼!)と思ったのだが、著者の名前を見て、まさか“かたり(騙り)”でもなかろうと、ちょっと開いて、「はじめに」を読んでみた。
結果、その内容に強く惹かれて、上下揃いで買って来て読み出したのだが、一気に読んでしまった。 ・・・ ナルホド!こんな“男の人生”もあるんだなぁ!と感心、感激!(後で、この本がベストセラーだったのに気が付いたのだが、そいや、殆どのサラリーマンが、「補佐役」みたいなもんだからなぁ)
しかし、これが豊臣秀吉公の実弟の話だったとは!
息子・豊臣秀頼などの名は、今では良く知られているが、豊臣秀長公の方は、私も知らなかったほど無名に近いが、秀吉公を生涯に渉って助け、公に継ぐ大身で功労者だったらしい。
こうした“役回り”は、通常、「女房役」と呼ばれるのだが、この著者はその表現では“不足”と感じられ、敢えて「補佐役」とされたようだ。
でも、この語感も、弱く不十分な感じがする。“攻撃役”は華やかだが、“守備役”は地味で、あまり高い評価は与えられて来なかったから、それを“表現する適語”が無いのかもしれない。
クイーンズ海流 [1105]
『クイーンズ海流 佐江 衆一著 新潮社 1999年8月 1刷 \1,700+税』 (購入\105税込み)
この小説、面白そうなのだが、文字が小さい上に、情景の描写が丁寧?というか、沢山の話を詰め込み過ぎていて!私の頭が追っ掛け切れない。
こんなのは、例えばの話だが、他にすることが無くて、森の木陰で寝椅子に身体を伸ばして、ゆったり、ワクワク、ガクガク、ブルブルしながら読む小説ではないかという気がした。
英国からシナ|清朝への“アヘン密輸”や“アヘン戦争”の話は、もう今では“歴史問題”だが、当時の世の中は騒然とし、人々の暮らしも悲惨の極みだったろう!
その中で押し潰されそうになりながら、必死に生きようとする個々の人達の姿がある。
でも、逆に物足りないのは、何か目的とか目標があって、それに向かって主人公達が努力するような絞り込まれた話の方が分かり易いのだが、この本では、取り上げる事件が多過ぎて、それが散漫になっている気がする。
やはり、英雄譚のように主人公の存在が際立っている方が面白いのに!...でも、こうした雑然としたのを読むのも、精神の鍛錬にいいかもしれない。
(今回は、1/4も読めていないが、この本は棚に残して、また次の機会に読もうと思う)
史記 武帝紀[三] [1103]
『史記 武帝紀[三] 北方 謙三著 角川春樹事務所 2010年6月 1刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
この本で気付かされたのは、“負けないで、しっかり守る事”も、意味ある仕事の仕方だ!ってこと。
(下記の)衛青(えいせい)や霍去病(かくきょへい)らは、従来の戦いのやり方を変えて、匈奴を「漢」の外にまで出て追い払い、河南(オルドス)の地域に居た匈奴を追い出し、その上西域に接する所まで領土を広げた、“攻めの戦い”をした人物達で、それらの活躍は華やかな冒険活劇にも見える。
一方、李広(りこう)(見出しには、“漢代一と称えられる歴戦の将軍”とある)という人物は、それまで北から執拗に攻め寄せてくる匈奴達から「漢」を守る“守りの戦い”に徹した将軍であったそうだが、どうしても地味に見えてしまう...しかし、当時は、匈奴からも“漢の飛将軍”と怖れられたが、そこには、当然、敬意も含まれていたようだ。(彼らも、それだけの品格があったからだろうけど)
近頃は、日本を守ろうとする安倍首相は、何かする毎に、隣国(の匈奴似の連中?)から“右傾化非難”されるようだが、李広将軍も、今だと、きっと、匈奴似達からは(こんな風に、敬意無しで)“右派呼ばわり”されるかもな!(苦笑)
史記 武帝紀[二] [1101]
『史記 武帝紀[二] 北方 謙三著 角川春樹事務所 2009年8月 1刷 \1,600+税』 (マイ・ルール無視の購入\850税込み)
一、二巻と読み進んで来たが、これは愉快!痛快!で、将に男児の読み物だと思う。(今時の女性、中性連だと、多分顔をしかめるかもなぁ)
“攻めの志向”を持つ劉徹(りゅうてつ 後の武帝)と、それを“具現化する闘士”衛青(えいせい)とが織り成す「(前)漢代」の冒険活劇風な歴史小説だ!
この中に、西方を旅して来た張騫(ちょうけん)や、妙な名前だと思っていた霍去病(かくきょへい)が登場して来るが、今まで読んで来た古代シナ|中国史の小説の中では、少しずつしか触れられていない人物達が、ここでは大きく活き々々と描かれていて、“目から鱗”の感がある。
それに、この『史記』の著者である司馬遷(しばせん)自身も一人物として登場するから、何かヘンテコリンな感じがするが、元々、『史記』には司馬遷の自伝のような項も入っているのかもしれない。それとも、“北方史記”だからかな?
(この第二巻は、マイ・ルール!の百五円購入ではなかったが、無理をして買った値打ちがある♪)
[表紙頁]へ 関連記事の目次へ [一言板]へ